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宮城県庁を出発し、三陸道経由で東松島市へ向かいます。
三陸道を成瀬奥松島ICを降り、成瀬川・吉田川沿いに下流に進むと、仙石線が見えてきます。
東日本大震災では、津波が川沿いに上流に侵入し、広い範囲が津波の被害を受けました。
仙石線も震災後しばらく運休となっておりましたが、この付近のルートを標高の高い場所に変更し、新設されています。
↓写真の右側に見える高架鉄道橋が、新設されたルートです。
高架になる以前は、田んぼの畦道と同じレベルのルートでした。
震災後しばらく、仙石線の列車車両が写真中央の位置に止まったままだったのです。
↓現在砂利道になっている所に、旧仙石線の線路が通っていました。
この旧仙石線の線路跡をたどると、かつての野蒜駅に到着します。
かつての野蒜駅駅舎は、震災遺構「東松島市震災復興伝承館」として残されています。
建物の右上壁面に津波到達高さの表示があります。
2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0という国内観測史上最大の巨大地震が発生し、その後到達した津波により、この位置まで海水面が到達したのです。
東松島市震災復興伝承館では、震災前の東松島の姿や、震災が残した爪痕、復興の過程を通し、後世に震災の記憶を伝える展示がされています。
ガイドをお願いし、詳細な説明をいただきました。
津波により破壊された野蒜駅のホームも保存されています。
傾いた柱が津波の力の大きさを示しています。
野蒜にある長音寺様も津波により甚大な被害を受けました。
現在は、多くの方の尽力により、新しい本堂・庫裏がが再建されています。
かつて、住宅や保養施設が並んでいた場所に、松の苗が植えられていました。
何十年後かには美しい松林に育っていることでしょう。
次のブログ記事、奥松島・松戸島に続きます。