No.27

光陰は矢よりも迅かなり
身命は露よりも脆し

 新しい年を迎え、多くの方が今年の目標を立てたり、何らかの抱負を思い描いていることでしょう。今、私が一番心に留めているのは、『修証義』の中にある、冒頭の一句です。
 「光陰矢の如し」或いは「時は金なり」という言葉は、どなたでもご存知のことと思います。
 実は、この部分は、『修証義』の原典である『正法眼藏』では、「正師に出会うこ」との困難さを述べる中で、早く正師に参じなければならない」と示されています。また、『修証義』では、「日々の行持(仏道修行)をなおざりにしてはならない」というように道徳的な解釈となっています。
 確かに、その意味において、この言葉は決して目新しいものではなく、むしろ年頭の目標としてはありふれたものと言えるかもしれません。
 ところで、こうした「時間を大切に」といった言葉が生まれた背景には、やはり私たちの命には限りがある、ということによっていると思われます。 生まれてきたものは、誰でもいつかは死んでいかなければなりません。また、過ぎ去った「時」ももとへは戻りません。しかし、そうであるからこそ、今ある命を喜びとし、大切にしたいものなのです。
 はかなさを悲しむのではなく、(いずれなくなるものであるからこそ)今あることを喜びとしたいものです。
 何もかもが輝いて見える、幼い頃の新年の想い出、そのように感じた瞬間がありました。それは「除夜の鐘」をつき終えて新年を迎え、外から建物の中へ戻ったときでした。
 部屋の中の一つ一つのものが輝いて感じられ、新年を迎えた喜びを表しているかのようでした。
 しかし、次第にそのように感じられることはなくなってしまい、今では輝いていた、という「思い」だけが残っているばかリです。
 また、素直な心を取り戻し、今あることを感謝して新年を迎えたいものです。


解説
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