羽田空港国際定期便再開

羽田空港(東京国際空港)で、いよいよ国際定期便の本格運行が再開されました。

1978年の成田空港(新東京国際空港)開港以来、実に32年ぶりとなります。
24時間対応のハブ空港として稼動していますので、空の便は格段に便利になることでしょう。

地図を元に羽田空港の歴史を振り返ってみます。

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迅速測図(1880-85)

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(地形図 明治39年測図)

大正6(1917)年、日本飛行大学校「羽田飛行場」飛行訓練施設設置。
付近に羽田運動場、羽田海水浴場、沖には羽田競馬場がありました。
大正11年の地形図に羽田運動場、羽田競馬場が記載されています。


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(地形図 大正11年修正)

東京飛行場(羽田飛行場)が日本初の国営民間航空専用空港として開港したのは昭和6(1931)年です。
面積53ha、全長300m 幅15mの滑走路が1本での運用でした。
大阪・福岡・台北・京城などへの国内線のみならず、満州国や中華民国、タイ、フランス領インドシナへの国際線ハブ空港としての運航も活発化しています。
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(地形図 昭和7年要修)

第二次世界大戦開戦により羽田空港は軍用飛行場に転換されます。
国内線や同盟国の満州国やタイ王国の他に、香港やジャカルタ、マニラやシンガポールなどイギリスやアメリカ、オランダの植民地を日本軍が占領した東南アジア各都市へ向けて、陸軍による定期便が運行していました。

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(地形図 昭和20年部修)

第二次世界大戦終戦後、日本を占領したアメリカ軍は、ハネダ・アーミー・エアベースとして沖合に拡張工事を計画。
このため、昭和20(1945)年9月21日に、羽田町鈴木新田周辺住人に対し48時間以内に強制退去の命令が出されます。
羽田地区は昭和20年に激変しました。現在の羽田空港の礎は、アメリカ軍によって築かれたのです。
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(地形図 昭和41年改測)


1964年の海外旅行自由化以降、航空機の利用客・便数が急増したため、1984年から羽田沖の海面を埋立て、空港施設を移設・拡張するという沖合展開事業が始まりました。
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(地形図 昭和51年ニ改)

1993年には、新国内線ターミナルビル(ビッグバード 第1ターミナルビル)が完成、2004年12月には、第2旅客ターミナルビルが供用開始となりました。
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(地形図 平成13年修正)


多摩川河口付近海上に世界初の人工島+桟橋構造のハイブリッド滑走路として、D滑走路が完成。
国内線・国際線ターミナル、整備センターがあった区域に新国際線旅客ターミナルビルが完成。
そして、本日国際定期便の本格運行が再開されました。

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(Google Mapより。2010年)


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投稿者: kameno 日時: 2010年10月31日 11:08

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