葬儀と紅白餅、赤飯

上永谷では、概ね80歳を越えた方の葬儀では祭壇にお赤飯や紅白餅が並びます。
故人が天寿をまっとうしたということへの感謝の気持ちと、お祝いの意味を込めての風習といえます。

今日は、100歳を迎える方の葬儀をつとめさせていただきました。
祭壇には、やはりたくさんの紅白饅頭が飾られ、近親の方が炊き出された赤飯が振舞われました。

最近は、新興住宅化の進展や葬儀社任せの画一的な葬儀の普及によって、だんだんと地元の伝統的な風習が失われつつあるのが少し残念です。
このようなよい風習は是非伝えていきたいものです。


ユキノシタ

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投稿者: kameno 日時: 2005年5月21日 23:34

コメント: 葬儀と紅白餅、赤飯

> kameno 先生

いつもお世話になっております。
拙僧、青森の方で浄土真宗の方の葬儀に出たことがあるのですが、そこでは阿弥陀仏の下へ行くことが出来たからということで、やはり赤飯が振る舞われ、みんなで大騒ぎしながら喜んでました。

果たして、そういった風習とは関連性があるのでしょうか?つまり、その上永谷の辺りに浄土信仰があったりしたのでしょうか?もし、何かございましたら、何かの機会にでもご教授いただければ幸いです。

投稿者 tenjin95 | 2005年5月22日 06:07

tenjin95さん、こちらの地方での考え方は、浄土思想の影響もあるかもしれませんが、もっと根本的な(土着的な)行事のようにも思えます。
感覚的にいえば、沖縄で行われている墓前での祝宴に料理を奉納する風習と似ていると感じます。
また、地元の人のほとんどが葬儀当日に納骨されますが、これは古来からの土葬の風習を守っているわけです。


以下、永野郷土誌(貞昌院編)より引用--------------
死者のあった時は組(五戸及び八戸の組合)の者集りて、公の手続、親戚、縁者等への通知(必ず二人組んで通知に行く、誤った通知が無い用のため)、買物、其の他葬儀の準備一切について斡旋し当日は会葬者の接待万般について奔走する。各部落互に講中があって、穴掘当番が定められていて、伝染病以外は、土葬を例とした。屍体は北枕西向に横臥にして置き、近親の者集
りて後湯濯と称して沐浴をし、晒木綿に麻糸を用いて縫った浄衣に経帷子(かたびら)を着せ、手甲、足袋、草鞋を付け、頭巾(づきん)を被らしめ、金剛杖と数珠とを持たせ、額に兜巾を着け、頸に頭陀袋(ずだぶ くろ、中に血脈、六道銭を入れる)を懸け、棺に納めて奥の間に安置し、枕団子、飯、(此の二品は洗わない米で作り、飯を炊いた火で燈明に点火して、燈明は葬儀の松明 (たいまつ) に点火する迄消さぬ)、一枝 榊、香、燈明、蝋燭、盛物、贈物等を供える。屍体に着せる物は総て普通とは正反対、即ち衣服は男の場合左前にする等とする。
 葬儀当日は出棺に先立ち棺前で読経し、終って、外庭に担ぎ出し(これを出棺という)行列を作って棺台を中心に三度廻り棺を据え、引導、弔詞終って、読経中、喪主を始として、近親、会葬者の順序に焼香を行い、終わって行列を作り、墓地に送って、埋棺をする。近親者は土塊を入れるを習わしとする。
-------------------------引用ここまで

全国各地方の葬儀の風習を見てみると意外な発見もありますね。

投稿者 kameno | 2005年5月22日 10:02

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