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平成八年に大本山總持寺独住第二十二世 大環正應禅師(成田芳髓禅師)の晋山式礼が執り行われましたが、その晋山式礼の準備運営に係わった事務局の仲間が、当時事務局次長の地元、山口に集いました。
おりしも、事務局長であったH師の七回忌とも重なり、是非という皆の思いが一つになり、実現に至ったものです。
開催場所は、山口県・長門湯本温泉。
歴史と文化と食と温泉、いろいろな意味で贅沢な二日間となりました。
写真はO事務局次長の本寺である大寧寺の山号額。
鮮やかな青が目を引きます。
大寧寺は、応永17年(1410)大内家の支族、鷲頭弘忠公が、石屋真梁禅師を開山として迎え、開創となっています。
【開山堂である智日堂】
石屋禅師は、18歳で中国に渡り、20年間の修行の後、南北朝に分かれていた皇室を、後小松天皇の勅命による合一の働きとして成し遂げ、皇室からの信頼を得ました。
その学徳兼備の名声を礎として、かつては全国に600余の末寺を持つ僧録寺として称えられ、その壮大なる伽藍は、全景古図に見ることができます。
また、戦国時代最大の悲劇のヒーロー、大内義隆公が自刃された地としても有名です。
「討つ人も討たるる人も諸共に 如露亦如電 応作如是観」
山門の礎石。
全景古図と併せて見ると、感慨深いです。
山門へ通じる参道の清流にかかる磐石橋です。
大小の石を組み合わせて橋梁、橋脚が形成されています。
現在渡ることは出来ませんが、とても文化的価値の高い橋です。
本堂の魚鼓。
深い歴史を感じさせますね。
境内には、長門豊川稲荷が祭祀されています。
明治維新の神仏分離・廃仏毀釈により妙厳寺と豊川稲荷を分離する権力に直面した際に、大寧寺四十五世簣運和尚により、三条実美卿を説得し、守った因縁により、豊川稲荷が設置されているのです。
当日、大寧寺では精進料理教室が行われていました。
また、授戒会も定期的に行われており、このような生きた活動を積極的に行っている現住職の姿勢は見習わうべき面がたくさんあります。
大寧寺の目の前に長門湯本温泉がありますが、元来、長門湯本温泉の一帯は大寧寺の寺領であり、現在でも湯本の泉源は大寧寺の所有となっています。
長門湯本温泉で一番有名な大谷山荘は大寧寺の元宿坊として、とても関係が深く、名物のふく料理を堪能させていただきました。
もちろん、湯量豊富な温泉もとても素晴らしいの一言です。