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いま、上永谷駅側の墓地の奥を整地しているのですが、少し掘るたびに沢山の貝の化石が出てきます。
貞昌院の位置する港南区上永谷は、標高30?40mほどの高台にあります。
この高台は、大昔、洪積世の終わりごろ溶け出した氷河や、活発な火山のため、海進、海退によって見えかくれしていた陸地が、地殻の隆起と火山灰の堆積とでできた陸丘です。
それが、はげしく浸食されて谷をつくり、丘陵を形成てだんだんと現在の形になりました。
表層から近い場所から出てきましたので、恐らく屏風が浦層であると考えられます。
この地層は、中里層が海退によって浸食され、深くえぐられた上にその後の海進によって堆積したもので、このような暖かい地方の河口性の貝化石がたくさん出るのです。
当時の大船湾は、上永谷のあたりから、戸塚区下倉田のあたりまで、ず?っと大きな湾を形成していたようで、温暖で住み心地のよい環境だったようです。
その証拠に、この周辺には石器や土器などが発掘できる遺跡も多くあり、子どもの頃はたくさん集めたものです。 (現在は、ほとんど住宅とかマンションの敷地に埋もれてしまったのが残念です)
このあたりのことは、永野郷土誌
の中に、古代の永野としてまとめてありますので、ご参照ください。
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貝の化石について、教えてください。
化石の中には、二枚貝が、伏せた形で見つかるようですが、一体どういった過程で堆積しているのでしょうか。海生層のはずですから、川の堆積作用か、波の影響かとも思うのですが・・・。いい検証の仕方があったら教えてください。
投稿者 ikeda | 2005年9月28日 18:05
ikeda三、コメント有難うございます。
貝の化石の堆積する仕組みについては、堆積物の記録に基づいた堆積プロセスを専門的に研究している大学の理学部(地球科学・地質学)の研究室にお尋ねになるのが宜しいと存じます。
http://www-es.s.chiba-u.ac.jp/geolo/right.htm
投稿者 kameno | 2005年9月30日 01:29