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毎日更新される友人、知人のフェイスブック、1日何件も届くLINEのチャット、会社や取引先からのCC(同報)メール…。煩わしいと思ったことはないだろうか? スマートフォンを持ち始めると、いつでもどこでも、連絡を取り、知りたいことが調べられる半面、四六時中画面をチェックする習慣が生じる。いっそのこと電波の届かない場所に行きたい-。こんな願望をかなえる旅のスタイルが、静かに始まっている。
(産経新聞 2014/11/16 配信)
情報が溢れかえる時代、その情報の波から一時的でも開放されたいという方が増えているようです。
記事中では「メールも見ない。何にもつながらない場所に行きたい」と、伊豆諸島最南端の青ヶ島に旅行し「頭を空っぽにして、前向きになれた」というグラフィックデザイナーの例が紹介されています。
海外では、チェックインの際にフロントにスマートフォンやノートパソコンを預けるスタイルのホテルも登場しており、いよいよ『圏外』に価値が見いだされる時代になってきたのだと感じます。
ダライ・ラマ14世法王の詩を紹介します。
| 現代の矛盾 大きくなった家、少なくなった家族 増える学位、鈍くなる感性 はるか月まで行って帰ってくる時代 情報を蓄え、複製するためにコンピューターを作り、 ファーストフードと消化不良の時代 ショーウインドーに多くのものが陳列されていて ダライ・ラマ14世 |
生活を豊かにし、便利さをもたらすとされる情報化社会・・・・本当にそうなのでしょうか。
現代の矛盾は私たちに問いかけます。
以前、デジタル断捨離・デジタルデトックス というブログ記事を書きました。
コンピューターテクノロジーは、本来仕事や生活の効率化に寄与するものですが、無駄な時間を強いることとなってしまっては本末転倒です。
携帯端末の電源を入れず、完全にシャットアウト。
これを日常生活の中でどれだけ続けることが出来るでしょうか。
冒頭の記事の青ヶ島の例のように、デジタル断捨離・デジタルデトックスを実践する場として、寺院が活用される事例は今後増えて行くかもしれません。
諸の憒閙(かいにょう)を離れ、空間(くうげん)に独処(どくしょ)す。
楽寂静と名づく.佛のたまはく。
汝等比丘、寂静、無為、安楽を求むことは、当(まさ)に憒閙を離れて独処閑居すべし。
静処の人は帝釈諸天、共に敬重する所なり。
是の故に当に己衆佗衆(こしゅたしゅ)を捨てて空間に独処して苦本を滅せんことを思ふべし。
若し衆を楽ふ者は則ち衆悩を受く。
譬へば大樹の衆鳥これに集まれば則ち枯折(こせつ)の憂ひあるがごとし。
世間は縛若(ばくじゃく)して衆苦に没す。譬へば、老象の泥に溺れて自ら出ずること能(あた)はざるがごとし。
是(これ)を遠離と名づく。
道元禅師『正法眼蔵』「八大人覚」巻(比丘たちよ、もし寂静にして、おそれの無い安楽を求めるならば、世間喧噪の地を離れて、独り閑静な地に留まるが良い。静かな場所に居る人は、帝釈天、諸神が篤く敬うところである。このようであるから、様々な関わり交わりを捨て、静かな地にて苦を滅する法を行うべきである。もし人々との交わりに溺れる者は、諸々の事柄に悩まされるであろう。たとえば大樹に多く鳥が群がれば、枝が折れたり枯れたりする患いがあるようなものである。世間という束縛や執着は諸々の苦悩を起こす源となり、そこから逃れられなくなる。たとえば、老象が泥沼に溺れ、自分で抜けることが出来なくなるようなものである。これを遠離と名づける)
コンピュータを介したコミュニケーションについて、早い時期からの教育が必要であると思います。
メールやSNSも、「即時発信・即答」ではなく、「いつ発信・返信するか」というタイミングのコントロールも重要です。
デジタル携帯端末と、適度な距離を保ち、適度な間合いをとって付き合うことも重要です。
おすすめの方法は、トリアージ(Triage)の考えを導入するということです。
トリアージは、一般的に災害における多数の傷病者を重症度や緊急性によって分別して治療するという方法論です。
SNSにおいてこのような考えを導入することもアリでしょう。
緊急度から優先順位をつるように心がけていきます。
また、一日のうちの空いている時間に時間を決めて集中的に行うということも併せ、優先順位を判断し、その場で返信する必要があるものと、単純な回答で済みそうなものについては、その時間帯に返信し、それ以外については、間合いをおいた上で、時間を掛けてでも用件を整理する・・・
場合によっては数日程度かかっても充分だと思います。
そんな中、次のようなニュースも入ってきました。
東北大の坪内和夫名誉教授(無線通信工学)らの研究グループが、利用が集中して回線が混雑する災害発生時でも必ずつながる情報通信ネットワーク「ディペンダブル・エア」の構築を提案し、通信事業者などと共同研究を進めている。1台の携帯端末が、無線LAN、携帯電話など規格や周波数の異なる無線通信回線を、その時々の状況に応じて自在に選び接続する仕組みだ。ディペンダブル・エアは「60ギガヘルツ」「5ギガヘルツ」「700メガヘルツ」など異なる周波数に対応する集積回路を携帯端末に搭載する。サーバー機能を持たせた基地局などから、最寄りのアクセスポイントや混雑状況の情報を受信し、最適な通信方式を自動選択する。
アクセスポイントなどの情報伝送には、常に日本上空にある準天頂衛星から得られる高精度な位置情報と時刻情報を活用する。運用中の日本の準天頂衛星は1基だが、国は2010年代後半に3機を打ち上げる予定。将来、7機体制を目指す。
携帯端末から準天頂衛星にメッセージを送ることも可能で、災害時の安否確認や山岳遭難の救助に利用できる。研究グループの試算では1時間に300端末から送信可能という。
東日本大震災では、停電しなかった地域でも携帯電話の回線が混雑し、発信規制が相次ぐなど通信環境が混乱。安否確認に時間がかかった。
また、近年はスマートフォンなどの普及に伴い、通信回線の容量確保が問題になっている。10年後は1000倍の容量が必要になるとの試算もある。
こうした課題も研究グループの亀田卓准教授は「開発が進む高速大容量の近距離無線通信などでクリアできる」と説明。「準天頂衛星からの信号が得られる数年後には実証実験を始めたい」と話す。
研究は科学技術振興機構から約7億円の助成を受けて進められている。
(河北新報 2014/11/16配信)
なんだか深い哲学的な命題ですね。
親鸞の言葉だったでしょうか、「横超」という言葉を思い出します。
今の世の中、専門家から一般人に及ぶまで、時代のながれに遅れまいと必死になっているように見受けられます。横から悠々としてそれを眺め、人間社会を開発してくれる人たちが現れてくれることを願っています。
情報処理能力について、じっくりと深く思索して活用しようとする姿が見られません。たとえば1970年代頃に話題になったアメリカ国防総省の「PPBS}というシステムのような活用方法があるのではないでしょうか。これは効率的な国防予算を組み立てるために情報処理プログラムにより大型電子計算機を活用するものであったと理解しています。
現代においても、各種のプログラム技術や情報処理手段を研究することにより、今のようなまるで欲望に翻弄されているような情報社会から脱出することはできると思うのです。
1970年代頃、私は電子計算機を使い始め、以後コンピュータ処理による仕事をしてきました。当時、技術分野はもちろんのこと行政分野なども含めて、自然現象はすべてコンピュータによって処理可能であるという信念をもっていました。今でも変わりません。必ずスーパーコンピューターを使って、人間社会を良くしてくれる分野が開かれてくると思っております。
投稿者 zazen256 | 2014年11月19日 04:52
zazen256様
情報化社会への急激な変化に人間が追いついていない感じがします。
何年後にはそれが少しづつでも改善されていることを願います。
投稿者 kameno | 2014年11月19日 15:36