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横浜市港南区には、明治時代に創立された小学校が4校(永野小学校・日野小学校・日下小学校・桜岡小学校)あります。
その歴史を纏めて一覧表として作成してみました。
これは、現在編集作業が進められている 『こうなんの写真アルバム』(仮題) ?明治創立の学舎に残された写真物語? のための基礎資料となります。
それぞれの時代ごとに近隣の寺院と大いに関係が有ったことがわかりますし、宅地開発、人口増加と共に校舎・分校が枝分かれしていく様子もよくわかります。港南区・明治創立の学舎のあゆみ (参考:横浜市港南区役所ふるさとこうなん、『港南の歴史』、各小学校のあゆみ)
<港南区の歴史> |
永野小学校 |
日野小学校 |
日下小学校 |
桜岡小学校 |
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江戸時代 |
現在の港南区の地域は、武蔵国久良岐郡に属する上大岡・雑色・関・松本・最戸・久保・宮ヶ谷・宮下・金井・吉原の各村と、相模国鎌倉郡に属する永谷上・永谷中・上野庭・下野庭の各村からなる。 |
寺子屋 (天神社=貞昌院ほか) |
寺子屋 (洞雲閣ほか) |
寺子屋 (下大岡寺子屋ほか) |
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明治初期 |
永谷上村と永谷中村が合併して永谷村に。 |
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1872年 |
雑色・関・松本の3か村が合併して笹下村に、宮ヶ谷・宮下・金井・吉原の4か村が合併して日野村に。 |
棲心庵学舎設置 (永谷村字八木2648番地) |
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1873年 |
第一大学第七中学区第五五番小学日野学舎 (字宮前2047) |
笹下東樹学舎設置 (関村の東樹院) |
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1874年 明治 7年 |
野庭学校設置 (正応寺を仮校舎とする) 棲心庵学舎は永谷学校と改称 |
最岡学舎設置 (来迎寺=現在の千手院) |
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1875年 |
日野学校と改称 |
最戸学校と改称 | |||
1877年 |
野庭学校新築 (永谷村字山田町1698番地) |
笹下学校と改称 |
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1878年 |
笹下の東樹院隣接地に久良岐郡役所を開設。 |
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1879年 |
水田の権田ケ谷戸に永谷学校新築。(永谷村字八木2690番地
勝海舟より「永谷学校」の書が贈られる。 |
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1880年 |
公立日野学校となる |
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1884年 |
関村の大火によって笹下小学校が焼失。 笹下学校、上笹下学校に分離 |
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1885年 |
村立日野学校となる |
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1887年 明治20年 |
最戸学校は最戸尋常小学校と改称 (大岡学校に尋常高等併置) |
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1889年 |
町村制が執行される。 笹下村と日野村が合併して日下村に、上大岡村・最戸村・久保村の3村が合併して大岡川村に、鎌倉郡の永谷、上野庭、下野庭の3村が合併して永野村に。 |
永谷学校と野庭学校が併合し、永野学校(本校)、野庭学校(分校)となる。 |
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1890年 明治23年 |
(大岡・井川・最戸学校が合併し大岡川学校と改称) ※現在の南区エリアのため( ) |
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1891年 |
小学校設備準則により永谷学校が現在の永野小学校の位置に移転。 |
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1892年 |
野庭学校が永谷学校の隣に村役場出張所の建物として移転。永野学校創立。 |
村立尋常日野小学校と改称 |
村立笹下尋常小学校 村立上笹下尋常小学校に改称 |
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1893年 |
鎌倉郡永野村立尋常小学校と改称 |
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1901年 |
久良岐郡日下村立日野尋常高等小学校と改称。 |
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1903年 |
笹下・上笹下の2校を合併して久良岐郡日下村笹下に校舎を新築し、尋常日下小学校の開校式をあげる |
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1911年 |
大岡川村の一部が横浜市に編入(現在の南区エリア) | 校歌・記念式歌の使用を許可される |
(横浜市に編入され市立最戸尋常小学校となる) | ||
1912年 |
(久良岐郡大岡川村に旧名を引継ぎ村立尋常高等大岡川小学校として、久良岐郡大岡川村中里向田68番地に分離創立) | ||||
1913年 |
町に電灯がつき始める。 |
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1914年 |
記章(校章)制定 |
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1915年 |
鎌倉郡永野村立尋常高等小学校と改称、高等科併設 |
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1920年 |
上大岡駅前の鎌倉街道沿いに水道が敷かれる。 |
(久良岐郡村立大岡川尋常小学校と校名変更) |
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1921年 |
久良岐郡村立日下尋常小学校と改称 |
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1923年 |
関東大震災で大きな被害を受ける。 |
久良岐郡村立日野尋常高等小学校と改称 |
(2階建て校舎を除き全壊)
休校中は近隣3寺院にて分散授業 |
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1926年 |
(新校舎落成。10教室) | ||||
1927年 |
第3次市域拡張で、久良岐郡日下村・大岡川村が横浜市に編入。区制施行に伴い、日下村・大岡川村は中区に編入。中区上大岡町・笹下町・日野町・最戸町・大久保町と改称。 | 横浜市立日野尋常高等小学校、現在地に移転 |
横浜市立日下尋常高等小学校と改称 |
(横浜市立桜岡尋常高等小学校と改称) |
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1929年 |
弘明寺?日野町間に市営バスが運転開始。 |
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1930年 |
湘南電気自動車(現:京浜急行電鉄)が黄金町?浦賀間に開通。上大岡駅開設。 |
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1933年 |
日野共葬墓地(現:日野公園墓地)開設 |
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1936年 |
横浜刑務所が根岸から現在地(港南四丁目)に移転 。市域拡張で、鎌倉郡永野村は中区に編入。中区上永谷町・下永谷町・野庭町と改称。 |
横浜に合併のため,横浜市立永野尋常高等小学校と改称 横浜市立永野青年学校併設 |
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1940年 |
校旗制定 |
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1941年 |
法令改正により、横浜市立永野国民学校と改称 |
横浜市立日野国民学校と改称 |
横浜市立日下国民小学校と改称 |
新校地を中区大久保町13番地に得る。新校舎起工式を行う。 |
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1942年 |
横浜市立桜岡国民学校と改称。 |
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1943年 |
中区の一部56か町の区域をもって南区を新設。南区となる。 |
青年学校を桜岡青年学校に統合 |
木造2階建て22教室が完成し、新校地に移る |
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1944年 |
疎開児童を受け入れる | 疎開児童を受け入れる | 分区により、南区大久保町13番地となる。木造平屋建て4教室(後に講堂として改築)が完成。 | ||
1945年 |
横浜大空襲(港南区のエリアは空襲を免れる) |
東福寺や東樹院で分散授業 |
戦争が激しくなり、児童56名が箱根宮城野村への集団疎開が始まる。 |
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1947年 |
六三制実施 |
横浜市立永野小学校と改称 |
横浜市立日野小学校と改称 |
横浜市立日下小学校と改称 |
横浜市立桜岡小学校となる。 戦争が終わり、全児童疎開先から引き上げる。 |
1948年 |
給食開始 |
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1950年 |
南区役所港南出張所開設(管轄内の世帯数3,990戸、人口19,748人) |
学校給食が始まる。 |
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1951年 |
学区変更(日野・笹下) |
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1953年 |
神奈川県戦没者慰霊堂、講和条約締結記念事業として建立。 |
創立80周年記念式典 |
創立50周年記念式開催 |
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1955年 |
野草園が全市に紹介される |
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1957年 |
市営バスが野庭口?横浜間を運行。 |
プール竣工 |
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1961年 |
創立50周年。 南台分校が開設、8教室305名(笹下町2213) |
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1962年 |
校庭中央の桜の木を切る |
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1963年 |
校歌制定(創立60周年) |
南台小学校、分離開校 |
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1965年 |
体育館落成 |
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1966年 |
芹が谷分校開校 |
吉原分校開校 |
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1967年 |
芹が谷分校独立 |
吉原小学校開校 |
プールが完成 鉄筋3階建て8教室完成(現在のA棟の一部) |
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1968年 |
下永谷分校開設(18教室874名) 鉄筋3階建て10教室完成(現在のA棟の一部)、給食室完成 下永谷小学校、分離独立 |
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1969年 |
南区の一部8か町の区域により港南区を新設。(管轄内の世帯数25,928戸、人口95,545人)。 |
藤の木分校開設、8教室275名(大岡町池の谷戸1722-1) 藤の木小学校分離開校(南区) |
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1970年 |
人口10万人突破 |
体育館完成・校歌制定,開校記念日とする |
校旗新調 |
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1971年 |
港南区総合庁舎落成港南保健所・港南消防署・港南公会堂開設 |
洋光台第一・第二小学校独立開校(磯子区) |
講堂兼体育館落成記念式典 |
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1972年 |
横浜市高速鉄道1号線(市営地下鉄)が上大岡?伊勢佐木長者町に開通。 |
校舎鉄筋化完了 |
創立100周年記念式典 特殊学級設置 |
上大岡小開校に伴い、学区の一部変更。 |
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1973年 |
国鉄(現:JR)根岸線全線開通、港南台駅開設。 |
野庭小学校分離開校 |
訪問指導学級併設 |
第1期東側鉄筋4階建て校舎完成。第2期北側鉄筋3階建て校舎・屋上プール完成。 日下のあゆみ70年史発行 |
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1974年 |
環境事業局港南工場と余熱利用施設(港南プール・蓬莱荘)完成。 日本住宅公団港南台団地入居開始。 |
日限山小学校開校分離 |
港南台第一小学校開校 |
創立70周年 新校舎落成記念式典 |
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1975年 |
人口15万人突破 |
日野南小学校開校 |
緑化植樹完了 |
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1976年 |
市営地下鉄(上大岡?上永谷)が延伸、港南中央駅・上永谷駅開設。 |
永谷小学校分離開校 |
港南台第二小学校開校 | ||
1978年 |
特殊学級開設 |
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1979年 |
区制10周年。区の花に「ひまわり・ききょう・あじさい」を制定。 横浜横須賀道路の一部開通 |
港南台第三小学校開校 | |||
1980年 |
上大岡駅前にバスターミナルが完成。 |
最後の木造校舎解体 |
第2運動場新設落成 |
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1980年 |
丸山台小学校分離開校 |
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1981年 昭和56年 |
野庭東小学校が野庭小学校より分離開校。 | ||||
1982年 |
創立90周年記念式典 |
創立110周年記念式典 |
鉄筋2階建て校舎新築(図書室・研修室) |
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1983年 |
横浜市南部病院の開院 |
小坪小学校開校 |
住所変更により、港南区大久保1-6-43となる。 |
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1984年 |
人口20万人突破 |
給食室、体育倉庫その他の改修工事完成 プール改築・竣工式 |
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1985年 |
市営地下鉄上永谷駅-舞岡駅間開業 | 新設プール完成。 住所表示変更(日野7-11-1) 校庭整備 学習園 植樹完成 |
学習園・学習池・花壇が完成、植樹完了 | ||
1986年 |
郷土資料館、A棟3階に開設 多目的教室(学習センター)開設 |
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1987年 |
学校前に歩道橋ができる |
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1992年 |
創立100周年記念式典 |
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1993年 |
住所変更日野町→日野中央二丁目 |
90周年記念式開催 |
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1994年 |
区制25周年。区のシンボルマーク・鳥(シジュウカラ)・木(クロガネモチ)を制定。 |
特殊学級再開設 |
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1996年 |
はまっ子ふれあいスクール開設 |
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1998年 |
環状2号線暫定開通 |
防災備蓄庫完成 |
防災備蓄庫設置工事 |
校庭整備・飼育小屋移築工事 |
プレハブ建て郷土資料館開設 |
2000年 |
はまっ子ふれあいスクール開設 |
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2002年 |
創立130周年記念式典 |
創立100周年記念式典開催 郷土資料館完成 |
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2005年 |
プレハブ棟:図工室、はまっ子ふれあいスクール完成 |
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2006年 平成18年 |
野庭小学校、野庭東小学校廃校。両校合併、野庭すずかけ小学校となる。 | ||||
2009年 |
区制40周年 |
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<港南区の歴史> |
永野小学校 |
日野小学校 |
日下小学校 |
桜岡小学校 |
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亀野さん、こんにちは
大変な大作を、有難う御座いました。
各小学校とも設立以前に、既に江戸時代からの寺子屋に始まり、夫々地域で学校を開いていたのですね。当時の教育の仕組みや内容を知る事も、郷土史の一貫でしょうか。良く「読み」「書き」「そろばん」と言われますが、「躾け」とか「村・街の事」等昔から年寄りが子供達を集めて行っていた「語り部」的な活動は、現在はどうなってしまったのでしょうね。私達の日常生活の中で、人任せではなく、もっと自分達で行っていく事こそが、古来からの日本の伝統文化だと思います。
これらの記録から、察する所、港南区の学校が増えたのは昭和36年の南台小学校が出来たのが最初ですか?
最も、興味あった驚きは日下国民学校が疎開児童を受け入れたとの記述です。それ程にこの地域は当時は過疎化地域だったのですね。
投稿者 ちのしんいち | 2009年12月13日 18:54
ちの様
現在、別の分野で同じような年表を作成するプロジェクトも進行中です。モザイク状に点在する情報を時系列にまとめる作業は根気が要りますね。
出来上がった年表を横に見ていくと新しい発見もあります。
戦時中は桜岡小学校は児童が箱根に疎開し、それ以外の地域の小学校では疎開児童を受け入れるという構図も見られます。
日下国民学校だけでなく、永野小学校でも疎開受け入れがありましたので追記いたしました。
http://teishoin.net/blog/000206.html
寺子屋機能を見直し、復活を目指すという点では、はまっ子ふれあいスクールや縦割りなどがそれにあたるのでしょうか。
投稿者 kameno | 2009年12月13日 20:40