No.29
いまといふ道は、行持よりさきにあるにあらず、 行持現成するをいまといふ この句を簡単に言い表したものとして、芥川龍之介による次の言葉が思い浮かびます。 ﹁人生を幸福にするためには日常の瑣事を愛さなければならない。人生を幸福にするためには日常の瑣事に苦しまなければならない。﹂ また、作家の笹沢左保の著書に木枯紋次郎を主人公とした一連の作品があります。その中の紋次郎のせりふに ﹁まともに明日を待っている者に限って、今日をおろそかに生きている。俺には明日はない。だから俺は今日一日を一生懸命生きなければならないのだ。﹂ というものがあります。これも冒頭の句を平易に言い表しているといえましょう。 さて、冒頭の句は、﹃正法眼蔵﹄﹁行持﹂︵上︶の中の言葉です。 ここでいう、﹁いまいふ道﹂とは今という時間と、また﹁行持﹂とは日常生活と考えられます。 譬えれば時というものは、川に流れる水と同じように一瞬に過ぎ去って行くものなので、当てになる大事な時をいい加減に過ごし、当てにならない先を当てにしているうちに、気が付いた時には、どうにもならない自分になっている場合もあるのです。 何か特別な今、何か特別な時間がある訳ではありません。平凡な日常生活中にこそ大切な﹁今﹂があるのです。そして、些細な日常生活が現れているその瞬間こそ﹁今﹂なのです。この時以外に当てになる大事な時は存在しないのです。 ですから毎日の生活を漫然と過ごすのではなく、毎日を大事に生きることを常に考え、身心を惜しまずに、精進努力すべきであることをこの句は教えているのです。