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昭和初期に、永野村を代表する10の景観、永野十景がまとめられました。
その10の景観が現在はどうなっているのかを私がこれまで撮影してきた写真で振り返ってみます。
電子国土基盤地図、数値地図5mメッシュデータを元に、カシミール3Dを使って鳥瞰図を作成してみました。
ほぼ真西方向を向いていますので、富士山が正面に見えます。
図の中に(1)から(10)までの赤数字を入れております。
これが、昭和初期の永野十景です。
(1)社頭の暁雪
2008年に初春に撮影した写真です。夜中降り続いた雪により早朝天神社一面真っ白となりました。
(2)菅公筆塚
筆塚は横浜市営地下鉄敷設工事により、当時あった位置から北に移設されました。
(3)貞昌院の晩鐘
昭和初期には住宅やマンションも少なかったので永野地区一帯に響き渡っていたのでしょう。
(4)丸山の鶯
丸山は丸山台住宅地となっています。鶯の棲息地も限られた場所に追いやられつつあります。
今年春に貞昌院裏山で撮影した鶯です。
(5)馬洗川の清流
永谷川・馬洗川は、地域の方の清掃活動により一時期見られなくなっていたカワセミが帰ってきました。
今年永谷川で撮影したカワセミです。
(6)島越の夕照
島越は武相国境稜線の西側に位置するため、夕照に美しく照らし出されます。
(7)十国見の眺望
美晴台からは西方向が開けているために富士山や丹沢山系がよく見渡せます。
少し残念なことは電線によって景観が損なわれているということです。
(8)柳橋の秋月
柳橋の辺りには蓮池があって、そこに舟を浮かべて観月会が行われていました。
優雅なものです。
現在、蓮池はありませんが月の美しさは何ら変わりありません。
(9)中里の流蛍
永谷川にはかつて蛍が飛び交っていました。
現在では残念ながら蛍はいなくなってしまいました。
写真は千葉県で撮影した川成蛍です。きっとこのような光景が見られたのでしょう。
(10)水田の落雁
水田の地名のごとく、当時は県道平戸永谷線(現在の環状2号線)に沿って水田が広がっていましたので、水田と落雁の光景が象徴的だったのでしょう。
写真は舞岡公園の水田です。かつての谷戸の光景が保存されています。(写真は雁ではなく鴨)
このように、当時の状況が何ら変わらずに伝わっているものもありますし、現在では失われてしまっているものもあります。
今、区役所の皆様、社会福祉協議会の皆様、地区の皆様と、永野地区福祉保健計画を策定しています。
冒頭の鳥瞰図中、ピンクに着色した部分が永野地区のエリア(永野村のエリアではありません)です。
福祉保健計画策定にあたり、かつての景観や歴史的な経緯がとても参考になります。