No.48
学道は、須くはなはだ容易ならざると知るべし ﹃永平広録﹄巻二 とある竹林の中でのお話です。 春を迎え、いつもの年のようにたくさんの筍が生えてきました。 暖かい陽気に誘われて、筍たちはぐんぐん成長していきます。 ﹁俺が一番先に大きくなるんだ﹂ 筍たちは、背の高さをお互いに競争していきました。 その中で、一本の筍が疑問を感じます。 ﹁なぜ私達にはフシがあるのだろう?フシがあるせいで、その時だけ成長が止まってしまう。それに、見た目も悪い。フシなんか無ければいいのに。﹂ 少しでも早く大きくなりたい筍は、山の神様にお願いをしました。﹁どうか、私のフシを 取ってしまってください。みんなよりも背が高くなりたいのです﹂ するとどうでしょう、願いが通じたのか、ある朝その竹からフシが残らず消えてしまいま した。 邪魔なフシが消えた筍は、ぐんぐんと成長していきました。 周りの筍は、飛びぬけて高く、美しく、スマートに育っていく筍をうらやましく思いなが らも、幾つものフシを作りながら育っていきました。 夏を迎え、台風がやってきました。大雨と強い風が狂ったように吹き荒れ、山の木々も竹 林の竹たちも一晩中打ち据えられ続けたのでした。 翌朝台風は過ぎ去り、竹薮にいつも通りの静かな朝がやってきました。青空に向かって 高く伸びた竹の先端が、ゆるやかな風にそよいでいます。しかし、あのフシが無いスマー トな竹は、無残にも真っ二つに裂けて竹林の中に倒れてしまっていました。 その時、周りの竹たちは気が付いたのです。 ﹁あの竹はなんて馬鹿なお願いをしたのだろう。このフシがあるからこそ、私達はどれだ け強い風が吹いても、身体をしならせてそれをやり過ごすことができるし、どれだけたく さん雪が降り積もっても、それをはねのけることができる。自分の都合や見た目にとらわれて、本当に大事なことを見失ってしまった。﹂ 私たちの人生を考えて見ましょう。竹のフシにあたるものは、日常の中にもあります。この世に生まれ、成長し、老いがあり、病になることもあり、やがて来る死から逃れることもできません。思うように行かないのが私達の人生なのです。 しかし、このフシがあるからこそ竹のように風雪に耐えるたくましさが私達には備わるのです。 道元禅師さまは、仏道修行、人生の困難さを冒頭の一句で示しています。学問も人生も もともと容易ならざるものなのです。そのことを改めて自覚し、肝に命じて、易きに流されて大事な事を見失わぬよう、しっかり自分のフシを育てていきましょう。