No.31 解説
これは道元禅師︵どうげんぜんじ︶の書かれた、﹃正法眼蔵︵しょうぼうげんぞう︶﹄﹁洗浄﹂の冒頭の句です。洗浄とは文字通り﹁洗い浄める﹂ことであり、この巻は爪切り・髪を剃ること・大小便の仕方やその後の手の洗い方等を具体的に説き示しています。それらは人間の行為の中では汚いものと考えがちですが、日々の生活の中で大切な行動であることは言うまでもありません。このような、日常のありふれた行為の中に、仏法の真意を捉えようとするのは、禅宗独特の教えです。 道元禅師は﹁私達は汚れている︵迷い︶から、修行してきれい︵悟り︶になる﹂のではなく、﹁私達は本来、すべてきれい︵悟り︶の中にある、という事に気が付くために修行をするのだ﹂と仏法の一大事を示されているのです。