No.33
此一日の身命は 尊ぶべき身命なり、貴ぶべき形骸なり 時はまさに、二十世紀から二十一世紀へと移り変わり、私達をとりまく生活環境は、日々便利になっています。つい数年前まで、夢のような事が次々と現実のものとなりました。 しかし、生活環境が良くなっても、本当に豊かになったと言えるのでしょうか。ニュースは毎日のように若年層による凶悪事件や、幼児虐待など、耳を塞ぎたくなるような事件を流しています。欲しい物は何でも手に入るということが、逆に人の優しさや、物の大切さ、ありがたさなどを少しずつ忘れかける原因になっているのではないのでしょうか。こうした状況の中で毎日、時間に追われて、あっという間に時を過ごしてはいませんか。 私が坐禅会で、ご指導させて頂いたときに、ある参加者の方からこんなお話を聞いたことがあります。﹁ただ坐っているだけで、いろんな事に気付かされます。普段、自分の生き方などあまり考えたことがないのに、じっと坐っていると冷静に自分の事を見つめることができる。私にとっては、すばらしい時間ですよ。﹂と。 感じ方は、人それぞれ違うと思いますが、一日五分でも自分を見つめる時間を作ってみることをお薦めします。就寝前のちょっとしたひとときでも構いません、あなたに新しい発見をもたらす貴重な時間になるかも知れません。 冒頭の句は、年月の長短ではなく、一日・一日を精一杯生きていくこと、その積み重ねがとても大事であるということを示されています。この機会に少し考えてみてはいかがでしょうか。自分にとって、二度とないかけがえのない一日なのですから。