南大東島のシュガートレイン復活へ

南大東村が鉄道“シュガートレイン”の復活を計画

南大東村はサトウキビを運搬するため1983年まで島内を運行していた鉄道「シュガートレイン」の復活を計画している。観光客の増加を図ることが目的。一括交付金を活用した「シュガートレイン夢復活実現事業」を本年度に開始し、路線距離や車両数、発着点などを検討している。運行形態が決まり次第、2014年度に着工し、15年度の完成を目指す。実現すれば、県内離島で唯一、さらに全国最南端の鉄道となる。
1900年の開拓以来、南大東島はサトウキビ産業を主に営んできた。刈り取ったサトウキビを港や製糖工場に運ぶため、約30キロの線路を敷設した。
仲田建匠村長は「シュガートレインは南大東島の産業振興の立役者だ。歴史的遺産として残し、観光振興につなげたい」と話した。
同村では16年に蒸気機関車が導入された。沖縄戦を乗り越え、戦後も走り続け、79年にディーゼル機関車に切り替わった。客車を取り付けた時期もあり、島民の暮らしに密着していた。だがトラック輸送が台頭し、83年の製糖期を最後に廃線となった。線路もほとんど撤去されている。
鉄道に詳しいエッセイストのゆたかはじめさんは、シュガートレインに乗車した経験がある。「うれしい話だが、実現は容易ではない。観光のみの側面を考えると厳しい。サトウキビ産業が危機に直面しているが、後ろ向きに捉えないで、これを機会に全く新しい知恵を絞ってほしい」と提言した。(琉球新報2013年9月22日)


沖縄県には鉄道が無いという先入観的イメージがあります。
けれども、たとえば沖縄本島では、大正時代に軽便鉄道、路面電車、馬車鉄道といった数々の鉄道が走っていました。
昭和初期にはバス路線の発達により、路面電車と車軌道は廃止され、太平洋戦争の影響で鉄道も廃止となりました。
アメリカによる統治下では、道路整備が優先されたため、鉄道が再び整備されることはありませんでした。
ようやく2003年になり、ゆいレール(モノレール)が開業し、沖縄県唯一の鉄道となっています。

歴史を紐解いてみると、沖縄県で一番最初に鉄道が引かれたのは沖縄本島ではなく、南大東島でした。
南大東島では、今から113年前、1900年に移住した玉置半右衛門ら23人がサトウキビの栽培をし、その運搬手段として手押し運搬車のための軌道を敷設したことが、沖縄県初の鉄道となっています。
1902年には1ft6in(=457mm)の手押し軌道を敷設に着手し、1903年には路線延長2.6kmになっていました。
1910年には合名会社玉置商会が設立され、事業規模の拡大とともに軌道も延長され、さらにサトウキビ事業が東洋製糖株式会社に引き継がれると、軌道幅2ft6in(=762mm)の蒸気機関車(シュガートレイン)の線路が整備されました。
1927年頃には約30Kmに及ぶ軌道が敷設されていました。
各種資料により、当時敷設されていた鉄道路線を、現在の地形図に落として作成してみました。

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このように、製糖工場を通り島を一周する一周線、サトウキビ畑から収獲物を集める支線、そして港に積み出すための西線、亀池線という路線が整備されていたことがわかります。
しかし、第二次世界大戦により、南大東島は日本軍の飛行場が造成され、サトウキビ畑は芋畑へと転換されてしまいます。
終戦間際の1943年には、アメリカ軍の空爆により、島の施設の大半が被害を受けてしまいました。
戦後、琉球列島米国軍政府より大東島における甘藷栽培の許可が降り、1950年には大東糖業株式会社が設立され、廃墟となった大日本製糖の工場施設が復旧され、翌年には製糖工場が操業を開始しました。
シュガートレインも復活し、蒸気機関車からディーゼル機関車と置き換えられ、南大東島の鉄道は1983年まで使用されていました。
それ以降はトラック輸送に切り替えられ、鉄道は廃止となりました。


下写真はサイパン島に屋外展示してあるシュガートレインの蒸気機関車。

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このような列車がのんびりとサトウキビ畑の間を走っていたのです。

南大東島の線路は、現在はほとんど撤去されてしまっていて、復活はかなり困難だと思いますが、かつての情景が観られることを楽しみにしています。

投稿者: kameno 日時: 2013年9月24日 08:21

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