No.43

道をこのむものは 易き行に志すことなかれ

学道用心集

人は難しい事、苦しい事に直面した時、簡単な方法で楽に解決しようとすることがあります。又、逃げる事ができれば知らないふりをしてしまおうとする事もありましょう。しかしながら、誰もが他人に代わって生きる事はできませんし、他人に代わって死ぬ事もできません。あらゆる自身の行為はすべて自身に帰るという事…、つまり、自分の事は人に代わってもらえないという事に気がつけば、自ら進むべき道を極めることに真剣にならざるを得ません。

ところが、この難行苦行も辞さずという態度が、現代の私達になくなってきているように思えます。

子供の頃に読んだ童話に「三匹のこぶた」があります。一番目のこぶたはワラの家、二番目のこぶたは木の家、そして三番目のこぶたはレンガの家を建てました。三番目のこぶたが苦労して時間をかけて作ったレンガの家は、形として残っている堅固な物体です。そして、出来上がった物は他人に貸したり、与える事が出来ます。しかし、もっと大切なものは、形に残っていないもの、それは苦行難行して体得した気持です。他人に言葉で説明しただけでは分からない自分だけに身についた素晴らしい財産であるといえるのです。

冒頭の句の「道」というのは仏道のことです。仏道とは、己が生まれ生かされていることの真実の意味にめざめ、これを実現しようと生きることです。その実現のためには、簡単な方法を選ぶような修行の仕方では到底実現できないことをこの句で示しているのです。それでは、簡単な修行方法では、究極の到達点には達せないというのであれば、豊富な知識と能力が必要なのでしょうか。そうではないのです。真剣に真実の意義を求める志そのものが問われているのです。 仏教では、人は誰でも仏の道を歩む力を本来そなえた存在であるとしております。そして、自分自身が生まれ、そして生かされている真実の意味を実現しようと、自ら努力し実践し始めた時こそ、すべての人の生活はやすらぎの気持の中で充実したものとなると教えているのです。


解説
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