No.23
利行は一法なり
あまねく自他を利するなり
地獄とは鳥がさえずり花が咲き乱れる、とても良いところだそうです。立派な宮殿があり、広間には大きなテーブルにご馳走が山ほど並んでいて、美味しそうな匂いが一面に漂っています。地獄に暮らす人達はそのテーブルの周りに座っています。その手には身長よりも長い箸を持たされており、その箸が邪魔をして思うように食べものを取ることも口のに運ぶこともできないのです。
たとえ取ることができても、長い箸が邪魔して自分の口には入らないのです。なぜ俺だけがこんな目にと他人の幸福を妬んで怒りわめき、箸をふりまわす者がでてケンカが始まり、テーブルの上のご馳走はあっという間にグチャグチャになってしまいました。
それでは極楽はどうなのでしょう。立派な宮殿や広間にご馳走が並んでいることや、長い箸をもたされているのも、みな地獄と同じだそうです。でも喧嘩したりせず、みんなにこにこ笑いながら楽しそうに食事をしています。いったい何が違うのでしょうか?
極楽の人たちは自分の空腹はさておき、テーブルの向うに座っている人に何か食べたいものはないかと尋ね、持っている長い箸で相手の口に食事を運んであげているのです。地獄の人にとって長い箸は厄介な邪魔ものですが、極楽の人にはありがたい道具なのです。
この地獄・極楽のお話は、私たちの毎日の生活に置き換えることが出来ます。誰もが満足できる生活を送っているわけではありません。せっかくの長い箸という幸福をもたらすありがたい道具も、自分自身の利益を求めるためだけにつかっていたのでは、かえって邪魔になるばかりなのです。
﹁利行は一法なり、あまねく自他を利するなり﹂という道元禅師のお言葉があります。自分のことのみならず他の人のために功徳を積むことが、いつか自分にも他人にも、そして全てに幸福をもたらすことになる、ということでしょう。仏教徒として常に心したいお言葉です。
解説
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