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永い間、一度行ってみたかった場所に、念願かないようやく行くことができました。
その場所は、長崎県長崎市の沖合に浮かぶ小島、池島。
九州最後の炭鉱の島でもあります。
炭鉱の島と言えば、端島(軍艦島)が有名ですが、端島は今では限られた場所しか上陸することができず、建物の近くまで行くことができません。
しかし、池島は平成13(2001)年11月まで炭鉱が稼働しておいたため、その面影を伝えるガイドツアーも実施されています。
また、昭和45(1970)年には8000人近くの方が居住しており、狭い島に工場、病院、学校、団地が次々と作られ、賑わっていた、その痕跡を間近に感じ取ることができます。
【基本データ】
●面積/1.06km2●周囲/4.0km
●人口/157人(H28)・293人(H22)・472人(H17)・2,799人(H12)・3,543人(H7)
※平成12年以降、急激に人口が減少。 現在は150名ほどの居住人口になっています。したがって、建物のほとんどが空き家です。
(上写真は国土交通省国土が場情報1974年・ほぼ人口がピークのころの航空写真)
池島へ渡る航路としては、神浦港、大瀬戸港、佐世保港からのアクセス手段がありますが、今回は大瀬戸港から池島に向かいました。
↑これが池島港です。
かつては、名前の由来になった「池」があり、港を築造するために池を浚渫し一部を海に繋げて港にしています。
港の向こうに鉱山の選炭工場跡が見えます。
工場敷地内は立入禁止エリアですが、周囲の道路から内部の様子や発電施設、ジブローダーなどの大型の機械を眺めることができます。
↓この立坑から海底深く掘削された坑道に入ります。
池島はピーク時には8千人もの居住があったため、狭い土地に効率よく住むことができるよう高層のコンクリート造の団地群が造られました。
しかし、炭鉱が閉山になった後、急速な人口減少のため、団地は居住の無い状態で放置されることなり、建物が急速に劣化し始めています。
あと十何年か経過すると、端島の団地群のような状態になるのでしょう。
そうなれば倒壊の危険から、団地のエリアは立入禁止になることも予想されます。
建物を覆いつくす植物を見ると、自然の力はとてつもなく大きいことを感じます。もとの島の様子に還っていくのもそれほど時間がかからないかもしれません。
かつては子供たちが遊ぶ声が響いていたであろう公園の遊具も草でおおわれていました。
↓これは8階建て住宅です。エレベーターが無いのですが、高低差を利用して、反対側の道路から5階部分にアプローチすることができます。
建物と建物を結ぶ橋は、腐食が進んでいて崩壊寸前ですね。建物の中には入ることはできません。
池島には、宿泊施設(中央会館)があります。
せっかくなので、泊まらせていただきました。(素泊まり3500円ほど)
夜には部屋の窓から池島小学校の建物と満天の星空を望むことができます。
中央会館は素泊まりなので、夕食は島で唯一の食堂「かあちゃんの店」でいだきました。
おすすめメニューはトルコライスとちゃんぽん。
壁は来訪者の絵で埋めつくされていました。住民にも来訪者にも愛されている島唯一の食堂です。
この裏手に銭湯もあります。
また、中央会館でも入浴は可能ですので、快適に過ごすことができました。
日本の高度経済成長を支えてきた炭鉱施設。
その炭鉱の歴史に触れることができる機会が、あと何年続くかわかりませんが、今のうちに得難い体験ができて本当によかったと感じます。
端島(軍艦島)よりは知名度は低いですが、おそらく満足度は池島の方がずっと上だと思います。
この状態がいつまで存続するかわかりませんが、次第に変化していく池島を訪問するとしたら「今」がお勧めです。
歴史を伝える場所としての役割を果たしている池島を多くの方に知っていただきたいものです。
滞在期間中、炭鉱ツアーにも参加しましたので、次のブログ記事にてご紹介いたします。
(つづく)