真光寺の丘から見た黒船

港南区には次のような昔話があります。




丘の上の黒船見物(上大岡)

むかし、江戸時代の終りのころのお話です。
ある日、突然、浦賀沖に、アメリカの軍艦がやってきました。
日本人が、よその国へ行ったり、外国人が来たりしてはいけなかった時代でした。
港から離れていた村人たちは、のんびりと畑仕事をしていました。
子どもたちも、よく親の手伝いをしていましたが、暇をみつけては、野山をかけまわりうさぎを追いかけたり、木の上に登ったり、次から次へと遊びを考えだしては、仕事の合間に遊んでいました。
きょうも、小高い山の木のてっぺんに登って、はるか遠くをながめていた子どもたちが、竹づつをのぞくと、真黒い、みたこともない船が、丸い輪の中に現れたのでした。
びっくりした子どもたちは、それぞれ、すっとんで家に帰りましたが、家には誰もいません。じいちゃん、ばあちゃん、親たちまでが、庄屋の家の庭先に集まつて、ワイワイガヤガヤさわいでいたのです。
浦賀では、一日中半鐘が鳴っているとか、真黒い大きな船が煙りをはいては、ボー、ボーと大きな音をだしているというのです。
目をつりあげ、口をぎゅつと結んだ武士が、馬にむちをあてては、西へ東へ、血そうを変えながら走らせているとか、街道沿いの人たちは、家の中にかくれて、息をつめてなりゆきを見守っているとか、杉田村へ野菜を売りにいってきたじいさんが、まるで見てきたかのように、まくしたてていました。
金沢の小柴沖まで、黒船が入ってきていると聞くと、戦になるかも知れないと、おびえながらも、黒船を一目見ようと村人たちは、すっかり、お祭り気分になってしまいました。
「さあさあ、仕事さ、かたづけて、見にいくぞ!お前たちも、早よう、手伝えよー」
上大岡の真光寺の高台が、見晴らしも良く絶好の見物場所になったのでした。
一人、二人、また一人と、うわさをききつけた近隣の村人たちで、あれよ、あれよという間に、人だかりができました。
そのうち、おだんごや、お茶を売る者までが現れて、いっそうにぎやかになりました。黒船がいた八日間、この高台は、黒船見物の人々でにぎわったそうです。
港南歴史協議会のサイトより)




このように、江戸時代末期・嘉永6(1853)年に初めて浦賀に来航し、翌年の嘉永7(1854)年に再度来航した黒船艦隊を、物珍しさからたくさんの人々が黒船見物に押しかけ、茶店まで出ていたようです。

kurohune.jpg
「茶店から黒船見物を楽しむ人々」『黒船来航風俗絵巻』

冒頭の物語は、ここ港南区(当時は武蔵国久良岐郡)でも黒船見物で賑わった様子が描かれています。
・・・・しかし、本当に上大岡真光寺の丘から東京湾を眺めることが出来たのでしょうか。


昨日開催された港南歴史協議会定例会の場でその話題となり、現在はマンションや立ち木などで検証しづらいということがありました。
そこで、障害となるマンションがない状態だとどのように見えるのかをシミュレーションしてみます。

kurohune2.jpg

明治初期に作成された迅速測図(上の地図)で見ると、汐見台(磯子区)の丘さえクリアーできれば、真光寺の丘からも根岸?小柴?浦賀沖を見渡すことができそうです。


大岡あたりからスタートし真光寺の丘を越え久良岐公園方面へ抜けるルート(下図の赤い線)を辿るとどのように東京湾が見えるのかをカシミールを使って検証してみます。
kurohune3.jpg

上記ルートの中でベストポイントは、ムービー開始30秒の場所、地図上の「A」の場所です(後述)。
 

目線の高さに合わせ、対地高度2メートルでムービーを作成しました。

※注:判りやすくするために高さ方向の倍率を3倍にしています

やはり真光寺の丘からは東京湾がよく見えたはずだということが判ります。


浦賀沖に投錨した艦隊は旗艦「サスケハナ」(蒸気外輪フリゲート)、「ミシシッピー」(USS Mississippi 同)、「サラトガ」(USS Saratoga 帆船)、「プリマス」(USS Plymouth 同)の巡洋艦四隻からなっていた。大砲は計100門あり、臨戦態勢をとりながら、勝手に江戸湾の測量などを行い始めた。さらに、アメリカ独立記念日の祝砲や、号令や合図を目的として、湾内で数十発の空砲を発射した。無論、日本を脅す為に意図的に行ったものであり、最初の砲撃によって江戸は大混乱となったが、やがて空砲だとわかると、町民は砲撃音が響くたびに、花火の感覚で喜んでいたようだ。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 黒船来航項 (下線はkameno付記)



とありますから、東京湾をやりたい放題勝手に航行していたことも伺えます。
対し、村人たちも花火感覚で楽しんでいたというのも大したものです。
冒頭の物語の様子が目に浮かびます。

黒船来航当時、真光寺の丘からは、このように見えたことでしょう。


kurohune7.jpg
カシミール3Dによりkameno作成

つい先ほど、このポイントで実際にパノラマ写真を撮ってみました。
残念ながら台風前の雨でしたので、海は見えませんでしたので後日晴天の日に再度撮影してみようと思います。

kurohune6.jpg

投稿者: kameno 日時: 2009年10月 7日 00:06

コメント: 真光寺の丘から見た黒船

亀野さん、おはようございます
早速、昨日の話題の一つを検証して頂き、有難うございました。この件を、早速皆さんへお伝え致します。
流石です。

投稿者 ちのしんいち | 2009年10月 7日 09:50

ちの様
ご連絡いただきまして有難うございます。
黒船がやってきた頃は、村人たちにとっては
「未知との遭遇」だったのでしょうね。
文献や絵巻を辿りながら検証することは楽しい作業です。

投稿者 kameno | 2009年10月 8日 10:48

なかなか私自身が港南区歴史協議会のお役にたつという事ができなくて申し訳ありません。
さて、私は港南区内で相談センターを開設しているのですが、この度そのセンターのニュースに、「とっとこ(撮っとこ) 港南区」というコーナーを設けて、港南区の歴史などを皆さんに身近に感じていただこうと取り組むことにしました。
第一回は、私自身が住んでいていつも面白いと思っている「黒船見の丘」を取り上げることにしました。
この昔話についても、歴史協議会の皆さんの取り組みは科学的でとても興味深いものです。今後とも色々と参考にさせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。

投稿者 みわ智恵美 | 2013年10月17日 21:44

みわ様コメント有難うございます。
ブログ記事や資料がお役に立てて嬉しく思います。
地域の歴史への入口はいろいろなところにありますね。

投稿者 kameno | 2013年10月18日 09:47

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