移動人権研修・福島方面(1)

宗務所主催の移動人権研修のために福島方面に行っておりました。

曹洞宗宗門では、昨年、人権啓発ビデオ「原発事故ー人権は守られたか」が作成され、宗務所での研修テーマを東京電力福島第一原子力発電所事故にテーマを絞り学習を進めて来たところであります。
⇒昨年の人権研修はこちら⇒ http://teishoin.net/blog/004931.html

この権啓発ビデオは
・放射能~見えない不安
・3月12日に何が起きていたか~安全神話が崩れる
・分断~引き裂かれた現実
・原発事故~他人事ではない
という、4つのチャプターから構成されており、原子力発電所事故のもたらした現状がまとめられています。

そこで、今年は移動研修として、実地にて学びを深めることを計画いたしました。
教区長、保護師、青少年教化委員、宗務所役職員など約40名での移動研修です。

 

講師として、東京電力福島第一原子力発電所から約7キロ、第二原子力発電所から約3キロの位置にあるR寺ご住職に全行程を同行いただきました。

1日目朝の出発地点は横浜駅西口。
好天に恵まれました。
線量計の数値は0.05μSv/hです。
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(注:ブログ記事中、何回か測定値を掲載いたしますが、あくまで私が手持ちの線量計で測った数値です。基本的に地表1メートル3回の平均を取りましたが、公式なデータではありませんので予めご了承下さい)

首都高から常磐自動車道路を通り、北上していきます。
途中、いわき市にて昼食をいただきました。

いわきといえば日本有数の漁港であり、ブランドの魚が水揚げされる場所でありました。
昼食場所で女将さんからお話をいただいたのですが「いわき産でない魚介類をを使っているということ」を説明しなければならないことがとても辛いということばが印象的でした。
試験操業も始まっています。線量計測が的確に行われ、正しいものの見方が根付くことを節にねがいます。


憂楽帳:歩くウニ

福島県沖は黒潮と親潮が出合う「潮目の海」。多くの人々が豊富な海の幸によって生計を立ててきた。いわき市小名浜(おなはま)にある1938年創業のかっぽう「一平」もその一つだ。
一平はウニの生き作り「歩くウニ」で知られる。殻の一部を割って盛りつけると、とげを動かし歩いているように見える。割れ目からスプーンですくえば、口いっぱいに甘みが広がる。
管理も調理法も難しく、完成までに約20年かかった。水温10〜11度に保った水槽に入れ、えさをやり、1日3回水を替える。常連だった佐藤栄佐久知事(当時)が歩くウニと名づけた。
バスが横づけになり、1週間に2000人が訪れたこともある。しかし、東京電力福島第1原発の事故で一変。小名浜ではウニなどの禁漁が続き、他産地のものでは鮮度が落ちて「歩かない」。客足は今も戻らないという。
「このままではいわきが無くなる」とおかみの長谷川雅子さん。「東京で使う電気を原発で作っていたのにねえ」。福島だけが被害を背負う不条理さに怒りがにじむ。
(毎日新聞2013年12月10日)


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港に近い場所の放射線量は0.07から0.20μSv/hでした。

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昼食後、さらに北上を続けます。
沿道には、汚染土を積み上げた光景が見られるようになってきました。

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東京電力福島第二原子力発電所前を通過。
少しづつですが線量が高くなりました。

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常磐線の富岡駅前。
駅舎は津波のために崩壊してしまい、そのままほとんど手つかずの状態です。
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土のある部分にはセイタカアワダチソウが目立ちます。

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富岡駅前の慰霊碑の前で、ちょうど興福寺様のグループと出会いましたので、合同で慰霊法要を営ませていただきました。

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富岡駅の周辺は居住制限がかかっており、宿泊はできません。
避難指示解除準備に向けて除染作業が各所で進められていました。

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染作業は住居周辺を中心に行われています。
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富岡市のR寺さまに到着しました。
寺院境内で説明をいただきました。
東日本大震災からまもなく4年の時間が経過しようとしています。
けれども、堂内はまるで震災直後そのままのようです。

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墓地には、造花が生けられていました。
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この周辺は、午後2時30分になると放送が流され「午後3時までに富岡市から離れるよう」促されます。
午後3時以降は留まってはいけないのです。

 

その後、バスは2日目に訪れる飯舘村の方が多く避難生活をされている伊達市の仮設住宅へ。
最近国道6号線が開通しましたので、通常であれば6号線を北上して伊達市に向うルートが早いのですが、観光バス会社が会社の方針として開通したばかりの6号線を通ることが出来ないということでしたので、一旦湯本JCTまで戻り、磐越東自動車道路、東北自動車道路という大回りのコースを通ることになりました。

伊達市の仮設住宅でも詳細な説明をいただき質疑応答となりました。

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この場所は、他の仮設住宅に比べ、建物の構造、近隣に病院、スーパーが有る、避難前の地区の方が集まって居住しているなど、他の仮設住宅に比べて良い条件が整っているとのことでした。
近くに知った顔があるということがどれだけ心強いのかということです。

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1日目の研修はこの伊達市の仮設住宅で一旦区切り、明日の研修へと続きます。

 

 


■補足
避難指示区域の概念図(政府HPより、平成26年10月1日現在)

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■用語説明の補足

■避難指示解除準備区域(上図の緑の区域)とは
避難指示解除準備区域は、早期帰還を目指す「年間積算線量が20ミリシーベルト以下となることが確実であることが確認された地域」であり、主要道路における通過交通、住民の一時帰宅(宿泊禁止)は柔軟に認められている。また、一時的な立入りの際には、スクリーニングや線量管理などの防護措置は原則不要となっている。

■居住制限区域(上図の黄色の区域)とは
居住制限区域は、「年間積算線量が20ミリシーベルトを超えるおそれがあり、住民の被ばく線量を低減する観点から引き続き避難の継続を求める地域」であり、帰還に数年以上を要するとみられる区域として計画的避難区域と同様な運用が実施される。この区域では、住民の一時帰宅(宿泊禁止)、通過交通、インフラ復旧など公共目的の立入りは認められている。

■帰還困難区域(上図の赤の区域)とは
帰還困難区域は、「5年間を経過してもなお、年間積算線量が20ミリシーベルトを下回らないおそれのある、現時点で年間積算線量が50ミリシーベルト超の地域」であり、引き続き避難が継続される。この区域では、住民の一時立入りの際、スクリーニングを確実に実施し個人線量管理や防護装備の着用を徹底することとしている。

投稿者: kameno 日時: 2014年10月22日 23:18

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