阪神淡路大震災から12年

境内の梅の蕾もだいぶ膨らんできました。
もうすぐ花を咲かせることでしょう。

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今日、阪神淡路大震災からちょうど12年目を迎えます。
早朝この時間に発生した大惨事は、私たちに多くの教訓を与えてくれました。
改めて犠牲となられた6千人を超える方々に心より哀悼の意を表します。


震災の際には、曹洞宗でも、各関連団体を中心に、災害支援をさせていただきました。
震災復興支援に関する組織的な記録としては、曹洞宗国際ボランティア会(現SVA)のまとめた貴重な資料があります。
是非ご一読下さい。

阪神・淡路大震災ボランティア緊急救援活動の軌跡
よろずかわら版縮刷版
発行:神戸 : SVA(曹洞宗国際ボランティア会)神戸事務所


震災直後の行政の対応が問題になった阪神大震災であるが、我々の組織もこのような事態に対するノウハウは全くなかった。全国曹洞宗青年会と各地の青年会などが連携し活動を組織化したのだが、初動の段階は一般ボランティアと同じように神戸に向かった数人の僧侶によって行われた。 炊き出しも最初は4、5人が小さな鍋で行ったが、十日の内に1日2万食を作ることを可能にしたのである。全国にまたがる宗門僧侶のネットワークが機材、食材をとぎれることなく提供し現場の活動を支援した。それは、神戸で活動するボランティアの自活をも支えてくれたのである。初期の段階ではいろんな混乱はあったが、個人と組織、現場と地方がうまくかみ合っておこなった活動であった。 僧侶、学生、一般のボランティアが一つ屋根の下で融合しつつ活動した様子は日頃の組織を越えた自由さがあった。僧侶もほかのボランティアに混じり、生き生きとしていたように感じた。それぞれがそれぞれの社会的立場を意識していなかったのではないであろうか。 ほとんどの僧侶は亡くなった多くの方たちのための慰霊もだが、ほかもそうであったように今苦悩している被災地の人々に対し何かできないかと集まってきていた。宗教は本来苦悩して生きている人を助けるためにあるというのが釈迦の説く仏教の実践である。

 「施食」という言葉がある。一般には食事を施しなき精霊のために供養をすることであるが、さらにはお互いが持っている貪りの心を抑え、生きている一切のものにもまた亡者にも慈悲をめぐらしてゆくという仏教の持つダイナミックな宗教観がこれにはある。我々僧侶も炊き出しを通じ被災者と対峙した。そして彼らの言葉を近くで聞きながら、援助とは施食とはそして宗教者とは、と自らに問いかけたのではないであろうか。

『全国曹洞宗青年会の救援活動の記録』 (1996,全国曹洞宗青年会十期会長のことばより引用)



地元の曹洞宗神奈川県青年会でも、当時の役員を中心に、炊き出しを初め、様々な活動を行っています。
また、SOTO禅インターナショナルでは、被災地NGO恊働センターと協力の上、「ゆめ観音アジアフェスティバル」において、 まけないぞうタオル 販売のブースを設け、2000年まで継続的に支援させていただきました。
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下の写真は、震災からちょうど一年目(1996年)に訪れた神戸の夜景。
力強く復興する街の様子に心が熱くなったことを鮮明に覚えています。
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先日の千島列島を震源とした地震では、残念なことに、津波警報が出されたにもかかわらず非難した住民はほとんどいませんでした。
津波警報、避難した住民ごくわずか…網走市は1割以下


災害の教訓を生かしていくためにも、犠牲となった方のためにも、災害の記憶を風化させる事なく、一人一人常に心にとどめ、そして伝えていくことが大切です。


トピックスの下に、阪神・淡路大震災関連のリンクをさせていただきました。
読み返してみると当時の記憶が鮮明に蘇ります。



<阪神大震災>17日で12年 追悼行事相次ぐ

6434人が亡くなった阪神大震災の発生から、17日で12年。未曽有の大惨事は、次の地震に向けた備えを強く促した。しかし耐震化補助制度の利用は進まず、兵庫県でも年間目標戸数の1割程度だ。この日を「ひょうご安全の日」と定めている県は今年も、「宣言」で「震災の教訓はかけがえのない犠牲を払って得た私たちの貴重な財産」と訴える。
 被災各地では17日未明から追悼行事が相次ぐ。神戸市は午前5時から、犠牲者らの名前が刻まれた「慰霊と復興のモニュメント」がある東遊園地(同市中央区)で「震災12年追悼の集い」を開催。県は同11時50分から、人と防災未来センター(同)で「ひょうご安全の日のつどい」を開く。犠牲者の十三回忌にあたり、寺院などでも慰霊法要が営まれる。
 兵庫県伊丹市の昆陽池(こやいけ)公園では、6434本のろうそくをともす「追悼のつどい」が16日夕、始まった。震災が起きた17日午前5時46分までの12時間、ともし続ける。今回で12回目。震災への関心が薄れて存続が危ぶまれたが、苦境を報じた毎日新聞の記事を読むなどして、資金提供の申し出などが増えたという。
 「命の大切さを決して忘れない」などの言葉が書かれたろうそくに点火すると、今年のテーマ「真実」に合わせた「地球を見つめる瞳」の図柄が浮かび上がった

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070116-00000095-mai-soci



阪神・淡路大震災
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阪神・淡路大震災に関するデータベース

投稿者: kameno 日時: 2007年1月17日 05:36

コメント: 阪神淡路大震災から12年

今年はやはりいつもより暖冬なのでしょうか。この近辺でも梅が咲いているのを見ました。
阪神淡路の震災の頃はまだ広島(郷里)に居ましてあの夜明けに震度3でゆれたのを覚えています。
神戸には知り合いがいたため私も及ばずながら救援物資を送ったりお金を送ったり致しましたものでした。
神戸に12月になるとルミナリエができた時はわたしもうれしかったです。
今は大阪に嫁ぎ北摂にすんでいます。この辺もだいぶ揺れたらしく、時折ひびわれを補修した跡がみられます。
みんな怖かっただろうなあと思いをはせます。

投稿者 ゆが | 2007年1月17日 16:25

私は学生時代を関西で過したので、神戸、淡路方面には友人、知人がおります。私は目覚まし代わりにラジオをセットしていますが、地震発生と同時に近畿地方で大きな地震が発生したという情報が流れ、友人、知人の安否が気になり仕事が手につかなかったです。時間が経過するにつれて未曽有の被害がテレビから映し出され、地獄を見ているかのようでした。友人、知人は無事でしたが、多くの人が犠牲になり、地震が起因する犠牲者が今もいる事に悲しみを覚えます。

投稿者 天真 | 2007年1月17日 20:53

ゆがさん
暖冬傾向は否めないですね。こちらでも。気の早い梅は数輪咲き出しています。
広島でも震度3でしたか。西日本の方にとって、1月17日に対する思いも一入なんでしょうね。

天真さん
お知り合いの方がご無事で何よりです。震災からだいぶ復興しているとはいえ、未だ完全ではないのですね。それだけ大きな地震であったということを改めて痛感します。

投稿者 kameno | 2007年1月17日 23:33

sugoidesu~

投稿者 Anonymous | 2009年5月19日 10:48

arigatougozaimasu?

投稿者 kameno | 2009年5月19日 17:23

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