No.38
生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり --修証義 -- 四百メートルを越える超高層ビルと、それに激突したジェット旅客機。いずれもニ十世紀を象徴する科学技術の華々しい成果ですが、皮肉なことにその科学技術がテロによって悪用され、何千人もの人々の命が奪われ、多くの子供たち、その他の人々が、突然、親や愛する人を失ってしまいました。 楽しかった家庭の中にあっても一寸先がわからない人の命……。健康な若者であっても、突然の事故や病に襲われたり、年を重ねて、老いて死んで行く。我々には、何故このような死があるのでしょうか。はたまた、人は何故この世に生まれて来るのでしょうか。 仏教では、﹁老﹂・﹁病﹂・﹁死﹂の苦の原因である﹁生﹂もまた、四苦の一つとして捉えます。そして、﹁老﹂と﹁病﹂とを、﹁生﹂に含まれた事象と考えるならば、人間の苦はつまるところ、﹁生と死﹂に集約され、一切のものは、﹁生じては死︵滅︶﹂するという無常観を同時に説いております。ニ十世紀の科学技術の結晶もまた無常の風の中にあり、私たち人間も例外なく死に赴く時は死ななければならない因縁があります。 冒頭の句の﹁生死︵しょうじ︶を明︵あき︶らめる﹂ということは、人間は常に﹁生死﹂に直面しているという無常の現実を見据え、﹁生死﹂のことわり理を知ることであります。科学技術の粋を集めた確固たるものすら、今回のテロ事件で明らかなように脆︵もろ︶く悲惨な事実を内在していることを肝に命じることでもあります。お釈迦様や祖師方︵仏家=ぶっけ︶は、この﹁生死を明らめる﹂ことこそ、一人ひとりの尊厳を守り、悲惨な結果を来たさない正しい智慧と生き方が備わる道︵一大事因縁=いちだいじいんねん︶であることを示されました。 この度の事件は、無常を説かれたお釈迦様の教えと警告を、改めて考えさせられる出来事です。そして、﹁生を明らめ︵見据えて︶死を明らめて、無常の中に生きる﹂人としての正しい生き方・考え方を実践していくことが大切だということを、再認識させられました。 犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。