修證義(シュショウギ)
第二章(懺悔滅罪)
仏祖憐(アワレ)みの余り広大の慈門(ジモン)を開き置けり、 是れ一切衆生(シュジョウ)を証入(ショウニュウ)せしめんが為なり、
人天(ニンテン)誰(タレ)か入らざらん、 彼(カ)の三時の悪業報(ゴッポウ)必ず感ずべしと雖(イエド)も、 懺悔(サンゲ)するが如きは重きを転じて軽受せしむ、 又滅罪清浄(メツザイショウジョウ)ならしむるなり。
然(シカ)あれば、誠心(ジョウシン)を専らにして前仏(ゼンブツ)に懺悔すべし 恁麼(インモ)するとき前仏懺悔の功徳力(クドクリキ)我を拯(スク)いて清浄ならしむ、 此(コノ)功徳能(ヨ)く無礙(ムゲ)の浄信(ジョウシン)精進を生長(ショウチョウ)せしむるなり。
浄信一現(イチゲン)するとき、自佗(ジタ)同じく転ぜられるなり、 其(ソノ)利益(リヤク)普(アマネ)く情非情に蒙(ゴウ)ぶらしむ。
其(ソノ)大旨(ダイシ)は、願わくは我れ設(タト)い過去の悪業(アクゴウ)多く重なりて障道の因縁ありとも、
仏道に因りて得道(トクドウ)せりし諸仏諸祖我を愍(アワレ)みて 業累を解脱せしめ、学道障(サワ)り無からしめ、
其(ソノ)功徳法門普(アマネ)く無尽法界(ムジンホッカイ)に充満弥綸(ミリン)せらん、
哀みを我に分布すべし、 仏祖の往昔(オウシャク)は吾等(ワレラ)なり、 吾等が当来は仏祖ならん。
我昔所造諸悪業(ガシャクショゾウショアクゴウ) 皆由無始貪瞋癡(カイユウムシトンジンチ) 従身口意之所生(ジュウシンクイシシュショウ) 一切我今皆懺悔(イッサイガコンカイサンゲ)
是(カク)の如く懺悔すれば必ず仏祖の冥助(ミョウジョ)あるなり、 心念身儀(シンネンシンギ)発露(ホツロ)白仏(ビャクブツ)すべし
発露の力罪根(ザイコン)をして 銷殞(ショウイン)せしむるなり。
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