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神奈川県第二宗務所第五教区・教化部の研修で鎌倉エリアを廻りました。
大船駅に集合、横須賀線にて北鎌倉駅へ。
北鎌倉駅ー円覚寺(白雲庵・富陽庵・円覚寺内拝観)-道元禅師顕彰碑ー昼食ー鶴岡八幡宮ー松久寺ー法性寺ーまんだら堂やぐら群ー大町ー鎌倉駅 という、全行程徒歩による研修です。
まずは、北鎌倉駅から円覚寺へ。
モミジのさわやかな緑が目に染みます。来月には見事な紅葉がみられることでしょう。
三門は空・無相・無願の三解脱を象徴し、煩悩を払い去り涅槃へ至る門とされます。
三門の奥、仏殿前の広場で幼稚園の運動会が行われていました。
仏殿は関東大震災で倒壊しましたが、昭和39年に再建されました。
竜の絵天井が見事です。
禅堂では摂心が行われていました。
居士林は在家の方のための坐禅道場で、定期的に坐禅会が開催されています。
修行僧の坐禅道場、選仏場。元禄12年に建立されました。
大方丈。
各種法要のほか、坐禅会や説教会、講座なども行われています。
円覚寺に点在する塔頭のうち、白雲庵と富陽庵に拝登させていただきました。
まずは白雲庵。
こちらは、2006年にも拝登いたしております。こちらのブログ記事を参照ください→道元禅師降誕の日と鎌倉歴史散歩
臨済宗大本山円覚寺の塔頭の一つ。
円覚寺第十世で暦応3年(1340)10月4日に示寂(じじゃく)した東明恵日(とうみんえにち)禅師の塔所です。
正和年間(1312-16)に退居寮として開創されました。
東明恵日禅師は曹洞宗を修めた中国元の高僧で、1309年、時の執権北条貞時の招きで来日し、1310年円覚寺第10世となり、暦応3年当寺にて遷化するまで、建長寺(18世)、寿福寺などの住職を務めた。また、白雲庵学林を形成し、関東五山文学の中心拠点となりました。
室町時代末期に臨済宗に転宗され、今に至っています。
白雲庵の名の由来は、禅師が中国白雲山の住職だったこと、また「白雲抱幽石」という漢詩の一節に因んでいます。
円覚寺には、江戸時代前期には40の塔頭がありましたが、現在は18の塔頭があります。白雲庵はその中で最も古い塔頭です。
本堂天井画・雲龍は入江正巳画伯によるものです。
日本における禅宗の展開をみる場合、鎌倉時代前期には、求法伝法を目的とした入宋僧が多かったのですが、鎌倉後期になると、多くの禅僧を中国大陸から招聘するようになります。
その一人が東明恵日禅師であります。
石造灯篭(百済時代)。
上から眺めると、鳥の巣の中にヒナが見える、遊び心あふれる意匠をみることができます。
本尊は文殊菩薩。
開祖上杉朝宗氏木像と、大仙庵開祖桃渓徳悟禅師尊像をお祀りしています。
円覚寺の入口猫。
堂々としていて近づいてもまったく動じません。
次のブログ記事に続く・・・