70年前に絶滅されたとされるクニマスを発見したきっかけは、さかなクンの目利きでした。
さかなクンがクニマスに似たヒメマスを全国各地から取り寄せたところ、富士五湖の西湖から届いた中に通常のものより黒い個体があり「どう見てもヒメマスじゃない」と感じてよくよく調べてみたらやはりクニマスだったということです。
西湖では、これまでにも「クロマス」と呼ばれる黒いマスが10匹に1匹程度の割合で簡単に釣り上げられていたそうですが、漁師にも釣り人にも「ヒメマスの黒い変種」としか認識されていませんでした。
歴史に残る大発見は、誰しもが目にしている何気ない事象から「気付く」か「否か」というちょっとした違いから生まれます。
広い海へ出てみよう
中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。
でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。
広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。
(『いじめられている君へ/いじめている君へ』東京海洋大客員助教授・さかなクン/朝日新聞2006年12月2日掲載)
私たちは多くの大切なことや小さな心の叫びを見過ごしてしまっているのかもしれませんね。
クニマスはさかなクンだからこそ見分けることが出来たのでしょう。