總和会関東大会東京大会

第57回 総和会関東大会東京大会が、東京ドームホテルを会場として開催されました。
開催テーマは「總持寺御移転100年を経て」~次の時代へ、法輪を転ずるために~

昨年、能登半島から横浜の地に移転してから100年目の節目の年を迎えた大本山總持寺のこれまでと、これからを考える大会です。

第一部 開会式
・佛祖諷経、会員物故者追悼法要、東日本大震災物故者追悼法要
・大会会長挨拶
・御垂示
・来賓祝辞
・功労者表彰 等

 

第二部 は、「總持寺御移転100年を経て」~次の時代へ、法輪を転ずるために~をテーマとしてのシンポジウムでした。

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山口正章老師(大本山總持寺布教教化部長)

八戸市市民会館で行なった講演会を例に出され、八戸市では誰もが知る西有禅師について、八戸市以外ではほとんど知られていない。
大本山御移転に係わられた西有禅師の功績、御移転100年に至る経緯等々について、顕彰する必要性を、そして御移転には、瑩山禅師の衆生済度の志が深く源流に流れていること、大本山における坐が中心となる修行の大切さを説かれました。

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竹内弘道先生(曹洞宗総合研究センター主任研究員)

改まる瑩山禅師像として、
これまでの
1.教団発展の礎
2.密教儀礼や民俗信仰を積極的に取り入れ民衆化道を行う。総裁儀礼の執行
3.密教化したこと。
4.臨済禅化したこと。
5.両祖一体といいながら、道元禅師中心の宗学であり、瑩山禅師は殆ど省みられていない。
といった瑩山禅師像、特にうち、2~5については評価されてこなかったことに対する反駁として

2.3.については、永平清規と瑩山清規との比較により密教化されたとされるが、元々比較され、論じられるものではない。
瑩山清規に現れた諷経、看経、祈祷などの諸儀礼は、少なくとも永平清規の『知事清規』『赴粥飯法』『衆寮箴規』『正法眼蔵』看経、安居等にも散見される。
道元禅師は坐禅だけを行っていたのではなく、各種儀礼も行っていた。


4.臨済禅化したことについては、
『日本洞上聯灯録』以前には、瑩山禅師の臨済宗巨匠への歴訪は全くない。
瑩山禅師の禅思想は臨済諸師とは明らかに異なる。
などの理由により、瑩山禅師像は改められるべきだと説かれました。
道元禅師の教えをより懇切に説かれたのが瑩山禅師であるのです。

また、新たな日本仏教史観として、鎌倉以前の仏教を超克されるべき仏教を捕らえる鎌倉新仏教観の見直しを行うべきだとし、
従来の曹洞宗の宗旨は
・坐禅そのものが心身脱落の当体
・悟りを目的としない無所得、無所悟の坐禅
・不染汚の修証、本証妙修の坐禅、坐禅修行の中に証悟が自ずと備わる。
・修証一等の坐禅、修行と悟りを分けない
・坐禅は仏行、行持道輪、佛行としての行持、発心、修行、菩提、涅槃
というものであるが、
行持から悟への道筋の明確化を行うべき。
両祖に共通の曹洞宗の教えは、仏法は誰にでもゆたかにそなわっていることを信じて坐禅するところに諸仏の境界が現れるということであり、まだ悟りを得ていない者も、一切の営みをやめて心静かに坐禅を修することにより、機縁を得て悟ることができる。
よって、曹洞宗の宗旨は「仏道を信じ、坐禅の実践のつど、澄み切った諸仏と等しい境界を味わい、日常の一切の行為において、常にその境界を忘れることなく功夫し大悟する」と表すことができる。


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今村源宗老師(大本山總持寺祖院監院)

石川素童禅師は100年の移転の大英断の断行をしたとされるが、決して断行したものではない。
それは、1906年石川県知事宛の信書にも見られる。
不慮の失火により、当時においては従来の状態に復興する準備がされていたが、全国の檀信徒の希望により、永平寺の合意を経て、議会を召集し諮問して、横浜への移転が議決されたというように綿密に下地を積み重ねた上で、御移転がなされた。
御移転にあたり、祖院は祖院奥の院の意義と同様に永代保存していく必要がある。
等々が石川県知事へ提出された。

国際的に躍進しつつある日本の京浜地区に時機を得て新しき基礎をここに築いた石川禅師の業績を讃えるものである。
かくして禅門の伝統に則り、時代の様式をふまえた大祖堂再建の暁には外には国際的仏教伽藍の代表として・・・長く祖国鎮護、世界平和祈願の道場となることは疑いない。
両大本山の特徴は、永平寺が山中にあり、総持寺が街中にある。
永平寺は修行の場として、總持寺は民衆教化に適している。両本山はそれぞれ祖風を発揮し、それぞれの意義を見出して、それぞれ活用されなければならない。
世界へ向けた国際的仏教伽藍を目指した50年前の提言が、どの程度展開実践をされてきたのか。
内地留学生、他宗、海外への派遣等々、これからの時代として益々実践していかなければならないだろう。
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(注)シンポジウムの記録はkameno個人的メモから箇条書きとして拾ったものです。

 

会場には300人を超える僧侶が集い、学びと懇親の場を共有しました。

投稿者: kameno 日時: 2012年6月 7日 01:05

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