No.21
平常心是道 年が改まり、昨日までの様々な出来事はすべて、﹁旧年中﹂のこととして区切りをつけ、新たな年を迎えることで新たな気持ちと希望に満ちて出発するのです。 たった一日、日が改まっただけなのに私達は何かすがすがしい気持ちでこの時を迎えるのです。日常の慌ただしさと単調な日々の繰り返しの中で、新年を大きな区切として私達は受け止めているのです。 さて、毎日の生活の中で﹁平常﹂という言葉をどの様な時聞くでしょうか。﹁電車が平常通りに運行しています﹂というように、変化のない普通の状態を言います。﹁平常心﹂とは、スポーツや演奏会で、本番の時あがらずに日常の練習と同じ気持ちで臨むようにと、この語を使います。 このように﹁平常﹂は日頃耳にする言葉ですが、禅ではこの日常の生活、普段の生活のなかにこそ道︵仏道︶があるのだ、と示しているのです。 それでは、我々の日々の生活は果たして仏道に全てかなっていると言えるのでしょうか、何も努力しなくても、平常のままで良いのだというのでしょうか。決してそのようなことを言っているのではありません。平常の仕事や生活を一生懸命励むこと、普段の生活を一歩一歩着実に行うこと、これが﹁平常心是道﹂なのです。 昨年は、近年にない不況・社会不安の年でありました。そのような中で自分自身を見失わず、毎日の生活の中で、精一杯努力する、より良い状況を目指す、これができたならば私達の平常は仏道に適ったといえましょう。 年が改まり、旧年中のイヤなことは忘れて新たな年に新たな希望を持ち、一日一日を精一杯過ごして行きましょう。