總持寺授戒会3日目

第三日(十二日) 第三号

 四時振鈴
一、暁天放参
一、朝課 荒神眞讀のみ
 課罷
一、説教
一、戒源師供養諷経
一、因脈授與(於 紫雲臺)
一、御両尊献粥諷経
一、 小食供養諷経
一、三師朝参の拜
一、小参 
一、小食飯臺
 粥罷巡堂

 九時三十分打出し
一、禺中歎佛
一、戒壇上供諷経
一、御両尊献供諷経
一、入祖堂諸大和尚諷経
一、因脈授與(於 跳龍室)
一、午時供養諷経(尊宿諷経) 
一、総諷経
一、午時飯臺

 一時二十分打出し
一、禮佛説戒
一、亡戒諷経
一、因脈授與(於 汲古室)
      (別室にて詠讃歌講習)
一、御両尊献湯諷経
一、総諷経
一、獨住第二十二世禅師特為献湯諷経
一、戒弟入浴
一、薬石飯臺


 六時五十分打出し
一、壇上禮
一、佛祖禮
一、夜坐
一、説教
一、詠讃歌講習
一、四衆打眠




私は人間である、あるいは日本人であると言うことは出来るかも知れないけれども、

「私は仏教徒です」

と言い切ることが出来る人は少ないのではなでしょうか。

仏教徒であると言い切ったとして、では、いつから仏教徒なのでしょうか。

あるいはもしかすると、単に仏教徒であることを忘れているだけなのかもしれません。
 

唄を忘れた 金糸雀(かなりや)は
後の山に 棄てましょか
いえ いえ それはなりませぬ

<中略>


唄を忘れた 金糸雀(かなりや)は
象牙の船に 銀の櫂
月夜の海に 浮かべれば
忘れた唄を おもいだす

「金糸雀(カナリヤ)」 詩:西條八十


唄を忘れたカナリヤの歌は、失意の中にあった西條八十が創作活動をはじめる契機となったことを描いたものです。

詩の中の「象牙の船」は大乗仏教を、「銀の櫂」の銀は究極の白、清浄を想起させます。

この授戒会は仏教徒であることに目覚め、「思い出す」尊い機会です。
完戒まで修行が無難に遂げられますよう。

このお授戒が終わったあとははっきりと

「私は仏教徒です」

と言うことができるようになるはずです。

投稿者: kameno 日時: 2010年4月12日 03:54

コメント: 總持寺授戒会3日目

kameno様

總持寺へ伺うようになって、多くの修行僧と出会い、沢山のことを教えて頂きました。
私が信仰する宗教は仏教です。
總持寺へ伺うようになってから、以前よりその認識が強くなりました。

誰かが亡くなったらお寺でお葬式をする、お盆やお彼岸にはお墓参りをする・・・。
生まれてから祖父母、両親が行ってきた事を一緒に行ってきました。
それだけで仏教徒であると言えるのでしょうか?
言葉や理論だけで表現できるものではないと思いますが・・・。

投稿者 葉月 | 2010年4月12日 15:25

葉月さま
信仰する宗教は仏教であると言い切れることは素晴らしいですね。
本当はあたりまえのことなのですが。

投稿者 kameno | 2010年4月13日 05:44

コメントを送る