65年目の長崎原爆の日に

長崎への原爆投下の日から65年目の原爆忌を迎えました。

一瞬のうちに人生を奪われてしまった多くの方々に、そして後遺症により亡くなられた多くの方々に心より哀悼の意を表します。

合掌


「核なき世界」実現訴え=「禁止条約」支持表明へ―65回目長崎原爆の日

長崎は9日、65回目の原爆の日を迎えた。爆心地に近い平和公園(長崎市松山町)で「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれ、被爆者や遺族、菅直人首相らが参列し、原爆死没者の冥福を祈る。田上富久長崎市長は平和宣言で、潘基文国連事務総長が提案する「核兵器禁止条約」への支持を表明し、「核なき世界」の実現を国際社会に訴える。
式典には、核保有国の英仏、事実上の保有国とされるイスラエルの代表や、国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長が初めて列席する。参加国は過去最高の32カ国となる見通し。
(2010/8/9時事通信)


6日の広島原爆忌に関してのコメントで気になったものをいくつか。

 

「(オバマ政権が平和記念式典にルース駐日大使を派遣したことについて)これまで一度も行われてこなかったのに、なぜ今になって(代表団を)送るのか分からない」「(原爆投下について)当然、正しいことをした」
「エノラ・ゲイ」機長ポール・ティベッツ氏の息子のコメント

「広島では、謝罪することは何もないが、戦争の影響を受けたすべての人々に配慮を示す」クローリー米国務次官補のコメント

「オバマ政権は何をしたいのか。われわれは戦争を終わらせた。放っておくべきだ。ルース大使の派遣は歴史の書き換えにつながる」(米保守系ニュース専門局FOX)

 

広島・長崎で原子爆弾により死傷した数多くの一般市民への謝罪がまったく無かったのはとても残念です。
ルース大使は広島平和式典において献花をしませんでした。また、長崎の平和記念式典は欠席しています。
遺族、市民との意識の隔たりはいつになったら解消できるのでしょうか。

 

「国際社会では核抑止力は必要だ」「国際社会では大規模な軍事力が存在し、核兵器をはじめとする大量破壊兵器の拡散もある。不確実な要素が存在する中では核抑止力は引き続き必要と考えている」
(広島平和記念式典の記者会見での管直人首相のコメント)

唯一の被爆国である日本の首相が平和記念式典の場所で発することばとしては不適切であると言わざるを得ません。

投稿者: kameno 日時: August 9, 2010 8:48 AM

コメント: 65年目の長崎原爆の日に

関連記事として、長崎出身のうちの親父の
当時の体験記を淡々と綴らせてください。

と言っても、親父は島原出身なので、
原爆の直撃を受けたわけではなく、
「見物」をした側です。

現在アルツハイマーで記憶障害の親父ですが、
子どもの頃のことはよく覚えているので、
半分以上は本当でしょう。


8月9日当日、聞いたこともない轟音がし、
山の向こうは異常な赤色に染まった。
当時12歳だった親父は、子どもながらも
ただ事ではない何かが起きたと感じたそうだ。

新型爆弾が落とされた、という情報は
子どもたちの間にも伝わった。
そして1週間後、従兄に誘われた親父は
「市内見物」に出かけた。好奇心だ。

電車は動いていない。
島原半島から長崎市内まで、徒歩で山を
超え、何時間も歩き続け到着した市内。
いったい徒歩でどれくらいかかったのかは、
記憶にないらしい。
(地図で観ると50キロくらいはあるので、
途中までは電車が動いていたと思われます)

市内に入ると、瓦礫の山に累々たる遺体。
形容しがたい惨状を目の前にして感じるのは、
恐怖などではないそうだ。
どうやら人は想像を超えた状況を前にすると、
子どもですら妙に冷静になるらしい。
親父は、無感情に現実を見るのみ。
ただ見るのみ。
生きたまま動けず、うめく人をただ見るのみ。

これ以上のことも、帰り道のことも
記憶にないらしい。

自宅に戻って、夜になると昼間
目にした風景を急に思い出し、
怖くなってきた。ぶるぶると震えてくる。
便所(当時は離れで外に設置)にも
怖くて行けないほど怖い。

以上が、親父の1945年8月の記憶です。

子であるわたしとしては、親父が長く
市内に滞在しなくてよかったと
心から思うのです。短時間だったから、
入市被爆せずにすみました。

とにかく、戦争は絶対いけません。
二度とやってはいけません。
原爆をはじめ、戦争の犠牲になった方々の
ご冥福をお祈りするとともに、永久に平和であることを
心から願う8月の今日です。

長文失礼いたしました。

投稿者 宝船 | August 9, 2010 2:34 PM

宝船さん
貴重なお父様による体験談を綴っていただきありがとうございました。
淡々と綴られている分、被害の甚大さと不気味さが伝わってきました。
「生の体験」を直接伺う機会は年々少なくなっています。
65年という時間を感じます。
しかし、決して風化させてはいけないことですね。
きちんと記録に残し、伝えていくことも大事なことだと感じます。
二度と核兵器が使われることがないよう願います。

投稿者 kameno | August 9, 2010 6:21 PM

コメントを投稿