講演会@大本山永平寺報告

SOTO禅インターナショナル(SZI)主催の講演会が昨日に引続き6月3日・水曜日 曹洞宗大本山永平寺を会場に開催されました。
永平寺での講演会は修行僧のみを対象にした内講として開催されました。
講師は昨日と同様、青山俊董老師です。

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講演に先立ち、SZI会長より挨拶

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■講演会@大本山永平寺

演題 「宗教とは」 ?真理は一つ、切り口の違いで争わぬ?
講師  青山俊董老師 (愛知専門尼僧堂堂長、正法寺、無量寺住職)
日時  6月3日(水)午後6時半?
会場  大本山永平寺 菩提座

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以下、kamenoメモを記録として記載いたします。
なお、公式な講演録はSOTO禅インターナショナル会報Vol.41(8月発行予定)に記載される予定ですので、そちらをご参照ください。


 

いま少し いま少し 高く掲げばや 君が掲げし 法のともしび
かしこみて 伝えまつらん 後の世に 君が掲げし 法のともしび

少しでも灯火を高くすることで、少しでも多くの方に、より広くの足元を照らしたいというねがい。
もう一つは2500年に亘り面授により師匠から弟子へ伝えられてきた、文字では伝わらない尊い教えをここで絶やしてはならない、まげてもいけないというねがい。


限りなく救いを求めている方に衣を着させ、袈裟をかけさせていただいている、この請願を少しでも掲げ続けたい。

次世代へ火を絶やさず伝えること

師匠から弟子へいかに命をかけて仏法が伝えたられてきたのか、若い皆様にそれをお伝えしたい。

大勢はいらない、本気の人一人からはじめよう。

お釈迦様の最後を予期した準陀の問いに、お釈迦様は四種類の沙門があることを説かれた。

その四種類は
勝道沙門・・・非常に優れた邪悪に勝つもの
説道沙門・・・ 法を説くことが出来るもの
活道沙門・・・ 説くことはできないが黙々と実践することが出来るもの
汚道沙門・・・ 道を汚すもの
(『準陀経』「経部十三巻」他)


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いつも思うことは太陽にはなれなくても太陽を飾る雲になりたい。太陽を覆ってしまう汚道沙門にはなりたくないということである。
火を掲げ続けることにより、かならずその火をリレーしてくれる人が居る。
お釈迦様一人から始まった仏法であるから本気の一人によって受け嗣がれていけば何とかなる。


国は一人の為に興り 先賢は後愚の為に廃る
『正法眼蔵随聞記』巻2-13

お釈迦様の仏法を滅ぼすも興すも私からなんだということを、若き明日の仏法を担う皆さんにとくと申し上げたい、そんな思いで参りました。

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名古屋駅でタクシーに乗った際、運転手がじろりと眺めて曰く、「坊主をやっているのですか?」
私も厳しい口調で「坊主は職業ではない、生きていく手立てではない。最高の生き方、その最後の落ち着き場所を求めもとめて行き着いた場所がこの姿である」
運転手「私は宗教は嫌いです。宗教は人間が作ったものでそれに縛られることは愚かだ」
対し、このように答えた。
「宗教は人間が作り出したものではない」ブッダもキリストも何も無いところから作ったのではない。作り出したものであったのなら、どんなにブッダ、キリストが立派でもインド、イスラエルという地理的制約、数千年という時間的制約を越えることは無かったことだろう。
転地悠久の真理に気づいただけなのだ。

「古」という字は「十」と「口」からできている。

十代口伝で相続されたことは間違いないことだとされる。
天地悠久の真理を「古道の発見」とする人もいる。
その古道に目覚めた人が「古聖」であり、その教えが「古教」である。
その道を慕うのが「慕古」である。

お釈迦様を目指すのではない。
お釈迦様が目指されたものを目指すのだ。

「稽古」ということばがある。
道元禅師は「稽古」の人といわれる。

仏道修行の稽古は、現在使われている「○道の稽古」というような浅いものではなく天地悠久の真実の道を頭を打ちつけ求めようとしたものが「稽古」なのである。


地球が出来て46億年。
これを一年に換算して微生物が生まれたいのちの歴史は30数億年。一年に換算すると4?5月。
羊水はいのちが誕生した海の成分と同じだという。
人類の出現は12月31日の夜。
その人類の歴史が文化を持ったのは僅か数十秒。人類は最も新参者である。
最も新参者の人類が地球を駄目にする癌的存在になっていないだろうか。
仏教は2500年前、キリスト教は2000年、イスラム教は1400年。
先達たちは、一瞬前に天地宇宙はこうなっている、生命はこうなっている、だからこう生きるべきだということを導き出した、気づいたことなのだ。

宗教は無いところから作られたものではないということをしっかり認識するべきである。

「法」=水が流れ去る様子を表した文字である。
真理は時と場所を問わず変わらぬものを言う。
その真理を水が流れさる姿で表す。
水は場所、時間を超えて変わらず高きから低きへ流れる・
「法律」は仏教語であるが、「法」は時と場所に関らない真理。
「律」は人間が生み出したルール。約束事、道徳律。

東西霊性交流の際、イタリアでのこと。
スパゲッティーを食べるとき、もう十分だという合図は、手の平を下にしなければならなかったのだが、行鉢のときと同じしぐさをしてしまい、スパゲッティーが山盛りになってしまった。


飲み方に流儀はあるが、胃の消化の仕方に流儀は無い 
(澤木老師のことば)

飲み方に流儀はあるが =道徳律
胃の消化の仕方 =法

お釈迦様が見つけた真理(法)であるから仏法。
時とともに変わらぬ真理なのであり、人が作り出したものではない。
教えは人間が作り出したものではなく、天地がどのようになっていてどのように生かされているかということを知る事。これによりいかにあるべきかという生き方がわかる。

仏教がおのずからわかる
道元禅師が現成公案で説かれた仏法ー仏教?仏道の意味を心にとどめておきたい。

その真理も、見つけた人が違うから、その呼び方がは変わってきていることがある。
その真理は変わるものではないということを忘れてはならない。


約束事のみに目がいくと、様々な面倒なことが起きる。

袈裟の掛け方、経行の行い方、文字から学ぼうとすると面倒である。
そのようなことも法から学ぶことにより簡単に解決できるものである。

還暦の峠を越えて 新たなる また旅立ちをするぞ うるわし

これは、還暦となった1月15日の誕生日、初釜の際に作った歌。
人生に退職は無い、最後こそ本番、二度目の旅立ちをした。
その年に肺炎を患い十日間ほどが、それは一服ではないと感じた。
二度目の旅立ちは老病死という病を見据えて、老いを見据えて、死を見据えて人生を深める時期であるのではないか。


老化⇒老花

若きはうるわし 老いたるは なおうるわし
・・・これはアメリカの詩人ホイットマンの詩だが、生き方が皺に刻まれ白髪に刻まれ、内から出る人格の素晴らしさがにじみ出ていくのだろう。

ある方が、私の還暦の歌を楽譜に載せて作ってくれた。
その楽譜を見てもどのようなものかわからなかったが、知人の声楽家が奏でてくれてようやくわかった。
これは大事なことを示唆している。

作曲家
楽譜
生演奏

というように考えると、私は楽譜が読めないから楽譜を見ても何も感じない。
しかし、楽譜では命が与えられないが、生演奏では命が与えられる。
間違いの無い生演奏のための楽譜なのである。

先達を作曲家に喩えると、お経は楽譜である。
今生きるための指針を間違いなく生演奏するための手引きがお経である。
しかしながら、今の日本のお経は難しく、解説無しでは生演奏できないというのでは問題があろう。


お経は死んだ人に読むものか、我が足元に向かって読むものか。
一隅会での講演会での質問である。

答えられなければ僧侶ではないだろう。
皆さんはこれにこれにどう答えるだろうか。

自分免許は危ない。これでよろしいかとよき人に見てもろうてまた道を歩く
(榎本栄一)
参学眼力のおよぶばかりを、見取、会取するなり 
『正法眼蔵』「現成公案」


自分の物差しでしか物を見ることが出来ない。
したがって少しでも少しでも学びを深め、自分の目線を高めることにより少しでも自分の世界を広げる。そうすることにより軌道修正を行いながら先達の教えに近づきたい。そのためのお読みするのがお経である。

法相宗の開祖慈恩大師は出家の際に、女色と飲酒を断たぬことを条件とし、酒と女と経典をのせる三車を連ねたという。
この後ろの車が人間の深層心理に現れる欲の対象である。それを経の車が牽引している。
この姿が経の存在を象徴している。


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名古屋で授戒の説戒師として向かったタクシーの中の話で、戒名とは何か?戒名に何で序列があるか?という話になった。
私は運転手さんに、「運転ルールに従うから安全に運転できるでしょう。
信号無視したい、どこでも勝手に止めたい。・・・・たいを抑制するのがルール。
人生の交通ルール『私』という車を運転する交通ルールが佛戒であり、佛戒は人生の交通ルールを学び、生き、実践する区切りを得るためのきっかけとなるものである」と答えた。


真実のいのちに従い請願を立てて戴くのが戒名。
したがって生きている内に戒名を得るべきである。
戒名には当然に序列など無い。


一休和尚がとある金持ちの主人の葬儀を頼まれたときの話。
いつまでもお経をあげない。
一休さんは無くなった主人の愛用していた金槌を持ってこさせ、その金槌で主人を殴った。
曰く、「無くなったご主人が文句を言ったか。仏法は生きているうちに聞くもんじゃ。愛用した金槌で殴られて文句の言えないようになってからでは遅いのじゃ」
といってお経を読まずに帰ったという話がある。

生きているうちに学ばなければ佛戒は意味が無い。
法を説く側も、最近は葬儀、法事の際に法を説かないことが多いと聞くが、それでは駄目である。

お釈迦様はたった一つの真理を見つけ出した。

1.真理は一つ切り口の違いで争わぬ。
コップを横に切ればまる。縦に切れば四角。斜めに切れば楕円形。全体を見渡すことはなかなか出来ない。宗教の違いにより見方は違っていても、このことを理解すれば手を結ぶことが出来るきっかけとなる。

2.切り口しか見ることが出来ない。

信州の山の上で炭焼きしている人と佐渡の海で漁をしている人が浅草の観音参りで言い争いと成った。炭焼きは「太陽が山から出て山から入る」といい、猟師は「海から来て海に入る」と。
番頭さんに仲裁を頼んだら「屋根から出て屋根から入る」

参学眼力のおよぶばかりを、見取、会取するなり
自分の受け皿の大きさしか受け取ることができない、切り口しか見ることができないのだという謙虚さが必要。

とある師家についたかたが訪ねてきた。どうもしっくりこなかったが「○○老師から印可をもらった」というのを聞いてその理由が分かった。「いらないものをもらったね」
昨日の私を捨てて限りなく深まる限りなく深く、という謙虚さが必要。


3.切り口の違いは必要あって生まれたもの。尊重しあって学びあっていこう。
宗教の争いはつきない。全部が見えているという驕りが争いのもととなる。

中国の「南船北馬」に見られる違い。
南 水 曲線 道教 左を上位 母なる太陽 卍=太陽のめくりめく光
北 馬 直線 儒教 右を上位 父なる太陽

日本ほど自然が柔和で四季豊かな国は無い。日本語の感性の豊かはそのような環境によっては育まれてきた。

花が散るという表現でも、
「梅や桜は散る」
「椿は落ちる」
「牡丹崩れる」
「萩はこぼれる」
「朝顔はしぼむ」

砂漠ではこのような表現は通用しない。しかし砂の様子を表す表現は非常に沢山ある。

タクシー運転手の続き
実は寺の息子であったが、念仏を唱えるだけで金が入るということに嫌気がさして寺を出たという。
「貴方は少なくとも2500年も続いている教えがどのようなものであるか、受け継がれていることの意味を知らずに寺を出た。長い年月には垢がつく。方便という「垢」のみを見て反発し寺を出た。残念だったね」
運転手は「俺も早くそのことを聞いていれば坊主になっていたかな」といわれたので一冊の本を渡してタクシーを降りた。

人間には欲望が尽きない。
大般若には人間の欲望の一覧表が出てくる。

千手観音は八万四千の煩悩の数、衆生の数だけ姿を現す。
おなかを空かした人には食事を、病の人には薬を。
しかし、そこで止まったら新興宗教と同じ。
方便として、慈悲をあたえるが、そこで止まらないことが大事。
そこに計算が入り金が入ると、余計「垢」になる。


医療関係に従事されている浄土真宗の方が、明日手術を控えて不安な人、検査の結果が不安な人に対し、その人から話をじっくり聞いたうえで「大丈夫」と伝えたという。


「大丈夫だよ」
・・・「ただし、あなたの気まぐれな思いが満足して大丈夫なんじゃあ無いよ。病んでも大丈夫、病んでも大丈夫、死んでも大丈夫。仏さまの引いてくださったレールから外れることが無いから大丈夫なんだよ」

手術を控えて不安な人、死を迎えようとしている人に対して、なかなかこのよう言えるものではない。

世間で言われる安心は、手術がうまくいく、検査の結果が良かったという条件付の安心(あんしん)である。
しかし、そんな条件なんていつでも崩れる。
大事なことは、どうなっても良いという根っこまで誘引する、これが安心(あんじん)である。これがなければならない。
ここまで誘引する親切を忘れ、親切が無ければ「垢」である。

残念ながら、日本仏教はほとんど「垢」で止まってしまっているのではないか。
新興宗教とちっとも変わらない。これでは新興宗教を非難するということはできない。

「垢」で相続してはならない。
あくまでも慈悲の方便門の範囲にとどめ、さらに一歩進めてどうなってもいいというところまでしっかりと睨んだ上で行って引っ張っていく準備が無ければならない。

そこが、間違いない教えとして次の世に、人々に伝えるということなのだ。


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總持寺、永平寺と同じテーマでのお話を拝聴いたしましたので、場によって話の内容を変えていらっしゃることがよくわかりました。

總持寺での講演録については tenjin95さんが纏められております ので併せでご覧ください。

投稿者: kameno 日時: 2009年6月 3日 23:13

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