「永谷川」と一致するもの

2月から3月へ - Kameno's Digital Photo Log

令和3年も早いもので2か月が経過しようとしています。
気温も上がり、すっかり春らしい陽気となりました。

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境内では福寿草やクリスマスローズが見ごろを迎えました。

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裏山では一面のフキノトウが芽吹いています。
春を代表する味覚ですね。

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天神山の河津桜も満開になっています。
河津桜といえば、環状二号線沿いの平戸永谷川遊歩道の桜もみごとです。
150本以上の河津桜が植えられており、まさに満開です。

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永谷川せせらぎ公園の貞昌院・永谷天満宮前の整備工事が進んでいます。
(環状二号線・永野小学校前バス停と境内との間にある公園です)

整備前の写真がこちら(10月12日撮影)
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工事が始まりました。
公園を通過する遊歩道の整備が主な内容です。

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遊歩道の概要が見えてきました。

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固まる土が敷き詰められました。

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工事は10月末に竣工する予定とのことです。

神奈川で激しい雨 千葉は竜巻注意情報発表中

神奈川県藤沢市辻堂では1時間に35.5ミリ、箱根町では33.5ミリの激しい雨を観測。統計開始以来、12月として1位の値となりました。午後4時現在は千葉県に活発な雨雲がかかっています。
◆神奈川県で激しい雨
きょう(2日)は低気圧が日本海を進み、寒冷前線が本州付近を通過中です。関東も活発な雨雲がかかりました。神奈川県藤沢市辻堂では1時間に35.5ミリ(14時5分まで)、箱根町では33.5ミリ(13時49分まで)の激しい雨を観測。統計開始以来、12月として1位の値となりました。また、神奈川県を流れるいたち川などでは昼過ぎに一時、避難判断水位を超過しました。
(tenki.jp 2019/12/2配信)


神奈川県、特に横浜南部から鎌倉、藤沢にかけて激しい雨が一日中降り続きました。
気象庁のサイトで河川の氾濫警戒情報を見ると、午後3時現在、平戸永谷川は警戒レベル3相当になっています。

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同時刻(2019/12/2  午後3時)に撮影した、丸山台から永谷川への排水路の様子はこちら。

排水路(京急メモリアル上永谷斎場前)
水路の右半分が越流堰になっていて、一定水位を超えた水が右方向にある雨水調整池(貯水量:6万立方メートルのエルウイング地下調整池施設)に流れるようになっています。
今日は、かなりの水量が調整池に流れている様子がうかがえます。
越流堰を超える水位はめったに見られる光景ではありません。

しかし、この越流部分が一時貯留され、永谷川に流れないようにすることにより、雨水のピークカットが行われ、河川の氾濫を防ぐことができます。
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↓下写真は貞昌院薬師墓地・リストーロマンション前の排水路です。一枚目の写真のすぐ下流側にあたります。
これだけ勢いよく流れる様子は、なかなか見られません。

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雨水調整池、河川の拡張整備などによって、上永谷周辺の河川氾濫はめったに起こらなくなくなりました。
それでも、気象庁の警戒レベル情報には常に留意しておく必要はあります。



平戸永谷川の河川整備の様子はこちら→平戸永谷川河床整備
かつての永谷川氾濫の記録はこちら→安全安心まちづくり講座 永谷川編

年金者組合戸塚支部のまち歩きの皆様が来寺されました。

秋の行楽シーズン、貞昌院を訪ねてこられる団体の方も多くなっています。

今日は、雲の多い一日になりましたが、絶好の散歩日和でした。
この後、永谷川沿いに下流に進み、神明社~下永谷市民の森~日限地蔵まで進みます。

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都筑区のまち歩きの皆様が来寺されました。

秋晴れの好天に恵まれ、絶好の散歩日和です。
この後、永谷川沿いに下流に進み、神明社~下永谷市民の森まで進みます。

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午後は、仏教会役員会のため、横浜駅へ。
秋晴れの青空に鱗雲が広がっています。

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甚大な被害 台風19号 74人死亡 55河川で決壊 全容は不明


台風19号による豪雨で甚大な被害が出ています。今回の災害で亡くなった人は74人となり、堤防の決壊は、55河川の79か所に上っています。しかし被害の全容はまだ分かっていません。

・74人死亡 11人不明 224人けが
・堤防決壊は55河川79か所
・土砂災害 19都県で170件

(NHKオンライン 2019年10月16日配信)


台風19号による記録的大雨により、東日本を中心に広範囲の地域で浸水被害が発生しました。
被害の規模すらつかめていない地域もあり、生活再建やインフラの復旧には、相当の時間がかかることが懸念されます。
まずは、被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。

 

地球の温暖化・熱帯化によって、降雨の状況が変わってきました。
台風は大型化し、ゲリラ豪雨のように局所的に集中豪雨になることも頻発しています。

日本は降水量が多い国ですので、かねてから治水政策が行われてきましたが、抜本的かつ早急に総合治水計画を見直さないといけない時期にあるのだと感じます。

今日のブログ記事の要旨
(1)治水対策は、流域係数、排水路の能力、堤防、貯水(ピークカット)などが有機的に機能する必要があり、それらを総合的に整備しなければならない。
(2)完全に被害が発生しない治水対策はありえない。
(3)国や地方自治体の発行するハザードマップを参考にして、最大の被害を想定し備えることが大切。

 

 

さて、今回の台風について、一例として、試験貯水中の八ツ場ダム(群馬県長野原町・吾妻川/利根川流域)を見てみます。
治水政策のうちの一時貯水(ピークカット)の一部分を担う施設です。

八ッ場ダムの水位は、今回の台風19号によって、満水(標高583m)に達しました。
貯水試験はは9月1日から開始され、当初は3か月かかる満水に、台風19号の降雨により一気に満水に達したことになります。

その様子は、jitensya37様のYoutubeチャンネルで前後の状況が詳細に記録されています。

 

次の写真は、7年前、2014年に私がダム水没地域で撮ったものです。⇒ 八ッ場ダムの現況

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これらは、もう見ることができない光景です。 当初2015年度に完成予定でしたが、ダムを渡る橋脚が十字架に見えるということで、八ッ場ダムの象徴とされ、当時の政権のマニュフェストなどの影響により完成が遅れました。
移転対象となった470世帯の理解があって、下流地域の洪水被害が軽減されたことを忘れてはならないと思います。

 

この八ッ場ダムに貯水された水は、満水状態を約1日維持した後、1日当たり1m以下の水面低下になる水量で一部放水され、最低水位の標高536mmまで下げられます。

すなわち、このダムの果たした一番の役割は、降雨のピークカット(一時貯留)ということになります。
ダムは、満水になった後、まだダムの上流からの流入があるわけなので、流量を調節して下流に放流する必要があるのですが、下流域で浸水被害があり、まだ排水ができていない被害箇所もあるので、浸水被害箇所の排水も最大限に行いながらの放水が求められます。

 

八ッ場ダムのある、利根川流域は、群馬県利根郡みなかみ町の大水上山(標高1,831m)から、千葉県銚子に至る、幹川流路延長322km、流域面積16,840km2の一級河川です。
その流域は、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県及び東京都にまたがっており、日本の総人口の1割が生活しています。

利根川は、これまで主な水害として宝永元年(1704)、寛保2年(1742)、元明6年(1786)、享和2年(1802)、弘化3年(1846)、明治29年(1896)、明治43年(1910)、昭和22年、昭和24年、昭和34年洪水など、何度も甚大な被害が繰り返されてきました。

 

さて、話を全体に戻します。

河川の治水対策は
・流域の流出係数を抑える(流域森林の管理、降雨がそのまま流出することを防ぐ)
・ピークカットなどの貯留施設の整備(ダム、貯留地など)
・放水路の整備
・河川の護岸工事(堤防の整備)
・河川の能力の増強(河川幅の拡充、浚渫)

などを総合的に行っていく必要があります。

どれか一つだけでは、効果は期待できず、それぞれが相互が密に連携して作用する仕組みが必要です。
また、整備コスト、必要期間なども考慮する必要があり、例えば流域全体の護岸工事、拡幅工事を上流から下流まですべて行うことは非現実的な費用と期間がかかるため、短期的な計画と長期的な計画を念入りに立てなければなりません。

住民側の対策としては、国や地方公共団体から出されている浸水ハザードマップに留意し、浸水が想定される個所は、何十年に(あるいは何年に)一度は浸水が現実的に起こりうるという覚悟で備えをしておくことが大事です。

 

↓写真は、昭和50年代の永谷川(横浜市港南区上永谷・下永谷)の氾濫。
このような氾濫は毎年のように起こっていましたが、河川整備、遊水池の整備によって、氾濫することはほとんどなくなりました。
ただし、今後氾濫の心配が無いか、というと、そんなことは言えないでしょう。

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横浜市でも、洪水ハザードマップが公開されておりますので、定期的に閲覧することをお勧めします。

 

国や地方公共団体の施策に期待すると同時に、各自の心構えも大事だと痛感します。

暖かい日が続いています。
裏庭の天神山の河津桜が咲き始め、一気に見ごろを迎えています。
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河津桜は平戸永谷川沿いにも植えられています。
散策しながら一足早い桜を楽しんでみてはいかがでしょうか。

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「永谷ふるさと村」主催
ふるさと永谷昔を歩く まち歩きのグループが来寺されました。

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地域ケアプラザを出発点として、永谷川沿いに歩き貞昌院に到着。
本堂に上がっていただき、歴史的経緯や伽藍拝観を案内させていただきました。

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12月8日はお釈迦様が悟りを開かれた成道の日。

境内のイチョウは9割がた散りました。

秋深まる - Kameno's Digital Photo Log

久しぶりに週末好天に恵まれました。
陽がたっぷり射しこむ日中はとても暖かくなりました。
それでも朝夕は次第に気温が低くなっています。

境内のイチョウは例年よりも早く黄葉が進んでいるようです。

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秋の様相が深まってきました。

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山門前には永谷川せせらぎ公園があり、そこでアメンボが美しい波紋と影を川底に映しています。
独特の模様ですね。

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たくさんのメダカも気持ちよさそうに泳いていました。

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隣の天満宮には多くの七五三参詣客の姿が。
好天の秋の様相でした。

歩こう会 - Kameno's Digital Photo Log

地元の歩こう会の皆様が来寺されました。

野庭ショッピングセンターを起点に、永谷川を下り、永谷天満宮、貞昌院へ。

貞昌院では一時間ほど諸堂拝観とお話をさせていただきました。

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天気に恵まれ、絶好の日和となりました。

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【台風18号】横浜市港南区、鎌倉市などに避難勧告

台風18号の接近にともない、県内でも鎌倉市、厚木市、小田原市、湯河原町などの全域や横浜市港南区の一部で避難勧告が出された。
(神奈川新聞2014.10.06 06:39:00)


台風18号が本州を直撃し、各地で大きな被害をもたらしました。
近所でも、6日午前8時50分に平戸永谷川の水位が高くったことから、下永谷1丁目の508世帯に避難勧告が出ました。

各所より心配の電話をいただきましたが、貞昌院に被害はありませんでした。
ご心配ありがとうございます。

 

この日の朝、中区野毛の成田山横浜別院で崖崩れが発生し、修行僧が生き埋めになり亡くなってしまいました。
心より弔意を表します。
また次の台風が同じようなコースを辿っています。
厳重な警戒が必要です。

鎌倉市生涯学習センター講座「玉縄歴史の会」定例会研修会が開催されました。
今回は私がお話をさせていただきました。

テーマ「永野郷を通る古道の歴史」
日時 :平成26年3月2日 13:30 
会 場 :たまなわ学習センター分室

 

玉縄(たまなわ)とは、現在の大船駅から西の地区です。
明治時代初期のの市町村区域をご参照下さい。

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北:瀬谷、東:永野、西:俣野、南:西鎌倉・・を囲む赤い線が、「鎌倉郡」の区域です。

鎌倉エリアはこのようにとても広く、永野も玉縄も同じ永谷川柏尾川流域に育まれた同じ文化をもつ地域であります。
旧街道を介した交流も深く、そのあたりのお話をさせていただきました。

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内容は

1.歴史的変遷
2.鎌倉郡東縁を通る武相国境
3.奈良時代と平安時代の駅路
4.かまくら古道の変遷
5.鎌倉時代初期の街道と海岸線想定図
6.永野地区を通る古道の歴史的変遷
7.永野村がなぜ港南区に編入されたのか
8.永谷天満宮と貞昌院
9.戦時中の大船周辺
10.根岸線路線計画の変遷
11.港南区の主要な歴史年表

このような感じで構成させていただきました。

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地域の歴史を皆さん真剣に学ばれており、熱心な論議もあり、有意義な時間でした。
貴重な時間をありがとうございました。

今年2月から続いていた平戸永谷川の河川工事が完工に近づいてきました。
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写真左側が貞昌院です。
天満宮歩道橋を渡ると、河川の様子がよく見えます。

 

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今回行われた工事は、川の河床を固め、そこに砕石籠を並べ河道を確保するものです。
普段の流量はそれほど多くないのですが、近年のゲリラ豪雨などにより、一気に流量が増加します。
流域全体の整備が進められて、かつてのような洪水は少なくなりましたが、それでも河川整備は念入りに行ってほしいものです。

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(左)平戸方面
(右)吉原方面

平戸永谷川を挟んで貞昌院の向かいに上永谷郵便局があり、そので押してもらえる特別な消印「風景印」は、この川と時折やってくる白鷺のデザインとなっています。

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いま、この川の流域に蛍を呼び戻すことが検討されています。
ただ、このあたりの区間はコンクリート護岸であり、両側に幹線道路が走っているために蛍の成育は難しいでしょう。
可能性があるとすれば、馬洗川上流か、中永谷の近辺だと思います。



彼岸に入り、ようやく気温がぐっと下がった感があります。
境内に飛び交うアゲハたちも、元気に飛び回っています。

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らしを ぶんたちで くにする という永野地区地域福祉保健計画のキャッチフレーズをテーマに今年6月に開催された永野地区全体会議で、かつて永野十景に選ばれていた「中里の流蛍」を復活させるにはどうしたら良いのか。

役員の代表のみなさんが貞昌院に集まって、検討を行いました。

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ゲンジボタルの生育環境についての学習や、港南区近辺でホタルの飛翔が見られる場所のピックアップ、問題点の洗い出しなどを話し合いました。

その後、貞昌院の自然湧水を見学したり

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その後、平戸永谷川・馬洗川流域にみられる生物などを調査。
自然開発が進行していると思われがちな平戸永谷川・馬洗川流域ですが、まだまだたくましく生き延びている生物がたくさんいます。

その一例がニホンザリガニ。
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(乱獲を避けるために、生息場所はここでは明らかにしないことをご容赦ください)

ニホンザリガニは、5~6センチ程度にしか成長しません。
枯葉などを食べていますので、水の綺麗な泥の堆積した環境でなければ棲息できません。
また、一回り大きなアメリカザリガニが混入すると、一気に絶滅してしまいます。
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かつて見られたゲンジボタルの復活もそうですが、絶滅の危機に瀕している生物たちの生育環境を保護し、次世代に伝えていくことも大切です。
静かに見守って行きたいものです。

関東地方で今年はじめて真夏日となった日、気象庁は梅雨入りを発表しました。
気温が上がり、湿度が高くなるとホタルにとってはこの上ない条件となります。

定点観測で訪れている千葉県勝浦市では、例年よりやや遅れてゲンジボタルが飛びはじめました。
日没後、周囲が闇に包まれ始めると、一つ、また一つと光が増えていきます。

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そして、川に沿って光跡が幾筋も流れていきます。

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まだまだ数は少ないですが、ピーク時には これくらい出現(かつて私が見た中で最高出現数)します。

地元の方が土手の草を刈ったり、川をきれいに清掃したり、夜間の照明をできるだけ少なくするという努力により、ホタルは増え続けました。
このように自然の状態で乱舞が見られるということはとても貴重なことだと思います。

なぜ、定点観測に出向いているかというと、地元、平戸永谷川にゲンジボタルを呼び戻そうという運動に協力を依頼されているからです。
上永谷もかつてはこのようにホタルがたくさん見られました。 
 永野十景 にもうたわれていたホタルの復活に向けて、生態の学びをすすめています。
一番のネックは、夜の明るさです。
ホタルにとって、暗い夜は必要不可欠な条件なのです。


この場所以外でも、ホタルの飛翔が見られる場所はたくさんあります。
↓関連ブログ記事にその一部をまとめました。


■関連ブログ記事

蛍・乱舞・ランデブー
日本一早いゲンジボタルの飛翔
瀬上の森・ゲンジボタルの危機
ゲンジボタルの乱舞・川成リホタル
朝日新聞に掲載されました
ゲンジボタル飛び始めました
ホタル発光のしくみ解明
ゲンジボタルが最盛期
今年もホタルの季節になりました
読売報道写真大賞の賞品が届きました

でいだらぼっち 野庭(のば)
 
現在は、団地や家が建ちならび、昔のおもかげはありませんが、天谷大橋のふきんは、四、五十年前までは、田んぼや畑でした。
ふつう田んぼは、川を中心にして、一面に続くのですが、野庭の田んぼは、ところどころに、ポツンポツンとあったので、めずらしい「飛び田」と呼ばれていました。どうして、こんな飛び田ができたのかというと。

むかし、むかし、まだ、でいだらぼっちという人のいたころのこと。
ある時、このでいだらぼっちが野庭へ遊びに来たんだと。
でいだらぼっちは、力持ちの大きな男なんだが、とても気持ちのやさしい男でのー。村の家々をふまないようにと、つま先で立って歩いていたんだと。
馬洗川の近くまで来た時のことだ。川で水を飲んでいた馬が、でいだらぼっちに驚いてとつぜんあばれだしたものだから、静かに静かに歩いていたでいだらぼっちも驚いた。
思わずつま先立ちの指に力がはいって、土の中に指がめり込んだんだと。そのくぼんだ所に、水がたまつてできたのが「飛び田」なんだと。
まだまだ話のつづきがあるんだ。でいだらぼっちに驚いた馬というのは、北条政子という信心深い人が、鎌倉から、弘明寺観音へ、馬に乗っておまいりに通われたそうだが、その時の馬でのー。ちょうど天谷あたりの川原で馬に水を飲ませるために、一休みなさっていたんだと。
この人はエライ人でのー、「尼将軍」と呼ばれた人だけれどね。

でいだらぼっちは驚いて飛び田を作ってしまったけど、たまげた馬は、かわいそうに、川におっこって、ついでに顔を洗ったのでこの川は、「馬洗川」と呼ばれるようになってね、「馬洗橋」の前の山を"糞山"というんだ。
それで、後の人たちが、いつとはなく、田んぼに出て仕事をしながら、こんな唄をうたうようになったんだと。
 

馬洗川と天谷大橋(てんやおおはし)

  野庭はよいとこ 雨あがり
  美人はいないか
  ぬき足 さし足
  尼さんの馬に追われて
  でいだらぼっちが
  "ふん"をした


メールで問合せいただいた内容を元に、今日のブログを記載しています。

冒頭のお話は、永谷に伝わる民話です。

この中のいくつかを航空写真から検証してみましょう。

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写真は 1949/02/28 に米軍により撮影された空中写真です。
国土変遷アーカイブより引用しました。
このうち、永谷川上流部の田んぼと思われる部分(畑と思われる部分を除く)をざっと赤く着色しています。
(もう少し丁寧に塗れば良いと思うのですが、雰囲気だけでも)

川沿いに広がる田んぼ、そのうち民話にあるようにぽつぽつと飛んでいるように見える田んぼもあります。これが飛び田なのでしょう。
昔の人は、この飛び田を、つまさき立ちで歩いた でいだらぼっちの足跡と考え、馬洗橋の右下にある(もしくは左下にあった丸山のことか?)こんもりした山を、でいだらぼっちの「糞」と考えました。
なお、天谷大橋は写真中段やや左よりの位置にある谷に掛かる橋です。

面白い発想ですね。

この巨人伝説は、ほかにも関東近郊に広く見られるようです。
でいだらぼっちとは、神奈川県を中心に、関東近郊の富士山を望む地域に広く伝えられている巨人伝説で、イメージ的にはこのようなものなのでしょう。

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勝川春章・勝川春英画『怪談百鬼図会』より「大入道」

 

Wikiペディア ダイダラボッチ 項には、でいだらぼっち(だいだらぼっち)の残した「跡」についての様々な事例が纏めらられています。

■山を作る・運ぶ
・富士山を作るため、甲州の土をとって土盛りした。そのため甲州は盆地になった。
・上州の榛名富士を土盛りして作った。掘った後は榛名湖となった。榛名富士が富士山より低いのは、もう少し土を運ぼうとしたが夜が明け、途中でやめたためである。
・浅間山が、自分より背の高い妹の富士山に嫉妬し、土を自分にわけろといった。富士山は了解し、だいだらぼっちが自分の前掛けで土を運んだ。しかし浅間山は土の量が足りないと怒り、彼を叩いた。その際にこぼれた土が前掛山となった。怒りだした浅間山はついに噴火してしまった。
・ 西の富士、東の筑波と呼ばれる関東の名山の重さを量ろうとし天秤棒に2つの山を結わえつけ持ち上げると、筑波山のほうは持ち上がったが富士山は持ち上がらない。そのうちに結わえていたつるが切れ、筑波山が地上に落ちてしまった。その衝撃でもともと1つの峰だった筑波山は、2峰になってしまったという。
■足あと・手のあとを残す 
・上州の赤城山に腰掛けて踏ん張ったときに窪んで出来た足跡が水たまりになった。木部の赤沼がそれである。
・長野県大町市北部の青木湖、中綱湖、木崎湖の仁科三湖はダイダラボッチの足あとである。
・茨城県水戸市中央部の千波湖は、かなり大きいがダイダラボッチ(この地方ではダイダラボウ)の足跡である。
・遠州の山奥に住んでいた巨人ダイダラボッチが、子供たちを手にのせて歩いている時に、腰くらいの高さの山をまたいだ拍子に子供たちを手から投げ出してしまった。びっくりした子供たちとダイダラボッチは泣き出してしまい、手をついてできた窪みに涙が流れ込んで浜名湖となった。
・現在、東京都世田谷区にある地名「代田」(だいた)やさいたま市の「太田窪」(だいたくぼ)はダイタラボッチの足跡である。
・静岡市のだいらぼう山頂には全長150mほどの窪みがあるが、ダイダラボッチが左足を置いた跡と伝えられている。琵琶湖から富士山へ土を運ぶ途中に遺したものであるという。
・相模原市の伝説ではデイラボッチと呼ばれ、富士山を持ち上げ違う場所に運ぶ途中、疲れたので、富士山に乗っかり休んだところそこにまた根が生えてしまいもちあげようとするが、持ち上がらずそのときふんばった所が今の鹿沼公園であるという。
・小便をしようと飯野山(香川県中部)に足をかけた際に山頂付近に足跡が付いた(現在もその跡であるという伝説の足跡が残っているが非常に小さい)。なお、その小便の際に出来たのが大束川といわれる。
・愛知県東海市の南側に加木屋町陀々法師(だだほうし)という地名があり、ダイダラボッチが歩いて移動する際に出来た足跡が池になったとして伝説が残っている。名古屋鉄道八幡新田駅西側にあったが2000年(平成12年)頃に埋め立てられて現在はその形跡はない。
■休む・洗う・食べる 
・榛名山に腰掛けて、利根川で脛を洗った(ふんどしを洗ったという説もある)。
・羽黒山 (栃木県)には人間がまだ誕生しない大昔、でいだらぼっちが羽黒山に腰掛けて鬼怒川で足を洗ったという言い伝えがある。
・長野県塩尻市の高ボッチ高原はダイダラボッチが腰を下ろして一休みした場所であるという。
・「常陸国風土記」によると、茨城県水戸市東部にある大串貝塚は、ダイダラボッチが貝を食べて、その貝殻を捨てた場所だと言われている。その言い伝えから、近くにダイダラボッチの巨大な石造が創られている。
■人間を助ける
・ 秋田県の横手盆地が湖であったので干拓事業を行った際、だいだらぼっちが現れて水をかき、泥を掬ったため工事がはかどった。このだいだらぼっちは秋田市の太平山三吉神社の化身と考えられる。

日本のいたるところで親しまれている巨人なのですね。

【起動 大震災から3カ月】(上)100日目の供養 「区切り」前へ進むため

遺体安置所となった屋内ゲートボール場で、宮城県気仙沼市の元会社員、熊谷勝彦さん(67)は掲示を目で追っていた。東日本大震災から3カ月を迎えた今も毎日、行方の知れぬ妻を捜して安置所へ通う。妻の知子さん(65)は海沿いの実家へ帰っていて大津波にのまれた。編み物や、花を育てることが好きだった。庭には菊が10鉢ほど残されている。
「ここへ来ても無駄のようだけど、自分が確認せねばと思い、来てしまう」 
市内の死者は973人、行方不明者は477人。気仙沼署によると、新たに見つかる遺体は1日1、2体にまで減った。警察署も被災し、笹原隆二副署長はプレハブの仮庁舎で「3カ月ですよ。見つかっても白骨化している」と話した。 
11日からは、不明者の家族へ遺族年金や労災保険の遺族補償が支給される。5月に成立した特別財政援助・助成法により、家族から申請があれば、不明者を11日をもって死亡したとみなす「3カ月推定」が適用されるためだ。市町村は3カ月で不明者を死亡とみなし家族へ災害弔慰金を支給する。 
熊谷さんは、白い野の花が咲く安置所で訴えた。 
「親類もよかれと思って葬式の話をしてくる。世間的にはどこかで線引きしないといけないのも分かる。でも3カ月でと言われても心は区切れない。さみしさ、苦しさは途切れない」 

■三陸津波の犠牲者も 
震災による死者と不明者の周りには何倍もの家族がいる。友人、知人がいる。
気仙沼市北端の半島部、リアス式海岸の入り江にある浜の集落で家を流され、避難所で暮らす鮮魚移動販売業、佐々木政春さん(64)は「知人の携帯へ電話をかけるのが怖い。本人が生きていて電話に出ても、奥さんや子供が亡くなったり、行方不明だったりしたら、『よかったね』とは言えない。まず共通の知人へ安否を確かめてから本人へかけるようになった」と話す。
3カ月が経過したからといって、気持ちの整理がつくわけではない。悲しみや不安が押し寄せ、心を激しく揺さぶる。ただ、そうした中でも「区切り」を意識しはじめた人々はいる。
半島部では今月19日、中心部にある寺で「御施餓鬼(おせがき)」と呼ばれる法要が行われる。震災から百か日の節目として営まれるという。
御施餓鬼は、この地方では、漁船の海難事故で死んだり、行方不明になったりした漁師らを供養する儀礼だ。浜に祭壇を組むことが習いだが、今回は人数が多く、寺で合同で行うことになった。「平成23年3月11日精霊」をはじめ明治29年と昭和8年の三陸津波の犠牲者らも併せて供養する。
なぜ百か日なのか。高台の避難所で、浜の古老たちは口々に言った。
「海の者は昔からそうやってきた。3カ月もたつと見つからないし、見つかっても確認できない。だから百か日をめどにする。前に進もうとするためには何らかの区切りが必要になる。ご家族には申し訳ねえが、それであきらめてもらう」

■もう泣いた顔見せない
合同法要に先立つ11日、避難所で百か日供養を営み、集落として不明者を「故人」とする浜もある。
浜では16人が津波に流され、9人が遺体で見つかった。集会所で避難生活を送る主婦、村上あや子さん(69)は震災1カ月の4月11日、長机を2つ合わせて白いシートをかぶせた仮の祭壇をこしらえ、菊の花や果物、だんご、茶菓子などを供えた。この2カ月、毎朝6時に祭壇を海を見下ろす場所へ移し、お経を上げて死者を供養した。鐘を鳴らして不明者の名を唱えた。鐘の音に不明者が呼び寄せられるのだという。
「早く上がってください。早く上がってください…」
いまだ行方不明の7人の中に、中学2年と小学6年の子供を残した玉川恵さん(38)がいる。誰にでも優しく、責任感の強い女性だったという。
恵さんと親しかった主婦、鈴木富美さん(37)は「ご家族はあきらめきれないと思うし、私もあきらめられない。思いだすとつらい」と話し、エプロンのすそを握りしめて、こう続けた。
「でも、それではいつまでも前に進めない。恵さんの子供たちにも、私たちが泣いている顔をいつまでも見せられない。区切りをつけることは決して、恵さんを忘れることではない」
(産経新聞 6月11日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110611-00000121-san-soci


本日、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)発生から100日目を迎えます。
改めて犠牲となられた方々に弔意を表します。
法律は無情ですね。「3カ月推定」や「3カ月相続放棄の申述」など、淡々と事務手続きが行われていきます。

 

以前、ブログ記事 年回法要にまつわるお話 で書いたように、年回法要のうち、100日目に営まれる法要のことを卒哭忌(そっこくき)とも言います。
文字通り、哭(な)くことを卒(お)さめる忌日の意味があります。
東日本大震災では、未だに8000人を超える生死不明の方々がいらっしゃいます。
そして、震災でお亡くなりになられた方々、不明者の周囲には、その何倍もの家族、親類、知人・・・がいらっしゃいます。
被害の甚大さを鑑みるに、卒哭の意を素直に受けることができない方もまだ多いことと存じます。
被災地から離れた場所にいる者としては、ただただ震災で犠牲となられた方々に弔意を表し一日も早い復興を願いたいと思います。

 

横浜市南区のS寺に有志僧侶が集まり東日本大震災物故者卒哭忌法要を営みました。

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追記:貞昌院の前を通る永谷川の護岸も、東日本大震災により崩れてしまい、現在も修復工事が続けられています。
幅広い範囲で大きな被害が出でいることを実感します。

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明日(6月19日夕刻)には、大船観音寺においてキャンドルナイトを開催します。
この場でも静かに祈りたいと思います。

第2回 安全安心まちづくり講座が開催されました。

今日の記事はこちらを併せてご参照ください


第2回 安全安心まちづくり講座
テーマ「永谷川に育まれた永野の街を歩く」
日時 平成23年1月23日(日)午後1時講義開始 2時出発
【コース】丸山台第一自治会館~永谷川上流~馬洗橋~丸山台遊水地~天満宮~貞昌院~上永谷緑地公園~神明社~般若寺~平戸永谷川遊水地(ゴール)

ナビゲーター 亀野哲也/山路清貴

主催「さわやか港南」 後援 横浜市 協力 永野連合町内会

今回は、永谷川を上流から下流に向かい川沿いに歩いていきます。
永谷川に育まれた歴史史跡をたずね、また、水害にどのように対応してきたのかを河川改修の歴史を実地見学しながら学びました。

出発前に山路先生のオリエンテーション、私から永谷川と地域の関わりの歴史と今回ルートのポイントをお話しさせていただました。

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今回歩いたコースはこちらです。
(クリックするとルート地図をみることができます)

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川を上流から下流に歩くコースのために、標高が徐々に低くなっていることが判ります。
途中3.5キロ付近の起伏は神明社参拝の部分です。
約5キロ弱のコースを2時間強かけてゆっくり歩きました。

主なポイントをいくつか。
出発地点の丸山台第一自治会館は昭和50年代、丸山台の開発により出来た住宅地に出来ました。
丸山台の名前の由来はかつて「丸山」がここにあったことを示しています。
丸山を削った部分、谷戸を埋めた部分が何処なのかを歩きながら実感しました。
鎌倉時代の「かまくら道」を通り、永谷川へ。
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左のコンクリート護岸の上にはは地下鉄車両基地があります。
永谷川の源流はここより数キロ先、上野庭にありますが、今日はここから永谷川を下って生きます。
護岸がコンクリートで固められているのが残念ですね。
北条政子が馬を洗ったという伝説がある馬洗橋を渡り、かつての永谷川の跡を歩きます。

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現在は環状2号線の真ん中にある永谷川は、かつてはここにありました。
ここはザリガニがよく釣れたポイントです。
永谷天満宮・貞昌院から柳橋にかけては、川が埋め立てられた所に湧水が導かれ、せせらぎ公園となりました。
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このあたりは川が直角に曲がる所が何箇所かあり、高度経済成長期、住宅開発が行われてまだ河川整備が追いついていない時期には毎年のように川が氾濫していました。
戦前はウナギが捕れたり、小学校にプールが無かった時代には、川がプールとして活用されていました。

コースの何箇所かに石仏が祀られています。
古くから地域の道案内となり、集落を護ってきた石仏たちです。
それぞれの由緒縁起を説明させていただきました。
お供え物や涎掛けが新調されていることから、地元の方により大切に護られていることがわかります。
護り護られの関係があるのです。

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柳橋から先は遊歩道がきちんと整備されています。
ここまで来るとかなり川幅も広くなり、水辺に降りることができる階段も設置されています。

様々な鳥たち、カワセミを見ることもできました(右写真中央)。

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水辺は地域の方により定期的に清掃が行われています。
カワセミはほぼ一年中見ることができます。

ゴール地点の平戸永谷川遊水地。
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このあたりから下流はまだ浸水被害があります。
5年前にできたこの遊水地には、川の水位が高くなると自然に水が流れ込んでいく仕組みになっています。
川の流量調節のために、この遊水地はとても大きな役割を果たしています。

 

 

柏尾川・境川の流域は、かつての鎌倉郡の区域とほぼ一致します。
川と地域は切っても切れない密接な関係があります。

豊かな文化や美しい光景を生み出す川も、時には自然災害の源となります。
安全安心のまちづくりのためには川の歴史を知ることも重要です。
きます。

今回歩いた歩数は約一万歩。
みなさまお疲れ様でした。

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特別参加のケンケン君もお疲れ様!
四足だし歩幅も短いから五万歩くらいかな。

 

 

今回歩いたコース
距離4.9km( 上り:600m / 下り:1.6km )
最大標高差40m
平均斜度全体:-0.7% 上り:3.3%下り:3.3%

第3回 安全安心まちづくり講座は、山路清貴先生ナビゲートによるワークショップとなります。

第3回 平成23年2月27日(日)午前
「まちを知ることにより防災力を高める」<ワークショップ>
会場 丸山台第一自治会館 ナビゲーター 山路清貴

第4回 平成23年3月13日(日)午前
「地震から実を守る術をまなぶ」<体験学習>
会場 丸山台第一自治会館 ナビゲーター 佐藤栄一

■第2回 安全安心まちづくり講座 を日曜日に開催します。

第2回 安全安心まちづくり講座

日時 平成23年1月23日(日)午後1時受付開始 2時出発予定
【コース】永谷川上流~馬洗橋~丸山台遊水地~天満宮~貞昌院~上永谷緑地公園~神明社~般若寺~平戸永谷川遊水地(ゴール)

集合場所 丸山台第一自治会館

ナビゲーター 亀野哲也
テーマ「永谷川に育まれた永野の街を歩く」

主催「さわやか港南」
後援 横浜市
協力 永野連合町内会

今回は、2時間ほどのまち歩きです。丸山台自治会館を出発して、永谷川を上流から下流に向かい川沿いに歩いていきます。
永谷川に育まれた歴史史跡をたずね、また、水害にどのように対応してきたのかを河川改修設備を実地見学しながら学びます。
関心のあるかたでしたら、どなたでも参加歓迎します。
集合場所にお越しください。

 
第1回講座(座学)の様子はこちら


【安全安心まちづくり講座開催主旨】
日ごろの活動の中で高齢者、一人暮らし、通院中の方、障害をお持ちの方など)に対する災害時の対応を研究しておくことは重要です。災害時に何が必要でどのような活動となるかを考える際には、まず活動者自身とその家族が災害の被害者にならないことが大切です。それにはどのような準備が必要なのかを日ごろから学んでおかなければなりません。こうした主旨から、連合町内会との連携により「安全安心まちづくり講座2010」を開催いたします。

 

これまで、当ブログで触れてきたとおり、港南区は武相国境(大岡川と永谷川の分水嶺)で旧武蔵国と旧相模国の地区より成り立っています。
港南区のうち、西側の相模国の地区は、かつての永谷村です。
下の流域図(神奈川県土木部の浸水ハザードマップを元に作成)の柏尾川に続く太い青い線が永谷川です。
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なお、柏尾川・境川の流域は、かつての鎌倉郡の区域とほぼ一致します。

永谷川の流域をさらに詳細に見ていきます。

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図中、黄色い線は柏尾川境川流域の東側の境界線(分水嶺)です。
かつての武相国境線と一致していることがわかります。

青く着色したエリアが柏尾川の上流、永谷川の流域の範囲です。
赤く着色したエリアは港南区の西半分・かつての相模国の範囲(永谷村の範囲)です。
重なっている部分は紫色となっています。

このように見ると永谷村は永谷川と密接な関係があることが判ります。


ブログ記事 永野十景いまむかし でご紹介した地域を代表する光景も、永谷川により作り出されたものが殆どです。

このあたりは、当ブログにおける永谷川の記事を併せてご参照ください。

 

豊かな文化や美しい光景を生み出す川も、時には自然災害の源となります。

特に、市街化の進展に伴い、流域の保水・遊水機能が著しく低下し、局所的な集中豪雨が増える中でかつては想定しえない浸水が発生します。

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この写真は1982(昭和57)年9月12日に永谷川中流で発生した水害です。
昭和50年代から永谷川上流の丸山台開発が進められたことにより発生した典型的な都市型水害です。

上永谷駅の開業は昭和51年、これに前後して丸山の山々が造成され降雨はそのまま流出するようになり、丸山台の各所に遊水地が造られたものの、このような出水は毎年のように起こっていた記憶があります。
この後、環状2号線が整備され、永谷川は道路上下線の真中に拡張移設されたため、このような洪水ほとんど起こらなくなりました。

今回のまち歩きの終点は平戸永谷川遊水地です。

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このような遊水地も水害の発生を抑える重要な働きをしています。

第2回 安全安心まちづくり講座 では、このように永谷川を基軸としてまち歩きを通して楽しみながら実地研修できる講座にしたいと考えています。

昭和初期に、永野村を代表する10の景観、永野十景がまとめられました。
その10の景観が現在はどうなっているのかを私がこれまで撮影してきた写真で振り返ってみます。

電子国土基盤地図、数値地図5mメッシュデータを元に、カシミール3Dを使って鳥瞰図を作成してみました。
ほぼ真西方向を向いていますので、富士山が正面に見えます。


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図の中に(1)から(10)までの赤数字を入れております。
これが、昭和初期の永野十景です。

(1)社頭の暁雪
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2008年に初春に撮影した写真です。夜中降り続いた雪により早朝天神社一面真っ白となりました。

(2)菅公筆塚
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筆塚は横浜市営地下鉄敷設工事により、当時あった位置から北に移設されました。

(3)貞昌院の晩鐘
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昭和初期には住宅やマンションも少なかったので永野地区一帯に響き渡っていたのでしょう。


(4)丸山の鶯
20100704-03
丸山は丸山台住宅地となっています。鶯の棲息地も限られた場所に追いやられつつあります。
今年春に貞昌院裏山で撮影した鶯です。


(5)馬洗川の清流
20100704-08 
永谷川・馬洗川は、地域の方の清掃活動により一時期見られなくなっていたカワセミが帰ってきました。
今年永谷川で撮影したカワセミです。


(6)島越の夕照
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島越は武相国境稜線の西側に位置するため、夕照に美しく照らし出されます。


(7)十国見の眺望
20100704-05 
美晴台からは西方向が開けているために富士山や丹沢山系がよく見渡せます。
少し残念なことは電線によって景観が損なわれているということです。


(8)柳橋の秋月
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柳橋の辺りには蓮池があって、そこに舟を浮かべて観月会が行われていました。
優雅なものです。
現在、蓮池はありませんが月の美しさは何ら変わりありません。


(9)中里の流蛍
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永谷川にはかつて蛍が飛び交っていました。
現在では残念ながら蛍はいなくなってしまいました。
写真は千葉県で撮影した川成蛍です。きっとこのような光景が見られたのでしょう。

(10)水田の落雁
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水田の地名のごとく、当時は県道平戸永谷線(現在の環状2号線)に沿って水田が広がっていましたので、水田と落雁の光景が象徴的だったのでしょう。
写真は舞岡公園の水田です。かつての谷戸の光景が保存されています。(写真は雁ではなく鴨)

 

このように、当時の状況が何ら変わらずに伝わっているものもありますし、現在では失われてしまっているものもあります。

今、区役所の皆様、社会福祉協議会の皆様、地区の皆様と、永野地区福祉保健計画を策定しています。
冒頭の鳥瞰図中、ピンクに着色した部分が永野地区のエリア(永野村のエリアではありません)です。
福祉保健計画策定にあたり、かつての景観や歴史的な経緯がとても参考になります。

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