宗派を越えた声明のコラボレーション

声明 (しょみょう)

梵唄ともいい、真言や経文などに節をつけて唱える仏教儀式の古典音楽。
インドから中国を経て日本に伝来したが、そのうち、空海の伝えたものは真言宗南山進流となり、円仁の伝えたものは、天台宗大原魚山声明となった。
はじめ円仁の伝えた多数の声明曲は各派に分かれて伝流したが、良忍に至り統一大成せられて洛北大原に根付いた。
鎌倉時代初期に湛智(理論確立の革新派)と浄心(口唱重視の保守派)が出て互いに妍を競い合ったが、保守派は間もなく絶え、理論派の湛智の系統が栄えた。
声明は、三種・五音・七声および十二律から組織されている。
五音とは、宮・商・角・徴・羽の五音階で、洋楽のド・レ・ミと同性格のもの、七声は五音に上下半音の嬰と変の二音を加えたもの、三種とは呂・律・中の三曲で、五音に変宮・変徴を加えたものが呂曲、嬰商・嬰羽を加えたものが中曲である。
十二律とは1オクターブの間を半音で差をつけてできた12音位で、一越・断金・平調などと名づけられたもので、五音を配することによって調子名にもなる。
声明は、その五音がそれぞれの性質を持っており、また雅楽の呂律2曲のほかに中曲を加えた三種に巧みに配したり、あるいは塩梅音を加えて曲を彩るなどして特異性をよく出しており、平曲(平家琵琶)・浄瑠璃・義太夫・長唄などを生み出したりして、日本音楽の源流ともいわれている。

『仏教辞典』中村元他編 岩波書店より引用



まさにインドから北伝伝来した仏教の流れに乗って日本にたどり着いた声明ですが、古代インドやアジアの宇宙観に基づくその発声の特質や時間的空間性により、西洋の音楽とは異質な響きが醸し出されています。
円仁により伝承された天台宗大原魚山声明は特に高度に洗練されており、表象的意図や感覚的世界を超越した次元のものとなっています。

天台声明の差定の中から散華の一部 「願我在道場 香華供養佛」 の部分を抜粋してみます。

20070820-02.jpg


この部分だけで約7分間あります。
旋律型(メロディックパターン)という完成された一つの曲が一つの輪のように存在し、その輪が連結して鎖のようになって一曲を完成させます。

 


対して曹洞宗での散華の偈は下記のとおりです。
天台宗の声明に比べると、節回しがずいぶんと異なることがわかります。
この部分の声明の時間は、約2分間です。


20070820-03.jpg


さて、以前ご紹介した、神奈川県・真鶴に昨年完成した檜チャリティーコンサートホールで、『シルクロード音楽の旅』コンサートが今週末・8月25日(土曜日)に開催されます。

実は、このコンサートの中で、天台宗声明と曹洞宗声明のコラボレーションを行う予定でいます。

散華とは、花を散布して仏に供養し、道場を清める儀式です。
法要の最初に、散華を行うということは、散華の芳香により邪を退散させ、場を清め、仏を請来させる準備を行うという意味合いがあります。
その意味合いから、演奏会に先立ち、散華を行う予定なのです。


同じ散華でも天台宗、曹洞宗で全く異なるわけですが、日本において違う流派として伝承されてきた声明を一つの場で同時に唱えるとどのように響くのか半ば実験的な意味合いもあり、見当もつきませんが、楽しみにしています。


私たちは、このコンサートに向けて、声明の練習を施食会法要のシーズンに併せて行っています。
昨日は、演奏会一週間前の集中練習が開催されました。

20070820-01.jpg

『シルクロード音楽の旅』では声明だけでなく、大陸から日本に伝承した音楽の流れを感じていただけるような楽器・楽曲により演奏会全体を構成しております。
当日券もありますので、是非とも多くの方々に演奏会を楽しんでいただけたら幸甚に存じます。


■関連記事

シルクロード・音楽の旅@檜ホール

蝋梅と正倉院の五弦琵琶


■関連リンク
天平の響き 「シルクロード・音楽の旅」公式サイト

投稿者: kameno 日時: 2007年8月19日 23:44

コメント: 宗派を越えた声明のコラボレーション

おはようございます。
「声明」には前から興味があったのに、見逃してました。
今改めて思い出すのに、高野山(宗派違いですがごめんなさい)の西門院の宿坊に泊まった時、翌朝のおつとめに参加しようとして、寝坊して、一番後ろの隅っこに小さくなって座っていたら頭の真後ろにスピーカーがあって、すごくよく聞こえました。僧侶方のお姿は遠くて柱の影もあって拝見できませんでしたが、後ろから包み込まれるように声明が響いて、目をしっかり開けていても周りがみえなくなってそのまま自分の体がどこかへ引き込まれていく感じで、音声の一つずつがきらきらしながら降り注いでくる感じ・・が忘れられません・・・。
怖くはなかったけれど今まで聞いた音楽のどれでもない、不思議な感覚です。
西門院の住職さまは、真言宗の声明の先生なのだそうです。

また機会があれば声明を聴きにいってみたいです。

投稿者 ゆが | 2007年8月23日 11:05

「音声の一つずつがきらきらしながら降り注いでくる感じ」という表現、そういう感覚はありますよね。
今回、コンサートホールでの演奏会においては、正面ステージに天台宗僧侶、そして観客席を取り囲むように曹洞宗僧侶が配される予定です。
そして、声明とともに散華がきらきらと舞い降るイメージを描いていますが・・・・・どうなりますか、とても楽しみです。

投稿者 kameno | 2007年8月23日 12:32

コメントを送る