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摩文仁平和祈念公園を訪れました。
何回か訪問したことはありますが、時間に余裕をもって訪れたいと思いつつ、これまではゆっくり過ごすことが出来ませんでした。
ようやく、それが叶いました。
摩文仁平和祈念公園周辺の地域は沖縄戦最大の激戦地であり、終焉地でもあります。
1945(昭和20)年5月、アメリカ軍の攻撃により、首里にあった日本軍司令部は沖縄本島南端部に撤退。
この地域において南下侵攻するアメリカ軍から避難する一般住民と抗戦する日本軍の軍人が混在し、パニック状態に陥いりました。
日本軍の組織的抵抗は6月23日に牛島中将が摩文仁の丘に設けられた司令部壕で自決したことにより終了しましたが、アメリカ軍は7月初めまで掃討戦を続け、この地域の集落はほとんど壊滅状態となりました。
⇒沖縄戦に関する詳細はウィキペディア[沖縄戦]項を参照ください。
地上戦により多くの貴い人命とかけがえのない文化遺産を失いました。
現在、摩文仁の丘には平和祈念資料館・沖縄平和祈念堂・国立沖縄戦没者墓苑・平和の礎・黎明之塔、日本各県出身地別の慰霊・平和祈念施設が立ち並んでいます。
平和の礎には国籍を問わず、沖縄戦で亡くなったすべての人々の名前が刻まれています。
私の親戚の名前も刻まれています。
ここを訪れる際にはいつも献花させていただきますが、沖縄らしい花ですね。
摩文仁の丘に設けられた司令部壕から見る海は碧く碧くひろがっていました。
摩文仁の丘に向かって各県別の慰霊碑、そして義烈空挺隊慰霊碑などの慰霊碑が並びます。
この後、ひめゆりの塔を訪れた頃には一転、にわか雨となりました。
涙雨でしょうか。