No.32

心とは山河大地なり、日月星辰なり 
『正法眼蔵』「即心是仏」

 この句の「山河大地、日月星辰」は、身の回りから宇宙全体にいたるまで、存在するすべてのものを意味します。つまり、小さな虫やとなりのポチ、大自然の山や川、宇宙に散らばる無数の星たちまで全部ということです。 それらが心であるということですから、わたしたち一人ひとりの心は大宇宙いっぱいの存在であるという訳です。
 また、『華厳経』というお経の中に「三千大世界ほどの(想像もつかないくらい広大な広さの)布が、極小なる一原子の粒子のなかに収められてしまう。そして、一原子の粒子と同じすべての極小なる粒子には、残らずそれと同様の大布が一枚ずつ入っているのだ」という一節があります。
 この大宇宙に存在するものは、すべてが有機的に関連しあって存在しています。その中の一つでも欠けるとその調和は乱れてしまいます。大宇宙のような巨大なものと原子のような微粒子も、同じように互いに関わりあい、つながって存在しているのです。
 私たちの心も、そんな宇宙の広大な広がりと密接に繋がっていると言うことができるのではないでしょうか。つまり、「心」は大宇宙のように外に向かって広大でありながら、「わたし」自身もまた、心の宇宙で満たされているのですから。

  まづもろともに かがやく宇宙の微塵となりて 無方の空にちらばらう
(宮澤賢治)

 私たちの毎日は決して心楽しいことばかりではありません。むしろ嫌なこと、思い通りにならないこと、悲しい出来事のほうが多いかも知れません。
 そのようなとき、それらを避けず、とらわれず、真の正しい道を見つめていくこと、平常心を保ち、全身で事実を受け止め、そして、困難を乗り越えて行く勇気と希望を持つことが大切だと、表題の句は教えています。
 大自然のように豊かで広大な心、そして「わたし」という大宇宙によって全てのことがらを全身で受け止め、我が物にするとき、「心」という大宇宙と「山河大地、日月星辰」の大宇宙とが融合して、大いなる生きる力が無限に広がり沸いてくるのではないでしょうか。


解説
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