No.45
雪裏の梅華、一枝開けり ﹃永平広録﹄巻八﹁小参﹂ 新しい年を迎えました。今年の冬は、昨年の猛暑に引き続いて暖冬かと思われましたが、十二月初めに積雪があるなど、厳しい冬になりました。梅の花もこの寒さの中で震えているのではないでしょうか。 さて、﹁冬来りなば、春遠からじ﹂と言われるように、季節は確実に巡って参ります。この冬の寒さと厳しさもある意味、春を迎えるための準備なのです。人は勝手な者で、暑い時には、早く涼しくなればよいのに、寒い時には、早く暖かくなればよいのにと考え勝ちです。でもそれは、季節の移ろいのほんの一面、その一部だけを取り上げて愚痴をいっているだけで、季節全体、ましてや一年の時の流れを無視しているのです。この世に不要な季節などあるはずがありません。それは、寒い寒い冬についてもいえることです。 ここに挙げた一句は、道元禅師の新年の上堂︵説法︶の時の言葉です。年が窮まった時、つまり年末を過ぎ、新年を迎えたときの心境を述べているのです。道元禅師の眼前には、雪の積もった庭の梅の木があり、その枝には蕾を膨らませ、僅かに綻んだ梅の花があったのでしょう。 それが、道元禅師の見た新年の風景であり、その当たり前の世界が綿々と受け継がれ、毎年毎年同じ様に枝に花を付けるのです。寒さに震える梅の花も新年の姿であり、それが当たり前のように繰り返されることこそ、真実のありようであるというのです。 春の来ない冬はありません。溶けない雪はありません。厳しい世情ではありますが、皆さんと供に力を合わせ、素晴らしい一花を咲かせるような年にしたいものです。