No.22
愛語能く廻天の力あることを学すべきなり この句の中の﹁愛語﹂と言う言葉の精神は、本来ほとんどの人が気付かぬ内に持っていると思います。それは幼い子供や犬や猫などの動物に対する、優しい行動や態度にあらわれています。 しかし、これが人間同士になりますと利害が絡み、その時の感情や状況によって出る言葉や態度が変わっていきます。 それは、人を気持ち良くさせる態度と、人を不快にさせる態度の二つに分かれると思います。気持ちよくさせる態度、すなわちここで言う愛語とは、名前を呼びあいさつをかける、人をほめたりほほえみかける、意見を尊重し、じっくり話を聞くなどであり、その人自身を認め、よい気分にさせることであります。不快にさせる態度とは、皮肉を言ったり聞こえないふりをしたり、悪口を言ったり、さらには殴る叩くなどその相手を認めない行為で、いやな気分にさせることです。 大抵の人は、不快な気分にさせる言葉や態度より、愛語の精神にもとづいた言葉や態度のほうを喜びます。人はお互いを認め合い思いやりを持つことで、気持ちも通じ合い、生活も仕事もスムーズに行えます。 また人格や性格は、子供の頃に愛語の言葉や態度を多く掛けるられたか否かによって決まると思います。ですから、子供達にはより意識して愛語をかけ、豊かな人間性が育まれるようにしたいものです。 このように愛語の心を生かせば、家庭でも職場でも会話が弾み、毎日の生活は潤いのあるものになるでしょう。さらに愛語は、私たちの生き方を良い方向へ、推し進める力にもなるのです。