カテゴリー:コラム

東京圏の広がりをGoogleマップで

外国の各都市と比べて、日本の都市形成の大きな特徴は、住宅地が平面的・連続的にずっと広がっているということでしょう。
都市の中心部から郊外に向かう列車に乗ると、車窓には延々とビルや住宅地の光景が続きます。
その最たるものが、東京を中心とした「東京圏」の広がりです。


実際に、その連続性をGoogleマップで検証した地図があります。
市街地の集約性を表す言葉として「人口集中地区(DID:Density Inhabited District)」というものがありますが、建物の連続性に着目してマッピングしているところが面白いです。
その地図がこちら。

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東京は街が途切れないというが、実際どこまで続いているのだろうか。それを確かめるためGoogleマップをなぞったら一年かかった。一周3599km。誰でも閲覧できます。(作成者げんたろうさん @xxgentaroxx)

 

建物が判別できるスケールまで確認しながらその境界を辿っていくと、いろいろな発見があります。

鎌倉幕府のエリアは、周囲を山に囲まれた、自然地形を利用した要塞都市として造られたということも明確にわかりますし、熊谷が「東京圏」に繋がっている様子も興味深いですね。
貞昌院もしっかりと「東京圏」に入っていますが、それは昭和40年代の大規模住宅開発があったことによるものです。

時代によって都市圏がどのように変遷してきたのかを詳細に辿るのも面白いですね。

さて、問題は今後です。
現在の「東京圏」エリアに住む人口はおおむね三千万人強(この規模は世界一)となっていますが、今後は少子高齢化の影響で人口は確実に減少していきます。
となると、都市を維持している人口密度分布も低密度化の方向に進んでいくでしょう。

これだけ広い「東京圏」ですが、人口分布が不均衡になり、やがては斑状に欠損部が拡大していくことでしょう。

巨大な都市圏をどのように維持していくか。
その具体的な対策が求められます。

投稿者: kameno 日時: 10:13 AM | | コメント (0)

日本人が消えたサイパン・グアム

サイパンとグアム、日本人が消えた楽園の今

「日本人客のいないサイパンなんて考えられない。今後も継続的に日本人が来るようなキャンペーンを行っていきたい」――。
2月17日、東京都内のホテルで、サイパン・テニアン・ロタの3島の観光政策を統括するマリアナ政府観光局が開催したイベントでのこと。参加した旅行業関係者130人を前に、観光局長のクリス・コンセプション氏はそう訴えた。
米国のグアム、サイパンなど、日本人に身近なリゾート地に異変が起きている。日本からの旅行者数は1997年のサイパン(テニアン、ロタを含む)45万人、グアム111万人をピークに、2016年にはそれぞれ6万人、74万人まで激減した。

■忘れられた旅行地となったサイパン
特にグアムの約3割減に対して、サイパンは約9割減と減少は著しい。マリアナ政府観光局日本事務所の一倉隆代表は「サイパンは忘れられたデスティネーション(旅行先)になってしまった」と嘆く。
その理由をJTBのある幹部は「ツアーで3万~5万円の価格で安売りしすぎた。航空会社の取り分が少なく、便数を減らす結果になった」と話す。出張需要が安定的に見込めるエリアと違い、リゾート路線は需要の変動が激しい。
実際にJAL(日本航空)やデルタ航空、ユナイテッド航空が直行便を多く飛ばしていたが、2000年以降に徐々に路線を削減。例えばJALは2005年にサイパン路線から撤退。グアム路線も、中部国際空港や関西国際空港から撤退している。
現在、成田ーグアム路線はJALの1日1便に加えてデルタが1~2便、ユナイテッドが3~4便を運行。成田ーサイパンに至ってはデルタの1日1便だけだ。
その結果、起きたのがツアー価格の上昇だ。現在、大手旅行会社のサイパンやグアム行きパッケージツアーを見ると、販売価格は6万~7万円ほど。「10年ほど前には、旅行会社の目玉商品として、2万9800円で販売していた。安近短の印象が強烈に残っており、(6万~7万という)価格の訴求が難しい」(旅行業界関係者)。
安売り合戦の果てに、航空会社が路線を撤退・縮小、ツアーの値段が上がり、露出が減ったことで、日本からの旅行者数が減り続ける…。グアム、サイパンはこうした“負の循環”に陥っている。

■日本人が減って、韓国と中国人が増えた
だが、現地には悲壮感は見られない。日本人の観光客は激減したが、韓国のLCC(低価格航空会社)や中国の航空会社が路線を開設し、地域全体の観光客数としては増加傾向にある。2016年のサイパンを含むマリアナ3島では53万人、グアムは153万人が訪れ、いずれも過去最高を記録した。
サイパンでは、2013年までは日本人がトップだったが、2014年は中国と韓国に首位を明け渡し、その差は開くばかり。グアムの場合、2016年に日本人の旅行者数は74万人とトップだったが、韓国人の旅行者数は毎年2ケタ増が続き、54万人まで増えた。数年以内はついに日本を上回る可能性が高い。
実際、グアムでホテルを運営する、ケン不動産リースの長嶋央典営業本部長は「日本と韓国人の観光客、米国軍人をうまく取り込み、2009~2010年以降、ホテルビジネスは右肩上がりの成長が続いている」と話す。
同社は日本の不動産賃貸会社ケン・コーポレーションのグループ会社。グアムでニッコーやハイアットリージェンシー、ヒルトンブランドなど有名ブランドのホテル5軒を所有・運営し、現地でのシェアは3割強と最大手だ。
事業が好調なことから、同社は100億円以上の資金を投じ、340室のホテルを建設中だ。ブランド名は未定だが、結婚式場やレストランを備えた高級ホテルを2019年までにオープンさせる計画を立てる。
「グアムは日本人に愛されてきた観光地。現地の魅力が薄れたのではなく、航空会社が要因。投資している人間としては悔しい思いをしており、日本人には戻ってきて欲しい」(長嶋営業本部長)
対照的なのがハワイだ。同じく1997年の221万人をピークに、リーマンショック後の2008年には117万人まで減少。現在は約150万人程度の水準にまで戻した。旅行業界関係者によると「ホノルルがあるオアフ島以外にも、ハワイ島のキラウエア火山など従来と異なる視点をアピールすることができたことが大きい」という。

カギを握るLCCの動向
最近ではハワイアン航空による羽田-コナ島への直行便の就航、2019年には全日本空輸(ANA)が大型航空機A380の投入も決まるなど、航空会社も積極的に運行便数を増やしている。バリ島も、ピークの2002年に60万人いた日本人の訪問者はいったん18万人まで減少したが、現在は23万人とやや回復傾向にある。「競合のリゾートが増えたうえ、直行便も減っている。むしろ健闘しているほうだ」(インドネシア観光局日本事務所)。

■ハワイのように復活できるか
日本人が激減したサイパンもここに来て巻き返し策を始めた。マリアナ政府観光局は日本事務所の担当会社を変更。2016年10月に日本事務所代表に就任した一倉氏はかつてハワイ州政府観光局でマーケティングを担った経験がある。
現在、「3連休はマリアナ。」をキャッチフレーズにマーケティングの立て直しを進めている。公式インスタグラムの開設やウェブサイトの刷新、新しい広告の出稿など、矢継ぎ早に手を打っている。
グアム政府観光局も「現地には高級ホテルも増えている。従来の(安近短という)イメージを変えるプロモーションを打っていきたい」(山本さとみ代表)という。
プロモーション以上に策を練るのが、航空会社の運航をどう再開してもらうのかということ。韓国のようにLCCが就航すれば、大きな集客回復が見込める。「LCCを就航し、早期に10万人への回復を目指す」(マリアナ政府観光局日本事務所の一倉氏)。
ただ、LCC就航によって再び“安近短”のイメージが定着すれば、1990年代の二の舞いになる。はたしてハワイのように復活することができるのか。日本人にとって身近なリゾートの苦悩は続きそうだ。
(東洋経済オンライン 2017/3/12配信)


日本からサイパン・ロタ・グアムといったマリアナへの旅行客が激減しているという報道です。
実際、私も何度か行ったことがありますが、そのたびに航空機が小さくなっていたり、減便になっていたりということを実感しています。
サイパンやグアムにいくつもあった日系のホテルも、次々と外資系に変化していっています。
客層も中国・台湾、韓国からの旅行客が目立ちます。

忘れられがちですが、マリアナはかつて南洋諸島と称され1920(大正9)年から1945(昭和20)年までのあいだは、日本委任統治領となっており、数万人の日本人が暮らしていました。
サイパン島のガラパン地区、テニアン島のテニアン村などには日本人が築いた市街地がひろがっていて、豊かな生活がそこにはありました。
そのあたりは、このブログ記事下部のリンクに詳細を記載しておりますので、是非ご参照ください。

第二次世界大戦末期、アメリカ軍に占領され、日本人の街はことごとく破壊され、サトウキビ畑は荒れ果ててしまいます。
街の記録が一瞬にして消滅してしまい、語り継ぐものが居なくなれば、かつて、そこに日本人の暮らしがあったことなどは忘れ去られてしまいます。

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左:1930年代のサイパン・ガラパン地区 右:戦時中のテニアン村

 

それでも、戦後ゴルフ、サーフィン、ダイビングといった観光地としての地位が確立され、戦後経済復興した日本が観光客として多く訪れていた時期は、スーサイドクリフなどの慰霊碑、島内各所に残されている戦跡、日本人居住をしのぶ遺構、様々なものが大切に保存されていました。

しかし、日本人観光客の減少により、それらを維持するという力も失われてしまっています。
また、逆に増加するアジア各国の観光客により、上記の戦跡、慰霊碑、遺構などが次々と破壊されている様子も目の当たりにしています。
今後もこのような傾向が続のではないかと心配しております。


サイパン・テニアン・ロタ・グアムは、日本から一番近いネイティブの英語を学べる場所です。
例えば英語を学ぶにあたって、フィリピンやシンガポールといったアジア圏の大学が人気ということですが、ネイティブの言語を学ぶということであれば、アメリカ本土やハワイに行くよりももっと身近な場所にこのような場所があるのです。

また、例えば寺院の海外移動研修旅行でも、歴史、人権学習などを学ぶことができる最適な旅行先ともいえます。
旅行社の方々には、是非マリアナ地区の企画をプッシュしていただきたいと思います。


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投稿者: kameno 日時: 12:16 AM | | コメント (0)

箱根駅伝を安全に観戦するために

箱根駅伝は、青山学院大学の三連覇という結果となりました。
おめでとうございます!
毎年沿道で応援をしておりますが、沿道の熱気は年々高まる一方で、安全に大会を運営するために大会本部の方々、警察の方々、ボランティアの方々など関係の皆様の苦労は計り知れないものだと感じています。

そんな中、一昨日の復路10区で、あわや車との接触事故という場面がありました。


箱根駅伝、選手とワゴン車あわや衝突 警視庁が規制ミス

3日にあった第93回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)のコースになっていた東京都内の国道1号交差点で、車の規制ができておらず、神奈川大学の選手が車にはねられそうになっていたことがわかった。規制にあたった警察官の連携ミスが原因といい、警視庁は「再発防止に努める」としている。
トラブルは3日午後1時半ごろ発生。主催者の関東学生陸上競技連盟や目撃者によると、復路10区で神奈川大の選手が日比谷交差点(千代田区)を通過しようとした際、左から横断する車列が途切れず、選手とワゴン車が衝突しそうになった。直前で選手が速度を緩め、レースは続行した。
警視庁交通規制課によると、同交差点では選手の通過に合わせて断続的に車を止める規制を実施。手前の地点で通過を確認した警察官が、交差点にいる警察官に無線で連絡し、規制する手順だった。神奈川大の選手の時は、通過の連絡はしたが連携がうまくいかず、東進する3車線が規制されなかった。対向車線は止まっていた。他の選手が通過した際は、問題はなかったという。警視庁は連携強化や配置する警察官の増員を検討しているという。
選手の約50メートル後ろを走る車に乗っていた神奈川大の大後(だいご)栄治監督は「通過する直前になっても車が横切っていた。事故にならず、何とかゴールしてくれてよかった」と話した。レース後にあった監督らの会議で状況を説明し、「タイミングが悪ければ箱根駅伝の存続が危ぶまれる事態だった」と発言したという。
近くで観戦した埼玉県の女子高校生は「選手が近づいているのに車が止まらず、大丈夫かと周りもざわついていた。車は減速せず、選手がひかれそうでハラハラした」。関東学連の担当者は「あってはならないことで、来年に向けて態勢を確認したい」と話した。過去の大会で、選手と車が接触する交通事故が起きたことはないという。(工藤隆治)
(朝日新聞デジタル 2017/1/4配信 )


沿道で応援していた何人かが、あわやという瞬間の動画を撮影しており、それにより発覚したインシデントです。
動画を見る限り、コースに直交する通りの通行規制が、西向きは機能していたけれども、東向き3車線について、神奈川大学・中神恒也選手通過の際に規制がされていなかったため、何台もの車が選手の目の前を横切っていきます。
そのうちのワゴン車が選手に接触寸前、中神選手が走るスピードを落としたため、なんとか回避できました。

一歩間違えば、中上選手は跳ねられ、選手生命すら危ぶまれるところでした。そうなれば、来年以降の箱根駅伝の開催にも影響が大きく出ていたことでしょう。

箱根駅伝は国道15号、国道1号などの幹線道路が主なコースになっています。
正月2日、3日はまだ平時より走行車両は少ないとはいえ、相当な交通量の中の大会開催です。



当ブログでは、毎年沿道で応援しながら撮影した写真を掲載していますが、何年か応援していく中で気付いた点と、安全に応援するための心構えを書いておきます。

 

箱根駅伝(駅伝やマラソンなど)は、協議をしている選手たちを間近で応援することができます。
それゆえ、応援する側には最低限のマナーも求められます。

例えば、応援する方々が旗を振る際に、上方に振るよう注意があるのですが、それでも選手の方に向けて振る方が多いですね。
これは危ないのでやめたほうがいいです。

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↓下の写真は、カーブの手前から望遠で撮ったものですが、このように歩道を下りて車道に足を出している方が何人も見受けられました。
このような応援は、とても危険なので絶対にやめましょう。
警備員ももっと厳重に注意すべきです。
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下写真は最終10区の様子です。
冒頭のニュースになった地点とは異なりますが、国道15号線大森付近です。

ここは、片側4車線あり、中央側3車線は車両規制がされておらず、通常通り車がかなりのスピードでバンバン通っています。
並走する一般車両の運転手は、選手たちがすぐ脇を通っていることが分かっているはずなので、速度を抑えるなどの配慮も必要かと思います。

この道路では選手たちは沿道沿いの1車線を走ります。
沿道で応援する人々も、年々増加しています。
そのような中を、各選手たちはチームの重い襷をかけて時速20キロ程で走り抜けていきます。
それゆえ、応援する人々の目の前を走る選手たちに旗を向けて振ったり、撮影するカメラが車道にはみ出ないよう特に注意する必要があります。
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箱根駅伝の沿道応援は、極端に込み合っているところと、比較的空いているところがあります。
安全に応援できる場所をリサーチすることも必要でしょう。

個人的に、毎年決まった場所で応援するようにしています。

■応援場所について
毎年決まった場所で応援するようにしています。駅伝コースが右にカーブしている、そのカーブの先あたりが好条件です。
望遠レンズで狙うと、真正面からの選手の姿をとらえることができます。
※カメラのレンズの先端が歩車道の境を出ないよう、常に注意する必要があります。
※カーブの先から撮影すると、歩道側にに引っ込んだ位置からでも、選手を正面に捉えることができます。

■カメラについて
必要最低限の機材にしています。
具体的には、CanonEOSkissと、タムロンの18-270mmズームレンズのみです。
三脚や脚立は厳禁です。

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選手たちが安全に競技できるよう、警察の規制がきちんとなされることを望みます。
また、応援する側にとっても、駅伝のコース、予定走行時刻は予めわかっているわけですから、車を利用する場合も、沿道で応援する場合も、選手たちが安全に走ることができるよう心掛けたいものです。

投稿者: kameno 日時: 5:11 PM | | コメント (0)

「仏教テレフォン相談」資質維持の取組み

一般社団法人「仏教情報センター」では、伝統仏教宗派僧侶100名余がボランティアで主にテレフォン相談などの活動を行っています。
各宗派が各曜日を担当しており、月曜日が曹洞宗の担当です。

様々な宗派、多くの相談員によりテレフォン相談を受けているわけですが、即時的kつ適切な対応をする必要があり、どの相談員でも一定の水準を維持していくために、定期的に意見交換・研修会が開催されています。

さらに「仏教テレフォン相談マニュアル」を作成し共有しています。
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「仏教テレフォン相談マニュアル」の内容については公開できませんが、仏教テレフォン相談の理念および活動方針だけご紹介いたします。

<理念>
1.電話による対機説法です。見えない相手への説法です。
2.愛語の修習実践の場です。すべての相談に誠意を持って対応します。
3.一期一会の菩薩行です。基本的に継続性はありません。

<基本方針>
1.秘密厳守
2.匿名性重視
3.教義・布教の押し付けをしない
4.専門機関との連携
5.チームとして協力し合う
6.あらゆる相談に応える

 

相談内容は、圧倒的に人生相談が多くなっています。
仏事の常識やマナー、法要の意味、仏教全般に対する質問であれば、お応えする側も知識経験を元にそれなりに対応することができるのですが、人生相談、それも重い内容であればあるほど、対応する側の資質が問われます。
粗雑な言葉は世の乱れを生み、愛心なく慈心のない生命(いのち)を軽視した社会に拍車をかけます。 言葉は思いのあらわれであり、単なる言語や伝達手段ではありません。自らの人格を宿し、自らの人格をつくるのです。一語一語を大切にしなければなりません。 (平成20年度 曹洞宗布教教化に関する告諭)

相談の電話はひっきりなしにかかってきます。
それだけ求められているということは、嬉しいことではありますが、限られた時間で対応していかないと、他の相談者の機会を損なってしまうことになります。
短い限られた時間の中で、いかに相談者の悩みを取り除くことが出来るのだろうか・・・
カウンセリングの基礎を学ぶことも大切ですし、それを現場で適切に対応することがさらに大切だということを実感します。

特に、今月に入ってNHK朝の報道番組で「墓じまい」と、「仏教情報センター」の電話番号が紹介されたため、一週間ほど電話がパンクして相談業務に支障をきたすほどの状況が続きました。
現在は落ち着いていますが、「求められるもの」に対してきちんと対応できる体制づくりも大切なことだと感じます。


仏教テレフォン相談以外でも、様々な相談を受ける事は多いですし、世の中には様々な悩みが渦巻いていることを実感します。
少しでも悩みが減りますように切に願います。

 


■関連ブログ

街頭相談@とげぬき地蔵高岩寺2016
歳末のテレフォン相談
テレフォン相談員研修会
テレフォン相談員研修会
仏教情報センター研修会・総会
新事務所でのテレフォン相談
仏教情報センター相談員研修
向きあい 伝えあい 支えあう
いのちを見つめる集い@心光寺
いのちを見つめる集い
ひっきりなしの電話
仏教ホスピスの会いのちの集い
仏教テレフォン相談から見えること

投稿者: kameno 日時: 9:28 PM | | コメント (0)

簡易水道消火装置を設置しています

貞昌院では、毎年消防法に定められた消防施設の設置と点検を行っています。

これに加え、今年から簡易水道消火装置・街かど消火栓 を設置しています。

この装置は、中央理化工業 で開発された水道水に直結した初期消火装置です。

簡易水道消火装置(街かど消火栓)は次のような特徴があります。
(1)水道水による初期消火道具
(2)年配者・女性でも容易に使える消火道具
(3)身近な蛇口に接続し使用する消火道具
(4)類焼防止にも有効

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このように、水道水を使用して、初期消火する装置で、特殊機能の開発ノズルが水道水の勢いを増加させ、大量の水を遠くへ飛ばすことが可能です。また、その操作の容易性から、いざという時に簡単に誰もが使用できるものです。
街かど消火栓は男子トイレ内に置いてあります。

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■関連リンク
簡易水道消火装置・街かど消火栓

投稿者: kameno 日時: 6:04 PM | | コメント (0)

映画「この世界の片隅に」と受継がれる街の記憶

今月12日に公開された映画「この世界の片隅に」が、上映館は少ないもののSNSや口コミで広がり満席や立見が続いている館も続出してるようです。
あらすじは、戦中、広島市から呉へ嫁いだ主人公すずの日常をもとに展開されていく物語なのですが、内容や感想等についてはネットやSNSで溢れているのでここではあえて記載しないでおきます。



(海外向け予告編↑をご紹介し、是非映画館で観ておくべきお勧めの映画とだけ書いておきます)

 

さて、今回のブログ記事は、この「この世界の片隅に」をもとに、私もパネリストとして参加した みんなでつくる横濱写真アルバムシンポジウム」(2009年・於BankArt1929Yokohama)でのテーマ「記録されたものしか記憶されない」についてまとめてみます。 
みんなでつくる横濱写真アルバムは、横浜開港150周年事業として、何気ない日常を撮影した写真を広く市民から募り、それをタグ付けして時系列・場所別に整理してデジタルアーカイブ化していくというものでした。

上記シンポジウムや写真アルバムは、街の歴史の再発見と次代への継承、そして「記録されたものしか記憶されない」(ー私たちの暮らしを丹念に記録した写真を収蔵保管しておかなければ、それがこの国の歴史の中から無かったことになってしまう)ということからスタートしました。

シンポジウムでは、宮本常一という写真家の功績を例に考察しました。宮本氏は戦前から戦中・戦後まで日本各地をフィールドワークし続け膨大な写真記録とメモを残しました。
新しい街に着いたら駅の構内の様子、人々の身なり、荷物などさまざまなことをつぶさによく観察し、そして集落の一番高いところに行き、集落全体の様子を把握したといいます。 人並みならぬ洞察力は日本各地をフィールドワークし続けたことから得られた力なのでしょう。
10万点を超える写真はいわゆる芸術でも写真何でもない日常の写真でありますが、例えば洗濯物の写真は、その家庭の暮らし向き、流行、あらゆる情報を含有しています。
海岸に打ち上げられた流木の写真からは、貧しい資源を共有する村の智慧を読み取ることができます。
杉皮を干す写真からは、その周辺に皮を剥かれた切り出された杉の木があり、山肌から木を滑り落とすために杉皮を使い、筏で川の下流に運ぶ一連の姿までもが含有されています。
写真の持つ力というのは計り知れないのです。
それゆえに写真に込められたこれだけの思いを読み取る読み手側のリテラシーも求められます。
宮本氏は、また、一種タブーとされている被差別部落や、性風俗などの記録も行っており、デジタルアーカイブに立ち向かうものにとって大きな示唆を与えてくれるものでもあります。
例えば「みんなでつくる横濱写真アルバム」に寄せられる写真のなかで、どこまでの線引きを行うのかというガイドラインも明確にしておく必要もあるのでしょう。
そのような示唆に富んだシンポジウムでありました。

 


話を映画「この世界の片隅に」に戻しますと、監督の片渕須直氏の姿勢は、宮本常一氏に通じるものを感じます。
映画製作に当たっては、こうの史代氏の原作を生かしつつ、まずは徹底的な資料取集、現地でのフィールドワーク、聞き取り、実証体験などを繰り返しながら製作にあたったそうです。
映画に登場する一つ一つの場面は、時系列としても矛盾がないばかりか、海に浮かぶ戦艦、走る列車、路面電車、さらには街を歩く人々も実在の人物を描いているという徹底ぶりです。
その徹底ぶりは下記のコラムをすべて読めばよく分かります。 (膨大な量です)


1300日の記録[片渕須直]
すずさんの日々とともに
「この世界の片隅に」は、一次資料の塊だ(前編)

 

映画製作に関わったヒロシマ・フィールドワーク実行委員会の、『だれもその町や人のことを思い出さなくなった時、その町や人は消えてしまう。知らない町や人をどうすれば記憶することができるかというのがヒロシマ・フィールドワークの課題でした。映画「この世界の片隅に」によって中島本町は不滅の町となりました。』という、ことばも「記録されたものしか記憶されない」を端的に表しています。


悲惨な戦争の記憶を語り継ぐことはむずかしい。NHKが昨年行った世論調査では、「広島と長崎に原爆が投下された日はいつか」という問いに、正答できなかった人がそれぞれ7割に上った。時の流れは残酷だ◆しかし、1本の映画が、絶望することはないと告げてくれた。12日から公開されている片渕須直監督の『この世界の片隅に』は、こうの史代さんの同名漫画が原作の長編アニメである◆主な舞台は、戦前戦後の広島県呉市。のんびり屋で心優しい少女すずは、親が勧めるままに結婚する。嫁ぎ先での生活は厳しいが、スギナやタンポポで雑炊を作るなど、まずは工夫をこらして家族を支える◆だが、そんな穏やかな日常は、突如崩壊してしまう。空襲。大切にしていたものの喪失。故郷の広島市を襲う原爆。ほのぼのとした前半との落差が、戦争のむごさを浮き彫りにする◆制作に当たっては、支援の呼びかけに約3000人から4000万円近いお金が寄せられた。スクリーンに映し出されるのは、「戦争を忘れない」という人々の思いでもあろう。月が明ければ、まもなく日米開戦の日がやってくる。
【編集手帳】(読売新聞2016/11/20朝刊1面)



映画の舞台となった呉市は重要軍港であるがゆえに地図やさまざまな記録が遮断された上に米軍からの徹底的な空襲を受け、また、広島市は原子爆弾投下により街全体が一瞬のうちに破壊されてしまいます。
歴史の記録の多くが断片的になったり失われてしまった場所です。
「この世界の片隅に」は、失われた記録をそのマイクロヒストリー(ミクロストリア)主人公の出来事、主人公目線の地域など、限定的な小さな対象についての徹底した歴史的調査を行う手法)によって蘇らせながら、時系列に沿って物語が進んでいるので、上記リンク先にまとめられているような膨大な資料や時代考証に基づいた描写・音響効果と相俟って、鑑賞者があたかもその時代にタイムスリップして実体験しているような感覚さえ覚えるようになります。


「みんなでつくる横濱写真アルバム」は、寄せられた静止画の写真を時系列・場所・タグによりまとめたものでしたが、映画「この世界の片隅に」は、それを格段に昇華させた手法によって、呉、広島の街を不滅のものとして蘇らせているのです。
映画は主人公目線で進行しますが、主人公の周囲だけでなく、そこから垣間見える周囲・背景の広がり、繋がりまでも感じ取ることができます。

更に言えば、幅広い年代の方々が映画を観賞することによって、主人公すず目線の世界を世代を超えて共有できること。
記録を<傍観者:第三者目線>ではなく、<当事者として直感的に>とらえることができるということ。
これは重要なことです。

この「共通疑似体験」をもとに、さらに一人一人が考証を重ねて追加することにより、記録に記録が付加され、ますます厚みのある記録になっていくことでしょう。
(おそらくこの作業は自然発生的に行われる)
生の戦争体験をもつ方がまだ少なからず存命である戦後約70年というぎりぎりのタイミングにこの映画が公開されたことも、きっと大きな意味を持つものだと感じます。



【戦中の記録がリアリティーを持って輝く】―このような日常は全国どこにでもあった―

以前、2005年のブログ記事太平洋戦争空襲~終戦の日において で、戦時中の永野地区(神奈川県横浜市港南区)の様子を記載した貞昌院先々代住職・亀野寛量和尚の記録を紹介しました。

永野地区はのんびりとした農村地帯ではあったが、横浜・東京へ向う空襲の経路、集落の高台に置かれていた高射砲、横須賀軍港が近いという点で共通するものがあります。
それゆえ、映画「この世界の片隅に」を観終わった後にあらためてこの記録を読むと、当時の様子を映像として、音響として、生々しく感じることができるのです。 とても不思議な感覚です。



『太平洋戦争空襲-終戦の日』

横浜の空襲は、昭和十九年の中頃から次第にその数を増して来た。始めは、極めて上空を、恐らく偵察か、又は空中写真撮影でもあらうか、相模湾から上陸、永野上空をかすめ、一直線に東北東に横浜の中央部を、一機又は少数機が通過する、ラジオはかけっぱなしである。
最初は敵機は余りにも上空なので、永野地区周辺の高地から、発射される高射砲陣地からの砲撃も、その砲弾の爆発というのであらうか、全く敵機には届かなかったので、その当時防空濠から半身乗り出して見ていた学童は歯ぎしりして悔やしがる。
憶か、本土空襲の二、三十分前には、警戒警報が先づ出され、敵機の数と進路が明確にラジオで放送される。

 

サイパン・テニアンを拠点としたアメリカ軍による日本への空襲に対し、その想定ルートの高台や建物の屋上には「防空監視哨」が設置されました。
防空監視哨は軍の施設ではなく神奈川県警察部の管下にあり、上永谷の近辺では日野公園墓地の高台には「十五番」防空監視哨がありました。
防空監視の任務は、見張り台に上り双眼鏡で飛んで来る飛行機が敵機か味方機か、その方向・高度と機数を瞬時に判断し、その旨を早急に 警察電話で県庁にあった横浜監視隊本部に連絡するもので、監視哨長以外は全て地域の日野・日下・桜岡・永野・大岡青年学校の15-19歳の生徒がその任務に当たっていました。
(『街づくりの歴史物語』(港南歴史協議会編)に防空監視哨の写真が掲載されています)

サイレンは直ちに全市に鳴り響く、警戒警報発令と同時に、小学校への登校は中止、登校途中でも直ちに家に引き返し、警戒警報解除まで、待機の姿勢に在ることは、学童自身もよく心得、父兄もよく承知している。本土南方数百粁の地点に空襲に備えての偵察網があったものと推察される。

警戒警報発令時々刻々敵機の進路が報道される。途中進路が海上、東又は西に偏向すると、間もなく解除の報道となるが、依然として相模湾を目指してとなると必ず東京、川崎、横浜の空襲警報と変わる。
学童の登校姿は、必ず防空づきんを肩にかけ、万一の機銃砲弾による怪我の応急処理、ガス弾による応急マスク代わりに手拭所持の点検は特に厳しかった。

永野地区は当時未だ、昔ながらの純農地帯で、民家も疎で、むしろ疎開学童の受入れ地区であったので、次第に疎開家族、学童が日増しに増加の一途をたどる。市街地の親戚の者は、皆挙って頼って来たため、どの家庭も、大家族でひしめくようになった。曽て田圃等へ入ったことのない、親戚の婦女子の方も、田植草取りに精出す姿に「ヒル」に足を喰われて悲鳴を挙げる光景等随所に見られる。


現在の港南区(当時は中区)エリアにあった4つの小学校のうち、日野・日下・永野小学校(当時は国民学校)は東京・川崎・横浜中心部からの疎開児童を受け入れていました。
逆に、桜岡小学校(当時は国民学校)は、児童56名が箱根に集団疎開しました。

永野地区の建物で最も目立つのは、永野小学校なので市防衛部の指示により、学校校舎の屋根は、迷彩といって、種々取交ぜた色に塗り換えられる。全職員と初等科三年以上の、警報の合い間を縫って、農協脇には百立方米、校庭の片隅に六十立方米の防火貯水槽の構築、警防団が、天神山下馬洗川からポンプで、一日掛りて貯水槽への満水作業、同じく職員と初三以上の学童で、校庭一杯に、避難防空壕を、市防衛部の指導で構築等やら、「ひま」栽培、「葛」「ちょ麻」「すすきの穂」「松脂」採取等の作業で、学業には殆んど就けなかった。

 

永谷地区は幸いなことに、大規模な空襲を受けることは無かったのですが、東京、川崎方面より多くの疎開を受け入れていました。
貞昌院にも境内に十数人の家族と、やはり十人前後の兵隊さんが生活をしておりました。
兵隊さんの主な任務は、山から松の木と根を堀り出してきて、それを下野庭に作られた釜で乾溜し、飛行機の燃料(松根油)の製造を行うことでした。
村人や子どもたちはその松の根の掘り出しと製造の手伝いをしていました。
貞昌院の釣鐘と本堂前にあった天水桶は、戦時中鉄の供出のため撤去されていましたが、戦後になって、上記の松根油を煮出した鉄釜が戦後不要になったため、貞昌院の本堂に天水桶として設置されました。
(現在の貞昌院の天水桶は、ブロンズ製の新しいものです)

いざ学習となると、疎開学童の激増のため、一つの机に腰掛は空箱を利用して、四、五人宛坐席するという状態であった。然し学童には常に、横浜市内の大部分の学童は皆親下を離れて、遠く箱根、小田原方面へ、不自由をしのんで、集団疎開をしていることを知らせ、幸いにも当地区では、両親の下で過ごせることの有難さを考えさせ、ガンバラせていた。

偵察的な敵機の来襲の中には、超上空で爆弾、焼夷弾投下もなく、ただ高射砲陣地からは盛んな砲撃が目撃された程度であったが、続いて、夜間空襲に変った。
青年訓練夜学教室、職員室、使丁室、便所等は急遽黒布で作られた暗幕装置が施され、警防団の指導監督も極めて厳重となる。煙草を喫うにも、細心な考慮と注意を要した、之を燈火管制と称した。
小学校は、夜間空襲が激しくなると、校舎防衛のために、全職員宿直勤務の態勢に入る、万一の焼夷弾落下に備えて、校舎の到る処に満水のバケツ、「火はたき」を備え、空襲警報と同時に防空壕に入る。男子職員は、鉄カブトに身を固め、樹下に待機し、敵機襲来の状況を見守る、敵機の爆音が響くや、永野地区周辺を囲む舞岡、日野高地の高射砲陣地から、サーチライトが夜空を、射走る。サーチライトの交叉点に、飛行機の姿がハッキリ写る。飛行機の進路を追って共にサーチライトが動く、高射砲弾の炸烈の音が、耳をつんざく。時には舞岡上空に火の玉となった飛行機の姿が目につく。
敵機か身方機かは全く知るよしもなかったが、その時永野地区のあちこちから、高射砲弾の音に交って万才を叫ぶ声が谺する。夜間空襲では、編隊空襲で、丁度永野空の上に差しかかるや、一方は分れて横須賀方面へ、一方は直進して横浜、精々北方に向きを変えて、川崎、東京方面へと向っていたような気がする。さすがに軍港横須賀を思わせるものがあった。多分、横須賀近く到着と思われる頃、横須賀方面の夜空はサーチライトと高射砲弾の飛び交う光で、昼をあざむかと思われる光景が、永野小学校校庭の木陰から望まれた。空襲が激しくなるにつれて、何かと皇軍の不利がそれとなく伝ってくる。
今までは、常に本土上空へは、一機たりとも敵機は近寄せぬと、力強い報道を耳にしていただけに、不安に襲われることを禁じ得なかった。我が空軍の戦力が次第に衰えてきたため、夜間空襲は、次第に昼間の空襲へと変ってきた。

昭和二十年二月中旬頃と記憶する。
極めて上空を敵機が来襲するB29と思われる敵機の周囲を、姿は見えぬが飛行機雲の先端に、光るものがあって、数条のその先端が互いに機銃の打ち合いかと思われる様相を呈して、永野上空は、飛行機雲の大回旋模様で色どられる。爆弾も焼夷弾も投下なく、退散せしめられたようであった。警戒警報ははしきりに発令される。


昭和二十年五月二十九日午前七時半過ぎ、本土南方海上を飛行中の、敵機の大編隊が、梯段で、本土を目ざしている情報を聴取、直ちに学童登校中止の伝令は飛ぶ、続いて相模湾上空を目指しているとの情報が刻々と伝えらる。
やがて午前八時少し過ぎと思われる頃、学校校庭から見て舞岡方面から、突如として、B29の巨体の先頭機が、籠森天神山の上空を、低空で飛来し、続いて、整然と編隊を組んだ集団が、次から次えと現われ、丁度現在の美晴台渡戸の上空を過ぎたと思われる頃、第一梯段の飛行機から一斉に、黒色に見えた砲弾のようなものが次々と落下し始め、一時に大豪雨でもあるかのような響きが聞える。
更に第二、第三と、永野地区の上空を横浜の中心部目指して進む、大編隊の目撃には、唯駈然と恐怖とに身は固く何等なすすべを知らない。間もなく、小学校の東北の空は黒煙濠々と立ち上がり、大爆音が鳴り響く、横浜市街地の大部分は焦土と化してしまったのである。

 

横浜大空襲は1945(昭和20)年5月29日に始まります。理由はその前日に行なわれた第3回原爆投下目標標選定委員会で横浜が目標から外されたことによるものでした。

アメリカ軍が、昭和20(1945)年5月10日に行なった第2回原子爆弾目標選定委員会での原子爆弾投下目標は下記の通りでした。
1.京都市:AA級目標
2.広島市:AA級目標
3.横浜市:A級目標
4.小倉市:A級目標
(選定理由・直径3マイルを超える大きな都市地域にある重要目標であること、爆風によって効果的に破壊しうるものであること、来る8月まで爆撃されないままでありそうなもの)
ここまでは横浜市が原爆投下目標都市の一つとされ、目標とされた都市は空襲が行なわれませんでした。
空襲が行なわれなかった理由は、原爆を目標の都市中心に投下し1発で完全に破壊することと、原爆のもたらす効果を正確に測定把握できるようするためです。
1945年5月29日昼間、アメリカ軍によって行われた横浜市中心部への空襲はB-29爆撃機517機、P-51戦闘機101機による無差別焼夷弾攻撃となり、横浜はわずか1時間余りで鶴見・神奈川・西・中・南・保土ケ谷区が壊滅、市域の34%が焦土と化し、人口の3分の1の31万人が被災、推定8,000~10,000人が命を落とされました。

八月十五日、敵機一機が撃墜を受け、飛行士は芹ケ谷町地区内へ落下傘で降下、機体は大破損して、現、南高校の東南山間に墜落した。


追撃を受けた機体はアメリカ軍のグラマンでした。
現在の南高校と相武山小学校の近くの東南山間部に墜落しました。パイロットは落下傘で脱出し無事でした。
その昼間に戦争が終わったことを告げる玉音放送がラジオから流れました

 

その前八月十二日には、敵の艦載機が来襲、折しも小学校前道路の葬列行進中を、機銃掃射らしきを受けたが、突差に全員付近の民家の軒下や影に陰れ、死傷者は一人もなかった。その前八月六日広島市、八月九日長崎市に夫々爆弾が投下され、遂に実に、昭和二十年八月十五日正午、ポツダム宣言受諾、無条件降伏となったのである。 (『太平洋戦争空襲-終戦の日』引用ここまで)

投稿者: kameno 日時: 11:06 AM | | コメント (0)

復旧工事の迅速さ=日本の技術力

11月8日午前5時過ぎ、JR博多駅前の地下鉄工事現場で発生した大規模道路陥没事故は、その規模の大きさから日本中に衝撃を与えました。
陥没した穴の大きさは約30メートル四方、深さ約15メートルに及び、もしもその上に通行車両や人の往来があったら多数の人的被害があったことでしょう。

事故発生から2日経過し、今日(10日)午前中には穴の埋戻しがかなり進み、地上から約3メートルの深さまで土が入りました。
ここまで埋戻されれば、水道、下水道、電気、ガスなど地中に埋設されているライフライン復旧工事が本格的に開始されます。

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左)11月10日午前:西日本新聞のサイトより、右)10日午後3時:高島福岡市長のFacebookより


※現在の様子はNHKのリアルタイム生中継でご覧いただけます


博多駅前大陥没、復旧急ピッチ 水道管や通信ケーブルも修復へ

福岡市のJR博多駅前の市営地下鉄七隈線延伸工事現場で起きた道路陥没事故で、福岡市は10日も急ピッチで復旧作業を続けた。地表から3メートルの深さまで埋め戻した現場の穴では、セメントを混ぜた特殊な土が固まるのを待っている状況。工程が順調に進めば、同日午後にも地中で破損した水道管や通信ケーブルなどの修復作業に入る。
現場ではトラックやクレーン車が行き来し、9日夜までに投入した土の上に砕石を敷いたり、隣接するビルのむき出しになった基礎部分に土のうを置いたりした。市は埋設物の工事業者と打ち合わせながら、施工計画を進めている。
今後、14日までに道路を含むライフラインの仮復旧を完了し、車道と歩道を通行できるようにする。市交通局は「作業は予定通りに進んでいる。なるべく早く復旧できるよう、全力で取り組みたい」としている。
(2016/11/10 西日本新聞)

それにしても、事故発生から1週間も経たずしてライフラインを含め、道路を通行できる状態まで復旧させるというのは凄いことです。
日本は地震、台風をはじめとした自然災害の多い国です。
それに迅速に対応するための体制が培われていること、世界に誇る土木技術の粋を結集することによってこのような対応ができているということは誇りに感じます。

 

大規模な事故であったにもかかわらず被害が最小限に抑えられたことは、熟練された作業員の臨機応変の対応による功績でした。

 


「肌落ち」道路陥没、予兆あった 作業員のとっさの判断、人的被害防ぐ

大きく陥没したJR博多駅前の道路=8日午前9時41分、福岡市博多区(本社ヘリから)
九州の玄関口にある大通りに突如、巨大な穴が出現した。8日未明、福岡市博多区のJR博多駅前の市営地下鉄七隈線延伸工事現場で発生した道路陥没事故。オフィスビルは基礎がむき出しになり、停電やガス漏れで一帯は立ち入り禁止に。すり鉢状に崩れた穴は茶色く濁った下水で池のようになり、変わり果てた街並みに人々は息をのんだ。

崩落には予兆があった。午前4時25分ごろ、地中の工事現場で作業員9人が掘削をしていると、トンネル上部の土砂がパラパラと崩れる「肌落ち」という現象が起きた。土砂を固める吹き付け処置をしたが止まらない。
同5時ごろには水が出始めた。身の危険を感じた作業員たちが地上に退避すると、道路の一部がへこみ、やがて路面が崩れ始めた。
作業員のとっさの判断で人的被害は免れた
同5時10分ごろ、作業員の自主的な判断で三角コーンを立てて道路を封鎖し、同14分に「道路が陥没している」と110番。
作業員の男性は「いきなりだった。早めに作業を止めていなかったら(穴の中に)落ちていた」。通勤ラッシュの時間なら大惨事となった恐れもあるが、作業員のとっさの判断で人的被害は免れたといえる。
同6時ごろ、犬の散歩をしていた同市博多区の会社員古賀朗さん(25)は、道路がごう音を立てて陥没する瞬間を目撃した。「下水の臭いがして、滝のように水が激しく流れる音もした」。目の前にあった信号機も穴の中に消えた。同6時40分ごろ、近くの不動産会社に出勤しようとした女性(28)は警戒中の警察官に制止された。穴の端が少しずつ崩れ、みるみる巨大化していった。地響きを感じ、どぶとガスが混ざったような臭いが付近に立ちこめていた。
初めは道路の左右2カ所に開いていた穴は徐々に広がり、道路は細い橋のように真ん中だけが残った。
同7時20分すぎ、会社員男性(50)が近くのビルから現場を見ていると、ドドドという地鳴りがして、土煙を上げて幅が約30メートルある5車線の道路全体が崩れ落ちた。
男性は「信じられない光景だった。自分たちのビルも危ない、避難した方がいいのでは、と不安になった」と振り返った。
(2016/11/09付 西日本新聞朝刊)


災害や事故の直前には、何らかの予兆があることが多いのですが、それをきちんと感じ取って、対応することができるかどうか。
それが被害の大小に大きくかかわるということです。

もう一点、災害後の対応についての情報発信力も素晴らしい。

例えば、福岡市長・高島宗一郎さんは Facebookを通して、事故当日にはすでに的確に情報を発信しています。



【続報】11月8日投稿。

「安全」については土木などの関係する業界関係の皆さんに、市役所としても復旧にかかる全ての協力を行うので、最速での復旧に協力頂けるように改めてお願いしました。
「安心」については、私も技術面は詳しくないので、私からの質問に対策本部の工事担当者から答えて頂いた内容を皆さんと共有します。
①穴に溜まった水は抜かないのか?
A.水は抜いてはだめ。逆に地下水レベルまで水が溜まったので地盤が安定した。土砂崩れは穴が空いた部分と周りの地下水を含んだ土のレベルが違うので土砂の移動がおきる。陥没事故対応の基本は水を入れること、とのこと。

②水はこれ以上増えて溢れないのか?
A.周辺の地下水と溜まっている水のレベルが同じになった。また下水の大きな排水管部分までの水位になったので、そこから排水される。

②道路復旧までの手順は?
A.まずは穴を埋めるために流動化処理土というものを入れる。これは水の中でも固まるもの。地上近くの地下埋設物(電気、電話、ガスなど)のレベルまで埋めて、固まったら中に入って電話や電気、ガスを復旧して、さらに埋めて車が通れるように仮復旧する。

③何日くらい掛かるのか。
A.埋めるのに最長3日。あとは電気や電話を繋ぐなどの復旧の時間が未知数だが、さらにそこを上から埋めれば通行可能になる。

④陥没を埋めるための流動化処理土を投入する量を増やして時間を早められないのか。
A.特殊な薬剤なので福岡市だけで一日に作れる量が限られている。他都市に支援を頼んでも持ってくる間に固まってしまう。全てこの薬剤ではなく、現在は他のものが使えないか検討している段階。

⑤下の基礎がむき出しになっている建物もあるが、大丈夫なのか。
A.交差点沿いの建物は全て地盤まで杭が届いている。計測しているが現在のところは時間が経過しても傾きなどは発生していない。

以上が私が現場の対策本部で聞いた最新の話です。同じ疑問を持つ方もいらっしゃると思いますので情報を共有します。
(2016/11/08 高島宗一郎・福岡市長のFacebook投稿より)


 

【陥没発生3日目】10日15時投稿。
地盤となるセメント混合土は昨日無事投入が終わりましたので、固まり具合を確認して、現在は砕石による表面の埋め戻し作業中とのことです。今後の流れについて、現場に確認したことを含めて共有しますね。
①穴はいつ塞がるの?
日曜日です。
②車はいつから通れるの?...
全てのライフラインは日曜日までに仮復旧させて、月曜日には道路の舗装や白線を引きます。合わせて専門家を入れて安全性に問題がないことが確認されれば、月曜日の夜にも全面的に通行再開となる見込みです。
③信号は時間が掛かると言っていたが?
一番時間が掛かると言われていた信号も警察の全面的な協力で同じ月曜日には立てることができる見込みです(点灯には少しタイムラグがあるかもしれません)。
④一週間以内に終わるというのは、工事が早すぎるのでは?
日常生活や経済活動に多大なご迷惑をお掛けしていますので、一刻も早い復旧に全力で取り組んでいます。そのために今回は二段階での復旧(仮復旧と本復旧)に分けることで事業者等にご理解を頂き、例がないほどの協力連携体制で取り組んでいるのでかなり早く作業が進んでいるのです。
⑤早いのはいいが、安全面は大丈夫?
安全第一で、絶対に2次被害を出さずに復旧することを工事関係者にお願いをしています。立ち止まる勇気も含めて。また道路が出来ても専門家などに強度を確認して頂き、ゴーサインが出ない限り通行許可はしません。その時は通行を月曜日より遅らせます。
10日の午後3時で、電気やガス、水道、下水道は、陥没現場の立ち入り禁止ビル3棟へは一部未接続なものの、それ以外は復旧しました。
通信は未だ一部不通エリアがあり、現在回線を順次復旧中で12日までには完全復旧と通信会社から報告を受けています。
(2016/11/10 高島宗一郎・福岡市長のFacebook投稿より)


災害が起こってしまったことは残念なことですし、その原因究明と再発防止はしっかりして欲しいところですが、災害に対する対応については、それら一つ一つの行動によって、適切に進められていることが感じられます。
一日も早い復旧を望みます。

投稿者: kameno 日時: 11:55 AM | | コメント (0)

君の名は。の口噛み酒風『聖地の酒』

大ヒット上映中の映画『君の名は。』の作中に出てきた“口噛み酒”を模した「聖地の酒」が11月2日発売されました。


H28年11月2日 発売!!
なんと あのお酒の容器そのもの!残念ながら三葉ちゃんのものではありませんが、蓬莱より、この度 『聖地の酒』が発売となりました。
大きさといい 劇中の物と同じじゃー!!ファンは心揺さぶられちゃうよ~!!限定発売だから 早めにGETやよ!!
■飛騨地酒 後藤酒店のサイトより

ということで、何故か「聖地の酒」が手元にあります。

20161104-02

映画に描かれている“口噛み酒”そのままですね。
ただし、中身は飛騨の銘酒「蓬莱」です。

 

ネット上では、飲みたい…みんなの「君の名は。」の“口噛み酒”への妄想が想像以上だったw
という記事もあり、いろいろと感慨深いですね。


映画の中で、四葉ちゃんが「生写真とメイキング付きの巫女の口噛み酒」売って金にしたら?・・・とも言っているので、せっかくなので「生写真」風を一緒にしてみました。

20161104-01

 

さて、元々口噛み酒は東アジアから南太平洋、中南米という広大な範囲に分布している伝統的な酒で、古代の文献「大隅国風土記」(713年以降)にも出ています。
その製法がYoutubeにも掲載されておりましたのでご紹介します。

 

こちらは口噛み酒風の「神聖なお神酒」ということなので、本尊様にお供えして、そのあとしばらくお飾りしておきます。

20161104

投稿者: kameno 日時: 6:42 PM | | コメント (0)

スマートフォンの根底に流れる禅の思想

スマートフォンのキャリアと言えば、日本ではドコモ、au、ソフトバンクなどがありますが、最近は通信会社に縛られないSIMフリースマートフォンが人気となっています。

価格.comの最新(2016年11月1日)の注目度ランキングでは(1位)「ZenPhone3 Simfree」(2位)「Xperia XZ SO-01J」(3位)「honor8 Simfree」(4位)「MotoG4 Simfree」(5位)「Xperia X Performance SO-04H」となっていて、上位5位のうち3機種がSimFree機となっています。
なお、「iPhone」は、9位に「iPhone 7 128GB」が入る以外はベスト10圏外でした。

 

注目度No.1の「ZenPhone3ですが、その製造元、ASUS(エイスース)のジョニー・シー会長が「禅」に傾倒されている方であるという記事がありました。
機種の名前も、当然「禅」に由来するの訳です。

 


ASUSのジョニー・シー会長が語る「禅」「卓球」「稲盛和夫」


日本でも、ZenFoneシリーズがSIMフリースマートフォンとして人気を呼び、知名度が高まっているASUS(エイスース)。今回、『ZenFone 3』『ZenBook 3』などの発表のために来日したジョニー・シー会長に、インタビューする機会を得た。普段持ち歩いているアイテムから、仏教の熱心な信者としても知られるシー会長にとって、禅とは何か。製品のデザインや経営にどう活かされているのかを語ってもらった。ジョニー・シー会長はアジア人の経営者ではまれに見るプレゼン能力を持つことで知られ、発表会も非常に盛り上がる。価格発表の際の「ドヤ顔」も見所のひとつとなっている。

●メモはZenFoneのカメラや「OneNote」を活用
――普段持っているアイテムを見せていただけますか?
「常に身につけているのは、『ZenWatch』、スマートフォンは『ZenFone 3』、PCはもちろん『ZenBook』 3ですね(笑)。車の中では、新聞の気になるニュースをZenFoneのカメラで撮影します。クラウド(OneDrive)にアップして、後でPCでもチェックできるようになっています。メモは、『OneNote』のアプリを使用しています。自分で考え続けていることを繰り返し書いては見直しています。
――たとえばどんなメモが?
「これはプレゼンに必要だと思う要素です。<まずは聴衆を愛する><情熱を持つ><自社の製品に誇りを持つ>などと書いています。プレゼンは原稿も用意しますが、それだけではなく、どうしたら聴いて下さるか、皆さんの近くに行けるか。言葉以外の要素も大事だと思っています。言い換えれば、右脳と左脳のバランスです。もっとも右脳と左脳のバランスが優れていた人物としては、レオナルド・ダ・ヴィンチがあげられるでしょう。マネジメントでもエンジニアリングでも、左脳だけで考えると見失うことがあります」
ASUSのキャラクター「禅太郎(英語名Zenny)」のトラベルポーチに小物類をまとめている。「私の持ち物だと一目でわかるでしょう(笑)」「薬は、中国式ののど飴に、日本の風邪薬。時差が大きいアメリカやヨーロッパへ行くときは時差ボケにならないようメラトニンを服用しています」シー会長の『ZenFone 3』。LINEはプライベートでも仕事でも頻繁に使用しているという。「OneNote」にまとめられた「禅」に関するメモ。入力は、スマホとPCの両方で行う。


●卓球とビジネスの共通点

「これは卓球についてのメモですね。私は学校時代に卓球をやっていました。最近は忙しくて自身がプレイすることはありませんが、トッププレイヤーから学ぶことはたくさんあります。少し前まで強いのは中国人の選手ばかりでしたが、リオオリンピックでメダルを獲得した水谷隼選手は、すばらしいプレイヤーですね」
――卓球に関してはどんな内容で?
「<姿勢を低く><勢いを付ける><身体のバランス><バリエーション>など、プレイを見て気づいたことを書いているのですが、これらは、ビジネスにも共通して重要だと思います。
たとえば、卓球では相手が強いからといって防御に走ってしまいがちですが、それでは負けてしまう。コートの角や後ろに追い込まれ、最終的に打ち込まれてしまうのです。ビジネスでも、会社が2番手であっても、機を見て攻撃しなければならない。これは、孫子の兵法にも似ています。卓球もビジネスも、禅の瞑想でも共通することですが、すべての瞬間が修行(プラクティス)なのです」
身のこなしが軽いシー会長。卓球で培われたこともあるのだろうか。

●シンプルさとエンジニアリング
――『ZenFone 3』にも禅のマインドが反映されていますか?
「もちろんです。ひとつはシンプルさです。スマートフォンはディスプレイがガラスですから、シンプルさを追求するならば、なるべくガラスで覆えばいい。そこで『ZenFone 3』は、前面と背面の両方を2.5Dガラスとしました。
フルメタルボディの『ZenFone 3 Deluxe』は、シンプルさの追求ではもっとできることがあると思います。今回は、フルメタルでありながら、アンテナの線を消すというiPhoneではできなかったブレイクスルーを成し遂げています。
シンプルに、と言うのは簡単ですが、それを実現する優れたエンジニアリングによる問題解決が必要です。最終的には精神的なところに戻ってきます。私たちは企業理念に<In Search Of Incredible(挑め。想像を超えたその先へ。)>を掲げていますが、常にインクレディブル(想像を超えた先)を目指し、成し遂げたいと思っているのです」

●日々の一瞬一瞬が修行
――どんな本を読まれていますか?
「常に読んでいるのは、やはり禅や仏教に関する本です。これは台湾人の作家(蕭平實氏)が書いた本ですが、正しく仏教を理解するうえで、非常に価値の高い本だと思っています。いつもカバンに入れて読み返し、気づいたことは直接ページにメモしています。
こちらは、京セラやDDI(現KDDI)を創業した稲盛和夫さんの本です。単にマネジメントだけを語るのではなく、哲学的であり実践的。従業員に精神的、物理的な利益をどう与えるか、どう実践するかを、ざっくり語るのではなく真にどうしたらよいか、実際のやり方が書かれています。
DDIを創業されたときも、多くの人の利益になると考えて会社を作られた。お金だけではなく、哲学的なことからスタートし、そして確固としてやり遂げられた稲盛さんを私は尊敬しています。
私にとって禅とは、シンプルさや美しさ、そしてバランス。日本の禅だけでなく中国の禅も深く理解したいと思っています。仏教も禅も非常に深くて豊かなものです。平和的に見えてパワフル。本当の意味で理解するには、山に登ってひとり瞑想するだけではダメです。もっとアクティブに、自分の生活の中で理解しようとしなければいけない。毎日のビジネス、経営においても、すべての瞬間が修行なのです。
ビジネスは禅だと思っていますし。私にとっては、デザインも禅であれば、プレゼンテーションですら禅なのです」

中国語に翻訳された稲盛和夫氏に関する本(原著は皆木和義『図解 稲盛和夫の経営早わかり』)。
●インタビューを終えて
かつてスティーブ・ジョブズ氏は、Appleをテクノロジーとリベラルアーツの交差点にいる企業だと説明した。シー会長の話に、このエピソードを思い起こす人も少なくないだろう。ジョブズも禅に強い影響を受け、シンプルさを製品に求め続けた。
シー会長は、Zenの名を冠した製品だけでなく、会社経営においても東西の思想を強く意識している。以前、シー会長から、生産管理において東西の手法(モトローラ社の「シックスシグマ」と、日本のトヨタ生産方式)を取り入れたと聞いたことがあるが、今回はマネジメントにおいてもピーター・ドラッカーをはじめとする西洋的な手法と、稲盛和夫氏の哲学を同時に実行しているという話が聞けた。
ASUSは、PCのマザーボードという、ロジックが追求される製品から会社が立ち上がり、より感性を必要とするPC製品やスマートフォンといったデバイスを広く売る会社に成長した。ASUSは家庭用ロボットへの参入も計画しており、エンジニアリングの力と禅のマインドがさらに必要とされる局面に立つものと思われる。個々の製品だけでなく、ASUSという企業の今後に注目したい。(DIME2016.10.27より引用・下線部はkameno付記)


本文中にもあるとおり、スティーブ・ジョブズ氏が禅に強い影響を受け、シンプルさを求めて「iPhone」をデザインしたということを以前このブログでもご紹介いたしました。
人気のスマートフォン、「ZenPhone」「iPhone」の源流に流れる禅の思想、そしてエンジニアリングやビジネスと結びつく禅マインド。

禅のもつポテンシャルはとても高いということを、海外から学ぶ事例も大いにありそうです。

zenny
(画像はASUSのキャラクター「禅太郎(英語名Zenny)」とジョニー・シー会長:asus.comより)


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SZI主催特別講義@大本山永平寺
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スティーブ・ジョブズ氏と禅

投稿者: kameno 日時: 4:08 PM | | コメント (0)

オリンピック・リオから東京へ

南米で初開催されたリオデジャネイロオリンピックは、17日間におよぶ熱戦を終え、8月21日(日本では22日)に閉会式を迎えました。
日本は史上最多の41個のメダルを獲得し、メダルを惜しくも獲れなかった選手も含め、記憶に残る熱戦が印象的でした。

そして閉会式。
4年後の東京オリンピックの約10分間のプレゼンテーション(プロデュース:椎名林檎・佐々木宏・菅野薫・MIKIKO)か特に素晴らしかった。
⇒ NHKのYouTubeチャンネルでその映像を見ることができます。(ここをクリック)

 

■徹底的な日本らしさの中にもリオ・リスペクト

オープニングで、東日本大震災などに寄せられた世界中の人々への感謝のありがとう。
被災地の小中高校生たちによる人文字と国家の斉唱。
以降、プレゼンテーション全体に流されていた音楽は、初めから終わりまでリオ市民の体に染みついているサンバのリズムに統一されていました。
自国のアピールに終始しがちなプレゼンテーションにおいて、地元リオデジャネイロへのリスペクトが根底に流れています。

RIO
OBRIGADO
ARIGATO

20160822-0720160822-10


■言葉の要らないコンテンツの力

次々に登場する日本のキャラクター。
プレス向けには説明が配布されていましたが、映像を見ている世界中の人には、「マリオ」「ドラえもん」「ハローキティー」「パックマン」・・・それがどういうキャラクターなのかを改めて説明する必要がありません。
20160822-11
それだけ日本の持つコンテンツ力が強いということ。そのことを十分に生かしていました。
RIOだから「MARIO:マリオ」という意図もよくわかります。

 

■東京とリオの位置関係もきちんと説明されている

安部総理は、日の丸をイメージした赤いボールをリオまで急いで届けるため、マリオに変身。
「ドラえもん」が四次元ポケットから土管を出して東京からリオまでルートを作ります。
ここで、敢えて「どこでもドア」にしなかった理由は、リオデジャネイロと東京が地球の真裏の位置関係にある(つまり真下に掘っていけばそれぞれの都市がつながる)ということをイメージできるからでしょう。
東京が地球上のどこにあるのか、世界中にはそれを知らない方も多数いる中で、効果的な演出でした。

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■小池知事・安部総理の本気度 =日本の本気度

「フラッグハンドオーバーセレモニー」での小池知事の衣装は、一見地味に見えるけれども、錦糸の帯、見事な鶴の刺繍・・・最高級の着物だと拝察しました。少なくとも数千万円の価値のあるものだと思います。
その「勝負着」で、あの大雨の中、セレモニーを遂行した姿は、知事の本気度を示してくれました。

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安部総理は、こんな風に土管の中で待機していたのでしょうか。かわいい。
知事や総理の本気度は、東京オリンピックに日本がどれだけ本気で取り組んでいくかを表しています。

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■技術を活用したオリンピック開催のアピール

日本は技術立国。
コンテンツだけではなく、その技術を生かしてオリンピックをどれだけ楽しませてくれるか。
その期待感を持たせる演出も素晴らしかった。

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AR(拡張現実)によって、東京大会から公式種目として採用されるスケートボードなどを含む33の競技をイメージした映像を投影。
4年後にはARを最大限に利用して、観客が360度どの方向からも自由に観戦できる、そんなことも期待できます。


そして、特筆すべきはフィールドに投影されたプロジェクションマッピング。
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通常、斜め方向からプロジェクターで投影するとダンサーの影がくっきりと映ってしまうのですが、この演出ではまったく気にならない。
なんと、20,000ルーメンクラスの大型プロジェクターを100台以上同時制御して、競技場の4方向から投影しているのです。
まさに日本企業の本気。
これだけ高度なプロジェクションマッピングを本番できっちり成功させるということは、計画から準備までどれほどの労力を費やしたのか。
日本だからこそできた演出だったといえます。

フィールドでは青森大学男子新体操部によるスポーツの動きをモチーフにしたダンスや、光のフレームを用い東京大会のエンブレムを形作るなどの演出が行われ、プレゼンテーションの終盤では東京の街並みや富士山の影絵が映し出され、土管からはスカイツリーが出現します。
「SEE YOU IN TOKYO」文字とともに赤と白のダイナミックな花火が会場を彩りました。

さりげなくマリオのゲームクリアのBGMも。

 

4年後の東京オリンピックでは、どんな素晴らしい大会になるのかを世界中の人たちにアピールした素晴らしい閉会式でした。
今回の演出には若いクリエーターたちや技術者たちの柔軟な発想と実行力がみごとに結実しています。
是非、若い力を東京でも発揮して欲しいと思います。4年後が楽しみです。


※ブログ記事中の写真はyoutube公式映像からキャプチャーしたものを使用しました。

投稿者: kameno 日時: 11:48 PM | | コメント (0)

貞昌院が「ポケモンGO」の利用を禁止しない理由

7月22日に日本で「ポケモンGO」が配信されてからダウンロードして遊ぶ人が爆発的に増え、社会現象となりました。
それに伴い、神社仏閣などでは「ポケモンGO」禁止を表明するところも出ています。


貞昌院では「ポケモンGO」について、基本的なルール(下図参照)さえ守っていただければ禁止をすることはありません。
むしろ、FreeのWifiを用意しておりますので、アプリを楽しんでいただければと考えています。


その理由をいくつか挙げてみます。



■位置情報を利用したアプリは「ポケモンGO」だけではないので「ポケモンGO」だけを禁止するのは筋が通らない

「ポケモンGO」は異例ともいえるほど爆発的にユーザー数が増えたため、寺や神社、公園、石碑などのうち特定の場所に人が集まり社会現象となりました。
しかし、元々これらの場所は数年前から 「イングレス(ingress:簡単に言うと青と緑の陣取りゲーム)」 のポータルとして設置されていたものであり、 「ポケモンGO」は、「ingress」で使われているポータル(陣地目標)をポケストップに流用しています。
「ingress」 は人気のあるアプリですので、ユーザーは数年前からそれなりに居たのです。もちろん、今でも人気のアプリです。

歩きスマホということであればtwitter や facebook 、Lineなども歩きスマホの原因になります。
また、位置情報を利用したアプリはほかにも数えきれないほどあり、ナビゲーションのように目的地まで案内してくれるアプリや神社仏閣の巡礼参拝を補助するアプリすらあります。
これまではユーザー悪の論調で、携帯電話事業者もアプリ開発業者も批判されてこななかったのに、「ポケモンGO」だけがアプリ、もしくはアプリ開発業者業者や任天堂が悪であるという論調も論点がずれていると言わざるを得ません。
仮に「ポケモンGO」を禁止するのであれば、スマートフォンの使用をすべて禁止しないと筋が通りません。

 

■爆発的なブームはそれほど長く続かない。

ブームに乗って「ポケモンGO」をダウンロードした人の大半は一週間程度で脱落すると思います。
ガチでやり込む層は、遠からず精々10分の1程度かそれ以下になることでしょう。
また、「ポケモンGO」は、初期の段階ではひたすらポケモンを集めることになりますが、ある程度経過すると歩き回ってタマゴを育てたりする「歩きゲーム」に性格が変わります。
したがって、現在顕在化している問題点は急速に鎮静化していくと思われます。

 

■「ポケモンGO」は、画面を見ながら歩かなくもプレイできる

画面を見ながら歩くという遊び方は正しくありません。
次のポケストップの場所を確認したら、スマホを握ったまま画面を見ないでひたすら歩く。
ポケモンが現れた時は振動でわかるので、安全な場所で立ち止まり、落ち着いてゲットする。
また、スマホのカメラを切って(ARを切って)いたほうが、ポケモンが画面中央に現れるのでゲットしやすい。スマホをあちこちに向ける必要は全くないのです。
このように「ポケモンGO」に限っては、画面を見つめながら歩く必要はありません。
そういう使い方をマスコミや大人たちが率先して広めていくことが大事でしょう。


■求められるのは利用者のモラル

例えば、広島平和公園に「ポケモンGO」のポケストップがあるのは不適切という声がありますが、第1項で述べたように広島平和公園には数年前にはすでに「ingress」 ポータル(陣地の目標)が設置されていました。
寺社の境内や主要スポットにも数年前には設置されておりました。
それらがこれまで問題視されてこなかった理由は、ユーザー数がそれほど多くなかったということの他に、ユーザー間での暗黙の了解として、自粛すべき場所はルールに則って遊ぶということが徹底されていたからでしょう。
「ポケモンGO」プレイヤーも、次第に成熟していくことを期待します。
どこに入ってよい、どこに入ってはダメというのは「アプリ」や「ゲーム」云々以前の基本的な社会のルールですから。


※「ingress」は青と緑の陣取りゲームです。
2014年8月6日の広島原爆の日には、ふだん敵対している青陣営と緑陣営が協力して、陣取りゲームの機能を利用し、広島平和公園全体を「折り鶴」で囲むということが行われていました。→ [Ingress Art] 平和公園でオリヅルしませんか?

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↑2年前(2014年8月6日)ingressの青・緑陣営が協力して広島平和公園に作られた「折り鶴」。

 

■子供たち、親子連れの姿が町のあちこちに見られる光景は平和そのもの

これまでのテレビゲームでは家の中に閉じこもりがちですが、「ポケモンGO」は家の外にプレイヤーを連れ出す力を持っています。
健全に使われる限りにおいては、街に活気があふれる源になるかもしれませんし、上記の広島平和公園の例でいうと、平和公園が子供たちや親子連れで満たされている光景っていうのは、ある意味究極的な平和の光景といえるのではないでしょうか。


■コレクションやアイテムを集めたいのはいつの時代も一緒

お酒の一升瓶の蓋、メンコ、スーパーカー消しゴム、ウルトラマン・仮面ライダー・ビックリマンのカード・・・時代は変わっても子共たちのコレクション魂は変わりません。
今の「ポケモンGO」以上に社会現象となったものもたくさんあります。
コレクションアイテムの課金が発生する部分については、それらとどのようにうまく付き合うのか、向き合うのか、その方向性について大人がちょっとアドバイスをしてあげる程度でよいのではないでしょうか。
それに、日本発祥のキャラクターが世界を席巻するほど魅力的なのだ、ということは誇っても良いことだと思います。

 

■スマホゲームの基本的な使い方を教える絶好の機会

「ポケモンGO」は親子で一緒に楽しめるゲームです。
遊び方、入ってよい場所、悪い場所、時間、マナーなど大人が使い方の規範を示すことができれば、他のアプリを利用する際にも使い方を応用することができます。
全てにおいては、その遊び方、使い方に尽きると思います。




以上、ざっと貞昌院が「ポケモンGO」の利用に関して、基本的なルール(下図参照)さえ守っていただければ特に禁止しないという理由を挙げてみました。

スマホ利用に関して、成熟した社会になることを心から望みますし、それを率先して牽引していくのは大人の責任であると考えます。

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■関連ブログ記事

Ingressプレイヤーと共存するために
Ingressプレイヤーと共存するために-ポケモンGOまもなく公開
「ポケモンGO」 日本で配信開始
ポケモンはどこに出やすいか?

投稿者: kameno 日時: 1:13 PM | | コメント (4)

Ingressプレイヤーと共存するために-ポケモンGOまもなく公開

昨年、Ingressプレイヤーと共存するために という記事を書きました。
その際に書き連ねた様々な懸念事項、それが近いうちに大きな社会現象となってやってきそうな感じです。

というのも、任天堂とナイアンティック社との共同プロジェクトとして、Ingressとポケモンが融合した「ポケモンGO」がアメリカでリリースされ、まもなく日本でも公開される予定だからです。

ポケモンGOは、Ingress同様、スマートフォンにダウンロードして楽しむアプリです。
スマートフォンのGPS機能を利用し、街中の様々な施設に設定されたポケモンを画面上でゲットできるというものです。
7月6日に先行リリースされたアメリカでは、リリース後わずかの日時しか経過していないにかかわらず、すでにTwitterのアクティブユーザーと同等の拡大となっています。

それだけ急速に拡大すると、やはり弊害も発生するわけで、美術館や博物館などでなりふり構わずゲームに没頭したり、歩きスマホ、運転しながらスマホなど事故の原因になるという問題も発生しています。

もう一点、問題となりそうな点を挙げるのならば、Ingressの「Portal」(拠点)が設置されている場所が、歴史的な建造物や石碑、石仏、銅像などに設置されがちなため、Ingressのプレイフィールドが寺院や神社の境内に設置されることが多いということです。
Ingressでは、貞昌院や永谷天満宮周囲からいくつものエネルギーが噴出していました。
Ingressプレイヤーと共存するために 参照

そうなると、ポケモンGOが始まると、例えば、貞昌院ではこんな状況になったりして・・・・・

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バーチャル・リアリティーの問題点の一つは、その現実感を周囲の人と共有できないことにあります。
すなわち、プレイヤー以外には、その現実感が伝わらないということです。

 

Ingressのプレイヤーの皆さん、そしてこれからポケモンGOをプレイする皆さん。
むやみやたらに寺院や神社などの境内に入らないで下さい、とは申しませんが、境内は神聖な礼拝施設であることを理解いただき、そこ入る場合には、是非それぞれの参拝作法に則った行動をお願いしたいものです。
世界規模のゲームを誰もが気持よくプレイできるよう、最低限のマナーは身につけて欲しいと願います。

投稿者: kameno 日時: 12:07 AM | | コメント (0)

蓮は清浄な泥と水から花を咲かせる

蓮の花(蓮華)は仏教の教えを象徴する花とされています。

その理由は「泥中の蓮(でいちゅうのはす)」(維摩経)にあるようです。
つまり、泥のような汚れた環境、であっても、その汚れに染まらず清く正しく生きるさまが菩薩道を歩む仏教修行者の姿に喩えているのだと思います。

仏教説話など読むと、
「泥水が濃ければ濃いほど、汚ければ汚いほど、蓮の花は大輪の花を咲かせる」
「きれいな水からは蓮の花は小さな花しか咲かせない」

などのように、汚い泥←→きれいな蓮の花 という構図が根底にあります。
私も、以前は何の疑問もなくこの構図を先入観を持って抱いていました。

 

しかし、蓮の花を育ててからは、蓮の育つ環境は、決して汚い環境ではないということをつくづく感じます。

貞昌院の大賀蓮は、直径約1mの鉢に土を入れて水を約10cmほどの深さに張っています。
そこから立ち上がる立葉や蓮華は高さ2mほどにもなっています。

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では、根元の泥や水はどのようなんっているかというと・・・・
透明度抜群の澄んだ水です。

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(↑クリックして拡大すると小さいメダカの赤ちゃんがたくさん見えます。右写真に矢印を加えました)

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こんな感じで、次々と新しいメダカが生まれています。体長わずか数ミリ。

水底には、蓮の浮葉が枯れて沈んでいます。
その葉に付いた藻に、メダカが卵を産んでいます。

また、アマガエルも居るし、ヤゴも育っています。

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ただの容器に水だけを張って外に置いておくと、水は腐り、ヤブ蚊の幼虫、ボウフラが沸いて、それこそ汚い水になりますが、蓮の鉢ではそんなことにはなりません。

 

対し、蓮の鉢の中はちょっとしたビオトープの環境が蓮鉢の中で整えられているのです。
泥の中にも活発に活動する細菌や小さい虫たちがたくさん居ます。

ボウフラはたちまちメダカの餌になりますので、蓮鉢の中では蚊の発生はありません。
また、ヤゴはメダカを食べるのですが、メダカは藻の中に隠れたり、何よりも繁殖力が旺盛なので、水深さえきちんと保っていれば絶滅することはありません。


そういった生物たちの営みにより、泥も水もとても清浄な環境を維持しているのです。

 

泥は決して汚いものではありません。
そして、「蓮はさまざまな生物たちにのはたらきによる清浄な泥と水から清浄な花を咲かせる」のだということを、蓮華鉢は教えてくれています。

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投稿者: kameno 日時: 9:35 AM | | コメント (0)

罪の名前

昨日、ニコニコ動画およにYoutubeに投稿されたryo(supercell)さんがさんの曲が話題になっています。
投稿された日から見ておりましたが、1晩で10万再生を超え、近いうちに100万再生に達するのではないでしょうか。

なぜ話題になっている(というよりも、ニコニコ動画ではお祭り騒ぎになっている)のかというと、9年前、ボーカロイド・初音ミクのブームを一気に築き上げた第一人者が8年ぶりに楽曲を投稿したからでした。
ボーカロイドが登場して、多くの才能が開花して素晴らしい音楽がたくさん生み出されてきた黎明期の雰囲気がまた戻ってきたということもあります。
そして、それ以上に曲の素晴らしさゆえでしょう。

前置きはどうでもよいので、まだ聴いたことのない方は、まずは投稿された曲をお聴きください。

タイトルは「罪の名前」です。

(ニコニコ動画晩はこちら http://www.nicovideo.jp/watch/sm29021785

 

この登場する人物は主に3人。
(1)主役となるのは容姿に問題を抱える女の子
(2)曲がったことが大嫌いな目の見えない心優しい男の子
(3)影で人の運命を暇つぶしに弄ぶ運命の女神


女の子は生まれたその瞬間に運命の女神に目をつけられます。そして人に見せられないような顔にさせられてしまうのです。
女の子は嘆きます。どうして私は私に産まれてしまったのでしょうかと。

日々疎まれ理不尽に差別される中、女の子は男の子に出会います。男の子は目が見えません。なので女の子がどういう顔なのか全くわかりません。そうしていじめられる女の子をかばい友達になってくれるのです。

女の子はたいそう喜びます。そしていつか願うようになります。この男の子のために、私は普通の女の子になりたいと。
男の子は男の子で、そんな女の子に次第に好意を寄せるようになります。そしてその女の子の気晴らしに少しでもなればいいと白いユリの花を贈ります。

そこでまた現れる運命の女神。これは面白い展開になった、と。
白いユリの花を不吉な黒に染め替えてしまいます。
そしてここで男の子の目を治して女の子の醜い顔を見せたのなら、男の子はいったいどんな顔をするのか。

全ての事象に飽きてしまった女神は残酷なことでしか自分を解き放てないのです。そして魔法をかけます。
男の子の目よ治れと。
ryoさんのあとがき より一部引用。曲の結末は、曲の中および ryoさんのあとがき でご確認ください)



タイトルの「罪の名前」には深い意味が込められていることがわかります。

生まれつき、容姿に問題があるのは、きっと罰なんだ・・・と追いつめられ、周囲かひたすら「罰」を受ける女の子。
ですが、では、女の子の「罪の名前」とはいったい何なのでしょうか。

私たちの普段の生活の中でも、見かけや表面的な浅い理解から無意味な予断や偏見を持ってはいないだろうか。
自分のイメージに合うものは、それを好意的に受け入れるけれども、合わない場合には否定してしいないだろうか。
「名前のない罪」をかけてはいないだろうか。

というように、すべての人が人間らしく生きるという、あたりまえのことですが、なかなか実現できない基本的なメッセージをも含有した内容だと感じます。

 

とにかく多くのメッセージが込められた素晴らしい楽曲なのでご紹介しました。
初音ミク(ボーカロイド)の調声もそうですが、生演奏が生み出す重厚な雰囲気も聴きどころです。
おそらく、歴史的な曲になる(現在進行形)ことでしょう。

 


 

■関連ブログ記事
初音ミクにみる音声合成の可能性
(2007年のブログ記事)
初音ミク「Tell Your World」チャート1位に (2012年のブログ記事)

投稿者: kameno 日時: 9:50 PM | | コメント (0)

薬師寺の整列テクニックと整列スキルがコミケレベル

現在、奈良の薬師寺では「噂の刀展」が開催されています。
開催:平成28年3月1日~5月8日

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一見すると、地味な文化財展示にように感じる方も多いと思います。
しかし、それはとんでもない思い違いなのです。

 

特に、4月2日の1日のみ限定で展示された「大倶利伽羅」の展示日の様相は特筆に値します。
薬師寺の境内が1000人を超える若い女性(審神者たち)で埋めつくされたのです。


その理由は、女性の間でブームになっているブラウザゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』にあります。
そのゲームプレイヤーキャラクターのことを審神者(=さにわ)と呼びます。
いわゆるプレイヤーたち自身のことですね。

 

今回、審神者たちの目的の「大倶利伽羅」はこちら。

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刀帳説明

……大倶利伽羅だ。相州伝の広光作で、前の主は伊達政宗。名前の由来は彫られた倶利伽羅竜。
……それ以上は特に語ることはないな。何せ、無銘刀なものでね
(説明は刀剣乱舞ONLINE(とうらぶ) Wiki*より引用)

 

ということで、4月2日に限り全国から腐女‥ 審神者たちが集まったのです。

その様子をTwitterまとめでご覧ください。

Twitterまとめ
http://togetter.com/li/957497

 

 

それにしても、有明のコミケか、アイドルの握手会か、いや、それ以上の整列テクニック(主催者薬師寺側)と整列スキル(来場者側)のレベルの高さといったら、凄いの一言です。
初夏の陽気で、しかも千人もの待機列を整然と整列させ、かつその待機者を退屈させるどころか楽しませ、皆を笑顔にする。
薬師寺も審神者たちもどちらもプロですね。面白すぎ。

【刀剣乱舞】薬師寺のお坊さんの名言などのまとめ
http://tourabu.blog.jp/archives/57685018.html



○お坊さんの整列テクニック凄すぎて白目剥いてます/(^o^)\wwwwwwwwwそして拝観出来るの10秒っぽいですwwwwwwwwwアイドルの握手会かな?wwwwwwwww
○朝に並んだ時の24番。上、2回目の1196番。2列で受付してるので、実際の人数はこの倍になる。1時間半で2000人以上捌いたのかΣ
○薬師寺よりお知らせ/大倶利伽羅見た後に並ぶであろう大宝蔵殿前よりお知らせです。/現在外に800人ほど並んでいるそうです。/キャプション読む為に立ち止まるとつかえてしまうので立ち止まらずに進んでください!/本日気温20℃超えでこのままでは確実に熱中症の方が出ます!/体調管理に注意!
○通りかかった薬師寺のお坊さんの一言。列を見て「一人くらい男子おらんもんかな」大倶利伽羅モンペのPTA総会ですからね、いないと思うんですよwww
○薬師寺のお坊さん「はーい、少しずつ列動きまーす!」「安心してください、必ず(入場)券は買えまーす!」「みなさんの目的がひとつなのは分かっておりまーす!」
○薬師寺のお坊さんがお子さんを高い高いしてから「シルク・ドゥ・ソレイユ~」てw
○薬師寺のお坊さん「スマホに変えてとうらぶデビューしようかな」
○薬師寺のお坊さん(さっきとは別の人)「おーい、そこもう少し詰めてもろて!」「んで適当なところで列をぱきっと切って!」的確な指示すげぇ。あと麦わら帽にタオル装備という完全装備
○薬師寺のお坊さん(列整理)「修学旅行生よりも全然並び方が良い!統率がとれてる!」と褒めながら審神者を捌くwww
○薬師寺のお坊さん「皆さん列作るの上手ですねー。統率力あります」…そりゃあ、慣れてますから。行列には。
○薬師寺のお坊さん「今日はね!キャプションとか読む日じゃないから!いま900人くらい並んでてね、20度越えてるの!熱中症になるよ!」待機列から笑いがwwww
○薬師寺のお坊さん本当にお話し上手くて面白いw「亀のようになってゆっくりでいいのでみんなで倶利伽羅まで行きましょうね〜」「刃が下に向いてるのが太刀となりますが、まあ、こんなのは審神者の皆様には当たり前のことでしょうが」「僕もとうらぶやってるので仲間としてたくさんお話したいんですよ」むしろ今日のお坊さんの様子を見に薬師寺行きたいレベルwww
○薬師寺、噂の刀展みるため長蛇の列に並ぶ。お坊さんのアナウンスが神すぎる。お坊さん「皆さん!!どうか!!熱中症とケガだけは!!熱中症とケガだけは気をつけてください!!薬師寺は健康祈祷なので!!」私ら「はーいwwww」
○お坊さん「中に入ったらキャプション読まないで!時間ないから、今日に限っては!5月までやってるから!今ここに800人並んでるから、熱中症にならないで!健康祈願のお寺で熱中症が出たらネットで笑われるから!わかりましたか!」私ら「「はーい!」」ってなって、みんな笑顔になった 。お坊さん『あ!いい子!!』
○薬師寺玄奘三蔵伽藍の解説にきてくれたお坊さんのお話がwww三蔵法師は女性ではありません、はまだしも、リボルバーまわしてジープにのってたりはしません、これに受ける人たひは腐の人たちですね、外国語とか上達したい人はお願いするといいです、審神者の方にはなんの役にもたちません(うろ覚え)
○お坊さんとてもわくわくしてる様子だったよ、「いつも人あんまり来ないんですよね!これを機に薬師寺好きになって帰ってください!リピート待ってます!」って力説されたから。笑
○薬師寺のお坊さん「お願いします、皆さんもう半歩ずつ詰めてくださーい、そしたら後ろの人は列が進んだように感じまーす」ってw
○大倶利伽羅みて出てきた我々に対して薬師寺の方「みんな笑顔だね!」
○列形成はYOUちゃんより上手くて整列のコメントスキルもコミケスタッフレベルって薬師寺のお坊さん一体何者なんだよ……!

 

肝心の「大倶利伽羅広光」を見た感想もアツイものばかり。

 

○薬師寺メモ① スタンプ押してもらって靴脱いだらはじめに「三条吉家」隣に「鄙田青江恒次」。靴履い隣の建物に「般若丸」隣に「大倶利伽羅広光」。靴履いてからざわつきが大きくなりましたので皆様「静かに」お願いします。私も心の中では大変ざわついております。死にそうです。
○薬師寺のお坊さん「準備っていうのは大切で、アンケートで2700人来ますとの回答だったので、大体4000人かなって思いまして、最高6000人と予想して準備してきました。準備大事。」
○人気アイドル大倶利伽羅さんの1日限定ハイタッチ会 in 薬師寺
○大倶利伽羅さん、華奢だしすんごい細かい細工で、ハバキに伊達家の家紋も彫られてて、早起きしてよかったです(*`・ω・)
○薬師寺簡易レポ 塩対応で10秒で握手から引き剥がされて「見るなら勝手にしろ、馴れ合うつもりはない」ってかんじでマジ痺れました。
○最高。綺麗な刀でした 大太刀の名残か刀身が太く、しっかり倶利伽羅竜もはっきり、竜の手前に傷?けっこう大きめ

 

いやぁ、こういう事例はとても参考になりますね。
皆が幸せになる展示会。

貞昌院でも刀剣乱舞などコスプレイベントを行なってますが、みなさんマナーの良い方ばかりで本当に有難いです。


■関連ブログ
檀信徒旅行(奈良)報告(3)

コスプレイベント@貞昌院の感想
お寺でコスプレ 第3弾
お寺でコスプレ 第4,5,6弾

投稿者: kameno 日時: 12:58 PM | | コメント (0)

東日本大震災から5年

 

2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災から5年目の日を迎えました。
改めて1万5000人を超えるお亡くなりになられた方々への弔意を表します。

いまだ行方がわからない方も2500人を超えており、発見されたご遺体のうち身元が不明な方々も70名いらっしゃるということです。
 


震災から5年...復興「まだ半分」 福島県民の7割感じる

東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から丸5年となる11日を前に、福島民友新聞社は県民を対象にアンケートを行った。本県復興の実感を10%刻みで「復興度」として聞いたところ「0%」~「50%」の合計が約7割で、半数以上は復興の進み具合が「まだ半分」と感じていることが分かった。原発事故による避難が続いている状況が本県復興の遅さを感じさせる一因になっているとみられる。
福島大行政政策学類の丹波史紀准教授の協力を得て分析した。復興度について最も多かった回答は「50%」の102人(全体の24.5%)、次いで「30%」の78人(同18.8%)だった。丹波氏は「震災から5年が経過しても50%以上が多数を占めていないことの方が課題」と指摘した。
阪神大震災では、仮設住宅が震災から5年で解消されたことなどを踏まえ「阪神大震災や新潟県中越地震では3年が一つの区切りだったが、本県はいまだに10万人近くが避難生活を余儀なくされている状況。『道半ば』であるというのが全体の傾向だろう」とした。
アンケートは、福島民友新聞社の記者が2月中旬から今月4日にかけ住民への聞き取りで行った。回答者数は416人。年代別や居住地域別で分類。原発事故により避難をしている人は避難元の住所で回答した。
福島民友新聞 3月11日配信)


地域により復興の度合いに大きな差がでていることも浮き彫りになりました。
年月の経過により、記憶は風化しがちですが、必要な地域に必要な支援が届くよう常に心を寄せていたいものです。 

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震災直後に眺めた松島湾の<穏やかな>日の出。

 

震災発生の時刻には全国寺院で梵鐘を同時に撞くということも予定されています。
投稿者: kameno 日時: 9:34 AM | | コメント (0)

十大ニュース@当ブログ2015

今年も残すところ一週間を切りました。
年の瀬を迎え、新聞、テレビなどではそろそろ今年の総括として「十大ニュース」などが発表される時期になりました。
平成27年(2015年)は、みなさまにとってどのような年でしたか。 
当ブログでも、毎年年末に毎日の記事より一年を振り返りながら独断で十大ニュース風にまとめています。
2015年の総括です。

できごと

  できごと 関連ブログ記事 コメント
二祖峨山禅師650回大遠忌

記事1 記事2 記事3 記事4 記事5 記事6 記事7 記事8 記事9 記事10 記事11

50年に一度の大行事の事務局においてとても得難い経験をさせていただきました。
新年快樂!臺灣佛光山

記事1 記事2 記事3 記事4 記事5 記事6 記事7 記事8 記事9

春節諸で賑わう臺灣佛光山の諸行持に参加してきました。その圧倒的なパワーには驚かされるばかりです。
梅花流全国奉詠大会 記事 記事2 数年前から各種調整、準備を進めてきた梅花流全国奉詠大会。心に残る大会でした。
鶴見萬燈火の夕べ 記事1 記事2 多摩美術大学の学生さん、地域の皆さん、近隣寺院の協力により總持寺境内を萬燈で照らしました。
ニコニコ超会議に出展参加 記事1  幕張メッセで開催されたコニコニコ超会議に出展参加いたしました!
また、今年もニコニコ動画(カテラン1,2位を獲得)やYoutubeチャンネルに多くのアクセスをいただきました。
境内整備工事 記事1 記事2 バリアフリー化に向けて、玄関から本堂へ続く廊下の段差を解消しました。
大賀蓮の開花 記事1 記事2 記事3 記事1 記事2  美しい大連の花をいくつも見せていただきました。
さわやか寄席落語会・さわやかコンサート・子供落語教室

記事1 記事2 記事3

本堂で年2回行っている落語会・コンサート、そして子供落語教室。
BSフジの「落語小僧」に貞昌亭瑞鳳くんが出演しました。
第17回ゆめ観音アジアフェスティバル
キャンドルナイト

記事1 記事2 記事3

継続は力なり。今年も多くの参加をいただき、心に残る祭典になりました。
10 サブカルチャー系 記事1  リンク1 

今年も引き続き貞昌院でコスプレイベントを定期的に開催しています。


振り返ってみると、今年も個人的にもお寺にも様々なことがあった一年でした。
また、例年にもまして、多くの方々とのご縁が広がった年でもありました。

特に今年は、大本山總持寺二祖峨山禅師650回大遠忌の年にあたり、事務局として関わらせていただいたことはとても大きな経験になりました。
公的なことでは、宗務庁級階査定委員会専門部会の座長を引き続きつとめさせていただき、国勢調査の結果を得て調査・実施できるよう準備・研究を進めているところです。

今年一年間お世話になりました皆さまに心より感謝申し上げます。
来年がより良い年でありますように。


■関連ブログ記事
十大ニュース@当ブログ2014
十大ニュース@当ブログ2013
十大ニュース@当ブログ2012
十大ニュース@当ブログ2011
2010年の十大ニュース@当ブログ
2009年の十大ニュース@当ブログ

投稿者: kameno 日時: 12:32 AM | | コメント (0)

明日から臘八攝心 あかつき・はやぶさ2

早いもので今年も残すところあと1ヶ月。
明日からは12月です。
12月は別名師走と呼ばれますが、もう一つ「臘月」とも称されます。

12月8日は仏教にとって重要な日、日本ではお釈迦様が悟りを開かれた日、成道の日とされます。
約2500年前、19歳で出家修行されたお釈迦様は、インド各地を巡り様々な思想を学びましたが、どの教えも彼を満足させることはありませんでした。
その後、修行仲間とともに体を痛めつけたり断食をする苦行を行じますが、それでも悟りに至ることは無く、苦行の無意味さに気づき苦行を中断します。
ネランジャラー河の岸辺で村娘が作ってくれた「乳粥」を施され、そのままブッダガヤの菩提樹の下で坐禅を組み禅定に入ったお釈迦様は、禅定を妨害する魔物たちをことごとく調伏し、12月8日未明ついに悟りを開かれたのでした。

この故事にならい、修行道場では坐禅をひたすら行じる「臘八攝心」が12月1日から8日の未明にかけて修行されます。

 

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今年、この攝心期間に日本の宇宙観測にかかわる重要なミッションが2つ行われます。

 

1つ目は12月3日の「はやぶさ2」のスイングバイです。
ちょうど1年前に打上げられた「はやぶさ2」は、12月3日に金星に向けて軌道を修正する「スイングバイ」を行います。
このスイングバイは、地球に最接近した時に行ないますので、望遠鏡で観測できる可能性もあるということです。

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詳細は、このブログ文末にリンクを張っておきますので、そちらをご覧ください。

スイングバイが成功すると、地球の引力により、はやぶさ2の速度は秒速30.3キロから秒速31.9キロに増速し、軌道は目的地の小惑星「Ryugu」(1999 JU3)を目指すものに変わります。
到着予定は2018年。ミッション達成後、翌2019年地球に向けて軌道を変え、2020年に帰還する予定です。
楽しみですね。


■はやぶさ2の主な経過と予定

2014年12月3日 打ち上げ→打ち上げ後は、地球に近い軌道を描いて太陽を1周し、約1年後に地球の近くに戻ってきます。
2015年12月3日 地球スイングバイ→スイングバイ後は小惑星Ryugu(以下、リュウグウ)の軌道に近い軌道に入り、太陽を約2周したあと、2018年夏頃にリュウグウに到着します。
2018年夏 小惑星リュウグウに到着~約18ヶ月滞在→リュウグウが1周あまり太陽の周りを公転するあいだ、小惑星探査を行います。
2019年 小惑星リュウグウを出発→太陽の周りを1周弱回った後、地球に帰還します。
2020年末 地球に帰還し、サンプルの入ったカプセルを地球に再突入

 

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もう一つは、12月7日、金星探査機「あかつき」の金星周回軌道への投入です。
「あかつき」は、5年前の2010年12月7日に金星周回軌道投入を試みましたが、主エンジンの不具合により失敗してしまい、現在は、太陽を周回する軌道を飛行しています。
そこで、軌道計算を再度検討し、今回は不具合のある主エンジンは使用せずに、姿勢制御用エンジン4基によって、打上げ当初の計画より遠金点高度の高い楕円軌道へと再チャレンジするというものです。
具体的には、金星に近づく今年12月7日、金星があかつきに追いつき、追い越された瞬間に減速制御を行い、金星周回軌道に修正させるというものです。

20151130-01

 

12月6日  日中 姿勢変更
7日04:30 臼田局可視開始
08:22 日陰通過開始(金星の影に入る)
08:51~金星周回軌道投入のため姿勢制御用エンジン噴射、データ受信と確認作業など

こちらは二度とない再チャレンジのラストチャンス。
ミッションが成功することを願います。

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JAXA のゆるキャラ「きんせいちゃん」「あかつきくん」

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釈迦牟尼仏言 明星出現時 我与大地有情 同時成道
『正法眼蔵』「発無上心」巻より

かの明星が出現した時に わたしと大地や生きとし生けるものは みな同時に成道した
『現代語訳 正法眼蔵』増谷文雄著より

 

12月8日の未明、明けの明星の元でお釈迦様は大悟されました。
そして、今年の12月8日は、 明け方の東の空に、月と金星(-4.2等星)が間近で輝き、さらに火星、木星も近い位置に並びます!

その金星の直ぐ側に「あかつき」が(肉眼では見えないけれども)居るのです。
感慨深いですね。

20151130-02


■関連リンク

はやぶさ2特設サイト | ファン!ファン!JAXA! (JAXA)
JAXA|あかつき特設サイト - 宇宙航空研究開発機構 (JAXA)

投稿者: kameno 日時: 8:34 PM | | コメント (0)

Ingressプレイヤーと共存するために

各地で深夜徘徊する「イングレス」民とは何だ? スマホ見ながら住宅街立ち入り「不審者」通報続出

米ナイアンティック・ラボ社の人気スマートフォンゲーム「Ingress(イングレス)」をめぐり、プレーヤーが深夜の住宅街を徘徊するといった「迷惑行為」が、2015年に入りネット上で相次ぎ報告されている。
イングレスは、2チームに分かれたプレーヤーがスマホを手に街を歩き、現実世界を映しだしたバーチャルマップ上の目印を奪い合う「陣取りゲーム」。ゲーム内の世界と現実空間が結びつけられた結果、日本でも警察官が出動するなどの騒動が広がっている。
イングレス民は「職質」もどんと来い? 寺院に立ち入り「不審者」扱い ゲームでは、「エンライテッド(覚醒派)」と「レジスタンス(解放派)」の2チームに分かれたプレーヤーが、運営側の設定する「ポータル」(チェックポイント)同士を線でつなぎ、チームごとに陣地を作る。両チームは、その陣地の面積を競い合う。そのためには、実際に現地を踏む必要がある。
アメリカで数年前に生まれたゲームながら、最近は日本人プレーヤーも増加。企業のキャンペーンや地方自治体の町おこしにも使われており、イベントに多くのプレーヤーが参加する。 ポータルは、寺院や名所旧跡、大きな駅など現実の歴史的・文化的施設やオブジェなどに設定される場合が多い。ポータルの40メートル以内に近づけばハック(奪取)でき、逆に相手陣営の制圧するポータルで手持ちのアイテムを使えば、奪い返せる。
そんな状況から、両陣営による一部ポータルの奪い合いが激化。以前から、様々な「迷惑行為」がネット上で報告されてきた。とりわけ多いのが、私有地や住宅地などを徘徊するプレーヤーが地元住民から不審者とみなされるケースだ。
2015年1月12日付け朝日新聞電子版は、徳島県小松島市にある寺院住職の「お参りでない人がうろうろするのは気持ち悪い」という言葉を伝えている。
また15年8月には、茨城県日立市の史跡「泉ヶ森」にいたプレーヤーが、隣接する神社の関係者から「時間を問わずフラフラして不気味な人がいると、数十件の苦情が来ている」などと注意された旨をグーグルプラスで報告している。真偽を確認できないものの、いくつかの寺院ではイングレスプレーヤーの立ち入りを禁止しているようだ。
現実と仮想世界を融合させたゲーム『Ingress』(イングレス)。欧州で発見された謎のエネルギー“XM”をめぐり、2つの陣営に分かれて陣地を奪い合うという内容で、単純なルールながらも、現実とクロスした仕組みを取り入れ、奥深い駆け引きなどが楽しく、一度はじめると、その虜になっているユーザーが多い。
(2015/11/17 JCAST ニュース)


まずは、Ingress(イングレス)って何?という方は、こちらの公式導入画面をご覧ください。

 

Ingressとは、かいつまんで言うと、スマートフォンを利用した利用した「世界規模で展開される仮想現実陣取りゲーム」です。 
「緑」陣営と「青」陣営に分かれ、それぞれの陣地を確保し広げていきます。

スマートフォンを通して周りを見渡すと、街のあちこちに運営が設定した「浮遊する謎の謎エネルギー(XM)」が見えたりします。
↓これが貞昌院周辺の状況。
貞昌院や永谷天満宮境内からも謎のエネルギーが噴出しています。
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貞昌院周辺の「Portal」の例(今日現在)
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この「Portal」3点で囲まれた陣地を広げたり奪い合ったりしていきます。
↓貞昌院近辺の戦況

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また、「ミッション」(=スタンプラリーのようなもの)もあり、楽しみながら散歩することもできます。

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いずれにしても、スマートフォンの画面を頼りに「Portal」(XMが漏れ出すゲート)に近づき、「Portal」を補足してアイテムを収集したりするのです。
(Ingressをやっていない人には、その光景は全く見えていない)

このように、世界規模で「緑」「青」のグループに分かれ、その仮想陣地を集めて奪い合うゲームなのですが、やってみるとかなりハマるゲームです。

そのハマりっぷりについては伊集院光のチャンネルでとてもわかり易く説明されていますのでご紹介します。

 

ところで、この「Portal」(拠点)が設置されている場所が、歴史的な建造物や石碑、石仏、銅像などに設置されがちなため、Ingressのプレイフィールドが寺院や神社の境内に設置されることも多いわけです。
貞昌院や永谷天満宮周囲からエネルギーが噴出している理由もこのためです。

事情を知らない住職や神主、参拝者などには、何故スマートフォンを持った人がうろついているのか、そういう状況は異様に思えることでしょう。
そのようなことから冒頭の報道がなされている訳です。

バーチャル・リアリティーの問題点は、その現実感を周囲の人と共有できないことにあります。

Ingressのプレイヤーには、寺院や神社などの境内に入らないで下さい、とは申しませんが、境内は神聖な礼拝施設であることを理解いただき、そこ入る場合には、是非それぞれの参拝作法に則った行動をお願いしたいものです。
世界規模のゲームを誰もが気持よくプレイできるよう、最低限のマナーは身につけて欲しいと願います。

投稿者: kameno 日時: 9:56 AM | | コメント (0)

サバ のお話し

早いものでもう10月。
すっかり秋めいてきました。
味覚の秋、「秋さば」「寒さば」に代表される鯖(サバ)はこの時期から脂が乗ってとても美味しくなりますね。


さて、禅の修行僧も食事の際には「サバ」という用語を使います。
といっても、魚の「鯖」ではなく、「生飯」と書く「サバ」のことです。

どういうものかというと、下写真の赤い矢印の先に乗ってる七粒ほどのご飯粒のことです。

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修行僧は寝る時も坐禅堂で寝ますし、坐禅も当然、坐禅堂。そして食事も僧堂飯台といって坐禅堂でいただきます。

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食事の際に用いる食器が応量器(おうりょうき)です。
応量器は、幾つかの食器が入れ子になって重ねられコンパクトにまとめて持ち歩きます。
食事の際に、食事作法(じきじさほう)に則って応量器を開きます。

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点心飯台の際にはこの食事作法の途中で「生飯之偈(さばのげ)」を唱えながら、ごはん粒を七粒ほどつまみ、刷(せつ)の先に載せます。

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生飯之偈
汝等鬼神衆(じてんきじんしゅう)
我今施汝供(ごきんすじきゅう)
此食偏十方(すじへんじほう)
一切鬼神供(いしきじんきゅう)

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(ざっくりとした意訳)
一切の萬霊たちへ
いま、皆に施しをする
この施しはあらゆる方角に偏り
一切の萬霊たちに、みな等しく行き渡らせる

そして、生飯の施しをした後、初めて食事を頂きます。

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このような食事作法は、修行道場において何百年にも亘り、変わること無く続けられている厳格な作法です。
合理的な機能をもつ応量器、合理的な作法に基づく食事作法は「禅の思想」の根本ともいえるものです。

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坐禅堂の坐禅をする場所を「単(たん)」といい、その前縁の板の部分を「牀縁(じょうえん)」と呼びます。
この牀縁は、食事の際に応量器を開く場所ですので、坐禅の際には手や足を付くことは絶対にしません。
ましてやこの部分に腰かけるというようなことは厳禁です。

食事の後、浄巾で拭いて清め、食事は終了します。

 

食事の前に集められた生飯はどこへ行くかというと・・・
このように坐禅堂の前で供養されるのです。

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修行道場の坐禅堂は僧堂とも呼ばれ、その内部は一般には人の目に触れることのない非公開の神聖な場所です。
けれども、人の目に触れることのない場所においてもきちんとした作法が厳密に整えられ、受け継がれてきたのです。

投稿者: kameno 日時: 8:17 PM | | コメント (0)

周辺諸国との友好が真のものとなるために

まもなくアジア・太平洋戦争から70年を迎えます。
この区切りの年に、日本をはじめ各国で戦後を総括する動きも出ています。

争いのない世界、平和な世界は誰しもが望むところであります。
そのためには、周辺諸国との友好が真のものとなる必要がありましょう。

日本と境界(領海あるいは接続水域、排他的経済水域を含む)を共にする国は、主に3カ国あります。
「ロシア」「大韓民国」「中華人民共和国」です。

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現在、日本の領土と領海、接続水域、排他的経済水域は上記の通りです。
(日本政府のサイトより引用)

 

しかし、残念なことに、「ロシア」「大韓民国」「中華人民共和国」はこの境界を認めておらず、次のような線を一方的に引いています。
その部分を加筆してみました。(青の①②③の部分)

20150724-01

①については、北方四島が戦後ソ連軍により不法に占拠され現在に至っています。
最新のニュースでは、ロシアのメドベージェフ首相が、今月23日の閣議で、北方領土を含む千島列島を視察する意向があることを明らかにしています。
ロシアとしては北方領土とその周辺海域においてはロシア固有の領土・領海として一歩も譲らない考えです。

 

②については、昭和27(1952)年)1月18日、韓国初代大統領となった李承晩が一方的に宣言した海洋主権宣言に基づき設定した「李承晩ライン」です。
これにより竹島および竹島周辺海域は韓国により不法占拠され現在に至っています。

③は、中華人民共和国が現在考える中国の排他的経済水域です。これだけの海域を主張しているわけですから、、東シナ海で展開している中国のガス田開発(日中中間線)などは全く問題ないという主張です。
尖閣諸島もこのエリアに入っていますので、いずれ③の部分に中国が何かの施設を造ろうとも、問題はないという立場を取っています。

 

 

このように、残念ながら隣国及び地域(ロシア、韓国、中国、台湾など)と、日本の間で領土問題の解決を見ない箇所がたくさんあります。
漁業水域の未定部分についても同様です。


これらの問題に加えて、領土問題のみならず、歴史認識問題、日本海の漁業権の問題と、様々な問題が複雑に絡んでいます。
少なくとも「ロシア」「大韓民国」「中華人民共和国」がそれぞれ日本と異なる主張を勝手にしている状況では、真の友好は望むべくも無いでしょう。

これまで、この問題は敢えて触れられず、問題を先延ばしにしてきた観があります。

必ずしも問題に触れずに先延ばしすることが良い結果をもたらさないと思います。
たとえ一時的に険悪なムードになったとしても、ひるまずに徹底的に論議していって欲しいものです。

もしも双方の話し合いがままならないのであれば、 第三国を入れて、双方の主張を出し合った上で、公平な立場で領有権を明確にしていく必要があるでしょう。


不戦・平和を唱える全ての方々は、まずは、この問題をどのように考え、どのように解決するべきか、その考えを示してみては如何でしょうか。
この問題が解決されれば日本周辺の平和に大きく前進することとなるからです。
逆に言えば領土・領海問題の解決が為されない限り、真の平和は実現されたことにはなりません。

 

日韓双方の良好な関係が永続的に続き、お互いに良い関係でいられる時がくるよう心から願っています。

投稿者: kameno 日時: 1:16 PM | | コメント (0)

何かをしたい人、始める人、続ける人

何かをしたい人、10000人。
それを始める人、100人。
それを続ける人、1人。

このようなことばがFacebookで多くシェアされて拡散されています。
これは、ドレンドクリエーターの中谷彰宏さんのことばですが、共感する方がそれだけ多いということでしょう。


何かやりたいことがある、あるいは目標にしていることがある。
それに向けてやらなければならないことは思いつくのだけれど、それを実際に始めるのはわずか1%程度しかなく、さらにそれを継続している人は、その始めた人のさらに1%程だという例えです。

 

このことば、物理学で習う摩擦の法則にも通じるものがあります。

地面に置かれている物体を動かそうとします。
それを動かそうと、横を押すとなかなか動き出さない。
けれども、押し続けてある程度力を加えると、やがて動き出す。一度動き出せば小さな力で動かせるというものです。

20150721-01

この摩擦力には「静止摩擦力」と「動摩擦力」の2種類があり、物体が止まった状態から動き出すまでにかかる力が「静止摩擦力」、動きだしたあとにかかる力が「動摩擦力」となります。
「静止摩擦係数」>「動摩擦係数」
「静止摩擦力」>「動摩擦力」

動かすために必要な力(=「摩擦力」)は、「摩擦係数」×「垂直抗力(N)」となりますので、摩擦係数や垂直抗力(つまり荷重)に比例します。

 

ここで話を戻すと、何かをやろうとして、それを始めようと動き出すためには「静止摩擦力」を越える力が必要ですが、静止摩擦係数は比較的大きいのでなかなか一歩を踏み出せない。
一旦一歩を踏み出して進み始めると比較的小さな力でも動かすことができる。
しかし、その力をかけることを怠ると、たちまち物体は速度を落とし止まってしまう。
止まってしまった状態から、また動かし始めるためには大きな力が必要となる。

 

ということになります。

 


さまざまな障害や結果を恐れて一歩を踏み出すことはとても大きなエネルギーが必要です。
さらに、それを継続させるにはそれなりのエネルギーが必要。
でも、一旦動き出せばさまざまな繋がりが広がっていき、それを実行するためにノウハウも蓄積されていきます。

 

物理学でいうところの「摩擦力」を如何に少なくすることができるか、それが重要なことだと思います。

何事にも障壁はつきものです、大切なことは、その障壁を無くすのではなく、どの程度どのような障壁があるのかを適切に判断し、それをうまくコントロールしながら(障壁とうまく付き合いながら)実行を進めていくことなのだと感じます。

 

物理学で例えましたので、もう一つ「時間非整合」という経済学の理論でも例えてみます。
「時間非整合」とは、時間が経過することで、ものの見方や考え方などの価値観が変わってしまうことを意味します。
「あとでやろう」という考えが定着すると、時間の経過とともに煩わしさやネガティブな面が意識され、時間のデッドラインが迫るに従って、諦めるということが起こりやすいという理論です。


林先生の「今でしょ!」はまさに「時間非整合」に則ったことばでした。

 

 

Leap, and the net will appear………
まずは一歩を踏みだしてみよう。後は何とかなるから。

 

 

 


■関連ブログ記事

いつやるか?今でしょ!

投稿者: kameno 日時: 12:13 PM | | コメント (1)

お寺でコスプレ 第4,5,6弾

貞昌院を会場としたコスプレイベント、今年6・7月に3回連続で開催されます(そのうち1つは開催済み)。
さわやかな新緑の季節での開催です。

申込みも多く、開催ごとにすぐ満員になります。
讃歌希望者はお早めに。
ジャンルは最近は「刀剣乱舞」「東方」系が主流とのことです。

 

これまで貞昌院を会場として撮影されたコスプレ写真が公開されています。

20150608-03

 


コスプレとはアニメやゲームなどの登場人物やキャラクターに扮する行為を指す。それらのジャンルの愛好者や同人サークルが集まるコミックマーケット、同人誌即売会を始めとする各種イベント、また、ビジュアル系バンドのライブ会場等で見かけられる。 コスプレを行う人をコスプレイヤー (cosplayer) と呼ぶ。コスプレはコスチューム・プレイを語源とする和製英語だが、世界中で通用する単語であり、英語表記のcosplayは、イギリスの辞書に載っている英単語である。近年は意味が拡大し、特定の職業で採用されている制服や特定の着衣を好む者が、その衣装を真似て作った服もしくは本物を着て、自らの意志でそのキャラクターになりきることもコスプレと呼ぶことがある。しかし、狭義のコスプレに限るべしとの意見もある。
(ウィキペディア「コスプレ」項)

以前にもブログ記事で書きましたが、近年のコスプレブームによるコスプレイヤー人口の拡大に伴い、風紀上の問題なども生じています。
そのため、会場や主催者によっては極端に肌を露出する衣装や女装を禁止したり、モデルガン、模造刀、鋭利な装飾や棒をはじめとする全長の長い物などの使用を禁止するルールづくりがなされたりしています。
日本のコスチューム文化の啓蒙や健全な発展を目的とした非営利法人「日本コスチューム協会」が設立され、定期的なイベントやコンテストの開催、SNSサイトなどを通じてのコスプレイヤーやコスプレファンの情報交換の場の提供、コスチューム製品の品質維持・消費者保護体制の確立・市場統計調査、PR活動・認知活動などが行われることが計画されています。

いずれにせよ、きちんとしたルールに則るものであれば、健全な趣味としての位置づけが確立されると思います。
貞昌院でも、そのような面を応援してきたいと考えています。

 


■関連ブログ記事
お寺でコスプレ 第3弾
コスプレイベント@貞昌院
コスプレイベント@貞昌院の感想
日本が世界に誇る禅の文化
FOODEX JAPAN特設ステージ

投稿者: kameno 日時: 6:17 PM | | コメント (0)

趣味を本気に、日本の底力

『ニコニコ超会議2015』(主催運営・ドワンゴ、ニワンゴ)が4月25・26日、幕張メッセを会場として開催されました。
それにしても超巨大イベントと称されるだけあって、幕張メッセ全館貸切、会場総来場者数の速報値は15万1115人(昨年実績は12万4966人)、会場からの公式生放送を視聴したネット総来場者数は794万495人(昨年実績は786万4158人)になっています。

なにしろ、こんな感じです。
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開場前準備中
  ↓
昼の様子
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今年は、その一角に参加させていただき、その雰囲気を味わってきました。

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趣味の幅は空のごとく広く海のごとく深い。
また、そこに向かう情熱と技術の無駄遣いは日本ならではの得意分野ですね。


おなじみとなったプロレスや相撲も規模がさらに拡大しています。
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ニコニコ神社+ニコニコ技術部
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京急出展の実物パンタグラフ。
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ハスラーが回る人力メリーゴーランド
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Kinectを使ったバーチャル写真
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直径10メートルのプラネタリウム投影
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技術力を用いないヘボコン相撲
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世界を駆け巡った等身大初音ミク
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ニコニコ学会βエリアでは第一線の研究者の発表から草の根の発表まで幅広い発表・展示が行われました。
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投稿者: kameno 日時: 8:47 AM | | コメント (0)

涅槃の日とお釈迦さまの終活

最近、「終活」という言葉をよく耳にするようになりました。

終活(しゅうかつ)とは「人生の終わりのための活動」の略であり、人間が人生の最期を迎えるにあたって行うべきことを総括したことを意味する言葉。
主な事柄としては生前のうちに自身のための葬儀や墓などの準備や、残された者が自身の財産の相続を円滑に進められるための計画を立てておくことが挙げられる。
(ウィキペディア「終活」項)

けれども、終活とは、決して最近になって始まったものではないのです。

 

例えば、2月15日はお釈迦さま入滅の日とされ、三仏忌の一つ、涅槃会が行われます。
涅槃会では、お釈迦様の入滅の様子を描いた「涅槃図」を掲げたりしますので、眼にする機会もあろうかと思います。
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仏涅槃図(部分、高野山金剛峯寺所蔵、平安後期)

 

いよいよお釈迦さま入滅の日、周りには弟子や信者、動物たちが集まっています。
そこで、お釈迦さまは最後の教えを説かれます。

そのお釈迦様入滅の最後の説法が『仏垂般涅槃略説教誡教』(遺教経)として纏められています。
その前半には、まさに仏となるべき衆生は、「八大人覚」を修行し、無上菩提を得て、それを他の衆生のために説くべきであると示されました。
残された弟子、信者たちが、今後このように生きて行きなさいという、指針を示されたのです。
八大人覚は次のようなものです。

 

(1)少欲
多欲と少欲とを対比して、「多欲の人は利益を求むることに集中するから苦悩が多い。少欲の人は無求無欲であるから心に憂いがない・・・・・」と説かれています。
そして、「心が坦然として、心配事や畏(おそ)れるれることがないから、さまざまな功徳を生ずる・・・と続いています。
人間は贅沢な生き物です。欲望には際限がありません。欲しいものが手に入っても、また次のものが欲しくなります。美味しいものを食べても、もっと美味しいものを食べたくなります。
会社や商売において、利益追求が第一だ、という人もいますが、本当にそうでしょうか。
少欲が実践されますと、お互いの信頼関係が高まり、あたたかい敬愛の情が生じていきます。その功徳は計りしれないものであると考えます。

(2)知足
これは、まさに少欲と密接な関係があります。足ることを知る者には、自らを律する強い意志が現れています。
「不知足の者は富めりといえどもしかも貧し、知足の者は貧しといえどもしかも富めり」
「知足の法はこれ富楽安穏の処なり」
足ることを知るということは、欲望という煩悩から解き放たれて、実に安らかで穏やかな、そして豊かな心持ちでいることができるのです。

(3)遠離
今の時代は、情報の洪水に巻き込まれ、毎日が慌しく過ぎていきます。取り巻く環境も目まぐるしく変動していきます。
このような中で過ごしていると、視覚や聴覚などの五感でさえも麻痺してしまう。このような時代だからこそ、静かなところに坐して、喧騒から離れることが必要なのでしょう。
「衆をねがう者は、すなわち衆悩を受く。例えば大樹の衆鳥これに集まれば則ち枯折の憂いあるがごとし。世間は縛若して衆苦に没す。例えば老象の泥に溺(おぼ)れて自ら出ずること能(あた)わざるがごとし。」
・・・先日、良寛さんの戒語を紹介しましたが、その中に「推し量りのことを真実になして言う」というのがありました。世の中には不確かな情報が溢れています。一人一人の憶測が世の中の喧騒を作り出しているのです。この喧騒に溺れることがないように心がけたいものです。

(4)精進

一滴一滴の雨だれであっても、年月を重ねて石に穴を穿っていきます。
これは、実に大事な生活の態度です。
道のりが果てしなく遠いように見えても、一歩一歩足を進めることにより、確実に目標に近づいていくのです。

(5)不妄念
「常にまさに念を摂(おさ)めて心(むね)におくべし、もし念を失するものは、諸(もろもろ)の功徳を失す」というように、真実を見極め、光明を見失わない者には、例え五欲(財欲、色欲、食欲、名誉欲、睡眠欲)の雲が襲ってきても、毅然としてこれに左右されないのです。

(6)定
これは正定とか禅定、または止観三昧などと同義です。特に禅宗の根底に培われる教えであって、「定を得る者は、心即ち散ぜず」ということは、心の奥から叡知の光がさんさんと輝いているようなイメージです。
身や心を清浄にして、呼吸を整え、静処に端坐し、我執我慾の念制すること、これが定です。

(7)智慧
知恵ではなく、智慧です。これは聞思修の慧ということで、正しい仏法を聞いて、これを思惟し、これを体得した智慧の意で、「無明黒暗の大明灯なり、一切病者の良薬なり、煩悩の樹を伐る利斧(りふ)なり」と例えられています。
分かりやすく言うと、證(さとり)とも言うべきものでしょう。

(8)不戯論
「乱心、戯論を捨離すべし」というように、無意味な論議に大切な時間を空費してはならないということです。


このような指針を明確に示したということは、「終活」で言うところの「残された者が自身(お釈迦さま)の財産(尊い教え)の相続を円滑に進められるための計画を立てる」という一つの事例といえると思います。

事実、お釈迦さまの教えは弟子たち、信者たちに守られ、受け継がれて現在まで伝わっています。
自らの死期を悟り、その際に行なうべきことをきちんと行なわれたお釈迦さまの教えは現代に通じるものがあるのです。

涅槃の日を迎えるにあたって、改めてお釈迦さまのご遺徳に想いを馳せるのもよいでしょう。

 

遺教経は次のように結ばれます。


爾の時、阿珸樓駄、衆の心を観察して佛に曰して言く。但だ是の念を作す。世尊の滅度、一に何ぞ疾かなる哉と。
汝等比丘、憂悩を懐くこと勿れ。若し我、世に一劫住すとも、会うものは亦た当に滅すべし。会って而も離れざること、終に得べからず。自利利人の法、皆具足す。若し我久住すとも更に所益無けん。応に度すべき者は、若しは天上、人間皆悉く已に度す。其の未だ度せざる者には皆、亦た已に得度の因縁を作す。自今巳後、我が諸の弟子、展転して之を行ぜば、則ち是れ如来の法身常に在して而も不滅なり。是の故に当に知るべし。世、皆無常にして会えば必ず離有ることを。憂を懐くこと勿れ。世相是の如し。当に勤めて精進して早く解脱を求め、智慧の明かりを以て諸の癡闇を滅すべし。
汝等比丘、常に当に一心に出道を勤求すべし。一切世間の動不動の法、皆な是れ敗壊不安の相なり。汝等且く止みね。復た語を得ること勿れ。時、将に過ぎなんと欲す。我、滅度せんと欲す。是れ我が最後の教議する所なり。

投稿者: kameno 日時: 6:36 PM | | コメント (5)

鎌倉の史跡が次々と崩落の危機

20150206_kanaroko北鎌倉駅の素掘りトンネル 崩落の危険で「開削」か

◇市は調査でもろさ指摘
JR北鎌倉駅(鎌倉市山ノ内)の脇にある素掘りトンネルを山ごと切り崩し、道路を拡幅する計画を市が進めている。樹木の生い茂るたたずまいは「緑の洞門」「北鎌倉のランドマーク」などと称され、観光ガイドにも載る奇観だ。市は崩落の危険性を強調する一方で四半世紀にわたり抜本的な安全対策を取らず、工事計画に関しても十分に周知しなかった。住民からは「景観と安全が両立する方法を探るべきだ」との声が上がっている。
◇トンネルは長さ約7メートル、高さ2メートル、幅2・5メートル。80年以上前に岩を掘り抜いて造られ、現在は市のほかJRや寺院、住民など複数の地権者がいる。「開削」計画が浮上したのは、昨年8月に周辺12町内会と市が開いた「安全対策協議会」。トンネルを含む岩盤を完全に崩し、高さ10メートルの擁壁で固めた上、道路を4メートルに拡幅する案だ。費用は数千万円規模という。
市道路課は「27年前に坑口の一部が崩れ、10年前にも調査業者から地質のもろさを指摘された」と理由を挙げる。一方で市は、樹木の伐採以外に対策は行わなかった。同課は「近年まで国有地だったため手を出せなかった」と説明する。
こうした中で、市と町内会長との間だけで決められ、最近になって示された「開削」の方針に、トンネルの情景に親しんできた住民は不信感を募らせる。
北鎌倉の風情を愛し、数年前に都内から移り住んだドイツ人のミヒャエル・ミュラーさんは「横須賀線の車窓から洞門が見えると『鎌倉に来た』という気分が高まる」と、ささやかな洞門の存在感を語る。
約70人の住民らでつくる「北鎌倉史跡研究会」は「風情が一変する」との危機感から、昨年12月2日までに保存を求める3372人分の署名を集め、今も1万人を目指して活動中。出口茂代表は「安全対策はもちろん必要だが、簡単に壊すのでなく、景観を守りながら補強するよう知恵を絞るべきだ」と話す。
専門家も再考を求める。日本考古学協会の埋蔵文化財保護対策委員会は1月下旬、市などに保存要望書を提出した。トンネルを含む岩場は「平安時代後期以来、鎌倉の北の境界とされ、中世の景観を今に伝える歴史的遺産」と解説。世界遺産登録を目指す市の「資産」と位置づけた。
同協会の馬淵和雄理事は「長い間に形成された景観を目先の判断で壊せば、町の歴史性が失われ、味気なくなる」と話している。
(神奈川新聞 2015/02/07) 


貴重な史跡が消失の危機に瀕しているという残念なニュースです。

数年前(2012年)には、釈迦堂切通しが大規模な落盤を起こし、以後通行止めとなっています。
また、鎌倉各所に点在する「やぐら」も崩壊によりかつての姿を失いつつあります。

※やぐらとは、石壁をくりぬいて造られたお墓です。やぐらの中には羨道、供養壇などが設けられています。

 

鎌倉の岩盤は堅固なものではなく、砂岩や凝灰岩で出来ています。
例えば、かつて採掘されてた「鎌倉石」は、黄褐-褐-青灰色の凝灰質粗粒砂岩や、軽石に富む凝灰質砂岩から成っており、加工が容易で耐火力がある反面、柔らかく耐候性が弱いものです。
よって、根を張る樹木が生い茂ると、岩はたちまち風化が加速していってしまいます。

 

寺院の集まりでの話題に良く登ることが、かつての鎌倉では、根を張る樹木を生い茂らすことは無かったということです。
鎌倉を形成する地盤の特徴を良く理解していたということでしょう。

しかし、近代では植林が進められ、また、自然保護=樹木が生い茂ること=自然を残しているという間違った概念が定着してしまいました。
さらに、樹木を管理、伐採することが行なわれないことから、鎌倉の山々は鬱蒼とした樹木が生い茂る状況となっています。

このようなことは、かつてはありえなかったのです。

樹木が生い茂ることにより、木の根に依る岩盤の侵食が急速に進み、冒頭のような崩落がたびたび起こるようになってしまいました。

貴重な文化財を含め、鎌倉一帯のかつての姿を取り戻すために、
(1)特に切通しややぐらのある場所には高木となる樹木を植えない。生えていれば伐採する。
(2)山の管理を徹底する
(3)崩落が進む切通しややぐらについては、進行してしまっている崩落を食い止める意味で地盤改良剤を施す。

などが必要な対策でしょう。

北鎌倉の素掘りトンネルの事例のように、安易に切り崩してしまうのはもってのほか。単なる文化財の破壊です。
また、釈迦堂切通しで現在行なわれている通行止めも、樹木の生い茂る状況を進行させるだけの愚策と考えます。
どちらも上部の樹木を整理し、地盤改良剤などで保存する対策を早急に行うことを望みます。

投稿者: kameno 日時: 12:57 PM | | コメント (0)

やっつけ仕事ほどよく伸びる

年末年始にかけて新聞紙上ではさまざまな分野のコラムが掲出されます。
そういうコラムを読むことが楽しみの一つとなっておりますが、その中で、仏教関連業界紙「仏教タイムス」紙に掲載されていたコラムをご紹介します。

「仏教タイムス」平成27年(2015年)1月1日号の特集「戦後70年 オピニオン」です。
そこに、ネット界では知らない人は居ないというほど有名なリア住、「蝉丸P」師のコラム「仏教とポップカルチャー ~"やっつけ仕事ほどよく伸びる"傾向」が掲載されていました。

全文は「仏教タイムス」紙を購読いただくとして、まずはその一部を。


<前略>
これらの仏教を取り巻くボップあるいはサブカルチャー的なモノが果たして仏教の周知や布教などにどのような役割を果たすか、宗門や僧侶はどのように活用すべきかというお題を頂いておりますが、このような問いに関していえることは、話のフックとしては活用できるが、それ以上のモノにはなりえないというのが個人的な回答でして、普段あちこち徘徊しているインターネットでの活動経験から申しますと「真剣に取り組んだり予算をかけたモノほど失敗・炎上し、やっつけ仕事や隙のあるモノほどよく伸びる」というのがあります。
在家から僧侶になった人や、向学心の強い僧侶が住職になった時によく見られる傾向でもありますが、肩に力が入ればはいるほど聴衆は寄りつかないものでして、法話やお便りなどに力を注いでも檀家さんの反応は芳しくない、それでは!とネット上に自坊のホームページを作ってみても掲示板には論戦をいどんでくるモノや、時間をかけて質問に付き合っても礼の一つもなく罵倒や炎上騒ぎ、果ては「貴方のような人が僧侶とは」といった謎の上から目線の嵐で、ネット上で力尽きる若手や中堅住職を多数見かけます。
<中略>

(「仏教タイムス」2015/1/1 「仏教とポップカルチャー ~"やっつけ仕事ほどよく伸びる"傾向」(蝉丸P)より引用)


まったく同感です。
準備万端、予算もたっぷり掛けて大々的に作り上げたコンテンツが必ずしも成功していないという現実があります。
記念行事や大会などの事業もそうですし、布教活動の一つ一つもそのような事例は数え切れないほどあります。
送り手側と受け取り側が咬み合わないということも多々あるのでしょう。
インターネットのホームページやブログなども、最初はとても気合の入った記事が並んでいるサイトでも、だんだんとフェードアウトしていってしまう事例も多くあります。
せっかく始めたことが一時限りで終わってしまうというのはとても残念なことです。
肩肘を張らず、身の丈を越えて負担のかかるようなことは避け、いかに持続性を持たせることができるか、受け手の目線で発信できるかが鍵となりましょう。
特に、発信側が楽しんで行なうことができるか否かは重要なことです。
発信側が楽しまなければ、受けても楽しくはないでしょう。
蝉丸P師のネット法話を例に取れば、それがネット民に支持されるという理由は、仏教の概念を自身がきちんと咀嚼した上で、それをニコニコ動画のスラングやアイドルマスターなどの用語に臨機応変に的確に置き換えることができていることが理由でしょう。さらにそれを自分のチャンネルで発信できるということは、本当に凄いことだと思います。
「肩に力が入ればはいるほど聴衆は寄りつかない」というのは正にそうだと思います。やっつけ仕事といえば聞こえは悪いですが、発信側が楽しんで行なっていることは、受け手側も心地よく受け容れることができる傾向にあるようです。


<前略>
アニメやゲームなどの媒体は「仏教」そのものではなく、仏像や諸尊をキャラクターとして用いるゲームは多々ありますが、東洋風を演出するためのアイテムとして以上の意味は持たせないというのが漫画以外のメディアに見られる傾向で、TV番組に至っては特に顕著で、テレ朝系列の「ぶっちゃけ寺」のように撮影時に真面目な話をしても、そのへんは全て編集でカットされ雑談部分や、感情的なやりとり、暴露などに重きがおかれ、総じて僧侶を笑いものにするような構成になっており、ポスト「瀬戸内寂聴」や「織田無道」的なポジションの僧侶を芸能事務所が欲しているような話も聞きますが、総じて規模の大きなメディアになるに従って宗教色を削いだ内容になっていきます。
<中略>
(「仏教タイムス」2015/1/1 「仏教とポップカルチャー ~"やっつけ仕事ほどよく伸びる"傾向」(蝉丸P)より引用)

最近、テレビ番組に僧侶が出る番組も増えてきました。
お坊さんバラエティー「ぶっちゃけ寺」は、近日ゴールデンタイムで3時間スペシャルを放映するようです。
しかし、指摘されているように、「撮影時に真面目な話をしても、そのへんは全て編集でカットされ雑談部分や、感情的なやりとり、暴露などに重きがおかれ、総じて僧侶を笑いものにするような構成になっており」という部分は、視聴者側はとくに心しておく必要がありましょう。
民法テレビはスポンサーがあり、視聴率の取れる番組構成が求められます。
これにより、仏教の本質が損なわれ、バラエティー的な要素のみが強調されるということは、決して好ましいことでは無いと考えます。

 

ここに紹介しなかったコラムもとても読み応えがありました。

投稿者: kameno 日時: 5:46 PM | | コメント (0)

Bad science - ダメな科学を見抜く大まかな指針

「ダメな科学」を見分けるためのおおまかな指針(EXPLORATIONSOFEVERYDAYCHEMICALCOMPOUNDS)をご紹介します。(日本語訳:うさうさメモ様)

20141222-01


「ダメな科学」を見分けるためのおおまかな指針
 

1.扇情的な見出し

記事の見出しは往々にして、読者に「クリックしたい」「読みたい」と思わせるように作られています。研究結果が単純化されすぎているのはまだマシな方で、ひどい場合には、内容が誇張されていたり、歪められていたりします。
7.代表的でないサンプル

ヒトを対象とした試験において、研究者は、母集団を代表するような個人を抽出するように努めています。もしサンプルが母集団全体と異なるものであれば、試験の結論もたぶん異なってしまうでしょう。
2.結果の曲解

意図的かどうかはともかく、ニュース記事では、「よくできた話」にするために、研究結果をねじ曲げたり、曲解したりしていることがあります。記事を鵜呑みにせず、できれば、研究内容の原典を読んでみましょう。
8.対照群がない

臨床試験においては、試験の対象となる物質を投与した「実験群」と、投与しない「対照群」の結果を比較しなければなりません。また、実験群と対照群は、無作為に割り付けなければなりません。一般的な実験では、変数をすべて統制したものを対照実験とします。
3.利益相反

多くの企業が、研究や論文発表のために科学者を雇っています。そういった研究が必ずしも無効であるとはいえませんが、そのことを念頭において解釈する必要があります。また、個人的または金銭的な利益のために、研究内容が偽って伝えられることもあります。
9.盲検試験が行われていない

バイアスを排除するために、自分が実験群なのか対照群なのかを被験者に知らせてはいけません。二重盲検試験では、研究者でさえも、試験終了までは、どの被験者がどちらの群かを知りません。(注意)盲検試験が必ずしも実現可能、あるいは倫理的でないことがあります。
4.相関関係と因果関係の混同

相関関係と因果関係を混同しないように注意しましょう。「二つの変数が相関関係ある」ことは、必ずしも「一方が他方の原因である」ことを示しません。地球温暖化は1800年代から進行しており、同時に海賊の数も減少していますが、海賊不足は地球温暖化の原因ではありません。
10.結果のいいとこ取り

データの中から、結論を支持するようなものを採用し、そうでないものを無視するやりかたです。すべての結果ではなく、選択した結果から結論を導いている研究論文は、「いいとこ取り」をしているかもしれません。
5.推測表現

研究結果からの推測は、まさに、単なる推測でしかありません。「だろう」「かもしれない」「可能性がある」等の言葉には警戒しましょう。このような表現が用いられている場合、その結論の確かな証拠が研究によって得られているとは考えにくいからです。
11.結果に再現性がない

結果は独立した研究によって再現されなければなりません。また、一般性を保証するためには、(可能な範囲で)さまざまな条件で確認されなければなりません。途方もない主張には、それ相応の証拠が求められます-つまり、1つの研究だけでは、まったく不十分です!
6.小さすぎるサンプルサイズ

試験では、サンプルサイズが小さくなるほど、得られる結果の信頼性が低くなります。サンプルサイズが小さくなるのを避けられない場合もありますが、そこから導き出された結論については、上記のことを念頭に置いて検討するべきです。サンプルサイズを大きくすることが可能なのにそれを避けている場合には、疑念を抱く理由になるかもしれません。
12.ジャーナルと引用数

主要なジャーナル(専門誌)に発表された研究は、査読の過程を経たものですが、それでもまだ不備がある可能性はありますから、このガイドラインに書かれている注意点を念頭に置いて評価しなければなりません。同様に、その研究の引用数が多いからといって、必ずしも高く評価されているとは言えないこともあります。

 

これは、決して「ダメな科学」(badscience)を包括的に概観するものではありませんし、リストのうちの一つに該当するからと言って、その研究は無視すべきものと言えるわけでもありませんが、記事を読んだり、研究を評価する際に注意を払うべき大まかな指針となります。
今年は、年明けから科学の分野でも大きなニュースが続きました。
また、マスメディアの報道においても、一見科学的に見えているが、良く検証してみると決して科学的知見に基づいていないものも多くあります。
ある報道に対する限定されたコメンテーターのコメントや街頭インタビューなどもこれに含まれます。

雑多な情報の洪水に流されず、正しいものの見方「正見」を身に付けること、それが大切なことです。

 


■関連リンク
EXPLORATIONSOFEVERYDAYCHEMICALCOMPOUNDS
「ニセ科学を見抜くための大まかな指針(うさうさメモ)

 

■関連ブログ記事
血液型占いを信じますか?
水からの伝言とニセ科学
医学的神話:信じられきた情報は正しいものか?
風評被害と先入観

投稿者: kameno 日時: 9:38 AM | | コメント (0)

IT業界紙連載記事

今年夏より、IT業界で購読されている新聞に記事を連載させていただいています。

連続10回のうち、今年は6回分の掲載をいただきました。
読者はインターネット、コンピュータ、通信関連の関係者がほとんどということで、当該の連載記事もIT企業の社長さんや行政機関の責任者、研究者などが多いのですが、袈裟を掛けた写真付きで連載させていただています。

お寺とIT業界は、一見無関係、あるいは相反するようなイメージが有りますが、決してそうではないということから話を進めています。
最新の記事では正法眼蔵を引用させていただきました。


来年の連載ではさらに具体例を提示していこうと考えています。
このような機会を与えていただくことはありがたいことです。

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投稿者: kameno 日時: 2:02 PM | | コメント (0)

お寺でコスプレ 第3弾

貞昌院を会場としたコスプレイベントの3回目が開催されました。
これまでは冬の開催ばかりだったのですが、さわやかな秋の季節では初めての開催です。


コスプレとはアニメやゲームなどの登場人物やキャラクターに扮する行為を指す。それらのジャンルの愛好者や同人サークルが集まるコミックマーケット、同人誌即売会を始めとする各種イベント、また、ビジュアル系バンドのライブ会場等で見かけられる。 コスプレを行う人をコスプレイヤー (cosplayer) と呼ぶ。コスプレはコスチューム・プレイを語源とする和製英語だが、世界中で通用する単語であり、英語表記のcosplayは、イギリスの辞書に載っている英単語である。近年は意味が拡大し、特定の職業で採用されている制服や特定の着衣を好む者が、その衣装を真似て作った服もしくは本物を着て、自らの意志でそのキャラクターになりきることもコスプレと呼ぶことがある。しかし、狭義のコスプレに限るべしとの意見もある。
(ウィキペディア「コスプレ」項)

しかし、近年のコスプレブームによるコスプレイヤー人口の拡大に伴い、風紀上の問題なども生じています。
そのため、会場や主催者によっては極端に肌を露出する衣装や女装を禁止したり、モデルガン、模造刀、鋭利な装飾や棒をはじめとする全長の長い物などの使用を禁止するルールづくりがなされたりしています。
日本のコスチューム文化の啓蒙や健全な発展を目的とした非営利法人「日本コスチューム協会」が設立され、定期的なイベントやコンテストの開催、SNSサイトなどを通じてのコスプレイヤーやコスプレファンの情報交換の場の提供、コスチューム製品の品質維持・消費者保護体制の確立・市場統計調査、PR活動・認知活動などが行われることが計画されています。

いずれにせよ、きちんとしたルールに則るものであれば、健全な趣味としての位置づけが確立されると思います。
貞昌院でも、そのような面を応援してきたいと考えています。

 


これまで貞昌院を会場として撮影されたコスプレ写真が公開されていました。
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■関連ブログ記事
コスプレイベント@貞昌院
コスプレイベント@貞昌院の感想

投稿者: kameno 日時: 8:24 PM | | コメント (0)

初音ミクが歌う「まごころに生きる」

8月盆の時節を迎えました。
新盆をお迎えの方を中心に棚経で回らせて頂いておりますので、よろしくお願い致します。

 

さて、2005年のブログ記事  まごころに生きる で、2006年の梅花流全国奉詠大会(北海道大会)に合わせて発表された新曲「まごころに生きる」について書きました。
当時、宗務庁に勤務しておりましたので、幸運にも宗務庁に来庁された南こうせつ氏の新曲完成披露に立ち会うことができました。

20051128.jpg
(写真は「まごころに生きる」新曲披露の南こうせつ氏 2006年12月)

 

曲名の「まごころに生きる」は「平成16年度布教教化に関する管長告諭・布教方針」に示されたテーマです。
管長告諭・布教方針をコンセプトにした御詠歌の新曲が「まごころに生きる」です。
南こうせつ氏は、大分県の曹洞宗寺院で生まれ育ちました。
その機縁もあり、曹洞宗の基本的な教えである<無常><同事><利行>をわかりやすい歌詞と親しみやすい楽曲で表しています。


「まごころに生きる」 作詞・作曲 南こうせつ

1.<無常>
そよ吹く風に小鳥啼き 川の流れもささやくよ
季節の花はうつりゆき 愛しい人は今いずこ
ほほえみひとつ涙ひとつ 出逢いも別れも抱きしめて
生きてる今を 愛して行こう

2.<同事>
広がる海ははてしなく 全ての命はぐくむよ
人の心もおおらかに 互いを敬い信じ合おう
ほほえみひとつ涙ひとつ 出逢いも別れも抱きしめて
生きてる今を 愛して行こう

3.<利行>
幼い頃にいだかれた 温もり今も忘れない
この世でうけた幸せを そっとあなたにささげましょう
ほほえみひとつ涙ひとつ 出逢いも別れも抱きしめて
生きてる今を 愛して行こう

 

詠讃歌は拍速40-50程度のゆったりした曲がほとんどですが「まごころに生きる」は拍速70位、実際は80程度で歌われます。
詠讃歌としては「速い」曲ですね。楽譜には「明るくおおらかに」という指定があります。

とても良い曲なのですが、一般の方には聴く機会があまり無いと思いますので、初音ミクver.を作成してみました。

お盆のこの時期に、歌詞に込められた意味と合わせて「まごころに生きる」を味わってみては如何でしょうか。

梅花(梅花流詠讃歌=御詠歌)は、昭和27年、道元禅師700回大遠忌に創立され、以後、日本全国はもとより、海外でもその根が広がっています。

投稿者: kameno 日時: 7:29 AM | | コメント (0)

妖怪ウォッチブームと百鬼夜行

小学校低学年を中心にブームとなっている「妖怪ウォッチ」が、今月2日発売された「妖怪ウォッチ零式」でピークに達している感じがあります。


Youtube  【妖怪ウォッチ】ようかい体操第一  LEVEL5ch  

「妖怪メダル」は発売1カ月で300万枚を出荷。それでも入荷次第すぐに売り切れ、入手することが困難な状況のようです。
大人が文字通り大人買いして買い占めたり、利益を得るために価格を釣り上げて転売するという問題も起こっています。
そうかといえば、手に入らないなら作ってしまえ!という素敵なお父さんも現れたり ⇒ http://www.nicovideo.jp/watch/sm23518917



ブームを牽引する原動力となっているのは、ゲーム・テレビアニメ・関連グッズを積極的に展開し、購買意欲を刺激する企業側の仕掛けがあることはもちろんですが、それにしてもこの異様なほどの熱気は何なんでしょうか。
妖怪ウォッチは、一昨年12月の漫画雑誌連載からスタートしました。
2012年12月15日 「妖怪ウォッチ」がコロコロコミックで連載
2013年07月11日 ニンテンドー3DS「妖怪ウォッチ」発売
2013年12月 「妖怪メダル」発売
2014年1月11日 「DX妖怪ウォッチ」発売
2014年1月30日 キッズカードゲームが人気に
2014年春 「妖怪メダル」が品薄に
2014年5月2日 「妖怪ウォッチカード」が爆発的人気
2014年7月10日 ニンテンドー3DS「妖怪ウォッチ2」(元祖)(本家)発売
2014年8月2日 「妖怪ウォッチ零式」発売、徹夜で並ぶ光景が全国で見られる
そして、年末には映画『妖怪ウォッチ』が公開されるので、少なくとも今年いっぱいはこのようなブームが続くのでしょう。

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このような空前のブームとなっている今年、改めて昨年ブログ記事に書いた ハロウィンと百鬼夜行 を「妖怪ウォッチ」バージョンで行なうことを提案します。
ハロウィンといえば、10月末に行なわれるハロウィンのイベントが、ここ数年、急速に盛り上がりを見せています。
そこに登場するのは西洋の「魔女」や「お化け」です。

日本には日本の伝統的な「妖怪」たちがいるわけですし、深夜の街を徘徊する鬼や妖怪の群れや、妖怪たちの行進「百鬼夜行」があります。

 

「百鬼夜行」は、古くは『宇治拾遺物語』における修行僧が摂津の竜泉寺で出遭った100もの鬼の集団や、『今昔物語集』での右大臣藤原良相の長男、大納言左大将藤原常行が愛人のもとへ行く途中遭遇した100人ほどの鬼の集団、『大鏡』の藤原師輔が遭遇したものなどなど。
1000年以上前から根付いている文化です。

800px-Hyakki-Yagyo-Emaki_Tsukumogami_1
『百鬼夜行絵巻』 作者不詳(室町時代)

今年のハロウィンでは西洋の「魔女」や「お化け」の代わりに日本の妖怪に扮してみては如何でしょうか。
近隣、子ども会、町内会で使える「妖怪ウオッチ」のハロウィン版ルールを作り(ここに制作企画側の企業や商店街などが協力)、百鬼夜行を盛り上げるというものです。
(※ただし、綿密に企画・計画する必要があります。そうでないと単発イベントに終わってしまいます)

なお、京都では、10月末の・・・ハロウィンと同じ時期に「百鬼夜行」を模したお祭りが行なわれています。
日本版ハロウィンと言ってもよいでしょう。
完成度も高いです。


Youtube  2013大将軍商店街 京都一条妖怪ストリート 一条百鬼夜行

妖怪文化の背景には古くから培われて受継がれてきた深遠な日本の歴史や文化が含有されています。
そして、やはり妖怪たちは日本人の琴線に触れるものがあります。
「妖怪ウォッチ」のブームの要因にも少なからずこういう部分が含まれているのではないでしょうか。

日本には、やはり日本の妖怪が似合います。
ガンバレ!日本の妖怪たち!!


■関連ブログ記事

蛇行・点呼・ポケモンパルシティー(2007年の記事)
ハロウィンと百鬼夜行(2013年の記事)

投稿者: kameno 日時: 12:52 AM | | コメント (2)

貞昌院ホームページの統計情報

貞昌院のホームページは平成8(1996)年4月1日に正式公開してから18年余りが経過しました。
平成17(2005)年にブログをコンテンツに加え、ホームページ・ブログ併用型で運用を行なっています。

お陰様で、多くの方にご訪問いただき、縁も広がりました。
ご縁をいただきました多くの方々に感謝申し上げます。


ホームページには、出版物には無い特徴として、リアルタイムにレスポンスが計測できるという特徴があります。
そのうちの一つが、訪問者数などの統計結果です。
どの程度の方々がホームページを閲覧しているのか、どのような検索キーワードで訪問したのか、どの記事が読まれているのかなどなど、様々なことが分かります。
(ごく一般的な訪問者に関する統計であり、どのサイトでも行なわれているものです)


直近の事例として、貞昌院ホームページ(今年7月1日~7月31日までの1ヶ月分)の統計結果をご紹介いたします。

表:貞昌院 teishoin.net サイトの統計情報 2014年7月分
月の統計 July 2014
全ヒット数 2846290
全ファイル数 2636238
合計 Pages 1262014
合計 Visits 366695
全 KBytes数 85135918
個別サイト数 207275
個別URL数 51699
個別リファラー数 16353
個別ユーザエージェント数 7342
. 平均 最大
一時間あたりのヒット数 3825 31805
一日あたりのヒット数 91815 461505
一日あたりのファイル数 85039 454177
一日あたりのページ数 40710 414316
Sites per Day 6686 55524
一日あたりの訪問者数 11828 151670
一日あたりのKBytes数 2746320 11805770

 

1日あたりの訪問者数(ユニーク訪問者数)は、平均で 1万2千弱/day、最も多い日(7月18日)には 15万/day の訪問者数がありました。
平月は 4000/day 程(自己IP、検索botを除外)なので、約3倍のアクセス数となっています。

お盆の時期ということもあり、「お盆飾り」「初盆」「お盆」「初盆飾り」「盆棚の飾り方」などの検索キーワードで訪問いただいた方が多い月でした。
この他「おみくじ」や「ライブカメラ」「修証義」などの経典は一年を通じて検索キーワードの上位に位置しています。
検索キーワードを知ることは、どのような情報が求められているかを知る上でとても大切なものです。
ホームページやブログの内容はもとより、お寺からの通信物や、法話の話題選定にも活用することもできます。
検索語句の情報をきちんと発信していくことが大切です。
ホームページを運営されている方は、是非活用されることをお薦めいたします。

今後も、インターネットの特徴を活かした情報発信を行なっていきたいと考えております。

 


追記


なお、”B/C”の、費用に関する点についても言及しておきます。
初期費用と毎月の経費はこのような感じです。



表:貞昌院 teishoin.net サイトの費用一覧

初期費用(円)

パソコン(CoreI7-3770:事務用と兼用) 65000
ネットワークカメラ(1):境内カメラ 7000
ネットワークカメラ(2):池カメラ 18000
デジタルカメラ Canon EOS kissX7+レンズ 70000
サイト構築ソフト Dream WeaverCS3 30000

初期費用 計
100000

 

毎月の経費(円/月)
光ファイバー(ひかり電話兼用) 4900
プロバイダー 780
固定IP 1500
Webサーバー 500
ドメイン(zazen.jp) 250
ドメイン(teishoin.net, 13ch.net ,kaminagaya.net, 7676.net) 267


毎月の経費 計

8197
投稿者: kameno 日時: 12:34 AM | | コメント (2)

情報化社会と情報管理の重要性


ベネッセが顧客情報漏洩を発表 最大2070万件流出も

通信教育大手のベネッセホールディングスは9日、通信教育の顧客情報が外部に漏洩していることを確認したと発表した。最大2070万件を収容するデータベース(DB)の個人情報すべてが漏洩している可能性もあり、すでに760万件の流出が確認されるなど、大規模な事態となっている。東京都内で会見した原田泳幸会長兼社長は「再発防止と、情報の拡散防止に真摯に取り組む」と謝罪した。
今回の問題は6月下旬に、顧客から「ベネッセにしか登録していない住所に、他の教育産業会社からのダイレクトメール(DM)が届いている」とした苦情が相次ぎ、それをもとに調査を開始して発覚。今月7日までに個人情報が、名簿業者に大量に漏洩していることを確認した。
社外からの不正アクセスなどのハッキングではなく、グループ社員以外の内部者の関与が推定されているという。だが、警察の捜査も始まっているため、「(関与者が)社員ではない」(原田氏)こと以外の詳細は開示していない。
原田氏は、個人情報を購入してDMを発送している通信教育事業者に対し、「悪意を持っての流出情報の使用」と批判した上で、情報の拡散防止などへの協力を求めると同時に、協力が得られない場合は、告訴も辞さないと強調した。
(産経新聞 7月9日)18時27分配信


これまで、企業の顧客情報流出の事件はいくつかありますが、とてつもない規模の情報流出があったようです。
情報化社会の進展とともに、情報そのものがデジタル化され利便性が飛躍的に高まりました。
その反面、一旦流出した情報は完全に回収することは不可能です。また文字通り一瞬に流出してしまい、流出したことさえ気づかないことすらあります。


何百、何千万もの家庭には情報が流出したことの不安が残されてしまいました。
どのような実害があるか、どれほどの実害があるのかは不明です。
ベネッセにとっては信用失墜は免れないでしょう。

 

さて、今回の件のほか、たびたび繰り返されるこのような情報流出の事件は、決して対岸の事例として傍観するべきことではありません。
何故ならば、寺院にも企業の顧客情報に相当する「大切な情報」をお預かりしているという事実があるからです。


『曹洞宗報』平成26年6月号には、寺院向けに次のような緊急のお知らせとお願いが掲載されています。


緊急のお知らせとお願い
「過去帳」等記録の厳重管理と人権擁護の徹底を

<中略>
本宗は前述した「『過去帳』等の管理についての指示要望」を全国寺院住職・代表役員に通知し、過去帳等の「閲覧禁止」の原則を指示要望している。
「閲覧禁止」とは、過去帳現物を直に見せなければよいというものではなく(中略)先祖供養等の宗教目的以外での情報開示は原則禁止である。
(『曹洞宗報』平成26年6月号 P56より一部引用)


寺院で保管・管理されている「檀信徒名簿」「過去帳」等には、各寺院の檀家さん、信徒さんの住所、電話番号のほか、各家のご先祖様の戒名、命日、享年、俗名、続柄、施主等が記載されています。
過去帳は「冊子」として管理していますので、鍵の掛かった書庫に入れるなど、誰でも閲覧出来る状態にすることが無いよう厳重に管理されます。
冊子という現物であれば管理も明確化されています。

しかし、近年、情報化社会の進展とともに、名簿や過去帳の情報をデジタル化し、パソコンで管理する事例も増えてきました。
確かに利便性は飛躍的に向上します。
各種お知らせを的確に行なうことも、手間を掛けずに出来るようになりました。

その反面、冒頭のような事例もあるということを心しておく必要があります。
特に、寺院の過去帳情報が流出してしまうと、取り返しのつかない事態となりますし、信用失墜どころか、檀信徒の皆様にも多大なる影響を及ぼすことになるでしょう。

僧侶も、いや、僧侶だからこそ情報の取り扱いに関する研修を行った上で、普段の情報の取り扱いに気を抜かずに真剣に向き合う姿勢をもつ必要があるでしょう。

パソコン等で情報を扱っている場合、

・名簿や寺院管理のデータは何処に保存しているか。
・そこには外部からインターネットアクセスされる心配は無いか。
・使用しているパソコンは第三者が簡単に起動できないように設定されているか。
・信用が置けないクラウドにデータを保存していないか。
・名簿や寺院管理のデータを不用意に業者等に託していないか。
⇒やむをえず託している場合には、その業者との情報取り扱いに関する取り決めがきちんとなされているのか。
・データのバックアップデータの保管・管理に関しても、充分に配慮ができているか。

等々・・・・・

気を付けなければならないことは山ほどあります。
詳細はこちらを参照下さい

何よりも、重大な情報を預かっているのだということを常に心しておくことが大切です。
寺院から冒頭のような事例が発生しないことを願います。



■関連ブログ記事
個人情報保護法が施行へ
寺院の果たすべき社会的責任

投稿者: kameno 日時: 8:23 AM | | コメント (0)

杓子定規ふたたび

桐谷美玲さんのチラシとともに青い封筒が届けられました。

20140617-01


平成26年経済センサス‐基礎調査を実施中です。
調査票は平成26年6月末日までにお届けします。7月1日以降に提出をお願いします。

経済センサスは、我が国全ての事業所及び企業を対象として行われる国の最も基本的な統計調査の一つです。
経済センサス‐基礎調査は、事業所の事業活動及び企業の企業活動の状態を調査し、事業所母集団データベース等の母集団情報を整備するとともに、我が国における事業 所及び企業の産業、従業者規模等の基本的構造を全国的及び地域別に明らかにすることを目的としています。


ということで、全国の全ての事業所に調査票が届けられているのです。

・・・ん?
何だか封筒が2つありますね。
どちらも同じ所在地になっています。
何故だろう・・・・・

20140617-02

1つ目は宗教法人貞昌院。
こちらについては、平成24年の経済センサス‐活動調査で回答をしておりますから、それを元に届けられたのでしょう。

20140617-03

しかし、問題は2つ目。
同じ所在地で「太陽光発電設備」!
。 。
/ / ポーン!
( Д )

20140617-04 

?????
貞昌院(お寺)の屋根にあるソーラーパネルが事業所???


杓子定規 (しゃくしじょうぎ)

状況に当たって適時な判断を取ることができない人間、あるいはそのさま。
(語源的には、「杓子」という、本来は曲がっているものを「定規」の代わりに使う、という、無理に道理を合わせる、という意)



統計局に問い合わせてみると、調査員が判断して平成24年から「独立事業所」としてカウントしているとのこと。
こんなものを一々カウントしていたら、一体全国の事業所数はどれ程になるのでしょう。
定義付けの基準がよく分かりませんね。


■関連ブログ記事
杓子定規

投稿者: kameno 日時: 10:09 PM | | コメント (0)

観光立国「日本」の確立へ

海外からの旅行者が近年急増しています。
確かに浅草などの主だった観光地を歩くと外国の方が目立ちます。
東日本大震災の年の夏に 訪日外国人数、回復基調に という記事を書きましたが、その回復基調が本格化して定着した感があります。


訪日外国人旅行者 4月も過去最多

先月、日本を訪れた外国人旅行者は、円安や東南アジアからのビザの発行要件の緩和などで123万人余りとなり、1か月間の旅行者数としては最も多くなりました。
日本政府観光局によりますと、先月、日本を訪れた外国人旅行者は推計で123万1500人となり前の年の同じ月に比べて33.4%増えました。
これはことし3月の105万人余りを大幅に上回り、1か月間の旅行者数としては最も多く、2か月連続で過去最多を更新しました。
外国人旅行者は▽円安傾向が続いていることや▽東南アジアから日本へのビザの発行要件が緩和されたことを背景に増加し続けていますが、これに加えて▽先月は桜シーズンだとして海外でのPRを集中的に行ったことも効果的だったということです。
国や地域別では前の年の同じ月に比べて▽フィリピンからの旅行者が129.5%▽中国からが90.3%と大幅な伸びとなりました。
日本を訪れる外国人旅行者は去年、初めて年間1000万人を超えましたが、ことしはそれを上回るペースで推移しています。
日本政府観光局は「好調な状況は5月も続きそうで、観光シーズンの夏に向けて誘致活動を強化していきたい」と話しています。
(NHK 2014/5/21配信)


円安、ビサの緩和、東京オリンピック決定など、近年の訪日外国人増加に寄与する要因はたくさんあります。

昨日配信されたニュースには、次のようなものもありました。


世界の旅行者が選んだ「満足度」1位の都市は「東京」

世界最大級の旅行サイト「TripAdvisor」の日本法人であるトリップアドバイザー株式会社は、世界の旅行者が訪問した都市を評価する「旅行者による世界の都市調査」を発表した。「ニューヨーク」「パリ」「バルセロナ」などの名立たる観光都市を抑え、世界の旅行者の「総合的な満足度」1位を獲得したのは「東京」だった。
「旅行者による世界の都市調査」は、世界各国の旅行者が、世界の主要37都市について、各都市の交通の便や清潔さ、地元の人たちの親切さ、観光・ショッピング・ホテルの満足度など、旅行に関わる16項目を評価した調査。対象都市の口コミを「トリップアドバイザー」に2013年中に投稿した5万4千人のユーザーが、その都市を訪問した際の体験から各項目を0~10点のスコアで評価。
調査の結果、東京は16項目のうち、「地元の人たちの親切さ」「タクシーのサービスの総合的な評価」「街中の清潔さ」「公共交通機関の評価」そして「都市に対する総合的な満足度」の5項目について1位を獲得するという快挙を遂げた。その他の項目でも、「タクシーの運転手の親切さ」「一人旅のしやすさ」で2位、「レストランの評価」「ナイトライフの満足度」で3位、「ショッピングの満足度」で5位、「街中での移動のしやすさ」「ホテルの評価」「家族連れに対するやさしさ」で8位を獲得し、16項目中13項目でトップ10にランクイン。
東京が世界の都市の中でも旅行者に親切で、安心・清潔な、公共機関に優れた都市であることを物語る結果となった。また、レストラン、ホテル、ショッピングの質も世界の中でもトップクオリティであることが示された。まさに、東京は訪れた世界の旅行者にとって「行って良かった都市 No.1」であることが明らかになった。

【調査概要】
●調査方法
2013年にトリップアドバイザー上に対象となる37都市に関わる口コミを投稿した旅行者に対してインターネット調査を実施。各都市に対して300以上の回答を回収。回答者には16項目の質問に対して、訪問した都市の体験をもとに 0~10点のスコアで評価してもらい、平均値を算出しランキング。平均値が同じ都市は、9および10の評価を付けた比率の多い都市が上位にランクされている。
●回答者数
5万4千人
●調査実施機関
Brainbox Research
●対象37都市 東京(日本)、シンガポール、ソウル(韓国)、北京(中国)、ハノイ(ベトナム)、香港、クアラルンプール(マレーシア)、バンコク(タイ)、シドニー(オーストラリア)、ムンバイ(インド)、ロンドン(イギリス)、パリ(フランス)、ブリュッセル(ベルギー)、ローマ(イタリア)、ベルリン(ドイツ)、バルセロナ(スペイン)、リスボン(ポルトガル)、ウィーン(オーストリア)、アテネ(ギリシャ)、ドゥブロヴニク(クロアチア)、コペンハーゲン(デンマーク)、イスタンブール(トルコ)、ダブリン(アイルランド)、プラハ(チェコ共和国)、ストックホルム(スウェーデン)、ブダペスト(ハンガリー)、モスクワ(ロシア)、プンタカーナ(ドミニカ共和国)、ニューヨーク(アメリカ合衆国)、トロント(カナダ)、ケープタウン(南アフリカ)、ブエノスアイレス(アルゼンチン)、
リオデジャネイロ(ブラジル)、マラケシュ(モロッコ)、ドバイ(アラブ首長国連邦)、カンクーン(メキシコ)、シャム エル シーク(エジプト)
(※)調査対象都市は、世界観光機関(UNWTO)の調査による、外国人旅行者の入国数トップ37カ国の主要都市
(Yahoo!ニュース 2014/5/22 8時0分配信)


訪日外国人が過去最高となったという「量」的な記録に加えて、満足度が1位になるという「質」的な記録も作りました。
この点は特筆すべきことだと感じます。


◆旅行者による世界の都市調査 「総合的な満足度」上位20位
1位 東京 (日本)
2位 ニューヨーク(アメリカ合衆国)
3位 バルセロナ(スペイン)
4位 イスタンブール(トルコ)
5位 プラハ(チェコ共和国)
6位 ウィーン(オーストリア)
7位 ベルリン(ドイツ)
8位 ローマ(イタリア)
9位 パリ(フランス)
10位 ドゥブロヴニク(クロアチア)
11位 ロンドン (イギリス)
12位 ブダペスト (ハンガリー)
13位 ケープタウン (南アフリカ)
14位 ストックホルム(スウェーデン)
15位 リスボン(ポルトガル)
16位 シンガポール
17位 ソウル (韓国)
18位 ダブリン (アイルランド)
19位 シドニー(オーストラリア)
20位 香港
(※)調査対象都市は、世界観光機関(UNWTO)の調査による、外国人旅行者の入国数トップ37カ国の主要都市


満足度には様々な尺度があり、あくまでも一つの目安ではありますが、それでも嬉しい結果です。
日本を訪れた方々が帰国後、その「体験」を広めることで、さらに波及効果が広がっていくとすれば、嬉しい話です。
文化相互理解は、実際にその場に行ってみないと始まらないからです。
日本に対する正しい理解が進むことを期待します。


トリップアドバイザーの調査においては、16項目の設問により評価が行われています。
それぞれの設問による評価を詳細に分析することにより、さらに今後日本が観光立国としての立場を確立する足場を固めることが出来るでしょう。
設問ごとの「東京」の順位はこちら。



表:世界の旅行者が選んだ「東京の満足度」の順位
Q1 現地の人たちは親切だったか? <1位> (前回2位)
Q2 タクシーの運転手は親切だったか? <2位> (前回1位)
Q3 タクシーのサービスの総合的な評価は? <1位> (前回1位)
Q4 街中は清潔だったか? <1位> (前回1位)
Q5 街中での移動はしやすかったか? <8位> (前回7位)
Q6 公共交通機関の評価は? <1位> (前回1位)
Q7 コストパフォーマンスは良よかったか? <20位> (前回26位)
Q8 一人旅はしやすいか? <2位>  
Q9 ショッピングの満足度は? <5位> (前回5位)
Q10 この都市のホテルに対する評価は? <8位>  
Q11 この都市のレストランに対する評価は? <3位>  
Q12 この都市の観光やアクティビティに対する評価は? <13位>  
Q13 この都市は家族連れにやさしかったか? <8位>  
Q14 この都市の文化に対する評価は? <11位>  
Q15 この都市のナイトライフの満足度は? <3位>  
Q16 この都市に対する総合的な満足度は? <1位>  


世界の旅行者が選んだ「東京の満足度」の順位で、評価が低いのは
・Q14「文化に対する評価」(11位)
・Q12「観光やアクティビティに対する評価」(13位)
・Q 7「コストパフォーマンスのよさ」(20位)

となっています。
特に「文化」「観光・アクティビティ」に関しては「寺院」が、その役割を担うことにより改善出来る部分も大きいのではないでしょうか。
何と言っても、日本には7万もの寺院、曹洞宗だけでも1万5千か寺もあります。

・日本庭園
・茶の湯
・坐禅
・精進料理
・木造建築

寺院どうしが連携して「日本独自の文化」としての「禅」ブランドを活用していくことも有効でしょう。



訪日外国人が増えたことや、訪問者の満足度が高いという結果は嬉しい事ではあります。
しかし、海外からの観光客数で見ると、日本はまだまだ少ないのです。

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「東京」のみならず、日本には魅力的な観光地が多数点在しています。
訪日外国人増加の余地はまだまだ十二分にあるといえましょう。

まずは「多言語に依る情報発信」と「受入体制」。
「寺院」として出来る行動もたくさんありそうですね。

投稿者: kameno 日時: 9:39 PM | | コメント (0)

八ッ場ダムの現況

関東管区役職員人権啓発研修会として、群馬県草津にある国立ハンセン病療養所 栗生楽泉園方面へ向かう途中に、工事中の八ッ場ダム予定地を通りました。
最初に座学として、八ッ場ダムの経緯と現状について学びます。

八ッ場ダムは利根川の支流、吾妻川の川原湯地先に建設が進められている多目的ダムです。
当初は2015(平成27)年度完成予定でしたが、民主党政権マニュフェストなどの影響により完成が5年ほど延長されています。
規模としては、重力式コンクリートダム・高さは131.0mとなり、神奈川県を除く関東1都5県の中で9番目の大きさのダムとなります。

事業主体の国土交通省関東地方整備局の佐々木八ッ場ダム工事事務所長よりお話をいただきました。

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昭和27年の予備調査開始から現在までの経緯、ダムとは何か、八ッ場ダムの目的、集落の移転代替地について、ダム建設の工程などについて詳細な説明をいただきました。

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移転対象470世帯のうち、地元周辺代替地に約100戸の移転、自主移転が若干、それ以外は中之条、渋川、高崎などへの移転となりました。
ただし、まだ全戸が移転しているわけではなく、それぞれの事情により移転時期が異なっています。
移転対象地区には神社が3社ありました。
寺院については、代替道路による一部墓地移転のあった寺院はありましたが、移転対象となった寺院は無かったとのことでした。


八ッ場ダム全体の想定図がこちらです。(国土交通省関東地方整備局の資料より引用)

 

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往路は、吾妻川の下流より国道145号線旧道(上写真中ダムの水没区域)を通り、復路は国道145号線付替道路(上写真ダムの右を通る赤い線)を通りました。

ここが↓ダムサイト下流にある国道145号線旧道と付替道路の分岐点です。

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左へ進むと旧道、右が付替道路です。
往路は旧道を通りますので、左へ。

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JR吾妻線鉄橋が見えます。
この線路も、道路も、ダムが完成した際には水没となります。

ダム湖の左右両岸を結ぶ八ッ場ダム湖面橋が見えます。
満水の際には、この橋桁の直下まで水位が上昇するはずなので、水量の多さが実感できます。
湖面橋は3箇所ほど設置されます。

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建設途中の写真が数年前マスコミの報道で多く流されました。
橋脚とそこから左右に伸びる工事中の橋脚が十字架に見えるということで、八ッ場ダムの象徴ともいえる光景となりました。

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吾妻渓谷とそれを渡る吾妻線の鉄橋。
この渓谷も水没します。
鉄橋の上に湖面橋が見えるので、水位の目安になります。

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川原湯温泉駅↑も水没しますので、代替路線の新駅に移転となります。

ダム上流の長野原草津口駅は位置はそのままです。
現路線と代替路線が合流し、駅前の整備工事が進んでいます。

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↓こちらは県道バイパスの橋梁工事です。

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復路は、国道145号線付替え路線を通って帰りました。

旧道に比べて道幅、車線数、カーブ、勾配が格段に改善されており、所要時間が短縮されています。
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↓ダムサイト工事現場への入り口

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先ほどの湖面橋を同じレベルから遠望することができました。
橋の左側に集落の移転地区があります。

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↓こちらは吾妻線付替線の橋です。
単線路線にしてはずいぶんと立派な橋脚ですね。

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巨大な工事が進行する現場を目の当たりにし、私たちの「便利な」生活の背景に多くの事象が介在しているということを改めて感じさせていただきました。
ダムの本体工事は本年秋ごろから始まり、旧道は来年春には通行止めになる予定とのことです。

ダム本体工事が始まれば川原湯温泉周辺の景観は一気に変わることでしょう。


■関連リンク
国土交通省関東地方整備局八ッ場ダム工事事務所

投稿者: kameno 日時: 9:33 AM | | コメント (0)

授戒会に思うこと

平成26年の大本山總持寺報恩授戒会の全日程(4月10-16日)が終了し、完戒を迎えました。

大本山總持寺授戒会第1日
大本山總持寺授戒会第2日
大本山總持寺授戒会第3日
大本山總持寺授戒会第4日
大本山總持寺授戒会第5日
大本山總持寺授戒会第6日
大本山總持寺授戒会第7日

 

本山の授戒会というだけあって、毎年多くの戒弟さんが戒を授かりに集まります。
しかし、残念なことにここのところ、戒弟さんの減少が目立つようになりました。
過去12年間(平成23年は中止)の戒弟(優婆塞=男性の戒弟、優婆夷=女性の戒弟)の数の推移をグラフにしてみました。

20140418-02

このように、在家信者である戒弟数の減少が著しく 優婆塞・優婆夷合わせても60人そこそこといった状況です。
戒を授かる四衆は、優婆塞・優婆夷に、比丘=男性の出家僧=總持寺の新至修行僧、比丘尼=女性の出家僧が加わるのですが、修行僧、比丘尼を合わせても120名程度です。

授戒会の大きな意味合いは戒を授かることによって、仏弟子となり、お釈迦様の正式な弟子となることにあります。
現在、殆どの方は葬儀の際に授戒を行い、戒を授けます。
→葬儀の詳細はこちらを御覧ください http://teishoin.net/dantoinfo/sogi.html

しかし、本来は生前に授戒会に参加し、戒を授かることが望ましいのです。
戒を受けることは、仏弟子として、仏教徒としての自覚を持つ契機となります。
授戒会の正授道場で、戒師(本山では禅師様)より仏弟子の証として「血脈」を授かります。

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(写真は戒弟飯台準備)

全国の何百万人もの曹洞宗檀信徒のほとんどが授戒会に参加されないということは実にもったいないことだと感じます。

總持寺の授戒会には、全国から200人を超える随喜寺院が集まります。
それぞれの寺院から各寺院1名参加するだけでも、戒弟の数は格段に多くなります。

まずは、授戒会がどういうものであるのか、その意義と、参加方法について積極的に広報することが必要だと感じます。
總持寺の授戒会は4月10日から16日までの日程で毎年開かれています。
全日程参加するのが望ましいのですが、最低限4月13日から16日早朝までの日程でも可能です。

もし、總持寺の授戒会に参加をご希望の方は菩提寺にお申し出下さい。
(貞昌院の檀家さんは、貞昌院までお申し出下さい)

投稿者: kameno 日時: 9:14 PM | | コメント (0)

海軍道路の桜潜り抜け

横浜市内の桜の名所の一つ、瀬谷区の海軍道路の桜並木を通ってきました。
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この桜並木は、在日本アメリカ軍上瀬谷通信施設を南北に貫く延長2850メートル(瀬谷中学校前交差点~海軍道路入口交差点間)の道路です。
現在はアメリカ軍に接収されている地区ですが、終戦前は日本軍の横須賀海軍資材集結所があった場所でした。

地図と航空写真で確認してみましょう。

20140405-01
1/25000「座間」昭和29年修正 昭和32年3月発行 地形図 (今昔マップより)

接収直後の地形図です。
旧日本軍の資材を保管する場所らしきものが幾つか描かれています。
また、右上に米軍の建物が建ち始めています。
南北に貫いている道路が海軍道路、上端を東西に貫く道路が八王子街道です。
現在の道路の形がほぼ出来上がっています。
海軍道路を南に行くと瀬谷駅にたどり着きます。


20140405-02
続いて航空写真です。
こちらは、日本陸軍が昭和16(1941)年7月24日に撮影した航空写真(国土変遷アーカイブより)であり、時代を遡ります。
海軍道路には線路が通っていたことがわかります。
線路と思われる部分を赤で着色してみました。

線路を南に進むと、瀬谷駅に繋がります。
様々な物資を、ここから搬出・搬入していたのでしょう。


日本の敗戦後、横須賀海軍資材集結所周辺はアメリカに接収され、在日本アメリカ海軍上瀬谷通信施設、現在は海軍上瀬谷支援施設となっています。

昭和50年代、かつて日本海軍の鉄道敷だった場所に平和の願いを込めソメイヨシノが植樹されました。
その桜が、今では冒頭の写真のように見応えのある桜並木に成長しているのです。

 

それでは、2種類のビデオカメラで撮影した海軍道路の桜並木を御覧ください。


GOProにて撮影


Victor Everioにて撮影


■関連ブログ記事

根岸線物語 本郷台編

投稿者: kameno 日時: 8:35 PM | | コメント (0)

永谷に住んだ宅間の殿様

貞昌院の北側、永野小学校の周辺には「伊予殿根(いよどね)」という字名が残されています。
kaminagaya

また、永谷側を少し下った「神明社」と「般若寺」の間には「殿屋敷城砦」がありました。
このあたりを概観してみます。

まずは、港南区の民話をご紹介します。


永谷に住んだ宅間の殿様 - 上永谷

鎌倉幕府がほろびて,京都に室町幕府が新しくできましたが,鎌倉には鎌倉府という,東国十か国を支配するための役所が置かれました。
そして,そこの最高責任者を鎌倉公方といい,将軍である足利氏の血筋にあたる人が代々その地位につきました。
しかし,実際には,鎌倉公方の重臣である上杉氏が,関東管領という職について東国を支配する実権を握っていました(1)
室町時代も進むにしたがって,この上杉氏も四つの家に分かれて,互いに権力争いをするようになりました。
その四つとは,それぞれ鎌倉にあった自分の根拠地の名前を取って,山内,犬懸,扇谷,宅間(2)のそれぞれ異なる上杉氏をいいます。
この中で,宅間上杉氏はいつのころからか,永谷に根拠地をおくようになったらしく,江戸時代の末に書かれた書物には,宅間氏の子孫である上杉乗国が,永谷の地にお城を築いたと記されています。
宅間上杉氏の築いた城が,どこであったかは,正確には分かりません。
しかし,永野小学絞のあたりに伊予殿根(3)という地名が残っているのは,乗国の子の憲方という人が,伊予とよばれていたので,伊予の殿様の屋敷(4)が館のあった所という意味ではないかと言われています。
また,永谷天満宮や貞昌院という寺のあたりには,環濠の跡があリ,その背後の小高い丘陵には,城跡特有の人工的に削って平らにしたと思われる土地もありました。
そのため,この付近一帯は,宅間上杉氏に関わる武将が築いた城跡ではないかと考えられています。
その後,戦国時代には宅間上林氏は,小田原北条氏に仕えるようになりましたが,もともとは格式の高い家柄なので,後北条氏はふつうの家臣とは別あつかいで,宅間殿と尊称をつけて呼んでいました。
小田原北条氏が没落した後は,宅間上杉規富は徳川家康の旗本として関ケ原の戦いに出陣した後,保土ケ谷に移るようになりました。
現在は,平和な上永谷のあたりも,むかしは武者がたむろして,大声でどなる声が響きわたる物騒な里であったのかもしれません。
(ふるさと港南・港南区の民話より引用、下線部はkamenoが付記)


(3)に出てくる「伊予殿根」が、冒頭の『昭和初期・上永谷部落』図に記載されています。図では「伊予」が「伊与」となっておりますが、「伊予」の方が正しいと思われます。

(1)鎌倉幕府が滅亡し、室町幕府が京都に生まれると、鎌倉には鎌倉府が置かれました。東国十か国を支配するための役所です。
鎌倉府の最高責任者は「鎌倉公方」と呼ばれ、将軍・足利家の血を引く者がその地位につきました。 
ただし、実質的な政務は、鎌倉公方の重臣であった上杉氏が関東管領職として就き、東国支配の実権を握っておりました。

takuma


(2)室町時代中期には、上杉氏は山内・犬懸・扇谷・宅間の四家に分かれ、権力争いをするようになりました。
このうちの「宅間上杉氏」が、永谷の地に本拠地を構えたと考えられます。
永谷の地に城(屋敷)を築いたのが「宅間上杉乗国」でありました(上系図 赤字□囲み)。


永谷上村(奈我也加美牟良)江戸より行程十里、永谷郷に属す、小田原北条氏割拠の頃は宅間伊織綱頼知行す(役帳曰「宅間殿二百五十貫文、東郡永谷普請役は有之出銭其外御用時は以御直書可被仰出」又村内天神社縁起に天文十二年領主宅間伊織藤原綱頼社頭を再建せし事見ゆ)蜷川相模守親文が采地なり(昔は松平大和守、山田立長、鈴木隼人、蜂屋七兵衛等知行せしが文化八年松平肥後守容衆領分となり、文政四年今の地頭に賜ふ)民戸五十、天正十四年十二月藍瓶の税務を諸村に課せし文書に永谷の名見えたり(足柄下郡板橋村京紺屋藤兵衛蔵文書曰「前岡永谷右之在所不入与申紺屋不出候由、曲事に堅申付可取、若猶兎角申不出侯はば可申上他郷へ越し侯共、其在所迄ただし、役口可取者也仍如件、丙戌十二月廿五日、京紺屋津田、虎朱印、江雲奉之」とあり)同十九年彦坂小刑部元正検地の後、今に至りて其の法に随ふ、旧は当村上中下三分の別称ありしなるべし中古中分の地を分ちて別村を建つ是今の中村なり、今当村内を区別して、上分下分の別称あるは共遺れるなりされば中村の地当村と一区たりし故地形大牙して広袤四隣共に弁別しがたし故に爰に括載す
広二十町袤三十町(南上下野庭小菅谷三村、西舞岡上下柏尾三村、北平戸村及び武州久良岐郡引越別所二村、東同郡望松本久保別所三村)飛地四町四畝平戸村小名伊予殿根(昔天神神職、伊予と云ふもの居住せし跡なれば此称ありと云ふ)有花寺(宇計慈地蔵院の所在なり)半在家、丸山、中里、天神前、木曽、水田、鍋谷、宮田、山谷、馬洗川南北に貫けり(幅三間元禄国図にも馬洗川と載す、鎌倉古路係りし頃此流にて馬を洗ひしより此名ありと伝ふ)橋を架す(長三間半)有花寺橋といふ
『新編相模国風土記稿』より



乗国は、永谷天満宮の造営を行いました。
『新編相模国風土記稿』に拠れば、菅原道真道真左遷に伴い播磨国へ流刑となった際に、道真公自身を彫った木造を道真五男の菅秀才こと淳茂に与え、淳茂はのちに関東へ下向し、相模国鎌倉郡永谷郷に居館を構えて道真像を奉祀したと伝えられています。
この伝承を「宅間上杉乗国」は、永谷の地に居を構えた際に強く心に刻んでいたのでしょう。
ある日、道真像が乗国に霊夢となって現れ、これを契機にとして社殿を造営し道真像を神体として安置したのが永谷天満宮の始まりとされます。明応2(1493)年2月のことでした。


菅原道真、宝鏡に向ひ躬づから模刻して令子敦茂に興へられし真像なりとぞ、後菅原文時藤原道長上杉金吾等相伝せしを明応二年二月当所の領主藤原乗国(当国八郷を領し永谷郷に居城せしと云ふ)霊夢の告により此地に始て宮社を営み安置すと云ふ、其後天文十二年領主宅間伊織綱頼修造を加へ天正十年同氏規富再造せしとなり。末社妙義白山。妙見。稲荷。
『新編相模風土記稿』より

永谷天滿宮を造営した乗国は、当時、永谷八郷(永谷・平戸・信濃・山田・秋葉・名瀬・柏尾・舞岡)を領しておりました。
乗国は永元(1521)年に没し、その子、憲方(乗方)が永谷郷・山田に「徳翁寺」を創建しました。


(後山田村)徳翁寺
乗國山と號す、曹洞宗能州普蔵院末、本尊は弥陀、開山は宗悟、享禄三年十一月廿日寂。開基は上杉刑部大輔乗國、大永元年七月十日卒す、法名養光院徳翁見公、按ずるに寛永宅間譜に、三十郎憲方、法名胤公、道號貴山、院號勝楽と云ふ、相州山之内庄に於て乗國山徳翁寺を建立すと見え又系図纂上杉系には、刑部大輔乗國の名を挙す。
宅間左衛門佐憲清が五代の孫に、乗忠と云ふものあり、通稱を脱し只養洪院と號すと記し、其子に三十郎乗方を係け徳翁寺建立と記せり。
是に豫て推考するに、寺傳に云乗忠と、院號の文字異なれど其唱へ同きに豫れば、もと乗國乗忠同人にして、其子乗方亡父の為に當寺を創建し、やがて其父を開基に准せしものならん。
寺傳の異なるは、全く訛舛あるなるべし、と傳ふ。白山社。
『新編相模国風土記稿』より

乗国の子、憲方については、高野山桜地院『鎌倉御所方過去帳』に享禄3(1530)年没と記されています。
憲方は後北条氏に属し、引き続き永谷郷を任され玉縄城主北条氏時為昌に従事しましたが、後北条氏として別格に扱われ「宅間殿」と称されておりました(4)。
憲方の子房成および孫の富朝は、下総国国府台合戦に出陣、そこで討死します。

 

宅間上杉規富は貞昌院の開基であります。
天正10(1582)年、貞昌院の本寺、徳翁寺より徳翁寺第4世住職・明堂文龍大和尚を貞昌院初代住職として請し、貞昌院が開かれました。


(天神社)別当貞昌院、天神山と号す、曹洞宗(後山田村徳翁寺未)。旧は上之坊下之坊と号せし台家の供僧二宇在りしが共に廃亡せしを天正十年に至り、其廃跡を開き、当院を起立す、開祖は文龍(天正十九年四月十六日寂す)と云ふ、本尊は十一面観音(長八寸行基作)。
神明宮二、羽黒社、浅間社、以上貞昌院持
『新編相模風土記稿』より

 

天正16(1588)年、北条氏直は、富朝の子、宅間規富の知行地不入を安堵します。
天正18(1590)年、豊臣秀吉により小田原北条氏が滅ぼされた後、宅間上杉規富は徳川家康に仕え、徳川旗本として関ケ原の戦いにも出陣しました。

その後、宅間上杉家の子孫は旗本家として存続していきます。

以上、永谷に伝わる歴史の一端を概観してみました。

投稿者: kameno 日時: 11:17 PM | | コメント (0)

東日本大震災から3年目

東日本大震災発生(地震発生時刻午後2時46分)から3年目の日を迎えます。
災害によりお亡くなりになられた皆様に改めて弔意を表します。

未曾有の災害となった東日本大震災のような災害は、またいつ発生するかわかりません。
豊かな大自然に囲まれ、その恩恵を享受できる反面、時には私たちの到底及ばない大きな力をもって災害をもたらします。

先達は、過去に繰り返されてきた大震災をの経験や学んだことが、後世に伝えるべく様々な形として残されててきました。
石碑、古文書、街路や街区の形態・・・・・・
世代を越えてそれらを読み取っていくことは重要です。

そして、大災害を経験した私たちがするべき行動の一つは、災害の記録を整理し、確実に受け継がれるように次世代に残していくことです。

政府・国立国会図書館では、「大震災の記録を永遠に残し、広く学術関係者により科学的に分析し、その教訓を次世代に伝承し、国内外に発信する」ことを目的として「国立国会図書館東日本大震災アーカイブ(愛称:ひなぎく)」を平成25年3月から公開しています。

国立国会図書館東日本大震災アーカイブ:ひなぎく=クリックすると当該サイトに飛びます。

20140311

 

「ひなぎく」は、国や自治体などの公的機関やNPO・ボランティア関連の民間団体、報道機関といった国内外にわたる様々な団体と協力して、東日本大震災に関する資料を一元的に検索・閲覧できるポータルサイトです。

現在、27のデータベースから約248万件のコンテンツが検索可能となっており、被災地の復興支援や今後の防災・減災対策、学術研究や防災教育などへの活用が期待されます。

 

誰でも震災記録を投稿することができます。
多方面からの記録が寄せられ、記録に付随した詳細なタグ付けにより、防災・減災に寄与するデジタルアーカイブが構築されていきます。

震災に関する記録を「震災記録」とは次のように定義されます。


震災記録とは
調査報告書、復旧・復興計画書など
フリーペーパー、ミニコミ誌、チラシなど
イベント・セミナー・相談会等のチラシや資料など
各種活動記録(ボランティア記録、避難所だよりなど)
学校だより、会報、広報誌など
個人・団体が作成した文集・体験記・手記など

 

次世代に伝承し、いつか発生するであろう大災害の減災に寄与するデータベースとして構築されることを期待します。


 

阪神大震災や東日本大震災はもとより、日本各地で発生した災害では、地域に果たす寺院の役割というものが改めて見直されました。
昨年、仏教情報センター創立記念事業でご講演いただいた玄侑宗久師は、次のように指摘しています。

 


今回の東日本大震災では、被災地では、いろいろな宗教の連携が見られました。
きっかけは、仙台市の事例です。
仙台市は当時非常にきついことを言いました。
仙台市仏教会が、ご供養をしたいと仙台市に申し入れると、仏教会だけにそれを認める訳にはいかないと言います。
他の市町村ではそんなことは無かったのですが、仙台市では、あらゆる宗教と連合してくれないかと申し出があったのです。
そういったことがあり、結果的に宗教の連携が進みました。

お寺や神社、教会が避難所になったり、そこで共同生活が行なわれたりということがあちこちでありました。
それは今後の非常に大きな財産になるだろうと思います。

今回の体験で強く思ったことは、お寺、神社のコミュニティーのあり方は、実に古い日本人の共同作業の方法を残しているということです。
今ではどこでも○○部、○○課に分かれていますが、あの「部」は、奈良時代に朝鮮半島から部の民がやってきて、「機織部」が「服部」になるように、職能によって同じ場所に集まって、同じ部署に集まるというやり方が伝わったものです。
これは実に効率的な方法です。

実は、それまで日本人は、そのようなスタイルでは無かったのです。
部が入って来る前は、「伴(とも)」というスタイルでした。
これは一つの家庭のようなもので、いろんな人がいろんなことをするんです。

先日行った奄美大島ではそういう、古い日本のやりかたが残っていました。
空港に着くと女の人が迎えに来てくれていました。運転していただきホテルに着くと、背広の男性がご挨拶してくれました。
部屋に、お茶を持ってきてくれたのは先ほどの男性でした。後で聞くとその男性が社長で、島の見所をいろいろと説明してくれました。
夕食では料理長が料理のを説明してくれましたが、食後FAXをしようとフロントに行くと、そこには料理長しか居ない。
料理長にFAXを頼むのは・・・と思っていたら、当たり前のようにFAXを送ってくれました。

夜、マッサージを頼んだら、さっきまで空港から送ってくれた女性でした。
翌朝、奄美つむぎを見ようとしたら、また昨日のマッサージの女の人が説明してくれる。
詳しい突っ込んだ質問をすると、奥から呼ばれて来た男性が、社長だった。
では作っている現場に行ってみましょう、と行ってみると誰も居なかった。
今、サトウキビ収獲の最盛期なのでサトウキビ工場へ行っているということでした。

つまり、そういうことなんです。
この仕事の苦労をみんな知っている。だからみんな何でも手伝えるし、専門ということではないけれど、みんながみんなを手伝うんですね。
これは「和合」という観点からいうととても優れている方法です。

 

しかし、効率という観点から言うと「部」のやり方が優れています。
ですから、例えば今の郵便局は大変です。
集配業務をやっている人は、ずっと集配をやっています。
人間なのに、そんなに道具みたいに分けられて幸せに暮らせるのだろうかと思ってしまいます。

お寺や神社に集まった人は、今でも「伴」なんです。
だから、自分はこうだから、これはやらないということは無いですね。
なんでもかんでもみんなでやる。

うちの寺もそうですが、何かの職業の人が職業的な技術を提供くださったときには報酬を出します。
けれども、弁護士が雑巾を掛けてくれたといっても報酬は出ない。
お医者さんが歌を歌ってくれたといっても報酬は出ない。

だから、誰が何の専門だとかそういうことが、一旦チャラになって、みんなが何でもするという場所があちこちで震災後に出来ました。
お寺や神社で、日本の古い伴というやり方が復活しました。

郵政民営化も、民営化の中で仕事が細かく分かれ過ぎています。
なぜ集配の人が保険の勧誘をできないか、という反省からもう少し太くしようとしていますが、もう少し人の仕事って言うのは総合的であるべきだと思います。
そういう人の集い方が残っているのが神社仏閣なのだろうという気がします。

仏教情報センター記念大会講演録(1)より)


日本の社会の仕組みというものは、永年に亘り自然環境が育んできた文化なのだと感じます。
「記録・記憶」を伝承するのも寺院の重要な役割であり、また「地域の核」として和合の精神を育くむことも重要な役割といえます。

 

仏教は「生死を歩む人の今に寄り添い、縁の力を最大限に生かし、その人の自己のいのち、人生を統合することを扶助する」ということを根源とします。

東日本大震災発生から3年を迎え、改めて考えてみたいものです。

投稿者: kameno 日時: 8:45 AM | | コメント (0)

短いエスカレータは誰のために?

普段利用している横浜市営地下鉄ブルーライン上大岡駅構内とカミオを結ぶ地下通路に、このようなエスカレータがあります。

20140227-01

段数にして6段ほど。
しかも上下がある贅沢な仕様です。

すぐ隣に幅の広いスロープがあるために、ほとんどの人たちはスロープを通っています。
というよりも、エスカレータを利用している人を見かけません。

調べてみると、これよりも更に短い(しかも世界一短い)エスカレータが同じ神奈川県にあります。


世界一短いエスカレーター

川崎アゼリアをよく利用される方には、最早何の違和感もないかもしれない……でも初めて見る人は目を丸くして驚く、そんな不思議なものがあります。それは川崎アゼリアと川崎モアーズをつなぐ、通称「プチカレーター」です!
プチカレーターは川崎アゼリアから川崎モアーズ地下2階への連絡通路にある、たった5段のとても短いエスカレーター。「世界一短いエスカレーター」として、ギネスブック1991年度版で認定されています。高低差は83・4cm、所要時間は何と5秒しかないんです!でも、実際に乗ってみると体感時間はもっと短く感じます。乗ったらすぐ降りる感覚で、本当に「あっと言う間」です。
川崎アゼリアの地下通路が川崎モアーズの地下1階と地下2階の中間に位置しているため作られたそうですが、このエスカレーターの不思議なところは、エスカレーターを降りたら更に5段、階段を下りなくてはいけないところです。全部エスカレーターにしなかったのは何故……?考えれば考えるほど、不思議な光景です。
ぜひ、川崎アゼリアに馴染みのない方とご一緒の際は、この不思議な「川崎の世界一」を紹介してみてくださいね!
(タウンニュース川崎区版2013年1月25日号)


川崎アゼリアのエスカレータは、わずか5段。しかもエスカレータの先には階段があるという突っ込みどころ満点のエスカレータです。
けれども、ギネスブック掲載の命題があるのであれば、話題提供のためとう救いどころがわずかにあります。

対して、上大岡駅のエスカレータは中途半端ですね。
バリアフリーに寄与しているとも思えませんし、却って邪魔な感じが否めません。

どのような目的で設置されたのか、伺ってみたいものです。
やはりネタなのでしょうか?

投稿者: kameno 日時: 9:15 AM | | コメント (0)

The Sochi Olympics,Frame by Frame

ソチオリンピックの熱戦が続いています。
時差の関係もあり、競技時刻が深夜から早朝になるものも多いのですが、やはり見入ってしまいます。

今朝はフィギュアスケート女子フリーが行われ、SP16位だった浅田真央選手が、今季初めて3回転半ジャンプを成功させ、さらに6種類すべての3回転ジャンプに挑戦する構成で142.71点の自己ベストをマーク。
SPと合わせて198.22点となり、6位入賞となりました。

日本のメディアでも当然にその素晴らしい演技が大きく取り上げられ、繰り返し放送されていますが、ニューヨークタイムズの記事がとても詳細に掲載されていてとても参考になります。
現在、Women's Figure Skatingの最新画像として掲載されています。

mao-asada

(写真はニューヨークタイムズより。クリックすると元記事に飛びます)

写真には次のようなコメントが併記されています。

Mao Asada is one of a handful of women to perform a triple axel in competition. Coming after a disastrous short program performance, she landed the most difficult jump to be attempted in this event, boosting her score.
(浅田真央は、競技でトリプル・アクセルを飛ぶ一握りの女性選手のうちの1人です。低得点に留まったショートプログラムの後に、彼女は、最も難しいジャンプを成功させ、順位を押し上げました)


オリンピック最後となる競技に臨んだ浅田選手の果敢なチャレンジと、トリプルアクセルを見事綺麗に決めた演技に心より賞賛いたします。


この他、ニューヨークタイムズの記事では、金メダルの ソトニコワ選手と銀メダルのキムヨナ選手の詳細な比較分析を行っていたり(⇒How Sotnikova Beat Kim, Move by Move)、羽生選手がどうして金メダルに輝いたのか(⇒Hanyu Falls Twice, but Still Wins Gold)など、フィギュアスケートにあまり詳しくない人でもよく分かるものとなっています。


それにしても、女子フィギュアスケートにおけるトリプルアクセルの基礎点は、もっとずっと高くても良いのではないかとつくづく思います。
採点競技はルール変更も都度都度行われていたりして、公平感について、いつも議論の対象になりますね。

投稿者: kameno 日時: 4:04 PM | | コメント (0)

自然界は物理法則に拠っている

台風や大雪など気象予報の分野では、近年かなり精度が上がっていることを感じます。
今年の大雪の情報なども、数日後の○日頃には大雪に警戒が必要らしいということがわかり、除雪スコップの用意や対応策をある程度取ることができてとても助かりました。
(もちろん、それが空振りに終わることはありますが)

気象予報の分野で活躍しているのがスーパーコンピューターの存在です。
それらに物理演算エンジンによる複雑な計算をさせて、結果を幾つか算出し、それらを検討して予報が出されます。
複雑な計算を迅速に行うためには、コンピューターの処理能力が高くなければなりません。
性能を争う競争が行われている大きな理由の一つは、ここにあります。


物理演算エンジン(ぶつりえんざんエンジン、Physics engine)とは、質量・速度・摩擦・風といった、古典力学的な法則をシミュレーションするコンピュータのソフトウェアである。多くの場合、ミドルウェアライブラリを指す。 略して物理演算、物理エンジン、Physicsとも言う。
物理演算の基本となるのは衝突判定とダイナミックシミュレーション(動的シミュレーション。静止した一点の力のかかり方のみを見るのではなく、現実と同様に動く物体の動き全体をシミュレーションするもの)である。その他に、流体シミュレーション・モーションコントロール(スクリプト言語によって物体の動作をコントロールする機能)・COLLADAなどの外部形式のオブジェクトやシーンを読み込める機能などがついたものも多い。 長年、学術的シミュレーションや3DCGアニメ製作の現場などの専門分野でのみ使われていたが、最近では高度な物理演算エンジンを搭載したゲーム機やグラフィックカードの登場により、物理演算を利用した「リトルビッグプラネット」等のゲームソフトが人気を博すなど一般にもなじみが深いものとなっている。 また、物理演算を搭載した3DCGソフトウェアも、かつてはプロユーザーにしか手が出せなかったが、現在ではフリーのBlenderを初めとして一般人にも手が届く物がいくつも存在しているため、ゲームや映像を介して物理演算を実感するだけでなく自身で物理演算を利用した3DCGアニメーションを製作することも容易となっている。実際、BlenderやPhun等の物理演算を利用した動画が動画共有サイトに多数投稿されている。
(ウィキペディア「物理演算エンジン」項)

物理演算エンジンとは、古典力学に基づく物理法則をシミュレーションする仕組みです。
それが精細になればなるほど、また範囲を広げるほど精度が高まっていきます。

最近では、パーソナルコンピューターの性能も飛躍的に上がりましたので、個人レベルでも物理演算エンジンによるシミュレーションを行うことができるようになりました。

 

例として、Position Based Fluids Demonstration さんが公開している動画をご紹介します。

流体の動きを再現することは、これまではとても難しいことでした。
気象予報も流体の動きの予測ですね。

しかし、この動画は水槽の壁や物にあたって反射する動き、水槽から流出する水の動きがかなり自然に再現されています。

物理演算エンジンの長所は、現実的に実験を行なうととてつもなくお金がかかったり、現実的に不可能だったり、時間がかかったりするような実験が可能であるということです。

この物理演算エンジンを使って行った結果が公開されていますが、その中で興味深いものを幾つかご紹介します。

まずは、自然界の「自然の」状態が、物理の法則に則っているものであるということがよく分かる動画です。

■ munimunibekkanさんのシミュレーションより
【WebGL】木の生成 (樹木の枝は無闇矢鱈に伸びているのではないことがわかります) 
 

【WebGL】模様の生成 (動物の模様が、細胞レベルからのシミュレーションにより再現されています)

 

munimuniさんのシミュレーションより
■ 物理エンジンでネコを作った。(猫が頭を下に落ちてもくるりと回転する仕組みを再現しています)


「スイッチアプローチでのキャブダブルコーク1260」や、「シライ」などの再現もできますね。

 

最後に・・・・■千手観音の往復ビンタを検証した ←これは秀逸です。
物理演算エンジンによるシミュレーションの真骨頂ともいえるでしょう。
こういう遊び心をはいいですね。

技術の進歩により、さまざまなことが見えてきます。
ただ、何か分からない未知の領域、踏み込んではいけない領域は残してほしいものですね。
その部分は宗教が役割を果たす領域なのでしょう。



■関連ブログ記事
芸の神髄・千手観音
投稿者: kameno 日時: 9:46 AM | | コメント (0)

合理的な御詠歌奉詠

横浜市仏教連合会の行事では、伝統仏教各宗派僧侶、檀家信徒が一つの行事を行うこととなり、他宗派の法要作法や御詠歌の作法などで、宗派の特色に触れる機会を得ることができます。
曹洞宗では行われていないようなことでも、はっとさせられるような事例も多いのです。

御詠歌を例にすると、金剛流や豊山流などでは、このような作法でお唱えする様子を見ることがあります。

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譜面を前の人の襟に挟んでお唱えしているのです。

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では、一番前列の人はというと

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楽器用の譜面台を使用しています。

お唱え中に目線を下にする必要がありません。

20140206-22

 

 

20140206-0620140206-0520140206-04

 

譜面を留めているクリップも個性的でお洒落でした。

投稿者: kameno 日時: 9:09 PM | | コメント (0)

海上自衛隊輸送艦「おおすみ」と釣り船の事故報道を観る

15日、海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」と釣り船「とびうお」が衝突する事故が発生しました。
死亡された2名の方には謹んで弔意を表します。
この一連の報道について、やはりメディアによって情報の取捨選択、報道の仕方が様々であることがとても良くわかります。
一つのメディアからのみ情報を得ることの危険性も改めて感じます。
また、事実関係や整合性の確認ができていない段階で、あやふやな情報を「事実」であるかのごとく報道する姿勢も問題です。
その情報も、メディアの主義主張に合致するものは大々的に報道し、主義に合致しないものは取捨していくという恣意的な取捨選択にも注意が必要です。
今回の衝突事故のみならず、様々な報道についても、メディア相互の読み比べを行なって総合的な判断が求められます。
また、マスメディアには、事実関係の確認をきちんと取って、正しい事実のみを客観的に報道していただくことを望みます。
それでは、主な報道を概観してみましょう。

 


海自艦が追い越し横切る」男性客が証言

広島県大竹市の阿多田(あたた)島沖の海上で15日、海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」と釣り船「とびうお」が衝突した事故で、救助された釣り船の客が読売新聞の取材に「右後方から追い越してきた『おおすみ』が進路を横切る形で衝突した」と証言した。
海上衝突予防法は、追い越す船に衝突回避義務があると規定しており、第6管区海上保安本部は両船の航路などを慎重に調べる。
また、重体だった釣り客の無職大竹宏治さん(66)(広島市中区)が16日未明、搬送先の病院で死亡。事故による死者は2人目。同本部によると、大竹さんの死因は出血性ショックで、15日夜に死亡した船長の高森昶(きよし)さん(67)(同)は溺死だった。
(読売新聞 1月16日(木)14時56分配信)

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<kameno注>釣り船の釣り客一人の証言を元にメディアが描いた航行図です。
動いている船から見た相対的な位置関係から航行図を聞き取りながら起こしているわけですから、きちんと描かれている可能性は少ないでしょう。
それをあたかも読み手が「事実」と誤認するような図を描いて掲出するのは尚早でしょうし、適切ではなかったはずです。


 

追い越し、食い違う証言 海自艦事故、乗船者と周辺島民

  広島県大竹市の阿多田(あたた)島沖で海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」と釣り船「とびうお」が衝突し、2人が死亡した事故で、第6管区海上保安本部は16日、実況見分を始めた。とびうおの船体の右舷に傷痕を確認。おおすみの左舷中央部にも傷があり、とびうおのものとみられる塗料が付着していたことから、両船が側面衝突したとみている。とびうおが後方からおおすみに接近してきたとする新たな証言も出てきた。
阿多田島で養殖漁業を営む男性(40)は、自宅前の高台から事故直前の数分間に目撃した状況を語った。
15日午前8時ごろに東方向の沖合を見ると、左から右へ、南方に向かって航行するおおすみが見えた。おおすみの後方からは、左から右へやや島側に向かって来るとびうおも見えたという。汽笛が数回鳴り、おおすみは右回りに急旋回して停止。衝突していた。後方から現れたとびうおが、おおすみの陰に隠れたとし、男性は「とびうおの方が速く見えた」と明かす。
(朝日新聞2014年1月17日08時19分)
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<kameno注>この図も酷いですね。
貨物船がおおすみの前を横切る図が描かれています。
瀬戸内海は航行する船の航路が計測され記録されています。また、各船に搭載されているGPSを分析して検証する必要もあります。
その作業を待たずにこのような航行図を掲載することは意味がありません。
釣り船の釣り客の証言は、釣り船から見た相対的な目撃証言です。したがって、釣り船「とびうお」を直進航路とした場合は、上図のようになるでしょうし、輸送艦「おおすみ」が直線航路となる場合は、逆に釣り船「とびうお」が蛇行していたとも考えられる。しがたって、GPS航跡を元に分析しないと全く意味がありません。
上図が間違っている可能性が高い資料が次々と出てきました。


 

釣り船のGPS回収、航跡解析へ 自衛艦衝突事故

海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」と釣り船が衝突し、2人が死亡した事故で、
第6管区海上保安本部(広島)は16日午後、転覆した釣り船を引き揚げ、
衛星利用測位システム(GPS)受信機や、周囲の船舶を確認するレーダーを回収した。
  海自は既に、おおすみの航跡記録を提出。6管は釣り船の計器類を分析し、
事故に至った両船の経路を特定、事故原因の解明を目指す。
  民間の測量大手「パスコ」(東京)によると、救助された釣り船の男性が
「船の前を横切った」と証言した貨物船の存在を裏付ける船舶の航跡記録がなかった。
(共同通信)

<kameno注>上記の貨物船は実際にはなかったようです。
それが事実なら、朝日新聞は重大な誤報ということになります。


さらに、航跡の速報が公開されました。
20140116-02
<kameno注>自衛隊の「おおすみ」は真っ直ぐ航行し、衝突直前に右に回避している様子が見えます。
そのご、ぐるぐると回っているのは釣り船との衝突後、救助作業等による航跡と考えられます。
これまでの航行図では、おおすみが蛇行していましたが、それを否定する航行記録です。

 


 

海自艦、危険回避行動か…運航データに記録 

広島県の阿多田(あたた)島沖で海上自衛隊輸送艦「おおすみ」と釣り船「とびうお」が衝突、2人が死亡した事故で、「おおすみ」が衝突の頃、針路を右側へ切っていたことが、搭載していた船舶自動識別装置(AIS)の記録でわかった。
同じ頃に急減速しており、「おおすみ」が危険を回避しようとした可能性がある。
AISは3~4分ごとに船の位置や針路、速度などの情報を自動的に送受信する無線装置。複数のインターネットサイトがその記録を公開している。その一つ「マリントラフィック」の記録によると、「おおすみ」は15日早朝に海上自衛隊呉基地(広島県呉市)を出発し、宮島と能美島の海峡を過ぎたあたりから加速。午前7時58分には南へと直進し、速度は17・4ノット(時速約32キロ)だった。
( 読売新聞 1月17日(金)4時0分配信)
20140116-03


<kameno注>その後、読売新聞より、おおすみが衝突直前右方向に転換し危険回避行動をとっている可能性を指摘しています。
今後、漁船のGPS解析や様々な情報を分析した結果が公表されることでしょう。
注目するべきは、各メディアが今後どのように報道していくかということです。
もしくは、メディア側で情報の取捨選択を行い、続報をフェードアウトさせることもあるでしょう。

情報の受け手としては、メディアの主義主張に合致するものは大々的に報道し、主義に合致しないものは取捨していくという恣意的な取捨選択にも注意が必要です。
今回の衝突事故のみならず、様々な報道についても、メディア相互の読み比べを行なって総合的な判断が求められます。
また、マスメディアには、事実関係の確認をきちんと取って、正しい事実のみを客観的に報道していただくことを望みます。

 


今日も貨物船と漁船の衝突事故が発生し、2人の死亡者が出てしまいました。
海の事故は毎日のように起こっています。
その中で、メディアに載るものはごく一部です。
なぜ、その事故が取り上げられるのか、また、事故はなぜ取り上げられないのか、それを読み取る力がますます必要になっています。

 


和歌山沖で漁船2隻と貨物船衝突、男性2人死亡

17日午前8時ごろ、和歌山県由良町白崎沖約3・2キロで、漁船2隻と貨物船が衝突、漁船は2隻とも転覆し3人が投げ出された。
和歌山海上保安部によると、漁船に乗っていた男性2人が死亡。漁船はいずれもシラス漁をしていたという。
(産経新聞 1月17日(金)11時31分配信 )


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投稿者: kameno 日時: 1:24 PM | | コメント (0)

年末年始のインターネット参拝

貞昌院のホームページには平素より多くの方に閲覧いただいているようで、ありがたいことです。
特に、年末年始には普段の10倍を越えるアクセスをいただいたています。
例えば、今年1月6日間にどのようなキーワードで貞昌院に来訪されているか「検索キーワード」でみると

1  おみくじ
2  貞昌院
3  五観の偈
4  修証義
5  omikuji
6  服部勇馬
7  おみくじ ネット
8  ごかんのげ
9  上村和生
10  生死は死すべし
11  朱 意味
12  天神おみくじ
13  ネットおみくじ
14  箱根駅伝 2区 観戦
15  箱根駅伝 観戦 10区
16  設楽啓太
17  らくのりサービス
18  箱根駅伝
19  さんきらいもん
20  しゅしょうぎ

という結果になりました。

新年を迎えて、おみくじを引かれているかたが多いことがわかります。

ところで、貞昌院の天神おみくじを引かれた方の中にはお気づきになった方がいらっしゃるかも知れませんが、今年からおみくじの解説をリニューアルしています。

おみくじを引かれる方は、上記画像をクリックいただき、引いてみてください。
最後におみくじの画像が出てきますので、その部分にマウスの矢印を当てると、画像下部に読み下しが表示されます。


天神おみくじは、日本で一番古い版木が残るおみくじとされています。
文字は変体仮名で書かれており、結果に何と書いてあるかを併記する必要があります。
これまでも読み下しを書いていましたが、どうしても読めない部分があったり、意味をどのように採ったら良いかを判別しがたい部分があり、9割程度の読み下しとしていて、不明な部分は・で表示していました。

昨年、港南古文書の会の方のご協力により、読み下しがほぼ完全となったため、解説を補完しました。
港南古文書の会の皆様には、心より感謝申し上げます。

なお、貞昌院の天神おみくじは、日本で一番古いおみくじであると同時に、日本で一番凶が多いおみくじ です。
凶が出ても、戒めとして捉えていただければよいでしょう。
逆に、大吉を引かれた方も、それに甘んじているとツキはどんどん逃げていきますよ。

ツキを呼ぶには笑顔を見せること

です。


さて、年末年始の行事として、除夜の鐘があります。
昨年末の除夜の鐘には例年以上に多くの方に参拝いただきました。

また、Ustreamの除夜の鐘では、延べ 2,789合計視聴をいただきました。
多くの参拝をいただき有難うございました。


↑Ustream からYoutubeへ移した動画です。

おみくじを引かれた方、除夜の鐘の参拝をされた方皆様の新年が佳き年でありますことを心よりご祈念申し上げます。

投稿者: kameno 日時: 6:57 AM | | コメント (0)

コスプレイベント@貞昌院の感想

先週土曜日に開催した コスプレイベント@貞昌院 に参加された方々からの感想を主催者よりいただきました。
参加24名中、14名分の回答です。

コスプレイヤーの皆さんの生の声を個人情報を省いた回答部分についてグラフにしてみました。

■お寺でのコスプレイベントへの参加経験
20131220-02

■参加した理由
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■満足度
20131220-03

■また参加したいか
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■職業
20131220-05

 

感想の自由記入欄

・素敵なロケーションが多く、とても楽しかったです。
・地元でまたお願いします。
・ただ居るだけでもいいですね。
・紅葉しているときにやれたらもっと良かったです。
・面白かったです。
・開催時間が遅くて楽だった。
・スタッフの対応が良かった。
・思ったより撮影スペースが多かった。
・普段撮れないロケーション、雰囲気ばかりで良かったです。
・もう少し撮影できる部屋がほしかった。
・寒かった。
・素敵なロケーションでした!
・地元のお寺でもやって欲しい!
・楽しかったです。ありがとうございました。
・普段は入ることができないお寺でコスプレを楽しむことができて嬉しいです!
・民宿など日本の昔の家など。
・民宿での撮影ができたら、と昔から考えています。
・スタッフさんがとても親切で好印象でした!
・景色もとてもキレイでした!ありがとうございます!
・横浜って意外とお寺多いですよね。他のお寺でもお願いしたいです。
・坐禅会とかがあれば参加してみたい。
・本堂の空気管がすごかったです!また来たいです!


感想をお寄せいただいたみなさん、参加されたみなさん、スタッフの皆さん、本当にお疲れ様でした。
今回のイベントには予定数を上回る応募があったため、何人か参加者を断ることとなってしまいました。

ということで、またしばらくして貞昌院でコスプレイベントを行なう予定です。
アナウンスをお待ちください。

投稿者: kameno 日時: 10:47 PM | | コメント (0)

断臂摂心の夜

今晩(12月9日)は、慧可(えか)大和尚の断臂にちなんだ断臂摂心の夜です。
慧可大和尚といえば、国宝の雪舟筆「慧可断臂図」が有名ですね。

Bodhidharma.and.Huike-Sesshu.Toyo
雪舟筆 慧可断臂図
(著作権の保護期間が満了しているためパブリックドメインの状態にあります)

 

昨日12月8日はは成道会。
お釈迦さまが悟りを開かれた日でした。
お釈迦様から代々受継がれてきた仏教の教えは、28代目の菩提達磨大和尚によって中国へ伝えられます。
そして『碧巌録』第一則、『従容録』「達磨廓然」にある梁の武帝との問答の末、嵩山において面壁九年の坐禅を修されました。
後にお釈迦様から29代目、中国の二祖・慧可大和尚となられる神光和尚が、達磨大和尚に再三弟子入りを請うのですが、全く相手にされません。
ついに自らの左肘を切り落とし、その強い意思を示しました。
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雪舟筆 慧可断臂図(部分)
Copyright© Kyoto National Museum

 

この故事になぞらえて断臂摂心が行なわれるようになりました。

曹洞宗には「曹洞宗宗歌」があり、この中にも「雪の夕べに 臂を断ち」と歌われています。
先日の梅花流神奈川県第二宗務所管内奉詠大会の清興において、弦楽四重奏ver.の演奏をいただきました。
歌詞をつけましたので是非ご覧ください。

慧可断臂「雪の夕べに 臂(ひじ)を断(た)ち」は、3:00あたりからです。

 

お釈迦様の成道や、仏教の教えを伝えて来られた祖師様がたにより、禅の教えに触れることが出来るということを改めて思い、接心の夜を過ごしたいと思います。

投稿者: kameno 日時: 9:47 PM | | コメント (0)

放下著-成道の日に

今日は12月8日。
日本ではお釈迦様が悟りを開かれた日、成道の日とされ、三仏会の一つとして仏教徒にとって重要な日であります。

約2500年前、19歳で出家修行されたお釈迦様は、インド各地を巡り様々な思想を学びましたが、どの教えも彼を満足させることはありませんでした。
その後、修行仲間とともに体を痛めつけたり断食をする苦行を行じますが、それでも悟りに至ることは無く、苦行の無意味さに気づき苦行を中断します。
ネランジャラー河の岸辺で村娘が作ってくれた「乳粥」を施され、そのままブッダガヤの菩提樹の下で坐禅を組み禅定に入ったお釈迦様は、禅定を妨害する魔物たちをことごとく調伏し、12月8日未明ついに悟りを開かれます。

 

釈迦牟尼仏言 明星出現時 我与大地有情 同時成道
『正法眼蔵』「発無上心」巻より

かの明星が出現した時に わたしと大地や生きとし生けるものは みな同時に成道した
『現代語訳 正法眼蔵』増谷文雄著より

 

12月8日の未明、明けの明星の元でお釈迦様は大悟されたのです。
いわば、仏教が誕生したおめでたい日ともいえます。

 

成道の朝、境内のイチョウです。
ほとんど散ってしまいました。


20131208-0420131208-0320131208-0220131208-01


毎年、この光景に『従容録』第五十七則の「厳陽一物」を思い起こします。

厳陽尊者 趙州に問う「一物不将来(いちもつふしょうらい)の時如何?」
州云く「放下著(ほうげじゃく)」
厳云く「一物不将来箇の甚麼(なに)をか放下せん」
州云く「恁麼(いんも)ならば即ち担取し去れ」

 

厳陽という僧が、唐代の名僧である趙州禅師を訪ね、問いかけます。
「私は、迷いはもちろんのこと、学問も、悟りも全て捨て去って、持っている物は何一つもありません。この後、どのように修行していけばよいのでしょうか?」
趙州和尚は「放下着」と言い放ちます。
「お前の持っている本来無一物という拘りさえも捨てなさい」
趙州和尚は、厳陽が未だに「無一物」に拘っていたことを見抜いていました。

 

花は黙って咲き
黙って散ってゆく
そして再び枝に帰らない
けれどもその一時一処に
この世の総てを託している
一輪の花の声であり
一枝の花の真である
永遠にほろびぬ生命の歓びが
悔いなくそこに輝いている

『花語らず』 臨済宗・南禅寺管長柴山全慶老師のことばより



ただただ、あるがままに生きることをイチョウの木は教えてくれます。

投稿者: kameno 日時: 11:59 AM | | コメント (0)

今年の冬もいっそうの節電を

2011年3月11日の東日本大震災発生から、今日(2013年12月4日)でちょうど1000日目を迎えました。

今年の冬は、これまでにない特別な冬となります。
なぜならば、原子力による発電が完全に無くなる冬を迎えるからです。

日本の電力エネルギーの源となる、電源別発電電力量構成比の推移を見てみます。
出典は電気事業連合会のデータです。

 

20131204-02

東日本大震災発生以前はおおむね30%の発電電力を賄っていた原子力発電は、昨冬は2012年大飯原子力発電所が稼動していましたが、今年は大飯も点検のため停止しているために原子力発電の構成比が0%となります。

20131204-03

原子力発電所設備利用率は2012年は3.9%に激減。
大飯の停止により、2013年、原子力発電所設備利用率はついに0%となりました。

 

その減少分を賄っているのが火力発電所。
実に全体の90%を火力発電所に頼っていることになります。

火力発電所の増設と、現在の設備のフル稼働により、この冬の電力需給はなんとか賄える見通しとのことですが、個々の家庭や事業所においてはこれまで同様に節電の実践が必要となりましょう。

毎日の予想最大電力と使用状況のリアルタイム速報が電力会社のサイトより公表されています。

20131204-04

このようなサイトを活用して、必要なときに節電行動を進めるというメリハリをつけることも必要でしょう。
逆に、電力需給に余裕があるときには、無理な節電を行なう必用はありません。

 

また、利用者(契約者別)それぞれに過去2年間の電力使用料の推移をグラフ化してくれるサービスがあります。
それが「でんき家計簿」です。

ちなみに貞昌院のでんき家計簿のデータがこちら。

20131204-01

貞昌院では、おおむね一年間を通して前年同月よりも節電を進めることができました。
同様の契約容量の他の顧客に比べても、かなり使用量が少なく済んでいることが判ります。

 

原子力発電がゼロになったこの冬、でんき予報と、でんき家計簿を有効に活用して、適切な節電行動を進めていきましょう。

投稿者: kameno 日時: 3:30 PM | | コメント (0)

ラオス研修旅行(12)ボーペンニャン

ラオスはどこか昔の日本のような心地よさを感じます。
車やバイクも他の東南アジア諸国と違い、ほとんどクラクションを鳴らさないので、街はとても静かでのんびりゆったりとしています。

ラオスでよく使われる言葉に「ボーペンニャン」(BOR PENNYANG)があり、これがラオスの特徴をよく表しています。

ボーペンニャンは、「どういたしまして」という意味もありますが、広く「何でもない」「大丈夫」「気にしない」という意味で使われます。
よく言うと気楽、少し悪く言うと責任の所在をはっきりさせないで済ますという感じでしょうか。

しかも、ラオスでは何かトラブルがあった場合、迷惑をかけた人が、迷惑を受けた人に対して使う場合が多いそうです。
(普通は迷惑を受けた人が、迷惑をかけた人に対して「大丈夫です、気にしないで」と使いますね)

 

今回の旅の中でも、それを象徴することがありました。

一行を乗せたバスが細い路地を通った際、道路を横断して張られている電気の引込み線がバス屋根の突起物に引っかかってしまい、商店の引込み電柱を折ってしまいました。
電柱の先端が折れて地面に落ちてしまっています。
20131114-40

ここで、バスのドライバーが、何事かと出てきた商店の人に「ボーペンニャン」と使うわけです。

商店から竹の棒を借りてきて、バス屋根に引っかかっている電線を下ろし、店の人といっしょに、新しい木の棒に折れた電柱をつなぎ合わせます。
20131114-41

長さが足りそうだということを確認して、立て直します。
20131114-4220131114-43

20131114-44

これで修理完了。

ラオス以外の国であれば、まず怒号が飛び交ってもおかしくない状況です。
それを「ボーペンニャン」のこころで、何事も無かったかのように解決してしまいました。

 

ラオスには、ゆったりした時間が流れています。
そのゆったりした時間の中で育まれてきたのがラオスの文化なのでしょう。

ある意味無責任な部分がありますが、争いごとを避け、欲から離れ、いつもゆったり・・・というのは、仏教のもつ本来のこころそのものなのかもしれません。

日本の生活を省みると、忙しい中で時間に追われたり、次々と生み出される「文明の利器」に却って振り回されたり、情報の洪水に呑まれたりしていることが実感できます。
ボーペンニャンは、忘れかけた何かを思い出させてくれる言葉なのです。

投稿者: kameno 日時: 10:28 AM | | コメント (0)

ハロウィンと百鬼夜行

10月末に行なわれるハロウィンのイベントが、ここ数年、急速に盛り上がりを見せている感じです。
子どもたちにとっては「お菓子交換会」、大人たちにとっては日常の「自分」から抜け出して、新しい人格を新鮮な気持ちで楽しむ「仮装行事」として広がっているように思います。


ところで、日本にも伝統的な「妖怪」たちがいて、深夜の街を徘徊する鬼や妖怪の群れや、妖怪たちの行進があります。
これを「百鬼夜行(ひゃっきやこう)」といいます。

古くは『宇治拾遺物語』における修行僧が摂津の竜泉寺で出遭った100もの鬼の集団や、『今昔物語集』での右大臣藤原良相の長男、大納言左大将藤原常行が愛人のもとへ行く途中遭遇した100人ほどの鬼の集団、『大鏡』の藤原師輔が遭遇したものなどなど。
1000年以上前から根付いている文化です。

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『百鬼夜行絵巻』 作者不詳(室町時代)

 

平安時代の京都では、この「百鬼夜行」が起こりやすい「夜行日」なるものがあるとも考えられていました。

京都で受継がれてきた妖怪の文化は、江戸時代に再び庶民の娯楽文化として花開きます。
文学、浮世絵、おもちゃ、芝居などに様々な妖怪たちがたくさん登場するようになりました。
妖怪文化の背景には古くから培われて受継がれてきた深遠な日本の歴史や文化が含有されています。


2009年、2010年に大宮・東光寺で行なわれた「アートフル希望まつり」にたくさんの妖怪たちが登場しました。
(下記写真は前日リハーサルのときのもの)
希望まつり讃仰法要「ごめんね」
希望まつり特別讃仰法要

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『茄子婆』好き嫌いせずに残さず食べているか。食べ物を粗末にするのは、食べ物にも命があるということを忘れているからだ・・・
『山男』山や森などの自然を大切にしているか。遊びで枝を折ったり葉っぱをちぎったりするのは自然に宿った命を馬鹿にしているからだ・・・・
『鬼婆』お年寄りを大切にしているか。お年寄りを大切にしないのは、自分が一番偉いと思って年上の人を敬っていないからだ・・・・
『泥田坊』田んぼや畑など、お米や野菜が採れる土地に対してちゃんと感謝しているか。ゴミを捨てたり荒らしたりするのは感謝を忘れているからだ・・・・・
『ケラケラ女』人を馬鹿にして笑っていないか
『あかなめ』自分の家の掃除をきちんとして清潔にしているか
『白蔵主』自分より弱い動物をいじめていないか
『青坊主』両親の言うことをちゃんと聞いているか
『見越し入道』普段何気なく歩いているとき、足元にいる小さな虫を踏みつけていないか
『河童』川を汚していないか
『がごぜ』夜まで遊んで夜更かししていないか
『もうりょう』自分より小さな子どもの世話をちゃんとしているか


この妖怪たちは、京都の「妖怪藝術団体 百妖箱」のみなさんによって演じられました。

妖怪藝術団体 百妖箱は、京都で毎年10月後半に開催されている 妖怪仮装行列「一条百鬼夜行」 妖怪アートフリマ「モノノケ市」 京都一条妖怪ストリート にも関わっておられます。
今年10月に京都で行なわれた妖怪仮装行列「一条百鬼夜行」の様子がYoutubeに公開されていました。

 

どうですか?この迫力。
そして、やはり妖怪たちは日本人の琴線に触れるものがあります。
是非、日本の妖怪たちにも川崎や六本木などに進出して欲しいものです。

日本には、やはり日本の妖怪が似合います。
ガンバレ!日本の妖怪たち!!

投稿者: kameno 日時: 9:41 AM | | コメント (0)

今日は防災の日

今日、9月1日は防災の日です。

防災の日は、今から90年前の 1923年(大正12年)9月1日に発生したマグニチュード7.9の関東大震災にちなみ、1960年(昭和35年)に制定されました。
震災の記憶を薄れさせることなく、また、防災対策、防災訓練など、防災に関する行事の実施が行なわれるようになりました。

日本は地震が多く発生する地域にあり、関東大震災以降も数多くの地震に見舞われました。
特に阪神淡路大震災、東日本大震災は、その発生地点、時刻、時代の違いから、被害をもたらす要因が異なっています。

関東大震災=火災
阪神淡路大震災=建物の倒壊
東日本大震災=津波

によって、多くの人命が奪われました。

90年前の関東大震災、その惨禍から学ぶべきことはとにかく火災の発生を防ぐことです。
関東大震災発生時刻の午前11時58分は、多くの家庭で昼食の準備をしている時間帯であったため、あちこちから火災が発生しました。
さらに、強風という気象条件が重なり、火災は燃え広がり、次々と上がる炎が激しい上昇気流を生じさせ、炎渦巻く巨大な竜巻(火災旋風)が各所で見られたということです。

関東大震災による死者は約10万5000人とも言われ、その実に9割近くが焼死でした。

それでは、永野地区は地震発生当時、どのような状況だったのでしょうか。
貞昌院第28世住職の記録をご紹介します。

・過去を知ること=関東大震災

大正129年9月1日
関東大震災、午前11時58分、突如上下動の大激震、咄嗟に起り其の震動極めて峻烈、凄槍極る災厄をもたらし、許多の財宝と生霊とを烏有に帰せしめてしまった。当地域の約五割に及ぶ家産は全潰、殆んど残る家屋は半潰に近い。第一震後も約一分おき位いに余震が襲来し、生ける心地だに無い。その中にあって村民は一致協力、火災の発生防除に全力を尽くす。時恰も昼餉用意の最中、戸外避難の前に、火気の存する所には水をかけ、或は鉢などにて蔽い、当永野地区(注:横浜市港南区上永谷・野庭町)からは全く火災を生ぜさせなかった。
正午を過ぎて間もなく、横浜市街地上空は黒煙濠々渦巻いて空高く立ち込め、物凄い光景が当地区から見られる。時折大爆音を耳にす。横浜港沖合に富士火山系に亀裂を生じ大噴火を成しつつありと流言が飛ぶ。後に、石油、ガスタンクの爆破と分る。
各所に山崩れ起り、道路埋没して交通途絶数ケ所生じたが、全村民総出動で土砂を切り開き、三日後には全箇所開通した。
九月二日正午近くより、刻一刻、戦慄すべき流言が宣伝され、村民挙げて戦々競々と、各小部落互に山の中に小屋を設け、老人婦女子は、まとまって、小屋にかくれ、青年、屈強な男子は、各要所要所の部署に就き、見張り、警戒の任に当たる。間もなく軍隊が到着し全村民安堵し、安き眠りに就くことを得た。
(『永野郷土史』貞昌院28世 亀野源量大和尚による記録より一部抜粋)


永野地区では、約5割の全壊、そのほかは半壊に近い壊滅的な家屋被害がありました。
しかし、近隣住民が結束し、防火に努め、地区からは火災が発生しなかったということです。
地域力の大きさが良くわかります。
ただ、横浜市中心部では、石油タンクの爆発をはじめ、各所の火災により、北の空一面が真っ黒に渦巻いていたということなので、住民たちの心持は如何なるものだったのでしょうか。
想像を超える状況だったのかもしれません。

関東大震災からの提言も併記されておりますので、ご紹介いたします。

 

『永野郷土史』貞昌院29世亀野寛量大和による提言
大震災に付随して起る災害については、関東大震災の記録等から次の点が挙げられる。

1 大火災の発生

2 水道、電気、電話、道路、電車、汽車の通信交通は全面に途絶する。

3 余震の継続

4 伝染病の発生

5 海嘯(つなみ)の襲来

6 流言蜚語が横行する。

7 食糧飲料水の不足

8 失業者の続出

大要以上のようなことが震災に伴って波生することを覚悟せねばならない。都市造りに最も重要視しなければ ならないことは思いきった多くの空地、緑地を持つこと である。

(『永野郷土史』より)

 

火災の発生を防ぐ地域力と、もう一つ、大きな要因として、建物を倒壊させないということが挙げられます。
日本では、大きな地震被害が発生すると、それに耐えうる建築基準がなされてきました。
建築基準法改正の履歴は、防災の履歴でもあります。

 

■主な震災と建築基準法の改正

1920年(大正9年)12月1日 (大正8年法律第37号)施行
第12条において、「主務大臣ハ建築物ノ構造、設備又ハ敷地ニ関シ衛生上、保安上又ハ防空上必要ナル規定ヲ設クルコトヲ得」と規定される。
市街地建築物法施行規則(大正9年内務省令第37号)において、構造設計法として許容応力度設計法が採用され、自重と積載荷重による鉛直力にたいする構造強度を要求。
ただし、地震力に関する規定は設けられていない。

1923年(大正12年) 関東大震災

1924年(大正13年) 市街地建築物法施行規則改正
許容応力度設計において、材料の安全率を3倍とし、地震力は水平震度0.1を要求。

1950年(昭和25年)11月23日 市街地建築物法廃止、建築基準法施行(旧耐震)
具体的な耐震基準は建築基準法施行令(昭和25年政令338号)に規定された。
許容応力度設計における地震力を水平震度0.2に引き上げた。

1968年(昭和43年) 十勝沖地震

1971年(昭和46年)6月17日 建築基準法施行令改正
Rc造の帯筋の基準を強化した。

1978年(昭和53年) 宮城沖地震

1981年(昭和56年)6月1日 建築基準法施行令改正(新耐震)
一次設計、二次設計の概念が導入され、地震力に対しての必要壁倍率の改正
軸組の種類と壁倍率の改正が行われた。

1995年(昭和7年) 宮城沖地震

2000年(平成12年)6月1日 建築基準法及び同施行令改正
性能規定の概念を導入、構造計算法として従来の許容応力度等計算に加え限界耐力計算法が認められる。

このように、大きな地震発生のたびに建築基準法が改正されてきたことがわかります。
したがって、自分の住んでいる住宅が、いつの時点で建てられたか(どの建築基準法が適用されているか)を知ることが、防災力を高める大きな要因になります。
是非確認いただきたい項目です。

 

もう一つ。
自分が住んでいる場所、職場、生活圏がどのような場所なのかを確認しておくことが大切です。
地方自治体から、地震や津波、傾斜地、盛土地、液状化危険度などさまざまなハザードマップが発行されています。

 

自分の住んでいる場所の危険度を知る

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横浜市地震被害想定による液状化ハザードマップの例


また、

自分の住んでいる場所が、過去どのような場所であったかを知るということから、地図で過去に遡って調べることも必要でしょう。

(川、水田、池、沼、海岸を埋立てたり、谷を埋めて盛土をして造成をした場所は危険性が高い)
・地盤が砂のように透水性が高く、地下水位が高い場所も危険性が高い。


そして、危険度の高い場所では、その発生原因について対策し、発生を抑える対策を取ることも必要でしょう。
「想定外」を少しでも減らすことが、命を守ることに直結しています。

どのような災害対策も、絶対確実、万能ということはありえないので、費用対効果を充分に検討した上で、どの程度費用をかけて、どの程度リスクを軽減するのかを検討することが大切です。

防災の日を契機に、皆で話し合ってみることをお勧めします。

投稿者: kameno 日時: 1:25 PM | | コメント (0)

終戦の日の大本山總持寺

8月15日、8月盆も最終日となりました。

今夕(地域によっては16日の夕方)送り火をして、お盆の間お迎えしていたご先祖様、あまねくみ魂をお送りします。
そして、今日は終戦の日でもあります。

昨年のでは、永谷の終戦の日を検証する として、貞昌院の先代住職 亀野寛量大和尚が記録した「太平洋戦争終戦の日の記録」を元に、ご紹介しました。

今年は、終戦の日の大本山總持寺(横浜市鶴見区)敷地にあった東京警備軍横浜警備隊について、記事にまとめてみます。

 

まずは、国土交通省の「国土変遷アーカイブ」から航空写真をたどってみましょう。
「国土変遷アーカイブ」には、戦前戦中陸軍により撮影された航空写真が掲載されています。
終戦直後に米軍により撮影された航空写真と合わせると明治から終戦にかけての変化がよく判ります。
時系列に並べてみます。

太平洋戦争開戦前の總持寺の様子です。
20101101-1936
(昭和11/1936年 陸軍により撮影)

当時は、總持寺への参拝は、鶴見駅ではなく、京浜電気鉄道(現在の京浜急行)「總持寺」駅、または鶴見臨港鉄道(現在の鶴見線)「本山」駅を利用していたと考えられます。
航空写真を見ると、鶴見駅から總持寺まで門前町が形成されておらず、「總持寺駅」「本山駅」から太い参道が続いています。
(これが現在の参道となったと考えられます)

そして、昭和16(1941)年12月、太平洋戦争開戦。 

20101101-1944
(昭和19/1944年)陸軍により撮影

戦中に撮影された上の写真を良く見ると、現在、總持寺の本堂である大粗堂(だいそどう)が建っているあたりに建物が並んでいることがわかります。
これは、戦中總持寺境内に置かれていた「東京警備軍横浜警備隊」の兵舎です。
大本山總持寺の境内に、兵舎があったのです。

 

そして、この東京警備軍横浜警備隊は、玉音放送を阻止し、クーデターを起こした佐々木武雄予備役陸軍大尉が所属していたことで知られています。


「国民神風隊」を編成し、首相官邸を襲撃

「佐々木武雄予備役陸軍大尉は、横浜市鶴見区東寺尾町興国中学校付近に残留し居たる旅団司令部残務整理員ならび農耕隊の指揮官として七月中旬より服務中、八月十五日午前一時頃(推定)非常呼集を実施し、……浜崎軍曹以下約二十名を引率、……戒厳警備のため東京に出発する旨を通達し……、自動車二台に右兵員ならびに学生五名および相識の地方人三名、断部隊兵約四名を分乗せしめ、かつ重油缶十缶を積載し、かつ自身および地方人一名は乗用車一台に搭乗、四時三十分頃に首相官邸付近約二百米の箇所に到り下車、官邸構内に侵入し、軽機をもって玄関付近に対し約二十発射撃し、さらに学生等を指揮して官邸玄関内に侵入し、重油散布の上、これに点火、退去し、同所絨毯を若干焼き、ついで五時三十分頃、前同様の方法を以て、小石川区丸山町鈴木当時首相私邸に放火し、焼上せしめ、次いで七時頃前淀橋区西大久保在平沼男爵邸に放火の上、焼上せしめて退去せり。 ……」
『憲警400号』より


このほか、玉音放送を阻止する流れでは、1945年(昭和20年)8月14日の深夜から15日(日本時間)にかけて、一部の陸軍省幕僚と近衛師団参謀が中心となって皇居を占拠したクーデター未遂事件「宮城事件(きゅうじょうじけん)」などがあり、終戦の日を迎えるにあたっては、かなりの混乱がありました。
しかし、陸軍首脳部及び東部軍管区の説得に失敗し、目的を果たせないことを悟った彼らは自殺もしくは逮捕され、玉音放送(日本の降伏表明)に至りました。

 

8月15日玉音放送の内容

    1. 正午の時報
    2. 「只今より重大なる放送があります。全国聴取者の皆様御起立願います」(和田信賢アナウンサー)
    3. 「天皇陛下におかれましては、全国民に対し、畏くも御自ら大詔を宣らせ給う事になりました。これより謹みて玉音をお送り申します」(下村情報局総裁)
    4. 君が代奏楽
    5. 詔書(天皇陛下・録音盤再生)
    6. 君が代奏楽
    7. 「謹みて天皇陛下の玉音放送を終わります」(下村情報局総裁)(以降は和田信賢アナウンサーによる放送)
    8. 「謹んで詔書を奉読いたします」
    9. 終戦詔書の奉読(玉音放送と同内容)
    10. 「謹んで詔書の奉読を終わります」 以降、終戦関連ニュース(項目名は同盟通信から配信されたニュース原稿のタイトル)
    11. 内閣告諭(14日付の鈴木総理大臣の内閣告諭)
    12. これ以上国民の戦火に斃れるを見るに忍びず=平和再建に聖断降る=(終戦決定の御前会議の模様を伝える内容)
    13. 交換外交文書の要旨(君主統治者としての天皇大権を損しない前提でのポツダム宣言受諾とバーンズ回答の要旨、これを受けたポツダム宣言受諾の外交手続き)
    14. 一度はソ連を通じて戦争終結を考究=国体護持の一線を確保=(戦局の悪化とソ連経由の和平工作失敗と参戦、ポツダム宣言受諾に至った経緯)
    15. 万世の為に太平を開く 総力を将来の建設に傾けん(天皇による終戦決意)
    16. ポツダム宣言(ポツダム宣言の要旨)
    17. カイロ宣言(カイロ宣言の要旨)
    18. 共同宣言受諾=平和再建の大詔渙発=(終戦に臨んでの国民の心構え)
    19. 緊張の一週間(8月9日から14日までの重要会議の開催経過)
    20. 鈴木総理大臣放送の予告(午後2時からの「大詔を拝し奉りて」と題する放送予告。実際は総辞職の閣議のため、午後7時のニュースに続いて放送された)
      (Wikiペディア「玉音放送」項より)


20101101-1947
(昭和22/1947年)米軍により撮影

戦後米軍により撮影された總持寺周辺の航空写真には、終戦直後一面の焼野原から立ち直りつつ街のの様子が映し出されています。
(東海道線より西側、總持寺・花月園近辺は、戦火から免れました)

改めて、戦争でお亡くなりになった数多くの方々へ弔意を表し、この終戦の日を過ごしたいと思います。

 

 

なお、本日のブログ記事はあくまでも歴史的事象のごく一部を客観的に記載したものです。
「曹洞宗」「總持寺」と「国民神風隊のクーデター」は無関係です。
短絡的な解釈はしないようお願いいたします

 

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投稿者: kameno 日時: 8:36 AM | | コメント (0)

目にうつる全てのことは メッセージ

Yahoo!ニュースに次のような記事が掲載されていました。


ユーミンがジブリに合う理由 歌詞の世界観と声の質と専門家

7月20日に公開され、大ヒットしている宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』。その主題歌に起用されているのが松任谷由実の『ひこうき雲』だ。彼女自身も「ジブリっぽい」と語るこの曲は、同映画をさらに魅力的なものにしている。ユーミンとジブリといえば、1989年公開の『魔女の宅急便』での『ルージュの伝言』、『やさしさに包まれたなら』がある。このときも、映画の世界観と曲が見事にマッチした。どうして、ジブリ作品にユーミンの曲はこれほどまでに合うのだろうか?
音楽評論家の富澤一誠さんに聞いた。
(NEWS ポストセブン 8月3日配信)


記事の音楽評論家の富澤一誠氏は、「ユーミンがジブリに合う理由」として

(1)映画の内容と曲のストーリー性のシンクロ
(2)特徴的な声が、ジブリ作品に合っている
(3)安易にタイアップをつけようとする流れに対するアンチテーゼ

を挙げています。
それぞれの詳細については、記事タイトルのリンク先を参照ください。

確かに、戦争や大震災などを描いた『風立ちぬ』には、ユーミンの同級生の死から着想して作られた『ひこうき雲』とシンクロし、『魔女の宅急便』では『やさしさに包まれたなら』が曲の世界観や歌詞が重なっています。


今日のブログ記事では、「ユーミンがジブリに合う理由」ではなく、「ユーミンが禅の思想に合う理由」を『やさしさに包まれたなら』を題材に触れていきたいと思います。


カーテンを開いて 静かな木洩れ陽の
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる全てのことは メッセージ

(『やさしさに包まれたなら』より 作詞・作曲 荒井由美)


 

この『やさしさに包まれたなら』は、元々は不二家「ソフトエクレア」のCMソングでした。
CMソングでは、最後のフレーズが「目にうつるすべてのことは 君のもの」となっていて、CD化された際に現在の詩にリメイクされたそうです。


この歌詞からは、次の禅僧の偈を想起させられます。

渓声便ち是れ広長舌
山色清浄心に非ざること無し
夜来八万四千偈
他日如何が人に挙似せん
(『碧巌録』三十七則より)

この偈は、中国の禅僧、蘇東坡(そとうば)が廬山に遊行した時に読んだ偈です。
内容は、

渓谷の川のせせらぎは、それが、そっくりそのまま仏の声(説法)である。
また、山々の彩りは、仏の清らかな身体そのままの姿である。
そして、川のせせらぎの音、山々の彩りだけでなく、木々をわたる風の音や、鳥たちの声も、すべてが仏の教えでないものは無い。
法門には、八万四千通りあるといわれる。
この感慨をどのように述べたらよいだろうか、いや、述べ尽くすことはできないだろう。

ということが書かれています。

また、もう一つ、禅僧の句をご紹介します。
貞昌院の本堂には次のような額が掲げられています。
20130804-01

これは「触目是道(そくもくぜどう)」と読みます。
總持寺の石川素道禅師により揮毫された、中国の禅僧、石頭希遷禅師の言葉です。

この世界の空間軸と時間軸の中で、確固たるものは、この自分であり、この今という一瞬です。
「この今」は、仏教のことばで「而今(にこん)」といいます。

時間軸のうち、過ぎ去った過去の時はもうそこに立ち戻ることは出来ない。また、これからの未来は不確かでどのようになるか分らない。
ただ、確かな「現実」は「この今」だけなのです。

ただただ「この今」を精一杯生きるしかありません。
この世は無常であり、限られたいのちのなか、「今生きている自分のいのち」はかけがえのないものです。
だからこそ、ありとあらゆる存在の輝きが見えてくるのです。
目に触れるもの、目にうつるもの、全てがメッセージを発しています。

大人になっていくにつれて、このような感性は、次第に失われてしまっているのかもしれないですね。
輝き一つ一つがから発せられるメッセージを受け止めることのできる感性を、常に持っていたいものです。



このように「目にうつる全てのことは メッセージ」は
「渓声便ち是れ広長舌 山色清浄心に非ざること無し」や「触目是道」を実によく表現していると感じます。

投稿者: kameno 日時: 1:35 PM | | コメント (0)

一人ひとり、掛け替えのない個性を持っている

働き蟻は、全てが一心不乱に働き続けるイメージがありますが、働いているアリは、巣全体の約8割で、2割の蟻は自分の体を舐めていたり、じっとしているそうです。

働かない蟻は、どの巣にも一定の割合で存在していて、何らかの貢献をしていると言われています。

この話は、人間社会にも当てはまると思います。例えば職場では、仕事が遅かったり、失敗ばかりしているように見える仲間もいることでしょう。

特定の利益目標の前には、業績を上げるという、目先の利益を優先する「優劣」がついて回ります。学校の成績もそうかも知れません。しかし、人それぞれが持っている個性と能力は、見方を変えれば全く逆の優劣になることもあります。

例えば、一つの基準で優秀な人ばかりを集めたとします。全員が一様に、一心不乱にバリバリ働いている、そんな職場は、私だったら嫌です。

さまざまなタイプの人がいて、潤滑油のような役割を果たしているからこそ、全体が効率良く回っていると言えるでしょう。

大切なことは、一人ひとり、それぞれが掛け替えのない個性を持っているということなのです。

テレビ朝日系列『やじうまテレビ!』きょうの説法より


 

今回の法話は、金子みすゞ の詩「みんなちがって、みんないい」をモチーフにしました。

最近は、個性が尊ばれる時代です。しかし、単純に「人はそれぞれ違うのだから、みんな違っていていいんだよ」というだけの薄っぺらいことではありません。
大切なことは、その「違い」の中身です。

人それぞれ、出来ること(得意なこと)、出来ないこと(不得意なこと)があります。
つなり、「お互いそれぞれ不得意な部分はあっても、誰にも真似のできない素晴らしい長所がある」ということです。
そして、人間は、決して一つの尺度で判断してはなりません。
お互いの素晴らしい長所を認め合い、尊重しあう気持ちが大切であり、それが社会全体に広がっていくことで、潤滑油のようにスムーズに「回って」いくようになるのです。

投稿者: kameno 日時: 1:24 AM | | コメント (0)

しっかり受継いでいくことが 思いを生かすことになる

私たちは他の人と何らかの関わりを持って生きています。
けれども、この世での関係性は、死によって断ち切られてしまいます。

それゆえに、特に身近な方を失った時の悲しみは言葉に表しがたい苦しみであり、悲しみであります。

お葬式や年回の法要儀式は、きっと関係性の変化による苦しみ、悲しみを整理し、それを乗り越えるために生まれたのでしょう。
そう考えると、法要儀式は「故人が安らかならんこと」を願うばかりではなく、それと同時に、「遺された人がどのように生きていくのか」、それを考え、実践していく祈りの場であるとも言えそうです。

お釈迦さまは、自分の死を迎えるにあたって、周りに集まり、嘆き悲しんでいる弟子たちに

「悲しむことはない。私の教えは、お前たちに全てしっかり伝えた。だから、その教えを怠らずに実践していきなさい」

と諭されました。
お釈迦様の教えは、今でも受継がれ、生き続けています。

故人の思いを生かすということは、遺(のこ)された者がしっかりと悲しみを乗り越え、受継いでいくということです。そして、その姿を、仏さまが温かく見守ってくださっています。

テレビ朝日系列『やじうまテレビ!』きょうの説法より



身近な人を失った悲しみは、大きいものです。
この世の中は「無常」とはわかっているものの、その悲しみは計り知れないものがあります。

今回の法話は、お葬式のような弔いの法要の意味合いについて、触れさせていただきました。
悲しいときには、大いに声をあげて泣きさけぶということも必要です。
そして、100日目を迎えた時に行なう法要を、百か日=卒哭忌(そっこくき)といいます。
これは、「哭(=声をあげて泣きさけぶ)ことを「卒」(=一区切りして終える)という意味です。
故人を思い、泣き悲しんでいた親族や近親者たちも泣くことをやめる時期が、百箇日を迎える頃だ、ということです。

死別の悲嘆を乗り越えて、故人の思いを受継いでいくこと、それが故人が一番喜ぶことなのではないでしょうか。

 


■関連ブログ記事
年回法要にまつわるお話

投稿者: kameno 日時: 10:10 AM | | コメント (0)

「いただきます」のこころを大切にしましょう

 

私たちが食事の際に自然に出てくることば、「いただきます」、「ごちそうさま」。

これらは、日本古来から良き習慣として、私たちの誇るべき言葉であり、すばらしい文化であると思います。

日本以外の国では、「いただきます」「ごちそうさま」に該当することばが無かったり、皆が揃ってから食べ始めるという習慣を持たないところも多く、外国の方が日本の幼稚園や小学校で、皆が「いただきます」と言って食べ始める光景を見ると、とてもびっくりするそうです。

「いただきます」「ごちそうさま」の言葉には、「いのちをいただく」ことへの感謝と、「馳(は)せ走(はし)って(=馳走(ちそう))、懸命に食べ物を作ってくれた多くの方々のこころをいただきました」という感謝の気持ちが詰まっています。

その感謝のこころは、食事の際の食べ物に対する感謝のこころに限らず、「すべてのもの、あらゆることを大事にできているか」ということにも繋がっていきます。

これから朝ごはんの食卓につかれる方も多いことでしょう。

「いただきます」「ごちそうさま」

その言葉の中に包まれているたくさんの感謝の心を、いつも忘れないように心がけてみましょう。

テレビ朝日系列『やじうまテレビ!』きょうの説法より



例えば、食卓にある食事を前にしたときに、直接は目に見えないけれども、その向こうに、生物の「いのち」であったり、作物ををつくってってくれた人だったり、収獲してくれた人だったり、それを運んでくれた人、調理してくれた人、調理場から食卓に運んでくれた人・・・というように、いろいろな姿が隠されています。
ご馳走の馳走も、「馳(は)せ走(はし)って・・・」という語源をもちます。
食事に限らず、どのようなものでも、どのような事柄でも同じです。
直接は目に見えないことまで思いを馳せることばが「いただきます」です。
自分の目の前に届くまでに、どれほどの時間・空間・人の手がかけられているのかを考えれば、それを粗末にすることはできません。


■関連リンク
五観の偈(ごかんのげ) -曹洞宗 貞昌院 Teishoin temple
「いただきます」って言ってますか?

投稿者: kameno 日時: 6:01 AM | | コメント (2)

ちぐはぐな舗装のワケ

上永谷駅周辺で集中的に水道工事が行なわれています。
経年劣化した水道管を地震に強い水道管に更新する工事です。

そのために、駅周辺の道路はこのような状態になっています。

DSC_0009DSC_0011DSC_0013

特に、インターロッキングブロック舗装されている歩道は見栄えが良くないですね。

この仮復旧の状態は、一度掘り返し、埋め戻した土が安定するまで続きます。
埋め戻した後に直ぐ本復旧(ブロックを敷き直し)すると、埋戻土の転圧が不十分になり、道路陥没が発生するからです。
恐らく1か月程度はこのままでしょう。

本復旧されるまでのガマンですね。


仮復旧舗装は、出来るだけ安く、出来るだけ早くが命題ですから、冒頭の写真のような状態になってしまいます。
しかし、このインターロッキング舗装の仮復旧の方法についても、もう少し何とか考えられないでしょうか・・・・

 


歩道の舗装として、アスファルトではなく、このようなインターロッキングブロックが用いられることがありますが、それにも理由があります。
インターロッキング舗装の長所として

・様々な色彩の組み合わせで、デザインに優れたり、視認性の高い路面表示が可能
・すべり抵抗性、耐久性がある
・目地を通して雨水が地中に浸透するために水溜りが出来にくい
・透水性ブロックを用いることにより、浸透性が高まり、ヒートアイランド対策や流出のピークカットに貢献する
・敷設後、直ちに共用できる
・剥がしたブロックを再利用できる

などが挙げられ、短所としての

・敷設単価がアスファルトの2~3倍高い
・メンテナンスが大変
・埋設管の工事および復旧単価が高くなる

などを勘案しても導入にふさわしいと判断されるからです。

とはいえ、透水性を確保した施工性の高いブロックの開発や、メンテナンス性の向上など、この分野ではまだまだ改良の余地は大いにありそうです。


そういえば、数年前まで横浜市では水道の汚泥を圧縮して焼き固めたブロック「ハマレンガ」が作られ、積極的に普及につとめていたはずでしたが、採算が取れず、また透水性やすべり抵抗に問題ありということで、製造中止になってしまいました。

「ハマレンガ」製造中止へ 不評で売れ残り40万個

横浜市が「ハマレンガ」(縦10センチ、横20センチ、高さ6センチ)の製造を3月末で休止する。
下水道の汚泥を圧縮して焼き固め、販売していた。 リサイクルを目的に95年に生産を開始。だが、透水性が低く滑りやすいことや形が1種類だけで使い勝手が良くないため売り上げは伸びず、01年には一時110万個が野ざらしに。今も40万個が売れ残る。
03年度は製造コストが1億7800万円かかったのに対し、売り上げは5800万円。採算が合わず、 新年度からは民間企業への製造委託を検討する。
(200/2/1 朝日新聞)

もう一工夫があれば違った結果になったかもしれない残念なニュースです。

投稿者: kameno 日時: 2:54 AM | | コメント (0)

あなたが輝けば、世界が輝きます


仏教の世界観を表すことばに、「インドラの網」というのがあります。

インドラというのは、帝釈天(たいしゃくてん)のことです。帝釈天は「須弥山(しゅみせん)」という山の宮殿に住んでおり、屋根には蜘蛛(くも)の糸よりも細く透明で美しい網がかかっています。

その網目には様々な色に輝く宝石が結ばれていて、その無数の宝石は、それぞれがお互いに照らしあって輝いています。

ひとつひとつの宝石が、かけがえのない存在として、幾重(いくえ)にも関係しあっているのです。

この、ひとつひとつの宝石は、私たち一人ひとりの存在に置き換えられます。

しかし、宝石は、時には曇ってしまい、光が薄れてしまうことがあります。そんな時は、その宝石だけではなく、周りの光も鈍くなってしまいます。

逆に、一点の曇りもない綺麗なこころの宝石は、周囲に明るく光を放ち、宝石たちはお互いにキラキラと照らしあって、よりいっそう輝きを増していきます。そして、その光はまた反射して跳ね返り、再び自分を照らす光になります。

あなたも掛け替えの無い宝石です。

そうです。あなたが輝けば、世界も輝くのです。



テレビ朝日系列『やじうまテレビ!』きょうの説法より



インドラ=帝釈天は、インドのヴェーダ神話の神が仏教に取り入れられたもとされ、仏法を護る神です。帝釈天が住む宮殿の屋根には美しい網がかかっています。
インドラの網は、この世の地球上のすべての生きとし生けるものが、すべて繋がりあって、照らしあって構成されているという、仏教の「縁起」の関係を喩えています。
あらゆる存在は網目の宝石の一つ一つであって、一つ一つの宝石があるからこそ、網全体が成り立っています。
どんな存在でも、自分だけで存在しているものはないし、どんな存在でも、他との関わり合いの中でしか存在しないのです。
そして、一人ひとりが「この世を照らす」尊い存在であることを忘れてはなりません。


私は空を見ました。いまはすっかり青ぞらに変ったその天頂《てんちょう》から四方の青白い天末《てんまつ》までいちめんはられたインドラのスペクトル製《せい》の網、その繊維《せんい》は蜘蛛《くも》のより細く、その組織《そしき》は菌糸《きんし》より緻密《ちみつ》に、透明《とうめい》清澄《せいちょう》で黄金でまた青く幾億《いくおく》互《たがい》に交錯《こうさく》し光って顫《ふる》えて燃えました。 
『インドラの網』(宮沢賢治・角川文庫,1996・青空文庫)より

 

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なお、帝釈天、特に東寺の国宝・帝釈天は私が好きな仏さまの一つです。とても”イケメン”の仏さまです。
投稿者: kameno 日時: 5:48 AM | | コメント (0)

紛失切符が帰ってきた

先日、東京での会議⇒熱海での会議へ新幹線で移動した時のことです。

下車した熱海駅の改札口で、ポケットに入れたはずの切符が見当たらない・・・・
仕方がないので、駅員に申告して再度運賃+特急料金を支払い、再収受証明をしていただきました。

3,570円の出費は、致し方ない・・・・・

20130626-02

数日後に、JRの忘れ物センターに問い合わせてみると、なんと紛失したものと思われる切符が保管されていました。
新幹線の終点の駅にあるということなので、恐らく新幹線車内で落としたものを、終着駅で車内清掃の際に見つけていただいて、保管していただいたのでしょう。

 

さすがに取りに行くことは出来ないので、着払いで送っていただきました。

そして、届けていただいた切符がこちら。
まさにこの切符です!

20130626-01

新幹線の清掃作業は「新幹線劇場」と称され、その作業の正確さと素早さは欧米の高官が視察に訪れたり、CNNでは「奇跡の7分間」と絶賛されるなど、世界に誇るものとなっています。
その数分間の中で、膨大な数になろうゴミの中から、切符を廃棄せずに、きちんと拾ってくれて、データベース化していただいたことに感謝します。

また、東京の猪瀬知事は、東京へのオリンピック招致プレゼンテーションで「東京では財布を失っても手元に戻ってくる。しかも、お金が入ったままで!」と訴えました。
日本の素晴らしい一面に触れることが出来た出来事でした。

JRの皆様にはお手数をおかけいたしました。
改めて感謝いたします。

投稿者: kameno 日時: 7:26 AM | | コメント (0)

車椅子、盲導犬歓迎します

銀座のレストランで車椅子に乗るO氏が入店拒否され、その経緯をO氏がtwitterに投稿した件で、レストランに非難が殺到し、さらに逆にO氏の態度が横暴ではないかという論争が起きています。
この件については、お互いのちょっとした「配慮」が欠けていたために起きたことだという印象ですが、実際にその場を見た訳ではなく、当該の状況を詳しく知るわけでもないので、ここではどちらが良い、悪いといったことは述べません。
最近特に感じるのですが、そのような事象が起きると、俄評論家や俄プロ市民のような者による非難の矛先が一点に集中します。
インターネットの社会の悪い側面だと感じます。


さて、そのような論争は置いておいて、貞昌院ではどうか、ということを書いてみます。
(あくまでも「貞昌院では」ということで読み進めてください)

5年ほど前に、ブログ記事 障壁を少しづつ取り払っています で纏めたように、お寺や神社というのは、バリアフリーの観点で見ると、車の入れない急峻な坂道があったり、何百段もの石段を登った先にあったりと、必ずしも参拝客に優しくない場合が多いわけです。
むしろ、わざわざそのような場所に作り、俗の世界との明確な区別をしているともいえます。

しかしながら、近年は特に高齢化の参拝者も増加しており、貞昌院でも、そのような方々に安全に、たやすくお参りしていただくことができるよう、バリアフリー化を進めてきました。
段差を無くしたり、客間を全て椅子にしたり、本堂での参拝についても椅子でお参りいただいています。

また、車椅子を利用される方については、外から車椅子で玄関に入る際に、車輪をタオルで拭いていただくことで廊下や本堂畳もそのまま通っていただけます。
本堂正面での焼香も問題ありません。
これまで何人もの方々もそのようにされてきておりますので、どうぞこれからお参りのかたも遠慮なくお越しください。
事前にお申し出いただく必要はありません。

盲導犬についても、まったく問題ありません。
客殿はもちろん、本堂参拝にも盲導犬を同伴されることが可能です。

日本人の結界に関する考えには独特のものがあります。
結界を結ぶ装置が「縁」。
縁側も、外と内とをつなぐ空間です。
20130521-01
(写真は舞岡公園古民家の縁側。縁側でお茶を飲みながら近所の方々と交流します)

 

日本人のもつ思想の特長的なものを一つ挙げるとすると、個々を明確に区分せず、このような縁側の要素を持つということがあります。
この縁側の要素により、自と他の境界を曖昧にして他人と接してきました。
それゆえ、明確な自と他の境界での衝突をすることなく、ノンバーバルな表現や、人の心を察する感受性、お互いを尊重し譲り合う精神が育くまれてきました。

縁のような曖昧な境界を持つことができるというためには、それだけ柔軟な精神を有する必要があります。
バリアフリーは、物理的な障壁を取り払うだけではなく、精神的な障壁を取り払うことでもあります。
日本人の育んできた懐の深さ、思いやりのこころを大切にしたいものです。



お知らせです。
6月8日、貞昌院を会場として、傾聴カフェを開催します
カフェには盲導犬もやってきます。
お寺を会場に盲導犬とのふれあいも行ないますので、お時間がある方は貞昌院にどうぞお越しください。

「傾聴カフェ」
日時 平成25年6月8日(土)午後1:30-3:30
会場 貞昌院(港南区上永谷5-1-3)市営地下鉄 上永谷駅 徒歩5分
参加 無料
詳細はこちら

投稿者: kameno 日時: 7:15 AM | | コメント (0)

気合で飛ぶ熊蜂


熊蜂(クマバチ)は本当は飛べないはずなんだ。

けれども、飛べないことを知らないから、飛べるんだよ。

 

20130429-04
藤の花の周囲を熊蜂が盛んに飛び回っています。
花から一定の距離をホバリングしているかと思えば、近づいてきた蝶や他の蜂たちをもの凄いスピードで追いかけたりしています。
熊蜂の体は、ずんぐりしていて丸々と太っています、それに比べて羽は小さく、こんな羽でよく飛行できるものだと感心します。

その疑問は昔からあったようで、熊蜂の羽、体重、筋肉などをモデル化して計算した結果、理論上は飛ぶことが不可能であるという結論が得られ、長い間、何故熊蜂が飛ぶことが出来るのか大いなる謎でした。
そこから冒頭のような表現が生まれたのです。
熊蜂は、出来ないように思えることも、「気合」を込めれば何とかなる!という象徴にもなりました。



大型の体とそれに見合わない小さな翅から、かつてはマルハナバチとともに「航空力学的に、飛べるはずのない形なのに飛べている」とされ、長年その飛行方法は大きな謎であった。「彼らは、飛べると信じているから飛べるのだ」という説が大真面目に論じられていたほどである。現在はレイノルズ数(空気の粘度)を計算に入れることで飛行法は証明されているが、ここからクマバチは「不可能を可能にする」象徴とされ、しばしば会社やスポーツチームのシンボルマークとして使われる。
ウィキペディア「熊蜂」項参照)

20130429-02

流体力学が発展し、レイノルズ数を考慮に入れた計算が出来るようになると、熊蜂の飛行が物理学的に説明できるようになりました。
熊蜂のスケールで考えると、空気のもつ粘性(粘り気)は無視できない大きさとなり、その粘性をうまく利用して熊蜂は難なくダイナミックな飛行を可能としているのです。

それにしても、熊蜂は「気合」を込めて飛んでいるだけあって、羽音はとても大きく、また、その姿から、近づくととても危険な蜂に思われがちです。
しかし、それは大いなる誤解です。

藤の花の近くでホバリングを繰り返している熊蜂は「オス」であり、メスが飛来してくるのをじっと待っているだけなのです。
「オス」の熊蜂は、針が発達しておらず、人を刺すことがありません。

 

だから、オスの熊蜂には近づいても大丈夫。
姿や羽音に反して、実におとなしい蜂なのです。

(※注:あくまでも、おとなしいのはオスの熊蜂だけです)

20130429-01

一生懸命気合を入れて飛び、メスが来るのを待っているオスの熊蜂。
何だか愛おしく思えて来ませんか?

投稿者: kameno 日時: 5:06 AM | | コメント (0)

授戒会参加のススメ

大本山永平寺・總持寺をはじめ、全国の主要な寺院で毎年授戒会が行なわれていることをご存知でしょうか。
横浜市鶴見区の大本山總持寺の場合は、毎年4月10~16日の日程です。

 

授戒会とは、仏教徒として、仏道に根ざした生活を送る決意をし、戒を受けることによってお釈迦さまの弟子(仏弟子)となり、仏教徒としての自覚を持つことです。
近年では、生前に戒を受けるということは稀で、葬儀の際に初めて、この授戒の作法を行なうことが当たり前になってしまっています。
けれども、本当は、生前授戒(生きているうちに戒を授ける)ことのほうが望ましいですし、それが本来の姿であるともいえます。

今年の大本山總持寺授戒会には、貞昌院の檀家さんから2名の参加をいただきました。
授戒中の加行、懺悔道場、教授道場、正授道場をきちんと受けられ、仏戒を授かり、大祖堂の須弥壇上に登り、そして仏弟子の証である血脈を戒師さま(大本山總持寺貫首 江川禅師さま)より授かりました。
お釈迦様から数えて第88代目の仏弟子となりました。
完戒おめでとうございます。

さて、この授戒で授けられる血脈(けちみゃく)には安名(あんみょう)の4文字が書かれています。
これが、いわゆる生前戒名に当たるものです。

残念なことに、大本山總持寺での授戒会に参加される人数は減少傾向にあり、今年は60人ほどでした。
總持寺の檀家さん、そして全国各地の寺院の檀家さんの数に鑑みると、とても少ないと感じます。

その理由として考えられることは

(1)授戒会自体の知名度がそれほど高くない
(2)一週間の日程が、忙しい現代社会においては全うすることが難しい
(3)戒名料の問題が懸念され、寺院側が躊躇する

などが挙げられるでしょうか。

 

けれども、私は、もっともっと授戒会のことを知らしめる必要はあると考えますし、授戒会に参加される人数が増えればよいと考えています。

(1)については、總持寺の檀家さん、そして随喜寺院の檀家さん、全国寺院の檀家さん向けに、分り易い案内状を作成して知らしめることが必要と考えます。
ちなみに、一週間の日程の宿泊費・修行僧が心を込めて作る一日三度の食事つきで、大本山總持寺への志納金は合計4万円です。

(2)については、授戒は一週間の差定から構成されています。 しかし、忙しい世の中です。
中々一週間全てには参加することは難しい場合があります。その場合は、(本来は望ましくないのですが)4月13日~15日の日程を全てこなせば、仏弟子として認められます。

(3)戒名料の件については、授戒で戒師様より授かる「安名」は、信士、信女、居士、大姉などの位階が付与されていない4文字です。
貞昌院檀家さんが授戒会に参加していただく際には、貞昌院で安名の4文字を作成して、本山に届けさせていただいています。
そして、いつか、その方の葬儀の際には、その安名に位階(信士、信女、居士、大姉など)を付与して、戒名とさせていただきます。
なお、貞昌院では、葬儀の際には、通常の信士信女であれば、世間一般常識的な葬儀布施以外に戒名料・位階料を貞昌院で追加でいただくことはありません。

ただ、(3)については、寺院によって事情が異なる場合があります。
とにかく、このあたりを整理しなていかないと、授戒会の参加者が増えることは難しいと考えます。


授戒会の間はさまざまなわからないことが多く、不安もあると思います。
けれども、戒弟の皆さんの身近には24時間体制でサポートする多くの僧侶が居ります。
安心してご参加くださって大丈夫です。

一人でも多くの方が参加されることを望みます。

■追記

本山への授戒会へは、必ず菩提寺を通してお申込みされることをおすすめします。
貞昌院の檀家さんでしたら、貞昌院へお申込みください。
詳細は、菩提寺か大本山總持寺にお尋ねください。

投稿者: kameno 日時: 1:39 AM | | コメント (0)

食品サンプル王国、ニッポン

お昼時、駅に程近い通りを散歩すると、レストラン・食堂の入口に並べられている様々な食品サンプルに目が釘付けになります。
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なんて美味しそうなんでしょう。
とても、食べられない「見本」だとは思えません。

外国では、レストランにサンプルが並べられていることは、まずありません。
写真があればまだマシで、大抵は料理の名前が並べられている素っ気無いメニューがあるだけです。

2年前にドイツに行った際も、ドイツ出身の方でさえ出身地と違う地方なので、メニューを見てそれがどんな料理か想像できない・・・・と言っていました。

日本は、このような分野において、何とサービス精神が旺盛なんでしょうか。
しかも、展示されているサンプルとほとんど同じものが、きちんと目の前に運ばれてきます。

 

食品ディスプレーの中で、個人的に一番印象に残っているものは、浅草の「山田うどん」のディスプレーです。
初めて見たときには、あまりにも衝撃的過ぎて、写真に撮ることすら忘れていました。

Google先生が記録してくれているストリートビューをご紹介します

このディスプレー、空中に浮いた巨大な箸が、コミカルにうどんを掬い上げているというもので、かなりのインパクトがあります。

食品サンプルや独創的なディスプレイ、これらは誇るべき日本の文化の一つだと感じます。

投稿者: kameno 日時: 10:22 PM | | コメント (0)

いつやるか?今でしょ!

いつやるか? 今でしょ!
toshin


大手予備校の現代文講師、林修先生がちょっとしたブレイクをしています。

これを仏教的にいうと

他不是吾(他は是れ吾にあらず)
更待何時(更に何れの時をか待たん)

になるでしょう。

このことばは、仏道を求めて宋に渡った道元禅師が天童寺の老典座和尚から言われたことばです。
まだ24歳の青年僧だった道元禅師は、炎天下にお寺の回廊脇で、茸を並べて干している一人の老僧、典座老師に出会います。
杖をつき、笠もかぶらず、汗だくになって夢中で干しています。

道元禅師は、このような仕事は若い修行僧に任せればいいのに、と疑問に感じ、典座老師に尋ねます。

「なぜ、この仕事をご老僧のあなたがやらなければならないのですか?」

「他不是吾」(他は是れ吾にあらず=他人のしたことは、私のしたことになならない)

「この炎天下、暑いですから、いまは、仕事を少し休んで後にしてはいかがでしょうか」

「更待何時」(更に何れの時をか待たん=またと無いこの時をやりすごしてしまって、いつの時を待とうと言うのか)


この問答で、道元禅師は自分の至らなさを悟ったといいます。


空間軸と時間軸の中で、確固たるものは、この自分であり、この今という一瞬です。
「この今」は、仏教のことばで「而今(にこん)」といいます。

時間軸のうち、過ぎ去った過去の時はもうそこに立ち戻ることは出来ない。また、これからの未来は不確かでどのようになるか分らない。
ただ、確かな「現実」は「この今」だけなのです。


このことを玄侑宗久師は次のように表現しています。


客観的存在も客観的時間も存在せず、世界は吾有時(わがうじ)そのものであると禅師は云う。「尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時時なり。有時なるによりて吾有時なり」
私は「有時」を理解するために、「物語」という言葉を使ってみた。
たとえば「昨夜寝て今朝起きた」と、我々は簡単に言う。しかしそのことは、「寝たときの今」と「起きたときの今」を「排列」してできた認識である。換言すれば「昨日寝て今朝起きた」という小さな「物語」なのだ。我々はそうした「物語」を産むことで時間をあらしめ、また自己存在を認識することになる。
むろん「排列」する際には省略も含む。たとえば「最近私はとても調子がわるい」という時間と自己を提出しようと思えば、たまたま調子がよかったことは全部省き、美味しかった夕食もはずし、面白かった映画や彼女との会話も削ぎ落としてようやく成立する「物語」なのだと知るべきだろう。つまりあらゆる時間もそこでの自己存在も、厳密な意味ではフィクションなのである。
過去・現在・未来と、時が一つの方向に流れていくなどと思うのは、仏道を専一に学んでいないからだと禅師は云う。三つの時制は実は「つらなりながら時時」と並んでおり、それを我々は「経歴(きょうりゃく)」している。この「経歴」こそ、「排列」からさらに複雑化した「物語」と云えるだろう。一つの「物語」を語るために、我々は無数の「有時」を如何様にもアレンジし、改変すると云うのだ。
(2003アンソロジー「有時するということ」より一部引用)

仏道を学ぶ人は、「後でやろう」などと考えてはいけません。
過去も未来も不確かなものなのだからです。
これは、仏道に限らず、全てのことに当てはまると感じます。

私自身も、同時進行で様々なことをこなさなければ成らなくなる場合があります。
その時も、やむをえず「後回しにした」ことは、良い結果とならないことが多々あります。
やはり、「この今の瞬間」を大切に、やるべきことはやるべき時にやる、それが大事なことなのだと肝に銘じています。


今日、このときをぼんやりと過ごさず、その日その日、その時、その時を送らなければならない。

みなさんは、自身に託された仕事をいつやりますか?

 

「今でしょう!」

投稿者: kameno 日時: 6:14 PM | | コメント (1)

パタパタ音が消えていく

空港や駅のホームで、行き先や時刻を伝える、パタパタ表示板(フラップ式表示板・パネル式表示板)が次々と姿を消しています。
先月は、ついに新幹線の最後のパタパタ表示板が撤去されてしまいました。


消えるパタパタ音 新幹線駅のパネル式表示板撤去

東海道新幹線の駅ホームで、行き先や発車時刻を伝えるパネル式の表示板が姿を消す。唯一残っていた三河安城駅(愛知県安城市)で23日深夜、最終列車が通過した後に撤去される。「パタパタッ」という軽快な音で乗客に発車時刻を伝えてきたが、複雑なダイヤに対応するため発光ダイオード(LED)を使ったデジタル表示に全面移行することになった。

23日の最終列車後に撤去される東海道新幹線最後の回転式列車案内(18日午後、三河安城駅)
「こだま649 13:32 新大阪 自由席1―7、13―15号車」。黒いパネルに白い文字で発車時刻や行き先などを表示。列車が走り去るとパネルが回り、次の列車を知らせる。「懐かしい」とカメラを向ける利用客も少なくない。
「数字が切り替わる様子が見ていて味があった。なくなるのは少しさみしい」。18日午後、出張で三河安城駅を利用した福岡県筑紫野市の会社経営、大島康正さん(45)は名残惜しそうに話す。
JR東海によると、同駅の「フラップ式ホーム発車標」と呼ばれる表示板は1991年、東海道新幹線の東京駅に初めて導入。名古屋駅や新大阪駅、京都駅など全16駅の99カ所に設置された。
ただ2002年秋には現行のLED式が登場。03年10月には品川駅が開業、全列車の最高時速が270キロとなり、「のぞみ」の運行本数も大幅に増加。「ひかり」「こだま」を含めダイヤが複雑になり、多くの情報を瞬時に伝える必要が高まったことも背景にあった。
デジタルでは遅れの原因や再開見込みまで同時に伝えられるうえ、フルカラー式で文字が大きく視認性が向上。のぞみ停車駅を中心に切り替えが進み、最後となった三河安城駅でも設備更新の時期を迎えた。JR東日本、西日本、九州管内の新幹線駅もフラップ式の発車標はなく、新幹線駅からは完全に姿を消すことになる。
JR東海の須田寛相談役は「フラップ式は仕組みは単純だが自動で表示が変わるなど、アナログからデジタルへの移行期を象徴する表示だった。撤去は一つの時代が終わったということ。今後は携帯電話に自動的に遅れの情報を流すなど、さらなる進化が求められる」と話している。
(日本経済新聞 2013/1/22配信)


そういえば、身近な駅や空港でも、ほとんどがLED電光表示板になってしまいました。

特に首都圏では、路線相互の乗り入れが複雑に絡み合っていて、アナログ式のパタパタ表示板で臨機応変に対応することは難しいのでしょう。
表示板から出るパタパタ・・・という音が消えてしまうということは本当に残念です。

それでも、京浜急行の横浜駅、京急川崎駅などでは未だパタパタ表示板が現役で活躍しています。
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京浜急行は、改札の駅員さんが、改札鋏をリズミカルに音を鳴らしている光景も、他の路線よりもかなり遅くまで見られました。
アナログ機器に理解があるか、こだわりを持っているのでしょうね。

人間味のある光景が存続されることを願います。

投稿者: kameno 日時: 12:47 PM | | コメント (0)

エスカレーター片側空けという悪習

下写真は大阪・梅田の光景です。

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エスカレーターに乗っている人々が、きれいに片側に並んでいますね。
首都圏と違うのは、それが右側だということ。
なぜ、首都圏は左側で、関西圏は右側なのでしょうか。
また、その境目はどこにあるのでしょうか。

さて、今日のテーマは、エスカレーターを右側、左側ということではなく、もう一歩根源的な「なぜ片側に並んで、もう片側を空けるのか」ということを考えてみます。

そもそも、エスカレーターというのは、その階段を歩くことを想定した設計にはなっていません。

日本エレベータ協会協会では次のように呼びかけています。

■すり抜けは危険です
すり抜けざまに他の利用者や荷物と接触して、思わぬ事故を引き起こすことがあります。

■歩いたり走ったりすると身体のバランスを崩します
バランスを崩して転倒するなど、大きな事故を引き起こすことがあります。また他の利用者を巻き込む恐れもあります。

■ケガなどで、片方の移動手すりにしか、つかまることのできない方もいます
たとえば左手を骨折していて、右手でしか手すりにつかまれない方がいらしたとします。その方はエスカレーターの右側にしか乗れませんが、右あけが慣習となっていたらとても不自由で危険です。

まあ、至極当然なことです。

特に、朝夕のラッシュアワーでも、ほとんどの駅構内のエスカレーターにおいて片側空けする傾向にあります。
エスカレーターの乗口前は、エスカレーターに乗ろうとする方々で溢れます。

エスカレーターを1列で乗ろうが、2列で乗ろうが、エスカレーターの速度は変わりません。
すなわち、片側空けせずに2列で乗れば2倍の人を運ぶことが出来るので、効率的です。
また、前後を詰めてキチキチに乗る状態も緩和されます。

【頭の体操】
長さ50メートルのエスカレーターがあったとします。
エスカレーターの速度を2km/時、歩く人の速度を4km/時とします。
問 エスカレーターを歩く人は、立っている人に比べてとどれだけ早く終点に到達するでしょうか。

さらに言及すると、エスカレーターそのものも、左右均等に荷重がかかることを想定して設計しているはずなので、不均等に荷重がかかったり、歩行ステップのような振動がかかる状態が持続されれば、思わぬ故障の原因になったりエスカレーターの寿命も短くなるでしょう。

何よりも転倒・将棋倒しによる大事故を引き起こす要因になります。

危険をおかしてまでエスカレーターの片側空けをするメリットは何でしょうか。
・急いでいる人がいるかもしれないからその人のために空けておいたほうが良い。
・健康のためには多少なりとも歩いたほうが良い。
このくらいでしょうか。
(他にある場合はご指摘ください)

ほんの僅かの人の個人的なメリットのために、効率的な乗り物を非効率にしたり、場合によっては周囲の人を危険に晒すような習慣は、本当に「マナー」と言っていいものかどうか、疑問です。

この習慣は、大きな事故が起きてからでないと改められないのでしょうか。


同様の事例として高速道路の渋滞問題があります。
一台一台が少しでも速く走ろうとして、速度の調和を乱したり、勝手なペースで走ると、却って全体的な渋滞が波及してしまい到着時刻が遅くなってしまいます。
そのために、「ペースメーカー車」を適当な間隔に配置して、全体の調和を整えると、車はスムーズに流れ、渋滞は軽減するという社会実験の結果があります。

そこで、エスカレーターペースメーカーを自主的に募って「片側空けの空いているところに敢えて立ち止まって乗る」ということを、全国一斉に継続的に行っていけば、このような悪習は無くなっていくかもしれません。
ただ、「片側空けるもんだ!」と先入観を持っている人たちが、走る権利があるとばかりに押して来たり・・ということはあるでしょうから、そういう時こそマスコミの出番です。

 

※今日のブログでは「片側空けが悪習である」という前提で論を進めましたが、「片側空けは当然のマナー」だと主張する方のご意見があれば是非お寄せください。

投稿者: kameno 日時: 11:57 AM | | コメント (2)

井戸水のパワー

1月14日成人の日の大雪直後は、はお墓参りの方々にも少なからず影響が出ました。
特に天神山にある墓地をお参りするために登る坂道の雪の影響は深刻です。
↓写真は先週の上墓地駐車場へ向かう車道です。透明に見える部分も氷です。これでは乗用車は登れません。

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降雪から2日も経つとガチガチに凍結してしまい、数センチの氷となっています。
こうなっては氷を剥がすのも非常に困難になります。

そこで活躍するのが貞昌院の井戸。
天神山で育まれた豊富な地下水が深井戸に集められてきます。
水温は真冬でも5から10度程度ですので、融雪には最適です。

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井戸からポンプアップされた水を、上駐車場に送ります。
揚程は10メートル程もありますが、難なく送ることができました。

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坂の上から流すと、みるみる融けていきます。
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路面から氷が浮いてきますので、そこから砕いていきます。

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ここまで来れば車の通行や歩行にも問題は無いでしょう。
路面を掃いておけば数時間で綺麗に乾きます。


それにしても井戸水は有難い資源です。
通年にわたり5~10℃前後で一定していますから冬は温かく、夏は冷たい水が利用できます。
真冬に池の鯉たちは山からの清水が流れてくる方向にきれいに並んでいます。
温かい方向に向いているのです。
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山からの水資源の循環なので、ランニングコストもかかりません。

災害時には、命をつなぐ水にもなります。
井戸水の有難さを改めて感じています。

投稿者: kameno 日時: 9:07 AM | | コメント (0)

降雪ととライブカメラ

成人の日に降った雪は、3日経った今でも境内に残っています。
(↓貞昌院ライブカメラより)

無題

貞昌院は、南側に小高い山がありますので、雪がなかなか融けません。
屋根からの雪も境内のあちらこちらに残されています。

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池の鯉たちは向こう側を向いて一列に並んでじっとしています。
山からの湧き水のほうが暖かいため、水が流れてくる方向に集まっているのです。

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ここ数日の間、貞昌院ホームページには多くのアクセスをいただきました。
特に雪が降り続いていた1月14日には、平時の4倍以上のアクセスがありました。

どこのサイトから貞昌院にたどり着いているかを、リファラーという機能で知ることが出来ます。


1月14日には

Webカメラまっぷ

世界の窓

まいたうんYokohama

旅旅リンク

LiveCam神奈川

あたりから来られる方が多かったようです。
ご訪問いただきました皆様、有難うございました。

投稿者: kameno 日時: 7:34 AM | | コメント (0)

子どもの頃の未来の夢

本棚を整理している中で、子どもの頃に夢中になって読んでいた図鑑が出てきました。

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『プログラム式 こどもカラー図鑑』(講談社・昭和45年10月20日発行)

私が小学校に入学した時に買ってもらった図鑑で、
1.どうぶつ・とり
2.こん虫
3.うお と かい
4.しょくぶつ
5.大むかしのいきもの
6.うちゅう・きしょう・ちきゅう
7.えねるぎー・えれくとろにくす
8.さんすう
9.こくご・えいご
10.しゃかい
11.こうつう と のりもの
12.ずが・こうさく・おんがく・たいいく・かてい
13.ひと の からだ
というような構成になっています。
この時代、かなり売れた図鑑のようですので、今の30-40歳代の方であれば読んだことのある方も多いのではないでしょうか。

何回も繰り返し読んでいたので、ボロボロになってしまっている巻もあります。
久しぶりにページを開いてみると、当時の記憶が鮮明に蘇ってきたりします。

どんな内容だったのか、いくつかご紹介します。

「日本の乗用車」
当時はこのような車が街中を走っていました。
ちなみにkameno家ではパブリカでした。

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みらいの自動車も掲載されています。
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これからの乗用車は、買い物をするときに使う車、長きょりどらいぶ用の車、れじゃー用の車というように、使うもくてきによって、ひとりで2、3台所有するのがふつうになります。
高速道路がどんどんつくられ、車にはれーだーがつけられ、すぴーどやぶれーきは、むせんによってじどうてきにそうさされるようになります。
また、とらっくやばすは大型になり、2両いじょうれんけつしてはしるようになります。

既に実現している部分と、これからの部分がありますね。
車間を判断して自動的にスピードをコントロールしたり衝突防止のブレーキが掛けられたりということは、最近ようやく実用化され始めました。
バスが2両連結になる、というのは、これからも日本の道路事情では難しそうです。
それにしても断言形の文体はとても潔いものですね。

長きょりどらいぶ用の乗用車
(1)車の後方を写すてれび
(2)このればーを、一定のすぴーどのめもりに合せておくと、車はそのすぴーどで走りつづけます。
(3)車のま下を写すてれび
(4)わずかな力で、せいかくに進路が決められるはんどる
(5)れーだ

この車のえんじんには、がすたーびんが使われています。
がそりんえんじんとちがい、ゆうがいなはい気がすを出すことなく、ひじょうに高速で走ることができます。
また、車体も軽いきんぞくでつくられ、高速でも安定がよいように、飛行機の尾よくに似たものがついています。

うーん・・・
未来の車に求める「夢」は、もっと大きくても良かったかも。
(1)は、まあバックモニター、(2)はクルーズコントロール、(4)はパワーステアリングとして、(3)の真下を写す意味って何だったんだろう・・・・

このほか、みらいの飛行機、みらいの船などが「かくねんりょう飛行機」「原子力商船」(近いしょうらいに、けいざいてきな原子力商船がつくられる時代が来るにちがいありません)などというように図解されています。



これ↓は、当時画期的だった、駅の「自動改札機」。
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なんと、改札機直前でお金を投入して切符を買うことによってゲートが開く仕組みになっています。
この写真に写っている路線図から判断すると、東急・自由が丘駅の自動改札機ですね。
これではラッシュアワーの乗客を効率的にさばくことは出来なかったに違いありません。

1966年には、鑽孔式(穴開け式)の光学読み取り式による自動改札機が開発され、近畿日本鉄道南大阪線の大阪阿部野橋駅や東京急行電鉄東横線の元住吉駅で試験が行われた。しかし、両社とも本格採用に至らなかった。
同方式の実用的な自動改札機が導入されたのは1967年のことである。京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)千里線の北千里駅で立石電機(現・オムロン)が開発した定期券専用自動改札機で本格的に採用された。しかし、全駅に導入されたわけではなく、また定期券専用であったため導入駅でも普通乗車券用に磁気バーコード式やその他の乗車券用に有人改札との併用であった。
(ウィキペディア「自動改札機」項)

とあるように、さまざまな自動改札機が試行されたものの本格採用に至らなかったものも多かったようです。

 

「みらいの鉄道」としては

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(1)しゃりんしじ型・・・りにあもーたーを使って、時速400kmで走ります
(2)空気ふじょう型・・・しゃりんを使わず、空気をふきつけて、空中に浮き上がって走ります。りにあもーたーを使います。
(3)じきふじょう型・・・空気の代わりに車体と地上の両方にじしゃくをつけて、そのはんぱつ力で浮き上がってはしります。
(4)ちゅーぶ型・・・・・地下に埋められたちゅーぶの中をしんくうしして、地球の重力を加速力に使い、時速600kmをだします。

(1)は都営地下鉄大江戸線で実現した、といって良いのでしょうか。ただしスピードはこの5分の1程度ですが。
(2)実現のきざしすらありません
(3)技術的には可能なのでしょうけれど、運用にはあと10年以上かかりそうです。
(4)実用化する日が来るのでしょうか。夢は大きく持ってもよいですね。


「アナログ型コンピュータ」
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回路を組んで、電流の大小で計算結果を判断するというコンピュータです。
このような時代もあったのです。

「テレビ電話」
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いつか、このような電話が家庭に普及する時代がくることを夢に描いていましたが、想像よりずっと早く実現・普及が進んでいきました。



高度経済成長を支えるエネルギーとしては、原子力にかなり重点を置いています。
また、子ども向けの図鑑であるにも関わらず原子爆弾、水素爆弾の仕組みや構造なども図解されています。

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建設中の東京電力福島第一原子力発電所や、高速増殖炉も紹介されています。
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この図鑑が発行されてから40年以上の年月が経過しました。
子どもの頃、夢に描いた未来の世界と、実際にどのようになっているのかを比較すると、とても感慨深いものがあります。

同じように、今の子どもたちの描く未来は、子どもたちが大人になったときにどのように実現されていくのでしょうか。

投稿者: kameno 日時: 12:58 AM | | コメント (2)

真面目に造った尖った電話

現在、携帯電話としてウィルコムの「ストラップフォン(別名・フリスクフォン)」を使っています。
フリスクフォンというだけあって、サイズはフリスクと同じ大きさ。
さすがに小さく、その小ささに感動すら覚えます。

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この「尖った」電話を販売しているのは、八王子のABITという会社です。
ABITは、知る人ぞ知る、通信機器や半導体の製造・開発を主な事業としている会社です。

この会社は、PHSとしてはストラップフォンのほかに「イエデンワ」という、また風変わりな電話も発売しています。
既成概念に囚われない、自由な発想と、それを商品化してしまうユニークな会社なのです。
きっと、携帯大手のD社やA社、S社ではこのような電話は実現しなかったことでしょう。

ASCII.jp に、この電話の開発秘話が掲載されています。

イエデンワとストラップフォンの父に誕生秘話を聞いた!
(ASCII.jp 2012年11月30日)

ストラップフォンは、とにかく人間工学とか使いやすさは置いておいて、電話を小さくする限界に挑戦した電話です。
ただ、デザインや質には妥協を許さず、例えば、本体のアルミ絞り出しの工程は、東京都大田区の町工場で18工程もの手間ひまが掛けられているそうです。
数字のボタンもアルミ絞り出し。
全面有機ELパネルにしたほうが大量生産かつコスト減となるそうですが、そうなると小さすぎて指でのボタン操作が不可能になるため、アルミ絞り出しのボタンが採用されたのだとか。

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ストラップフォンを構成する本体アルミ絞り出し部品など(©ASCII.jp)

結果、大量生産ができない「尖った」機種が出来上がり、製造上の条件、様々な大人の事情等から、発売開始後、1ロットのみで実質発売が中止となってしまいました。
やはり、このような「尖った」端末は広くは受け入れられないんでしょうかね~

今まで、ストラップフォンを使っている他の人を見た事がありません。
それほど希少な機種なのでしょう。
生産台数は実際どれくらいだったのでしょうか。

 

現在ABITが実販売を継続しているPHS端末としては前述の「イエデンワ」があります。

悟りの境地とまでいわれたウィルコムの「イエデンワ」スペック情報(Neverまとめ)
#旅するイエデンワ(twitter)
みんな遊びすぎ...「イエデンワ」を外で使う人が続出中(Neverまとめ)

こちらは、東日本大震災など大規模震災時にPHSが繋がりやすかったということと、料金体系が安いということ、乾電池でも動くこと、固定電話そのものの外観ということで、公共施設が災害対策用に積極的に導入しているそうです。
遊び心を持って受け入れられているところも好感度アップのポイントですね。

なお、イエデンワは後継種の「イエデンワ2」も開発中のようです。



日本の開発技術力、製造技術の底力はホント、凄いです。

今の時代、必ずしも良いものが売れるということではありませんが、このように真面目に作られた製品が、柔軟な遊び心を持ったユーザーのみならず広く一般に受け入れられ、もっともっと注目されると良いな~と思います。


■関連ブログ記事
フリスクフォン+XPERIA mini pro

投稿者: kameno 日時: 1:52 AM | | コメント (0)

仏教ブーム・巡礼ブーム

新年を迎えたかと思えば、あっという間に三が日も過ぎてしまいました。
大晦日の除夜の鐘から三が日の間、貞昌院と隣の天満宮には多くの参拝をいただくのですが、今年は特に例年以上に多くの参拝をいただいた感があります。
さらに印象的だったことは、若い方々の参拝が目立ったこと。
願い事は様々でしょうけれど、やはり多くの方に参拝いただくことは嬉しいことです。

今日のYahoo!トピックスには次のような報道記事が掲載されていました。


お遍路ギャル増殖中…婚活、就活での御利益目的 様変わりする霊場巡礼

四国八十八カ所巡りといえば、白装束に身を包んだ年配の人たちの姿を思い浮かべるが、最近は杖を片手にカラフルなザックを背負って挑戦する若い女性たちが増えている。都会の喧噪を離れ、自然の中で日常生活や仕事のストレスを発散できることに加え、「婚活や就活で御利益を授かりたい」といった乙女心も足を向ける動機になっているようだ。おしゃれな遍路小屋が増えていることもブームを後押しし、“お遍路ギャル”の増加で伝統的な巡礼の風景は様変わりしつつある。
「やり始めたら、やめられなくなって」
大阪市の会社員、中元智子さん(33)は同僚の松本里美さん(34)、三好祐貴子さん(35)と3人で、3年前からウオーキング気分で遍路を始めた。以来、88カ所の札所を1番から順番に回り、現在は第28番札所(大日寺)までを巡拝した。
「異性との出会い」という御利益を求めて、自分を見つめ直すために…。それぞれの思いを抱いて続けるお遍路。「結構大変です。でも、途中でやめたら、罰(良縁に恵まれない)があたりそうで。御利益があると思えば、面倒で疲れることでも頑張ろうという気力が出てきます」と中元さん。小川のせせらぎや木々の香りに心をなごませ、途中の民家などで食べ物をもらうなど「お接待」という独特の“文化”に接して感動したという。
松本さんも「『お接待』でもらえるお菓子や果物などでエネルギーをチャージして歩くのが快感。何となく仏の息吹に触れられた感覚にもなり、“仏がかった”恋愛へのサプライズに期待してます」。三好さんも「巡拝中は『無』の境地ですが、常に『何かがある、何かが起きる』と信じて歩いています。私にとって遍路は今、自分の願いをかなえるための使命感のようなもの」と話す。
一方、通販会社をリストラされ、現在、昼は会計事務所、夜はキャバクラでアルバイト中という神戸市の女性(26)は、恵まれなかった仕事面での御利益を期待しながら巡る。「巡拝しているとき、悩みがあっても気分がすっきりするのが魅力。御利益あって再就職できればうれしいけど…」。
女性は平成23年秋からお遍路を続け、第18番札所までを巡ったという。11番札所(藤井寺)から12番札所(焼山寺)へ向かう途中にある「遍路ころがし」と呼ばれる急勾配の山道は難所で苦労した。「杖をつき、膝に手を置き、息を切らせて歩いていると、そこかしこに転がる石が意地悪な“誰”かに見えてきた」。いつしか、そんな苦労も思い出の一つになるに違いない。
彼女たちは、「菅笠に白衣」という通常のお遍路さんのスタイルとは違い、カラフルな服やバッグを身につけ、どちらかと言えば軽い登山に向かうといった格好だ。そんな華やかなギャルたちが寺で手を清め、納め札を入れ、線香とロウソクをあげて読経する姿は周囲の目をひきつける。
一方、こうしたブームを後押ししているのは、遍路道計約1400キロに88棟の休憩所・仮眠所を整備する「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」という事業だ。遍路文化に強い関心をもつ建築家で近畿大の歌一洋教授(64)が発案し、約10年前から四国地方の有志らがボランティアで進め、現在45棟まで完成した。
小屋は各地域の風土や観光、特産などをモチーフに設計され、弥生期の竪穴式住居(香川県内)、阿波踊りの編み笠(徳島県内)などをイメージしたユニークな建物ばかり。清潔感があり、あか抜けた感じでお遍路ギャルにも人気があり、人と気軽に知り合ったり、情報交換する場としても重宝されている。前出の女性たちも「小屋で出会う人たちが互いの内情に深く立ち入らないのがいい」と語る。
自然と触れ合う中で得られるさまざまな体験に魅力を感じ、巡礼に繰り出す女性たち。歌教授は「老若男女を問わずいろんな人から受ける『お接待』に女性たちは喜び、感動している。誰しも神や仏にすがるときは自然と厳粛な気持ちになり、普段は味わえないちょっとした緊張感も心地いいようだ」と女性たちがお遍路に向かう気持ちを“分析”する。
就活や婚活への御利益、癒やし、出会い…。四国遍路に求めるものは人それぞれだが、「一番は自然や人の恵みが堪能できること」と、ギャルたちは口をそろえる。
(産経新聞 1月5日(土)13時32分配信)


前に、ブログ記事で、次のような記事を書かせていただいたことがありました。

巡礼の旅、その魅力 (2005年の記事)
プチ修行と仏教ブーム (2007年の記事)

このあたりから、若者の仏教ブームが本格的に根付いてきたような感じがします。


しかし、この巡礼ブームを支えているのは、これまで何百年も継続して行われてきた巡礼地での『お接待』のご奉仕をされる地域の方々であり、そこに、さらに「安全に」巡礼できるような施設を整備されてきた「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」のような有志ボランティアの方々であるといえます。

巡礼ブームは、伝統に培われた下地があり、そこにプラスαが加味されて、現代風にアレンジされたことにより徐々に進行してきたと考えられますが、動機はどうであれ、また伝統的な巡礼の風景が様変わりしつつあるとはいえ、それは時代の変遷に任せればよいことでありましょう。
その根幹を流れる「基本的精神」が大切に受継がれてさえいれば、それでよいのだと思います。

 

貞昌院でも、今後もこれまで同様、あまねく参詣にいらしてくださる方々が気持ちよくお参りできるよう、精一杯お迎えしていきたいと考えております。

投稿者: kameno 日時: 11:32 PM | | コメント (0)

十大ニュース@当ブログ2012

年の瀬を迎え、新聞、テレビなどでは今年の総括として「十大ニュース」などが発表される時期になりました。
2012年は、みなさまにとってどのような年でしたでしょうか。 


当ブログでも。毎日の記事より一年を振り返って独断により十大ニュース風にまとめてみました。
2012年の総括です。 20120521-08

  できごと 関連ブログ記事  
1 ハワイ・北米檀信徒大会 記事1 記事2 記事3 記事4  海外寺院の活動や動向は、日本の寺院にとって学ぶべきことが多いものです。
2 プリウスPHVモニターに 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13ほか プラグインハイブリッドの魅力に触れました。
3 演劇「佯狂のあとで」 記事1 記事2 記事3  本堂に本格的な舞台を築いて行われました。
4 さまざまな天文現象 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 今年も多くの天文現象を愉しむことができました。
5 いのちを守る地域力 記事1 記事2 記事3 記事4 記事5 記事6 記事7 記事8 活動を通してさまざまな学びを得ました。
6 スティーブ・ジョブズと禅 記事1 記事2 記事3 記事4 記事5  禅の教えは現代社会にも通じるものです。
7 宗務所行事あれこれ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12ほか 役職員として多くの行事にかかわりました。
8 第14回ゆめ観音アジアフェスティバル 記事1 記事2 記事3 記事4 継続は力なり。鎌倉市長様やのんちゃんにも参加いただきました。
9 ハマSHOW!! 記事1 三瓶さん大貫幹枝さんと一緒に坐禅しました。
10 ダイヤモンド富士 記事1 記事2 記事3ほか 昼から夜への変化は息を呑むほど美しいものです。

振り返ってみると、今年も個人的にもお寺にも様々なことがあった一年でした。
また、多くの方々とのご縁が広がった年でもありました。


ここに挙げきれなかったものも含め一つ一つが大切な思い出であり、学びでもありました。
来年もきっと様々なことがあるでしょう。
新たな出会いを楽しみにしています。

20120321-07
上写真)昼と夜の狭間より
右写真)金環日食みえた!より



今年一年間お世話になりました皆さまに心より感謝申し上げます。
来年がより良い年でありますように。


■関連ブログ記事
十大ニュース@当ブログ2011
2010年の十大ニュース@当ブログ
2009年の十大ニュース@当ブログ

投稿者: kameno 日時: 6:15 PM | | コメント (0)

三陸鉄道 北リアス線

20121004-30

今回の研修旅行の途中、田老から宮古の間の三陸鉄道を利用させていただきました。
東日本大震災発生から僅か5日目の3月16日に、三陸鉄道はいち早く久慈―陸中野田間を運転再開。そして3月20日には宮古―田老間の運転が再開しています。

そこには、鉄道運行に従事される多くの方々の並々ならぬ熱意がありました。
復旧区間では信号が使えなかったため、よほどのことがない限り使われない指導通信式が採用されたそうです。
地域のための鉄道という、その責務を十分に果たしていると感じます。
地域の復旧復興には、鉄道路線の復活は大きな原動力になるものです。

■三陸鉄道の復旧の歩み
2011年(平成23年) 3月11日 - 東北地方太平洋沖地震により北リアス線、南リアス線とも全線不通。
3月16日 - 北リアス線 陸中野田 - 久慈間の運転が再開。同区間で復興支援列車の運転が開始され、3月31日まで運賃無料。
3月20日 - 北リアス線 宮古 - 田老間の運転が再開。
3月29日 - 北リアス線 田老 - 小本間の運転が再開。
11月 - 北リアス線の陸中野田 - 野田玉川間の復旧工事に着手。
2012年(平成24年)4月1日 - 北リアス線 田野畑 - 陸中野田間の運転が再開。
2013年(平成25年)4月 - 南リアス線 盛 - 吉浜間運転再開予定。
2014年(平成26年)4月 - 北リアス線・南リアス線全線再開予定。

田老駅は、田老の集落を見渡すことができる高台にあります。
20121003-30
宮古行きの車両がやってきました。
20121003-31

やはり電車は快適です。

20121003-32


普段なら閑古鳥が鳴く三陸鉄道・宮古駅。だが、発車10分前の改札口には、すでに20人を超える客が並んでいた。
「ありがとねー」。年配の女性が改札口にいた駅員へこう声をかけた。他の客も口々に駅員に感謝の言葉をかけながら列車に乗り込んでいく。3月29日12時45分。37人を乗せた運賃無料の「災害復興支援列車」は宮古駅を出発した。

運賃収入よりも地域の役に立ちたい
三陸鉄道は宮古―久慈間を走る北リアス線と、釜石―盛間をつなぐ南リアス線の2路線を抱える。1984年の開業時は全国から観光客や鉄道ファンが押し寄せ、5年目黒字化の計画が、初年度でいきなり経常黒字。幸先よいスタートを切った。しかし、乗車人員は年々落ち込む一方。収支も開業10年にして経常赤字に転落。以後黒字に浮上することなく、現在に至っている。 もちろん赤字に手をこまぬいていたわけではない。各種イベント列車の運行からグッズ販売まで打てる手はすべて打った。2009年の「鉄道事業再構築実施計画」などのリストラも行い、ようやく光明が見えてきた矢先、今回の大津波が襲った。

3月11日14時46分の地震発生当時、北リアス線では白井海岸―普代間を15人の乗客を乗せた列車が走っていた。南リアス線では吉浜―唐丹間にある鍬台トンネル内に2人の乗客を乗せた列車がいた。北リアス線を走っていた列車は安全確認の後、避難開始。乗客と運転士は本社から要請を受けた地元消防団に救出され、近くの避難所に送り届けられた。南リアス線のトンネル内にいた列車の乗客と運転士は、徒歩でトンネルを脱出して国道46号線に出たところ、たまたま通りかかった自動車に乗せてもらえ、避難所に送り届けられた。全員無事だった。
地震の翌日、望月正彦社長らは宮古駅から線路沿いに1キロメートル程度歩いてみた。「早期に復旧できる」。手応えを感じた望月社長は、翌13日には普代駅まで自動車で被害状況を見て回った。途中駅の田老の町の惨状を見た望月社長はこう思った。多くの人が家を流され、自動車を失ってしまった。ガソリンも入手困難だ。三陸鉄道は地域の生活の足となることを目的に設立された。今こそ、その使命を果たさないと──。
久慈側でも陸中野田まで歩いてみた運転士から被害軽微という報告があった。そこで、「全体の被害把握よりも復旧を優先しよう」と、決断。目視で被害が大きそうな区間の点検作業を後回しにして、復旧できそうな区間に全力を注いだ。

地震のわずか5日後の16日、他の多くの路線が運転を見合わせる中、三陸鉄道はいち早く久慈―陸中野田間を運転再開させた。20日には宮古―田老間を再開。28日には宮古―小本間に運転区間が延びた。
車両基地が久慈側にあるため、宮古側で動かせる列車は地震当時、宮古駅に停車していた1両のみ。列車不足から1日3往復しか動かせない。それでもほかに交通手段がない人にとっては貴重な移動の足だ。赤字会社ゆえに運賃収入はのどから手が出るほど欲しいはず。だが、「今は運賃をもらうよりも地域に役立つことを優先したい」。運賃無料の復興支援列車はこうして生まれた(4月からは臨時割引運賃で運行)。途中駅で何人かの乗客が乗り降りしながら、13時25分、列車はゆっくりと田老駅に到着した。高台にあるホーム上に特段の変化はない。だが、眼下には、テレビや新聞で見たままの惨状が広がっていた。出口へ向かう通路からは、潮と土のにおいがした。津波で階段の踊り場まで土砂で埋まっていたという。

単なる穴と化した出口から、市内で買った食料を抱えた地元住民や、避難所に物資を届けようとする人らが次々と現れた。出口前にはがれきをかき分けるように一本の道路が走っている。自衛隊員が急ごしらえで整備したものだ。彼らはその道を一直線に進んだ。そして、がれきの山の中に踏み込んでいった。(週刊東洋経済2011年4月16日号より)


 

ブログ記事 三陸鉄道被災レール で書いたとおり、昨年末の京浜急行大師線レール落札のご縁から、三陸鉄道の被災レールをお送りいただきました。
その後、何度かやり取りさせていただいて、ようやく三陸鉄道に乗ることが出来ました。

20121003-33

本社ビルにて。

20121003-34

三陸鉄道の未開通部分、南リアス線 盛 - 吉浜間は来年4月に運転再開予定。
そして、再来年、平成26年4月には、いよいよ三陸鉄道北・南リアス線全線再開予定となっています。

全線開通のあかつきには、ぜひ再び乗車してみたいと思います。


■関連ブログ記事
線路がやってきた
三陸鉄道被災レール

投稿者: kameno 日時: 11:53 PM | | コメント (0)

データを数億年保存できる技術

数億年のデータ保存が可能に 石英ガラスのストレージ、日立と京大が開発

日立製作所は9月24日、京都大学工学部(三浦清貴研究室)と共同で、石英ガラスを使ってデジタルデータを記録・再生可能な新技術を開発したと発表した。レーザーで石英ガラス内部に多層の記録層を形成し、CD並みの容量を数億年以上の長期間にわたって保存できる可能性があるという。文化遺産や公文書、個人が残したいデータなどの保存用媒体として実用化を目指す。
石英ガラス内部にフェムト秒パルスレーザー(数兆~数百兆分の1秒にまで短パルス化したレーザー)を照射してドットを形成。ドットを1、ドットがない部分を0としてデジタルデータを記録する。レーザー出力や形成するドットの間隔、ドットの深さ方向の間隔を最適化して多層記録技術を開発。4層の記録層を作成し、CD並みの容量を保存できるようにし、記録密度はCD(35Mバイト/平方インチ)を上回る40Mバイト/平方インチを実現したという。一度に100個のドットを記録する技術も開発し、記録も高速化した。
データ再生には市販の光学顕微鏡を活用。ドットデータを撮影すると、そのままでは各層のドット像が写り込み、ノイズになってしまう。正確に読み取るため、焦点距離を変えた2枚の画像を使ってコントラストを強調し、さらにドットの輪郭も信号処理で強調する技術を開発。読み出しエラーゼロに相当するSN比15デシベルの再生を達成したという。
記録した石英ガラスを1000度で2時間加熱する高温劣化加速実験を行ったところ、データを劣化なく再生できたという。これは数億年以上の保存期間に相当するとしている。
今後、記録密度をさらに高め、実用化を目指した実証実験を進めていくとしている。
(ITmediaニュース 2012年9月24日)


これは、注目すべき技術だと思います。
現代の記録媒体は、容量(記憶密度)の追求が優先していて、耐久性については二の次という感がありました。
しかし、データは使い捨てのものばかりではなく、永続的に保存しておく必要があるものもあります。
日立製作所が京都大学と共同で開発した技術は、数億年に亘って保存できる記録媒体というものです。

 

媒体としては、石英ガラスを用い、特に高価な材料を使うわけではありません。
データの記録に用いるレーザーには、フェムト秒パルスレーザーを用います。

このレーザーは、光線の持続時間を数兆~数百兆分の1秒という、とてつもなく短い時間で制御できます。
これによって石英ガラスの内部に、屈折率の異なる微小領域が形成され、それがドットとして記録されます。(写真中央)
デジタル記録ですから、ドットが"1"、ドットが無い部分を"0"として記録、それを読み出します。

20120924-03
※画像は日立製作所のプレスリリースより


記録容量や速度を高めるために、さらにレーザーのパワーや形成するドットの間隔、深さ方向の間隔などを最適化した多層記録技術、光の振幅や位相を2次元的に変調できる空間位相変調器が開発されました。

現在はCDに相当する35MB/inch2を上回る40MB/inch2程度の記録密度は達成できているので、十分実用域に入っているといえましょう。
さらに記録密度向上の余地があるようです。

歴史上重要な文化遺産や公文書、個人が後世に残したいデータなどを、この技術によって後世に残すということが期待されます。


■関連ブログ記事
知的文化遺産を後世に引き継ぐために

投稿者: kameno 日時: 9:57 PM | | コメント (0)

日本におけるソーシャルメディア利用状況

Facebook利用率が24.5%、LINEは21.3%~ソーシャルメディア調査報告書2012

日本市場の動向調査では、2012年5月時点での日本のソーシャルメディア人口を5060万人と推計。2011年調査の3530万人から1530万人増加しており、この2年間で加速度的に伸びている。投稿や書き込みなど、何らかの情報発信を行なっているユーザーは3290万で、ソーシャルメディア利用者の65.0%に相当する。
インターネットユーザーにおけるSNSの利用率は、mixiが26.1%(前年調査27.0%)、Facebookが24.5%(同8.3%)、Mobageが8.4%(同6.3%)、GREEが7.8%(同8.3%)で、Facebookが大きく躍進。SNS全体の利用率もこれに伴って、前年の32.1%から45.6%に増加した。また、Twitterの利用率も前年の15.5%から26.3%と大幅に増加し、ソーシャルメディア(SNSまたはマイクロブログ)の利用率は52.0%とインターネットユーザーの過半数に達した。
利用デバイス別では、スマートフォンユーザーのソーシャルメディア利用率が66.7%と高く、40.0%がTwitterを、33.5%がFacebookを利用している。
インターネットユーザーにおける「LINE」の利用率は、「利用している」「試しに利用した程度」を合わせて21.3%で、最も利用率が高いのは男性10代の46.3%、次いで女性20代の43.4%、男性20代の32.7%となっている。
(Impress Watch 8月22日)


スマートフォンの普及により、ここ数年におけるソーシャルメディア利用の状況が著しく変動しています。
特にFacebook、Twitter利用者の増加が目立ちます。
今年に入って、LINE ,カカオトークなどの急増があり、今後動向はさらに変動していくことでしょう。
新しいソーシャルメディアが増えては淘汰を繰り返す状況に、どのソーシャルメディアを使ったら良いのか迷いがちです。
それぞれ特徴がありますので、時代に合わせて、目的に合わせて使い分けることも必要だと思います。
一番大切なことは、ソーシャルメディアに振り回されないように、上手に利用していくことです。

 

ソーシャルメディアコンサルティング会社、Tribal Mediaに解りやすい分類がされていましたので、その図を元に考えてみます。
それぞれのソーシャルメディアを、(リアルタイム-アーカイブ)と(誰が発信ー何を発信)の軸で分類すると次のようになります。

20120823-02

当ブログは、毎日の新鮮な情報も、過去の蓄積情報もそれぞれ幅広く扱っていますので、プロットすると上図のようになると感じます。

次に、(匿名-実名)での分類です。

20120823-01

当ブログは、実名によるどちらかと言うと社会的な情報の発信を主にしていますので、右下に位置します。

僧侶の発信するブログは匿名のものが多いのですが、それでも一般ブログに比べると実名の割合が若干多いと感じます。
ただ、完全実名ブログっていうのは少ないですね。

 

独立行政法人 日本貿易振興機構が2012年3月に発表した「米国におけるソーシャルメディア事情調査」によると


日本においてFacebookのユーザベースが伸び悩んでいる理由のひとつとして、日本人におけるインターネットを通じたコミュニケーションの在り方が、米国人のそれと根本的に異なっている事が指摘される。英国の調査会社TNS が実施したオンライン利用者における実態調査(2010年10月発表)によると、日本人がソーシャルネットワーク上で繋がっているデジタルフレンドは、一人平均29人で、世界におけるFacebook利用者の平均130人に比べ最も尐数であることが報告されている。Mixiにおいても、日本における利用者のデジタルフレンド数は一人当たり平均にして27人と尐ないが、ここにもプライベートなやりとりができることや、限られた友人との密接な関係を尊重すること、匿名でのコミュニケーションを好むといった日本人の文化的特性が背景として考慮される。Mixi上で実名や自身の写真を公開する利用者の割合は、全体の5%に満たない。

という指摘も頷けます。

日本特有の要因が、現在のソーシャルメディア利用状況に反映されているといえます。

投稿者: kameno 日時: 9:14 AM | | コメント (0)

永谷の終戦の日を検証する

八月盆も最終日を迎えました。
今夕(地域によっては16日の夕方)送り火をして、お盆の間お迎えしていたご先祖様、あまねくみ魂をお送りします。

そして、今日は終戦の日でもあります。
2005年のブログ記事太平洋戦争空襲~終戦の日において、貞昌院の先代住職 亀野寛量大和尚が記録した「太平洋戦争終戦の日の記録」をご紹介しましたが、今日は、その記述に補足を加えて改めてご紹介したいと思います。

囲み青い文字の部分が原文=永野連合町内会発行『永野郷土誌』(編纂委員長 ・貞昌院先代住職 亀野寛量)=よりの引用です。
また、黒文字は、今回私が補足した部分です。



『太平洋戦争空襲-終戦の日』

横浜の空襲は、昭和十九年の中頃から次第にその数を増して来た。始めは、極めて上空を、恐らく偵察か、又は空中写真撮影でもあらうか、相模湾から上陸、永野上空をかすめ、一直線に東北東に横浜の中央部を、一機又は少数機が通過する、ラジオはかけっぱなしである。
最初は敵機は余りにも上空なので、永野地区周辺の高地から、発射される高射砲陣地からの砲撃も、その砲弾の爆発というのであらうか、全く敵機には届かなかったので、その当時防空濠から半身乗り出して見ていた学童は歯ぎしりして悔やしがる。
憶か、本土空襲の二、三十分前には、警戒警報が先づ出され、敵機の数と進路が明確にラジオで放送される。

 

サイパン・テニアンを拠点としたアメリカ軍による日本への空襲に対し、その想定ルートの高台や建物の屋上には「防空監視哨」が設置されました。
防空監視哨は軍の施設ではなく神奈川県警察部の管下にあり、上永谷の近辺では日野公園墓地の高台には「十五番」防空監視哨がありました。
防空監視の任務は、見張り台に上り双眼鏡で飛んで来る飛行機が敵機か味方機か、その方向・高度と機数を瞬時に判断し、その旨を早急に 警察電話で県庁にあった横浜監視隊本部に連絡するもので、
監視哨長以外は全て地域の日野・日下・桜岡・永野・大岡青年学校の15-19歳の生徒がその任務に当たっていました。
(『街づくりの歴史物語』(港南歴史協議会編)に防空監視哨の写真が掲載されています)

 

サイレンは直ちに全市に鳴り響く、警戒警報発令と同時に、小学校への登校は中止、登校途中でも直ちに家に引き返し、警戒警報解除まで、待機の姿勢に在ることは、学童自身もよく心得、父兄もよく承知している。本土南方数百粁の地点に空襲に備えての偵察網があったものと推察される。

警戒警報発令時々刻々敵機の進路が報道される。途中進路が海上、東又は西に偏向すると、間もなく解除の報道となるが、依然として相模湾を目指してとなると必ず東京、川崎、横浜の空襲警報と変わる。
学童の登校姿は、必ず防空づきんを肩にかけ、万一の機銃砲弾による怪我の応急処理、ガス弾による応急マスク代わりに手拭所持の点検は特に厳しかった。

永野地区は当時未だ、昔ながらの純農地帯で、民家も疎で、むしろ疎開学童の受入れ地区であったので、次第に疎開家族、学童が日増しに増加の一途をたどる。市街地の親戚の者は、皆挙って頼って来たため、どの家庭も、大家族でひしめくようになった。曽て田圃等へ入ったことのない、親戚の婦女子の方も、田植草取りに精出す姿に「ヒル」に足を喰われて悲鳴を挙げる光景等随所に見られる。

現在の港南区(当時は中区)エリアにあった4つの小学校のうち、日野・日下・永野小学校(当時は国民学校)は東京・川崎・横浜中心部からの疎開児童を受け入れていました。
逆に、桜岡小学校(当時は国民学校)は、児童56名が箱根に集団疎開しました。

永野地区の建物で最も目立つのは、永野小学校なので市防衛部の指示により、学校校舎の屋根は、迷彩といって、種々取交ぜた色に塗り換えられる。全職員と初等科三年以上の、警報の合い間を縫って、農協脇には百立方米、校庭の片隅に六十立方米の防火貯水槽の構築、警防団が、天神山下馬洗川からポンプで、一日掛りて貯水槽への満水作業、同じく職員と初三以上の学童で、校庭一杯に、避難防空壕を、市防衛部の指導で構築等やら、「ひま」栽培、「葛」「ちょ麻」「すすきの穂」「松脂」採取等の作業で、学業には殆んど就けなかった。

 

永谷地区は幸いなことに、大規模な空襲を受けることは無かったのですが、東京、川崎方面より多くの疎開を受け入れていました。
貞昌院にも境内に十数人の家族と、やはり十人前後の兵隊さんが生活をしておりました。
兵隊さんの主な任務は、山から松の木と根を堀り出してきて、それを下野庭に作られた釜で乾溜し、飛行機の燃料(松根油)の製造を行うことでした。
村人や子どもたちはその松の根の掘り出しと製造の手伝いをしていました。
貞昌院の釣鐘と本堂前にあった天水桶は、戦時中鉄の供出のため撤去されていましたが、戦後になって、上記の松根油を煮出した鉄釜が戦後不要になったため、貞昌院の本堂に天水桶として設置されました。
(現在の貞昌院の天水桶は、ブロンズ製の新しいものです)

いざ学習となると、疎開学童の激増のため、一つの机に腰掛は空箱を利用して、四、五人宛坐席するという状態であった。然し学童には常に、横浜市内の大部分の学童は皆親下を離れて、遠く箱根、小田原方面へ、不自由をしのんで、集団疎開をしていることを知らせ、幸いにも当地区では、両親の下で過ごせることの有難さを考えさせ、ガンバラせていた。

偵察的な敵機の来襲の中には、超上空で爆弾、焼夷弾投下もなく、ただ高射砲陣地からは盛んな砲撃が目撃された程度であったが、続いて、夜間空襲に変った。
青年訓練夜学教室、職員室、使丁室、便所等は急遽黒布で作られた暗幕装置が施され、警防団の指導監督も極めて厳重となる。煙草を喫うにも、細心な考慮と注意を要した、之を燈火管制と称した。
小学校は、夜間空襲が激しくなると、校舎防衛のために、全職員宿直勤務の態勢に入る、万一の焼夷弾落下に備えて、校舎の到る処に満水のバケツ、「火はたき」を備え、空襲警報と同時に防空壕に入る。男子職員は、鉄カブトに身を固め、樹下に待機し、敵機襲来の状況を見守る、敵機の爆音が響くや、永野地区周辺を囲む舞岡、日野高地の高射砲陣地から、サーチライトが夜空を、射走る。サーチライトの交叉点に、飛行機の姿がハッキリ写る。飛行機の進路を追って共にサーチライトが動く、高射砲弾の炸烈の音が、耳をつんざく。時には舞岡上空に火の玉となった飛行機の姿が目につく。
敵機か身方機かは全く知るよしもなかったが、その時永野地区のあちこちから、高射砲弾の音に交って万才を叫ぶ声が谺する。夜間空襲では、編隊空襲で、丁度永野空の上に差しかかるや、一方は分れて横須賀方面へ、一方は直進して横浜、精々北方に向きを変えて、川崎、東京方面へと向っていたような気がする。さすがに軍港横須賀を思わせるものがあった。多分、横須賀近く到着と思われる頃、横須賀方面の夜空はサーチライトと高射砲弾の飛び交う光で、昼をあざむかと思われる光景が、永野小学校校庭の木陰から望まれた。空襲が激しくなるにつれて、何かと皇軍の不利がそれとなく伝ってくる。
今までは、常に本土上空へは、一機たりとも敵機は近寄せぬと、力強い報道を耳にしていただけに、不安に襲われることを禁じ得なかった。我が空軍の戦力が次第に衰えてきたため、夜間空襲は、次第に昼間の空襲へと変ってきた。

昭和二十年二月中旬頃と記憶する。
極めて上空を敵機が来襲するB29と思われる敵機の周囲を、姿は見えぬが飛行機雲の先端に、光るものがあって、数条のその先端が互いに機銃の打ち合いかと思われる様相を呈して、永野上空は、飛行機雲の大回旋模様で色どられる。爆弾も焼夷弾も投下なく、退散せしめられたようであった。警戒警報ははしきりに発令される。


昭和二十年五月二十九日午前七時半過ぎ、本土南方海上を飛行中の、敵機の大編隊が、梯段で、本土を目ざしている情報を聴取、直ちに学童登校中止の伝令は飛ぶ、続いて相模湾上空を目指しているとの情報が刻々と伝えらる。
やがて午前八時少し過ぎと思われる頃、学校校庭から見て舞岡方面から、突如として、B29の巨体の先頭機が、籠森天神山の上空を、低空で飛来し、続いて、整然と編隊を組んだ集団が、次から次えと現われ、丁度現在の美晴台渡戸の上空を過ぎたと思われる頃、第一梯段の飛行機から一斉に、黒色に見えた砲弾のようなものが次々と落下し始め、一時に大豪雨でもあるかのような響きが聞える。
更に第二、第三と、永野地区の上空を横浜の中心部目指して進む、大編隊の目撃には、唯駈然と恐怖とに身は固く何等なすすべを知らない。間もなく、小学校の東北の空は黒煙濠々と立ち上がり、大爆音が鳴り響く、横浜市街地の大部分は焦土と化してしまったのである。
 


横浜大空襲は1945(昭和20)年5月29日に始まります。理由はその前日に行なわれた第3回原爆投下目標標選定委員会で横浜が目標から外されたことによるものでした。

アメリカ軍が、昭和20(1945)年5月10日に行なった第2回原子爆弾目標選定委員会での原子爆弾投下目標は下記の通りでした。
1.京都市:AA級目標
2.広島市:AA級目標
3.横浜市:A級目標
4.小倉市:A級目標
(選定理由・直径3マイルを超える大きな都市地域にある重要目標であること、爆風によって効果的に破壊しうるものであること、来る8月まで爆撃されないままでありそうなもの)
ここまでは横浜市が原爆投下目標都市の一つとされ、目標とされた都市は空襲が行なわれませんでした。
空襲が行なわれなかった理由は、原爆を目標の都市中心に投下し1発で完全に破壊することと、
原爆のもたらす効果を正確に測定把握できるようするためです。
1945年5月29日昼間、アメリカ軍によって行われた横浜市中心部への空襲はB-29爆撃機517機、P-51戦闘機101機による無差別焼夷弾攻撃となり、横浜はわずか1時間余りで鶴見・神奈川・西・中・南・保土ケ谷区が壊滅、市域の34%が焦土と化し、人口の3分の1の31万人が被災、推定8,000~10,000人が命を落とされました。

八月十五日、敵機一機が撃墜を受け、飛行士は芹ケ谷町地区内へ落下傘で降下、機体は大破損して、現、南高校の東南山間に墜落した。

追撃を受けた機体はアメリカ軍のグラマンでした。
現在の南高校と相武山小学校の近くの東南山間部に墜落しました。パイロットは落下傘で脱出し無事でした。
その昼間に戦争が終わったことを告げる玉音放送がラジオから流れました

その前八月十二日には、敵の艦載機が来襲、折しも小学校前道路の葬列行進中を、機銃掃射らしきを受けたが、突差に全員付近の民家の軒下や影に陰れ、死傷者は一人もなかった。その前八月六日広島市、八月九日長崎市に夫々爆弾が投下され、遂に実に、昭和二十年八月十五日正午、ポツダム宣言受諾、無条件降伏となったのである。 (『太平洋戦争空襲-終戦の日』引用ここまで)

 


■ポツダム宣言(要旨)

1.吾等(合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国総理大臣)は、吾等の数億の国民を代表し協議の上、日本国に対し戦争を終結する機会を与える。
2.3ヶ国の軍隊は増強を受け、日本に最後の打撃を加える用意を既に整えた。
3.世界の自由な人民に支持されたこの軍事力行使は、ドイツとドイツ軍が完全に破壊されたと同様、日本と日本軍が完全に破壊される事を意味する。
4.日本が軍国主義者の指導を引き続き受けるかそれとも理性の道を歩むかを選ぶべき時が到来したのだ。
5.吾等の条件は以下のとおりであり、これについては譲歩しない。執行の遅れは認めない。
6.日本を世界征服へと導いた勢力を除去する。
7.第6条の新秩序が確立され戦争能力が失われたことが確認されるまでの日本国領域内諸地点の占領
8.カイロ宣言の条項は履行されるべき。又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに吾等の決定する諸小島に限られなければならない。
9.日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生活出来る。
10.日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではない。一切の戦争犯罪人は処罰されること。民主主義的傾向の復活を強化すること。言論、宗教及び思の自由並びに基本的人権の尊重は確立されること。
11.日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手段のみを保有出来る。戦争と再軍備のためのそれは認められない。
12.日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立。これが確認されたら占領は解かれる。
13.全日本軍の無条件降伏。以上の行動に於ける日本国政府の誠意について、同政府による保障が提供されること。これ以外の選択肢は、迅速且つ完全なる壊滅のみ。


■日本を救ったお釈迦様のことば

1951年9月6日「サンフランシスコ対日講和会議(Treaty of San Francisco)」での場面です。

サンフランシスコ対日講和会議といえば、敗戦国日本をどのような処遇にするべきかを関連国が集まって協議した会議です。
特に、ソ連はアメリカ・ソ連・イギリス・中国で日本分割を決定するべきであると強固に主張します。
もしも会議の流れがそちらの方向に進んでいたら、北海道・本州・四国・九州がばらばらに分割されていた可能性もあります。

JRジャヤワルデネ元大統領の演説中、「セイロンに於ける我々は、幸い侵略を受けませんでしたが、空襲により引き起された損害、東南アジア司令部に属する大軍の駐屯による損害、並びに我国が連合国こ供出する自然ゴムの唯一の生産国であった時に於ける、我国の主要産物のひとつであるゴムの枯渇的樹液採取によって生じた損害」は、主に日本帝国陸軍による印度洋作戦・セイロン島コロンボ空襲のことです。
この空襲により、連合軍の航空部隊、船舶に大損害を与え、さらにトリンコマリー基地空襲により空母ハーミスを撃沈、インド洋東西海域の制海制空権を日本帝国軍が掌中に収めます。
しかし、この後の拙攻により日本は敗戦への道を歩みます。
少なからずセイロン島に損害をもたらした日本に対し、JRジャヤワルデネ元大統領は「日本の掲げた理想に、列強国からの独立を望むアジアの人々が共感したことを忘れないで欲しい」と述べた上で、冒頭の『法句経』を引用し、日本に対する賠償請求を放棄し、日本が再び国際社会に復帰する道筋を作ってくれたのです。

何故アジアの諸国民は、日本は自由であるべきだと切望するのでしょうか。それは我々の日本との永年に亘るかかわり合いの故であり、又アジア諸国民が日本に対して持っていた高い尊敬の故であり、日本がアジア緒国民の中でただ一人強く自由であった時、我々は日本を保護者として又友人として仰いでいた時に、日本に対して抱いていた高い尊敬の為でもあります。
私は、この前の戦争の最中に起きたことですが、アジアの為の共存共栄のスローガンが今問題となっている諸国民にアピールし、ビルマ、インド、インドネシアの指導者の或人達がそうすることによって自分達が愛している国が開放されるという希望から日本の仲間入りをした、という出来事が思い出されます。
セイロンに於ける我々は、幸い侵略を受けませんでしたが、空襲により引き起された損害、東南アジア司令部に属する大軍の駐屯による損害、並びに我国が連合国こ供出する自然ゴムの唯一の生産国であった時に於ける、我国の主要産物のひとつであるゴムの枯渇的樹液採取によって生じた損害は、損害賠償を要求する資格を我国に与えるものであります。
我国はそう(損害賠償を要求)しようとは思いません。何故なら我々は大師(釈尊)の言葉を信じていますから。
大師のメッセージ、「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」はアジアの数え切れないほどの人々の生涯(生活)を高尚にしました。仏陀、大師、仏教の元祖のメッセージこそが、人道の波を南アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、シャム、インドネシアそれからセイロンに伝え、そして又北方へはヒマラヤを通ってチベットへ、支那へそして最後には日本へ伝えました。これが我々を数百年もの間、共通の文化と伝統でお互いに結びつけたのであります。この共通文化は未だに在続しています。それを私は先週、この会議に出席する途中日本を訪問した際に見付けました。又日本の指導者達から、大臣の方々からも、市井の人々からも、寺院の僧侶からも、日本の普通の人々は今も尚、平和の大師の影の影響のもとにあり、それに従って行こうと願っているのを見いだしました。我々は日本人に機会を与えて上げねばなりません。(JRジャヤワルデネ元大統領の演説・1951年9月6日 サンフランシスコ対日講和会議にて)

この演説を日本人は知っておかなければなりませんし、決して感謝の心を忘れてはならないでしょう。

実に この世においては およそ怨みに報いるに怨みを以ってせば ついに怨みのやむことがない。
堪え忍ぶことによって 怨みはやむ。これは永遠の真理である。
怨みは怨みによっては決して静まらないであろう。怨みの状態は 怨みのないことによって静まるであろう。
怨みにつれて次々と現れることは ためにならぬということが認められる。それ故にことわりを知る人は 怨みをつくらない。

ブッダの真理のことば 感興のことば』(中村元訳・岩波文庫)

釈尊のことばを伝える経典『ダンマパダ(法句経)』にある一句です。
終戦の日を迎え、この釈尊のことばが改めて心に沁みます。

句中の「ウラミ」という言葉には「怨み/恨み」両方の漢字が当てられます。
不平不満への「恨み」と違って、「怨み」には更に強く激しい人に対する感情が籠められています。

もしも戦いによって勝者には驕りが、敗者には怨みがもたらされるとすれば、そこからの離脱はかなり困難です。 戦後67年経った今でも完全なる解決がなされていないことからも判ります。
また、世界の恒久平和が人類共通の願いであっても、その共通であるはずの同じ目的を達することが如何に難しいかは、戦後からこれまで
の間に世界各地でどれ程の戦争、紛争が起こっているかということを見ても明白です。

近代国家の多くは、巨大な軍事力を誇示することによって自らの安全を確保しています。
そして、自らの国・民族・宗教の安全を守り自らの平和を守るという大義名分の下、戦争、紛争が繰り返されてきました。

敵対を生み出す源は、自己中心のエゴイズムに他なりません。
私たちが自己中心的なエゴイズムを他人に押し付けるのと同じように、国家間、民族間でも自国・同胞の都合によって敵と味方という区別を作り出しているともいえます。
それゆえ、自国中心の国家エゴイズムから脱却すること無しに平和の実現は不可能でしょうし、ひいては自らの安全を守ることも出来ないでしょう。

戦後の日本は、確かに様々な問題を孕んいることは否めませんが、67年に亘り戦争・紛争を引き起こすことの無かった数少ない国です。 この事実は大きな意味を持ちます。 誇るべき事実です。
終戦の日にこそ、先人の記録、そして
釈尊の教えを改めて噛み締めたいものです。

 


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66年目の終戦の日に(2011年)
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投稿者: kameno 日時: 10:33 AM | | コメント (2)

2つの「もったいない」

曹洞宗では、グリーンプラン、省エネルギーへの活動を推進しており、その具体的行動指針のひとつとして「もったいないシール」をつくりました。
プリントアウトして、各家庭など身近な場所に掲示することで、節電や節水の意識を高めることができます。

「もったいないシール」ができました(曹洞宗のページヘリンクしています)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この「もったいない」という精神を世界中に紹介したのが、環境分野で初のノーベル平和賞を受賞したケニア人女性、ワンガリ・マータイさんです。
2005年の来日の際に一番感銘を受けたのが「もったいない」という日本語でした。
3R(Reduce、Reuse、Recycle)をたった一言で表せるだけでなく、かけがえのない資源に対するRespectが込められている言葉だとして、マータイさんは世界共通語「MOTTAINAI」として広めることを提唱しました。
地球環境に負担をかけないライフスタイルを広め、持続可能な循環型社会の構築を目指す言葉として世界に広がっています。

 

さて、この「もったいない」の具体的実践行動について、福島県の「もったいない50の実践」が実に良いので、ここに紹介します。
次に掲げる福島県の「もったいない50の実践」は、循環型社会の形成に向けて、「もったいない」の意識を呼び起こし、県民一人ひとりが自発的な行動を起こす動機付けとして例示するものです。
曹洞宗の「もったいないシール」を次の「もったいない50の実践」と組み合わせることで、より具体的な行動として深化させることができると考えます。


「もったいない50の実践」


1 水道を出しっぱなしにしないようにしましょう。
2 油や生ごみは排水に流さないようにしましょう。
3 洗剤は適量を使用しましょう。
4 お風呂の水は洗濯などに利用しましょう。
5 台所では水切りネットを使用しましょう。
6 米のとぎ汁は、庭木や花壇にまいて肥料として利用しましょう。

自然
7 身近なところに花や木を植えましょう。
8 行楽でのごみは持ち帰りましょう。

電気・燃料
9 使わない部屋の照明は消しましょう。
10 休み時間の照明は消しましょう。
11 コンセントを抜き待機電力を減らしましょう。
12 見ていないテレビは消しましょう。
13 夏のクールビズ、冬のウォームビズに努めましょう。
14 冷暖房機器は適正な温度に設定しましょう。

自動車
15 近い場所には車でなく、徒歩や自転車で行きましょう。
16 燃費のよい車に乗りましょう。
17 マイカー移動でなく公共交通機関を利用しましょう。
18 アイドリングストップに努めましょう。
19 車の相乗りに努めましょう。
20 車の定期的な点検・整備を行いましょう。

衣服
21 古着をリフォームして使いましょう。
22 不要になった衣服は譲り合いましょう。
23 衣類を生地にしてリサイクルしましょう。


24 紙は両面を使用し無駄に使わないようにしましょう。
25 紙はリサイクルしましょう。

ごみ
26 できるだけごみを出さないように努めましょう。
27 ごみの分別は徹底的に行いましょう。
28 生ごみを堆肥化してリサイクルしましょう。
29 ごみのポイ捨てはやめましょう。

食品
30 料理は食べられる量だけ作りましょう。
31 食べ残しをしないようにしましょう。
32 料理方法を工夫して、材料を無駄なく使い切りましょう。
33 ばら売りや量り売りを利用しましょう。

食器等
34 使い捨てのコップ、皿はなるべく使わないようにしましょう。
35 できるだけ「マイはし」を使いましょう。

容器包装
36 過剰包装を断りましょう。
37 飲み物はペットボトルより水筒を利用しましょう。
38 マイバッグ(買い物袋)を持参して、レジ袋を断りましょう。
39 リターナル瓶を利用しましょう。

買い物
40 フリーマーケットを活用しましょう。
41 洗剤やシャンプーなどは詰め替え品を買いましょう。
42 エコマーク等の環境にやさしい商品を買いましょう。
43 買い物は必要なものだけ買いましょう。

製造・販売
44 分別・リサイクルしやすい製品づくりに心がけましょう。
45 過剰包装はやめましょう。

全般
46 捨てる前にもう一度考えましょう。
47 壊れたものは、できるだけ修理して使いましょう。
48 手作りを楽しみながらリサイクルしましょう。
49 できる限り地元でできたものを利用しましょう。
50 先人の知恵や技を学びましょう。



このように素晴らしい地球共通語「もったいない」も、使い方を履き違えると、とんでもないことになります。

 


海水注入「もったいない」=東電本社、廃炉恐れ-吉田所長は反論・福島原発事故


東京電力福島第1原発事故直後の昨年3月13日、危機的状況にあった2号機原子炉を冷却するため海水注入を準備していた同原発の吉田昌郎所長(当時)に対し、本社側が「材料が腐っちゃったりしてもったいない」などと指摘していたことが8日、東電が公開したテレビ会議の映像で分かった。
圧力容器などが海水の塩分で腐食し、廃炉になるのを恐れたとみられる。東電は6月に公表した社内調査の最終報告で「本店対策本部を含め、事故収束に向けた対応をしていた」として、海水注入をためらったとの見方を否定していた。
映像によると、13日夜、東電本社で復旧計画の策定を担当する復旧班の人物から「海水からいきなりやるふうに聞こえていて」と疑問の声が上がった。肩書や名前は明らかにされていないが、この人物は「こちらの勝手な考えだと、いきなり海水っていうのはそのまま材料が腐っちゃったりしてもったいないので、なるべく粘って真水を待つという選択肢もあると理解していいでしょうか」と尋ねた。
これに対し、吉田所長は「今から真水というのはないんです。時間が遅れます、また」と強調。「真水でやっといた方が、塩にやられないから後で使えるということでしょ」と問い返した。
さらに吉田所長は「今みたいに(冷却水の)供給量が圧倒的に多量必要な時に、真水にこだわっているとえらい大変なんですよ。海水でいかざるを得ないと考えている」と断言した。
復旧班の人物は「現段階のことは了解しました」と了承したが、この後も復旧班から「いかにももったいないなという感じがするんですけどもね」と苦笑交じりの声が漏れた。
(時事通信 2012/08/08-17:40)


緊急事態における対応で、「材料が腐っちゃったりしてもったいない」という東京電力本社の海水注入を躊躇する発言です。
その後に起こりうる事象に思いを巡らすことができなかったのでしょう。
東京電力福島第一原子力発電所の水素爆発が「起こらなかった」場合と「起こってしまった」場合では、日本を揺るがすほどの膨大な損失を生み出し、天と地もの隔たりとして現れます。


「もったいない」の一言では言い表せないほど重いことです。
事故直後の対応についての検証は充分過ぎるほど徹底的に行なう必要があるでしょう。



■関連ブログ記事
原子力発電所炉心溶融か (2011年3月12日のブログ記事)
過ちや失敗を繰返さないために
投稿者: kameno 日時: 7:23 PM | | コメント (0)

広報と広告

ある行事が開催されることを一般の方に知ってほしい
活動の内容を伝えたい
ブランドの価値を高めたい・・・

一般企業に限らず、どのような法人・団体・個人であってもこのような欲求はあると思います。
お寺では、地道な活動をしていればそれで良しとするという考えもありますが、それでも一般向けに社会的な活動をする場合には、情報発信の必要性が生じます。

情報を広く伝達するためには、メディアによる情報伝達が不可欠となります。
お寺とメディアって、何の関連性も無いように思えますが、実は密接な関連性を有します。
何故ならば 【布教】=【メディアによる情報伝達】 であるからです。

【布教】=【メディアによる情報伝達】という構図は、宗教がこの世の中に発生した瞬間から成立しています。
最初は人から人への直接的な情報伝達だったものが、文字として記録したり、さらに広く伝達するために紙の発明や印刷技術、製本技術などなど、それらの歴史は「布教」への強い欲求により生み出されてきたものといえます。

また、CMC(コンピュータを媒介としたコミュニケーション)が主流となりつつある現代でも、CMC自体が宗教性を帯びやすいという性質を持ちえることもあり、いかにメディアによる情報伝達を行うかということが重要な命題になるのです。
情報技術の発達・情報環境の拡大と、それに伴う社会構造やメンタリティの変化、近年におけるブログの普及などが、現代日本の宗教に確実に変容をもたらしつつあるといえます。


ある情報を伝える手法に「広報」「広告」があります。
この2つは、混同されて用いられがちですが、大きな違いがあります。
簡単にまとめると次のようになります。

広告 広報
相当のコストが掛かる コストを掛けなくても可能
自由にメッセージを発信できる どのようにメッセージが発信されるかわからない
必ず広告枠に掲載される 掲載されるかは不確定
自己紹介 他己紹介
テレビ、ラジオ、新聞・雑誌などの広告枠を使って、自らが情報を伝達する マスコミや様々なメディアを通して、第三者により社会に情報伝達されるもの
広告枠を買う必要がある。 メディアを通して情報をマスコミや一般向けに積極的に情報発信する必要がある

 

このように、「広報」は「広告」とは異なりコストがほとんどかかりませんが、メディアが取り上げて掲載してくれるかどうかは不確実です。
また、第三者による「他己紹介」という形を取るために、必ずしも正確な情報が伝達されるとは限りませんし、肯定的に伝えられるどころか、逆に否定的に伝えられる可能性もあります。
利用者の口コミサイトもそうですね。
第三者による公平な判断基準に基づく記述だと信じられているから、多くの方がそれを参考にするわけです。
(注:「第三者による公平な判断基準に基づく記述だと信じられている」ということと、「実際にそれが事実である」かは別の話です)


蛇足ですが、先日のトヨタ・プリウスPHV試乗モニターのように、商品を提供して、感想を紹介してもらうという手法は、「広報」と「広告」のイイトコどりをした、まさにハイブリッドな手法といえましょう。

 

このように【メディアによる情報伝達】を有効に行うためには、「広告」と「広報」の正確を良く理解した上で、メディアの特性を生かした情報伝達を行うことが求められます。
メディアが多様化し、次から次へと新しい手段が生まれては消える時代では、その時代の流れを良く掴んでおいて、利用していくことが必要となるでしょう。


でも、一番大切なことは、良質な情報の源となる良質な活動を地道に続けていくことなんですよね。

 

 


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宗教情報とメディアリテラシー(前)
報道のタブーと不偏不党性
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情報の見方・読み方・読み取り方
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投稿者: kameno 日時: 11:14 AM | | コメント (0)

太陽光発電と電気自動車

東京電力の検針通知が投函されていました。
貞昌院では、毎月27日頃に検針が行なわれています。

結果は 2012年7月の電力使用量(=以下、買入電力量と表記) 536kWh(昨年同月  403kwh)となり、昨年同月よりも買入電力量が多くなりました。
その理由は、今月モニターとしてプリウスPHVの試乗をしており、毎晩満充電を行なっていたこと(これで概ね40kwh程の増)、それと本堂・客殿の冷房使用が昨年よりも若干増えたことによるものが主な原因です。

2008年から2012年までの、「貞昌院買入電力量」と「余剰電力量」の推移をグラフにしてみました。
20120730-01 20120730-02

過去5年間のデータとして見ると、7月の電力消費量 536kWh は決して突出した値ではなく、むしろ東日本大震災2011年の値が極端に低かったことがわかります。
計画停電、極限までの節電、そして、幸いな事にそれほど暑い夏ではなかったことにより、2011年の買入電力量は3月から7月にかけてかなり低い値となっています。

猛暑が続く中での昨年以上の節電は、やはりかなり難しいといえます。

 

貞昌院には、5.544kwの太陽光発電設備が設置、稼働しており、一日の電力需給の推移はおおむね下の図のようになります。

20120730-03

太陽光発電パネルは、太陽が出ている間の発電となりますので、夜間は当然発電していません。
図のオレンジ色の部分が、東京電力⇒貞昌院に流れる電力の量となります。
朝太陽が昇り、太陽光発電の発電量が増えて貞昌院で消費している電力よりも発電量が上回ると、貞昌院⇒東京電力 という電気の流れになり、それが水色、余剰電力量の部分となります。
冒頭の2つの棒グラフは、貞昌院における毎日の電力需給曲線「貞昌院買入電力量」(オレンジ色の部分)と「余剰電力量」(水色の部分)を毎月分積算した電力量ということです。


■ポイント
貞昌院で消費する電力量  = 買入電力量(オレンジ部分)+自給自足電力量(黄色部分)
太陽光発電パネルの生み出す電力量 = 余剰電力量(水色部分)+自給自足電力量(黄色部分)


貞昌院の一日の電力需給の曲線、これを貞昌院と同様に東京電力管内の各企業、各家庭について積算したものが「東京電力管内の総需要量」ということになります。
火力発電所、水力発電所、原子力発電所などの発電設備はこの総需要量を賄うだけの設備を計画しなければなりません。
この需要曲線は、夏場は昼過ぎにピークがやってきますので、その最大需要電力量に合わせた発電所計画がなされているわけです。

従って、このピークを如何に下げるかが、とても大きな意味を持ちます。
太陽光発電は、ピーク時に発電量が最大となり、余剰電力が発生した場合にはそれを送り出すこともできるわけですから、ピークカットに大きな貢献をすることができるという特徴があります。
このように、時間帯ごとの電力需要の差を少なくすることを負荷平準化と言います。
電気は先ほど述べたように、必ずピークの需要にあわせて設備を建設しなければなないため、需要曲線が上下することは、発電設備の利用率に影響し、コストの上昇にも繋がります。
電力需要曲線を平準化させることにより、電力供給事業者は余計な発電所の建設を抑えられるとともに、電力不足が懸念される際にも、大規模な停電や、計画停電の実施を避ける手段ともなります。


ただし、良いことばかりではなく、現状ではやはり電力を創りだす際の発電単価が火力発電所、水力発電所、原子力発電所などに比べて高いことは否めず、政策的に補助金を出しています。
貞昌院でも、余剰電力は倍額買取制度によって1kwh当たり48円で買い取ってもらっていますし、今年七月から始まったばかりの全額買取制度でも太陽光発電の場合は、向こう20年間に亘って1kwh当たり42円で買取ることが保証されています。
この補助金は、結局は電力消費者の負担増につながりますので、今後の課題は如何にこの発電単価を下げるかということになるでしょう。
個人的には、20年間に亘って1kwh当たり42円で買取るという全額買取の単価は、大盤振る舞いもいいところだと感じます。

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20120714-03

さて、ここで、今日のブログ記事のタイトルである太陽光発電と電気自動車(PHVを含む)について考えてみます。
電気自動車のEV走行のためには、燃料に代わって電気を使うために、相当量の電力量を消費することになります。
電気自動車の普及が進むと、充電のために使用される電力量は無視できなくなるでしょう。
20120714-02

さきほどのピークシフトの観点からすると、電気自動車の充電は、可能な限り夜間に行うべきといえます。
プリウスPHV10days(2) において、外出先での充電ステーションの整備が進んでいない現状から「自宅での充電が前提」と書きましたが、仮に充電ステーションの整備が進んだとしても、可能な限り昼間の充電は避け、夜間の充電を基本とするべきといえます。

さらに、太陽光発電などの新エネルギーによる発電設備を設置している場合には、「太陽光発電による電力を直接電気自動車の充電に利用しています」というのは聞こえは良いですが、発電による電力を直接充電に使うことは特に避けるべきと考えます。
その第一の理由は、余剰電力・全額買取による売電単価は相当高いため、コストの面で相当負担が大きくなるということ。
例えば、貞昌院の場合、1kwh当たり48円という余剰単価ですから、プリウスPHVをこの電力単価で充電した場合には、HV走行によるコストよりもかなり高くなってしまいます。

第二の理由は、需要がピークを迎える前後の時間帯における太陽光発電の余剰電力は、社会に還元したほうが良いということです。

プリウスPHVの場合には、電池の残容量がゼロになってもHV走行が可能ですので、昼間に充電しなくても支障はありません。
試乗期間で感じたことは、むしろ急速充電に対応していないプリウスPHVは、外出先での充電は現実的ではないということでした。
急速充電機能を敢えて付けなかったプリウスPHVは、現状に合致した車なのだということをつくづくと感じます。

しかし、リーフやアイミーブは、ガソリンスタンドにあたる外出先での急速充電器が前提となります。
リーフに搭載されるバッテリーの容量は24kwh。これを30分程度で80%充電させるわけですから、充電に使用される電力はプリウスPHVの比ではないほど大きな電流が流れます。
まだまだ普及が進んでいない電気自動車ですが、その数が増えてきた場合、ピーク時の電力需要をさらに高めてしまう可能性もあります。
電力需要ピーク時の充電を制限する何らかの施策が必要になるでしょう。

■ポイント
太陽光発電による電力を直接電気自動車の充電に利用することは好ましくない
電気自動車の普及が進んだ場合、夏の電力需要ピーク時に急速充電する電気自動車が増加し、社会的な問題になりかねない。
やはり、電気自動車の充電は夜間が基本となるべき


数年後には問題となるような事案は、問題になる前に対策を具体化しておくべきでしょう。


■関連ブログ記事
昨年並の節電維持は難しい
電力需給と節電効果
電力の自由化は安定供給と価格の低下をもたらすか
投稿者: kameno 日時: 11:44 PM | | コメント (0)

水琴窟の響き

8月は猛烈に暑いぞ、熱中症に注意…3か月予報

気象庁は25日、10月までの3か月予報を発表した。
太平洋高気圧が平年より北へ張り出す影響で、8月は沖縄・奄美を除いて全国的に猛暑と予測している。
8月は上旬を中心に気温が上がるとしており、中国、近畿、東海、北陸、関東甲信、東北の各地方に異常天候早期警戒情報(7月29日~8月7日)を出し、熱中症への注意を呼び掛けている。9月は西、東日本でやや高温傾向。北日本は平年並みとなっている。
【8月】東日本、西日本、沖縄・奄美は太平洋高気圧に覆われ、晴れる日が多い。
【9月】西日本の太平洋側、沖縄・奄美では晴れる日が多い。
【10月】北日本の太平洋側、西日本、沖縄・奄美で晴れの日が多い。
(読売新聞 7月25日配信)


とにかく暑い日が続きますね。

今日も西日本や東海地方を中心に35℃以上の猛暑日になったところが多く、熱中症には注意が必要です。
とにかく、こまめに水分や塩分をとったり、節電の夏とはいえ、無理をせず効率的にクーラーを使いましょう。

クーラーのない時代は、様々な工夫をして暑い夏を乗り越える工夫がされました。

その一つが水琴窟です。
山から導かれる湧き水により、ほんのりと清風が届きますし、その水滴が生み出す、まさに「琴」のような音色は、五感を刺激して涼しさを演出してくれます。
江戸時代に考案された水琴窟は、貞昌院にも設置しています。

20080321-03

今日は、少し長めにその音を録ってみましたので、その雰囲気をお届けします。
先月録音したショートバージョンも併せてお楽しみください。

貞昌院の水琴窟については、これまでのブログ記事をご参照ください。
1/fゆらぎ 水琴窟
水琴窟の音の出るしくみ
水琴窟設置しました
電子音が溢れているけれど
発車メロディーの原点は禅寺にあり

投稿者: kameno 日時: 7:05 PM | | コメント (0)

時間のながれ2

東日本大震災から1年3か月が過ぎました。
震災発生以降、同じ場所の記録の一部です。
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↑2011年5月25日 東松島市 野蒜駅の北、鳴瀬川/吉田川沿いの水田は まだ海水が引いていなかった。
20110826-001 
2011年8月26日 排水され散乱していた瓦礫が撤去されています。

20111029-01
2011年10月26日 雑草が綺麗に刈り取られて土が掻き回されています。翌春には作付けができそうです。

20120621-02
2012年6月18日 震災後初めて田植えが行なわれ稲が育っています。仙石線の列車は撤去されました。
⇒GoogleMap



20110826-004-1 20120621-07
(左)2011年8月26日、(右)2012年6月18日。野蒜と宮戸島を結ぶ県道27号線から南側を望む。 
地盤沈下のため浸水しています。この付近には松島自然の家がありました。

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(左)2011年5月25日(中)2011年8月26日(右)2012年6月18日
宮戸島へ渡る松ヶ島橋。
2011年5月には電線工事が行われており、島に電気が通じるようになりました。
松ヶ島橋の前後はようやく舗装されましたが、本格的な復旧はこれからです。
⇒GoogleMap


20110525-00420110826-004 20120621-08
(左)2011年5月25日(中)2011年8月26日(右)2012年6月18日
宮戸島縄文村・漁協前の道路。
現在でも大潮になると海水が流入してきて50センチほど冠水していましたが、砕石を敷き詰めて嵩上げされました。
※2012年6月18日の写真は同一場所逆方向からの写真です。
⇒GoogleMap


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↑2011年5月25日 宮戸島月浜海岸

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↑2011年8月26日 宮戸島月浜海岸
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↑2012年6月19日 宮戸島月浜海岸

海岸にあった民宿を中心とした集落は瓦礫と化してしまいました。
瓦礫も砂浜も片付けられていますが、破壊された堤防はまだそのままの状態です。 

⇒GoogleMap


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(左)2011年5月25日(中)2011年8月26日(右)2012年6月18日
宮戸島大浜手前の水田 。作付けはまだされていません。
⇒GoogleMap

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(左)2011年5月25日(右)2012年6月18日
宮戸島月浜
言葉も出ないほどの状況でしたが、片付けられたあとに牡蠣養殖棚が並べられていました。
20110528-5520120619-46 
(左)2011年5月25日(右)2012年6月18日
宮戸島月浜


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(左)2011年5月25日(中)2011年8月26日(右)2012年6月18日

宮戸島室浜。高台に仮設住宅が並び、鉄筋コンクリート3階建ての建物が撤去されています。
⇒GoogleMap


20111026-0120120621-09
(左)2011年8月26日(右)2012年6月18日

石巻市 木の家石巻水産の缶詰型タンク 。
通行の妨げにならない位置に移動されました。

20111028-5020120621-10
(左)2011年10月28日(右)2012年6月18日
石巻市 木の家石巻水産 。
缶詰の洗浄作業が一段落し、現在、直売所はここではなく、女川街道沿いの仮店舗にて営業しています。


■関連ブログ記事
時間のながれ

■関連リンク
Yahoo!JAPAN 写真保存プロジェクト 東松島市

投稿者: kameno 日時: 7:09 AM | | コメント (0)

写真パネル展示「ふじみ今昔物語」

5月19日、上永谷富士見台自治会館(港南区上永谷2丁目2番地)において創立50周年記念写真展「ふじみ今昔物語」が開催されました。
富士見台地区住民の方々により撮影された「まちの変貌」を纏めた写真パネル展示です。




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富士見台という名が示すように、南~西向きに開けた高台にある地区で、上永谷駅周辺や富士山もよく見渡すことができます。

 

その中からいくつか。

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1960(昭和35)年、富士見台(上永谷2丁目)より下野庭方面を望む。
富士見台の開発は、丸山台や野庭団地よりも古く、昭和30年代前半に行われました。

(同じ場所の現在の写真が並べてあります)

 

 

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1969(昭和44)年。
中央やや右の山が「丸山」。丸山台の地名の由来になった山は、この数年後に始まる丸山台造成により、全て削られてしまいます。
中央やや左の谷戸と丸山の境に「鎌倉古道下之道」が通っていました。でいだらぼっちの歩いてきた伝説の道でもあります。
いかにもでいだらぼっちがやってきそうな雰囲気ですね。

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1975(昭和50)年。
丸山台の造成工事、地下鉄建設が進んでいます。
地下鉄の開通はこの翌年。
左写真中央にあった丸山はすっかり削られてしまいました。
左奥に野庭団地の一部が見えます。
右写真には貞昌院の裏山、天神山が映っていますが、この数年後に、地下鉄線路延伸工事により、天神山の地下鉄線路より南部側は削られてしまいます。

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1977(昭和52)年。
横浜市営地下鉄「上永谷駅」が開業した翌年です。
丸山台の造成と上永谷駅の開業により、周辺の環境は激変しました。
上永谷駅手前に遊水地が完成、写真奥に野庭団地が見えます。

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2012(平成24)年。
遊水地の上部利用として、ゴルフ練習場が建てられ、その後、高層マンションが建設されました。

 

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1977(昭和52)年、開業した翌年の上永谷駅南側道路。
まだバスロータリーが整備されていないので、バスはここを通り、発着していました。
バス停の向こうには、造成途中の天神山(貞昌院の裏山)が見えます。
同じ場所の現在の写真が並べてあります。

 

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1963(昭和38)年、馬洗橋~島越バス停を結ぶ「富士見台のメインストリート」
この頃は、舗装されている道路は珍しく、ここも砂利道です。
電柱には細い電線が張られているだけ。
各家庭にある電化製品も少なく、電気代も大変高い時代でした。
御神輿は手作り。毎年お祭りの際に多くの子どもたちが担いで練り歩きました。
同じ場所の現在の写真が並べてあります。


このほか、たくさんの写真展示があり、どれも地域の記録を伝える貴重な写真ばかりでした。
自治会単位で、地域に特化したこのような写真展示が行われるということはとても意義深いものだと感じます。


自治会館では、写真展示のほか、餅つきも行われ、多くの家族連れでにぎわっていました。

20120520-10z
この光景も、50年後にはきっと懐かしいアーカイブとなることでしょう。


■関連ブログ記事
写真パネル展示「上永谷いまむかし」
まちをつくる まちができる
高層マンションで景観はどう変わるか

■関連リンク
国土地理院空中写真
昭和53年
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/ckt-77-1/c10/ckt-77-1_c10_41.jpg
昭和58年
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/83/ckt-83-3/c9b/ckt-83-3_c9b_12.jpg
昭和63年
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/88/ckt-88-2/c8/ckt-88-2_c8_25.jpg

投稿者: kameno 日時: 9:36 AM | | コメント (2)

坐禅会15年目

貞昌院では毎週木曜日早朝に坐禅会を開催しております。
スケジュールはこちら

定期的に行うようになって15年目を迎えました。
最初の頃は数名での坐禅会でしたが、今ではコンスタントに多くの方に参禅いただくようになりました。

坐禅会に参加されている方より、折に触れ短歌をいただいておりますので、まとめさせていただきました。

参禅の思い出の歌 の続編です。
是非、この画面の上にある「たて書表示」をクリックして閲覧ください。


【参禅の思い出の歌】

生きている 心の底に 欲が住み 可愛くもあり 煩わしくも

朝まだき 参道通る 息白く 既に入りたる 打座の面影

湧き水の 池面を出でて 跳ね上がる 群れなす鯉の しぶきかがよふ

ゆめ観音アジアフェスティバル

炎天下 異国の人も 舞ひ唄ふ ゆめ観音の 岩戸開くも

■貞昌院門前

あかときの 打座へ行く道 森の辺に 月あかあかと 沈みゆく見ゆ

打座の淵 幾重の我の 現はれて 大きく小さく 心を揺らす

吾が独り 始めし打座の 年経りて 十数名 友の目すずし

貞昌院奈良旅行

中宮寺 弥勘菩薩の み前に座して 微笑むみ顔 ただ仰ぎをり

東大寺 阿吽の相の 仁王像 人の心を 透かし見をらむ

幾たびぞ おおきみ仏 仰ぎたり 開けるみ手の 迫り来るらん

興聖寺 道元禅師の 禅の道 萬代かけて つつうらうらに


ダライ・ラマ法王の講演

夢にまで 現れ出でし ダライ・ラマ うつつにみ声 給わるぞ嬉しき


■貞昌院 打座

堂内に 五観の偈頌の とよもせり いただく朝餉 典座のたまを

結びには 打座で唱えし 経典の 秘めたる法を 説き給ひけり

安楽の 法門へ ただ一筋に 壁に向き合ふ 打座の友びと

非思量 不思量底 思量の辺 あらばやとただ あらばやと経る

己なく み堂の床に おおうみの 黄金に映えて うつつにぞ現るる

貞昌院の 無為の行に 導かれ 十年の打坐 一刻のごとし


■平成21年3月26日

元日のみ堂にとよもす打座の鐘 法(のり)の灯(ひ)ともる貞昌院

大寒の打座のストーブ後背(こうはい)に 凍てつく体ほどけゆくなり

あかときの寒風すさぶ座禅会 友みな揃ひみ堂に入りぬ

只管打坐とはの時空に身をひたし 過ぎゆく時も我をも知らず

■平成21年5月16日

かたくなに凍てつく時節ようように ほどける春のいぶき漂ふ

はなまつり誕生佛に合唱し 甘茶を濯ぐ打座のみな人

春おそく忘れず来たり鶯の 朝の読経に合はせ鳴くかも

SZI 總持寺 青山老師講演会

あな尊し聖哲の道を極め 悠久の真理諦めらるる

命に感謝・生に誠を尽くしなむ 光にそひて残るみちをば


■平成21年6月11日

ニューフェイス青年男女堂にみち ともに座するは頼もしか りき
21.6.21

■平成21年12月31日

あけやらぬ貞昌院の座禅堂 大晦日にぞ香の漂ふ

21年貞昌院の座禅会 初(はつ)日に開き大晦日をもや

淀みなく波たたずに流れゆく 時は変われど始原のままに

21.12.31


平成22年2月18日(木)雪 貞昌院

春の雪音なく積もる貞昌院 外はさながら兼六の園

 

平成22年4月8日(木)花まつり 貞昌院

ありがたやこぞ・この年も花まつり ながらへてまた甘茶濯ぎぬ

 

平成22年5月8日(土)花まつり 龍宝寺

芍薬の花の綻ぶ龍宝寺 茶を汲む群れの善男善女

経文の皆立ち上がる龍宝寺 とよもす読経天に届けかし

龍宝寺五百羅漢の見下ろさるる み堂に揃ひ打座に入りけり

22.5.12

■平成24年2月1日

初打坐の 帰路立ちをれば 橋の下 光芒揺らぎ 日の昇りつつ

あかときの 参道凍てつく おほ寒に ソーラ温もる み堂に座して

ひと列の み堂歩む 足裏の 己がなき身の うつつを載せて

言の葉の 命・心と 言ふらめど 形も見えず こころせんをや

鎮もりて よくよく見れば 身のまはり 鳥草木も 生き耀へり

淀みなく 波の立たずに あるがまま 抱き流るる 悠久の大河

 


投稿者: kameno 日時: 7:19 AM | | コメント (3)

Whole Earth Catalog

昨年亡くなったスティーブ・ジョブズをはじめ、01960-70年代のカウンターカルチャー世代に支持され、大きな影響を及ぼした『Whole Earth Catalog』という冊子があります。

これがその『Whole Earth Catalog』です。
(私が持っているのは 01971年版)
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このカタログは、01968-01972年まで継続的に刊行されていた、Whole Earth=地球上のあらゆるものに関する「商品カタログ」です。

ただ、無条件に何でもかんでもで掲載されるわけではなく、

1)Understanding Whole Systems(全体システムの理解)
2)Shelter and Land Use(シェルターと土地の利用)
3)Industry and Craft(産業と民芸)
4)Communications(コミュニケーション)
5)Community(コミュニティ)
6)Nomadics(遊牧民族)
7)Learning(学習)

のように分類され、それぞれのカテゴリーにおいて、編集者・スチュアート・ブランドの厳選された眼によって選ばれたものだけが掲載されています。
その基準がこちら。

FUNCTION
1) Useful as a tool,(役に立つ道具である)
2) Relevant to independent education,(自立教育に関係がある)
3) High quality or low cost,(ハイクオリティー、もしくはローコストである)
4) Easily available by mail.(郵便で簡単に手に入る)

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カタログの大きさはタブロイド版で、かなり大きく読み応えがあります。
パラパラめくって眺めるだけでも楽しい。

Zenに関する紹介もあります。
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(Zen Mind, Beginner's Mindの頁)

 

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スティーブ・ジョブズは、02005年6月に行われたスタンフォード大学卒業式の講演においても、講演の結びとして『Whole Earth Catalog』を引用しています。


Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma ―which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.

When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalog, which was one of the bibles of my generation. It was created by a fellow named Stewart Brand not far from here in Menlo Park, and he brought it to life with his poetic touch. This was in the late 1960's, before personal computers and desktop publishing, so it was all made with typewriters, scissors, and polaroid cameras. It was sort of like Google in paperback form, 35 years before Google came along: it was idealistic, and overflowing with neat tools and great notions.

Stewart and his team put out several issues of The Whole Earth Catalog, and then when it had run its course, they put out a final issue. It was the mid-1970s, and I was your age. On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road, the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous. Beneath it were the words: "Stay Hungry. Stay Foolish." It was their farewell message as they signed off. Stay Hungry. Stay Foolish. And I have always wished that for myself. And now, as you graduate to begin anew, I wish that for you.

Stay Hungry. Stay Foolish.
Thank you all very much.

(英文はスタンフォード大学のプレスリリースより引用)


【日本語訳】
あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。

私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。私の世代の聖書のような本でした。スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていた。言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。グーグルの登場より35年も前に書かれたのです。理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。
スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。ハングリーであれ。愚か者であれ。私自身、いつもそうありたいと思っています。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。

ハングリーであれ。愚か者であれ。
(訳文は日本経済新聞の記事より引用)


 

このように、スティーブ・ジョブズも『Whole Earth Catalog』に多大なる影響を受けたうちの一人であことがよく分かります。

ジョブズ曰く、「まるでGoogleが出る35年前に遡って出されたGoogleのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念が、それこそページの端から溢れ返っている」という表現がぴったりの本であると、改めて読み返して感じます。

 

『Whole Earth Catalog』最終号の背表紙がこちら。

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Stay hungry. Stay foolish.
ハングリーであれ。愚か者であれ。

ジョブズ自身、いつもそうありたいと思っていたことばであり、これからの時代を担う若者達にもそうあってほしいと願うことばでもありました。

 

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もう一つ、ジョブズの講演引用部分のことば、「あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください」

というのは、例えば

修証義(しゅしょうぎ)第五章(行持報恩)


唯当(まさ)に日日(にちにち)の行持、其報謝の正道なるべし、謂ゆるの道理は日日の生命を等閑(なおざり)にせず、私に費やさざらんと行持するなり。
光陰は矢よりも迅(すみや)かなり、身命は露よりも脆(もろ)し
何れの善巧(ぜんぎょう)方便ありてか過ぎにし一日を復び環(かえ)し得たる、徒(いたず)らに百歳生けらんは恨むべき日月(じつげつ)なり、悲むべき形骸(けいがい)なり、設(たと)い百歳の日月は声色(しょうしき)の奴婢(ぬび)と馳走すとも、其(その)中一日の行持を行取(ぎょうしゅ)せば一生の百歳を行取するのみに非ず、百歳の佗生(たしょう)をも度取すべきなり、此(この)一日の身命は尊ぶべき身命なり、尊ぶべき形骸なり、此(この)行持あらん身心自らも愛すべし、自らも敬うべし

【現代語訳】
何か特別に報謝のやり方があるのではなくて、日々の生活の上に自然と行ぜられていくやり方である。
それはこれがご恩報謝であると意識して行ずるようなことでなく、鳥の空を行き、魚の水に住むように、鳥と空と相識ることなく、魚と水と相識ることなく、 しかも空に涯なく、水に限りなく悠々たるようにあることが、恩を知り恩を報ずることの端的であり至極のすがたである。
私共の日々のいのちを大切にして、恣意に費やさないように行ずることである。 それは、鳥と空、魚と水のようになっているとき、自然とそのように行ぜられていることになっている。
月日の過ぎゆくはまことに速やかであり、それは矢よりも早い。
この月日の流れの中に生きていく私共のいのちは草の葉にやどる露よりもはかない。
どのようなよき手だてを用いて見ても、過ぎ去りし日を呼びもどすことは出来ぬ。
かくて意味もなく百年の年月を生きても、それは只はかなき生のいとなみのみというべく、無駄な年月であり、つまらぬ形骸(むくろ)というべきである。
されど、そのように物の世界の中を走りまわったような百歳であっても、その中で一日でも、真実の道理に従った生活ができたならば、その一日の行持の功徳は、あまねく一生の全体を蓋うだけでなく、更に又そのようなすばらしい百年のいのちをもう一度過ごしたのと同じ徳があることになる。
この一日のいのちは尊ぶべきいのちであり、尊ぶべき身体である。
真実の道理に従った一日の行持、それは特別の一日でなく、極めて平凡な一日であっても、それが輝ける仏の御手の中の 一挙手一投足であることに気がつき、仏の御手を使い、仏の御足を歩むことであることに気づく。無量寿の仏の御いのちを歩むことであると気づかせて頂く。 そう気がついて見ると、いままでいたずらに過ごして来たと思っていた年月全部が、それがそのままに仏の御いのちの中のいとなみであったことに気づく。 このような行持を保ち得て、仏の御いのちをいのちとして生かされるこの自らのいのち、それは今までいたずらなるものと思っていたが、実は心より敬愛すべき身心である。



のような(これは一例ですが)思想が根底にあると考えられます。

2月16日のSOTO禅インターナショナルの講演会「スティーブ・ジョブズと北アメリカの禅」

では、このあたりを掘り下げていければと考えております。

 


今年は「ロング・ナウ」的には「02012年」です。

昨日、2月26日は禅宗・曹洞宗の開祖道元禅師の誕生日、ロング・ナウ的には道元禅師「00812歳」の降誕会を迎えました。

投稿者: kameno 日時: 11:53 AM | | コメント (0)

50年の時を越えて

横浜開港150周年の関連事業として開設された「みんなでつくる横濱写真アルバム-市民が記録した150年-」 プロジェクトには様々な貴重な資料が集められています。

その中の一枚の写真に注目してみます。


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青木橋 1958年 (CCオリコンさん)
神奈川・本覚寺門前から見た青木橋交差点。
市電、三ツ沢方面と横浜駅(現東口)方面との分岐点で、信号所が立っていた。横浜駅の周辺に建物は何も無い。


1958年といえば、日本がようやく占領時代を終え戦後復興の第一歩を歩みだしたころです。

そして、今年(2012年)私が同じアングルで撮影した写真がこちら。
現在私が勤務している神奈川県第二宗務所は、写真の右端にある建物です。
二枚の写真には53年もの時間の経過があります。
20120118-02

青木橋越しに見える横浜駅周辺のビル群、そしてかつてあった市電の軌道と信号所。
ずいぶん変化したものです。

しかし、写真をさらに詳細に見ていくと、変化していない部分も数多く発見できます。
一部拡大して並べてみます。

モノクロ(並んでいる上または左)の写真が 1958年
カラー(並んでいる下または右)の写真が 2012年です。


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青木橋の防護フェンス。おそらく更新はされているでしょうけれどほとんど形が変わっていません。

 

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本覺寺山門前のガードフェンスも全く同一です。


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参道の手摺も、そのままではないかと思われるほど。

写真から発見することはたくさんあります。
そして、同じ場所からの眺めを定点観測的に捉えると、時代の変遷を捉えやすくなります。
街の何気ない写真も、保存、整理していくことが大切です。


青木橋付近の別角度からの新旧写真を並べた 神奈川宿青木橋今昔 も併せてご参照ください。

投稿者: kameno 日時: 10:47 AM | | コメント (2)

僕とLEDの10年後

テレビや新聞には数々の広告がが流されているけれど、昨年3月に開業した九州新幹線の開業記念CMのように心に残るものはほんの一握り。

しかし、この東芝のCMには見入ってしまいました。

「1日目、電球をLED電球に取り換えた。10年。3653日。僕とLED電球の日々は、はじまった」

 

環境に優しいLED電球・・・

「この電球に変えると二酸化炭素排出を○○kg削減します」
「電気代が90%以上安くなります」

このような安直なコピーは簡単に浮かびます。
けれども、そんなことよりも、LED電球の寿命10年間で、その明かりがどれほどの日常生活を照らし出していくのか。
そのほうが安直なことばを並べるよりもよほど伝わってきます。

 

 

蛇足になりますが、スティーブジョブスも、新製品のプレゼンにあたっては、スペックが云々、ということは言わず、その新製品によってどのようなことができるのか、どんな体験が出来るのかについて具体的に提示しています。

i-phoneやi-padのCMを見れば明らかですね。
i-padの性能や、画面の解像度がどんなに凄いのかは敢えて語らず、
どこでどのように使うことができるのか。
ライフスタイルをどのように変えてくれるのか。
そういったことにきっと一般消費者の関心はあるのです。

 

 

 

「変わらないようで、変わってゆく毎日。同じ日は1日としてない。10年、3653日、十年前は想像しなかった自分・・・」

そして3653日目、「LED電球を新しいLED電球に取り換える。」

それぞれの場所のそれぞれの照明は、10年後にどのような情景を照らしてくれているのでしょうか。


さらに蛇足
最近流れているACのコマーシャル。
どこかで見た光景だな~と思っていたら、上大岡を望む光景だったんですね。

 

 


■関連リンク

東芝10年カレンダー公式版(PDF)

投稿者: kameno 日時: 10:15 AM | | コメント (3)

十大ニュース@当ブログ2011

年の瀬を迎え、新聞、テレビなどでは今年の総括として「十大ニュース」などがまとめられています。
2011年は、さまざまな東日本大震災をはじめとする災害・原子力発電所の事故と、日本にとって大きな年でありました。 


当ブログでも。毎日の記事より一年を振り返って十大ニュース風にまとめてみました。
2011年の総括です。

  できごと 関連ブログ記事  
1 ドイツ声明公演 記事1 記事2 記事3 文化庁の助成金をいただいてのドイツ3都市での公演でした。
2 東日本大震災 1 2 3 4 5 6 7 8 ほか 忘れることの出来ない年になりました。
3 演劇「彼方、蓮台野にて」 記事1 記事2 ほか 本堂に本格的な舞台を築いて行われました。
4 横浜の記憶を写真で残すためのシンポジウム 記事1 学ぶことの多いシンポジウムでした。
5 節電の一年 記事1 記事2 記事3 エネルギーの大切さが身にしみた年でもあります。
6 中国琵琶と声明の世界 記事 シャオロンさんとの久し振りの共演です。
7 貞昌院に京急大師線レール設置 記事1 記事2 京急レッドトレインガーデンで落札したレールです。
8 第13回ゆめ観音アジアフェスティバル 記事1 記事2 記事3 記事4 継続は力なり。鎌倉市長様にも参加いただきました。
9 皆既月食とダイヤモンド富士 記事1 記事2 スカイツリー越しに見る皆既月食は圧巻でした。
10 再びサイパン・テニアンへ 記事1 記事2 記事3 ほか 地獄谷など前回行けなかった場所も巡ることができました。

振り返ってみると、今年も個人的にもお寺にも様々なことがあった一年でした。
また、多くの方々とのご縁が広がった年でもありました。

20111210-19
(写真はスカイツリーと皆既月食

 

残念ながら、東日本大震災の影響で延期となってしまいましたが、開催されていればトップニュースになったであろうティク・ナット・ハン2011来日ツアー も予定されていました。

ここに挙げきれなかったものも含め一つ一つが大切な思い出であり、学びでもありました。
来年もきっと様々なことがあるでしょう。
新たな出会いを楽しみにしています。

今年一年間お世話になりました皆さまに心より感謝申し上げます。
来年がより良い年でありますように。


■関連ブログ記事
2010年の十大ニュース@当ブログ
2009年の十大ニュース@当ブログ

投稿者: kameno 日時: 3:56 AM | | コメント (0)

鉄道事故と大本山總持寺

曹洞宗の大本山總持寺(横浜市鶴見区)では、修行僧たちは毎日毎食後に太鼓を合図に「百間廊下(長廊下)」を雑巾で拭き清めています。roka
この際に、当役の修行僧がジョウロを両手に持って長廊下脇のタタキ部分を一気に走りながら2本の真っ直ぐの水の筋をつけていきます。
そして廊下のゴール地点でジョウロをくねらせ水の筋を曲げます。
これは、鶴見事故の犠牲者(事故直後、この廊下に御遺体が並べられ安置されていた)への慰霊と、「みたま」が安らかなることを祈る水の筋です。
水の筋は長い線香とそこの先から出る煙を表しています。

もう一つ。
總持寺の大梵鐘は、毎日午前11時から撞いています。
大梵鐘は1分30秒間隔で九声。(八・九声目は30秒間隔)で、修行僧の鐘司非加番の当役です。
鐘司非加番は大梵鐘を撞き終えると、三宝殿の「桜木観音」前で線香を立て慰霊法要(立三拝、観音経読経、回向、立三拝)を営みます。

この二つは、一般世間にはあまり知られていないことですが、桜木町事故・鶴見事故以降、大本山總持寺で毎日営まれている鉄道事故被災者慰霊供養です。

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日本が敗戦からようやく立ち直り始め、高度経済成長期に入った時期に、立て続けに甚大な鉄道関連の事故が発生しました。

戦後五大事故と呼ばれるものです。
(1)桜木町事故 1951年(昭和26年)4月24日、東海道本線(現・根岸線)桜木町駅構内で、工事作業を誤り垂れ下がった架線に列車が接触し短絡(ショート)したことで発生した車両火災。死者106人、負傷者92人。
(2)洞爺丸事故 1954年(昭和29年)9月26日、青函連絡船「洞爺丸」が台風15号(洞爺丸台風)にあおられ沈没。原因の一つには運行管理者の判断ミスがあった。洞爺丸事故の死者は1155人、世界有数の海難事故となった。
(3)紫雲丸事故 1955年(昭和30年)5月11日、宇高連絡船「紫雲丸」が貨物船の「第三宇高丸」と衝突し沈没、死者166人、負傷者122人。修学旅行中の小学生・中学生が多数死亡した事も世間の非難を買った。
(4)三河島事故 1962年(昭和37年)5月3日、常磐線三河島駅構内で信号無視によって脱線した下り貨物列車に下り電車が衝突、さらにそこへ上り電車が突っ込み二重衝突に。死者160人、負傷者296人。
(5)鶴見事故 1963年(昭和38年)11月9日、東海道本線鶴見駅~新子安駅間で脱線した下り貨物列車に上りの横須賀線電車が衝突、その先頭車が下り横須賀線電車に突っ込み二重衝突となる。死者161人、負傷者120人。

 

これらの事故の背景には、戦後急激な経済成長に伴う輸送量増加対策に追われ、安全対策が追いつかなかったことが背景にあるとされています。
うち、桜木町事故、鶴見事故は横浜で発生した事故で、特に鶴見事故は大本山總持寺の間近で発生したものです。

 


桜木町事故(さくらぎちょうじこ)は、1951年(昭和26年)4月24日13時45分頃、神奈川県横浜市の日本国有鉄道(国鉄)東海道本線支線(京浜線、現在は根岸線の一部)桜木町駅構内で発生した列車火災事故である。ドアが開かなかったため脱出できず、多くの死傷者を出した。犯罪的所業によるものではないが、桜木町事件と呼ばれることもある。この事故後、自動扉つきの客車内には乗降扉非常圧搾空気開放弁(非常ドアコック)の設置と表示が義務化され、緊急時にドアを乗客が手動で開けられるよう法律が改正された。(ウィキペディア桜木町事故項)

鶴見事故(つるみじこ)は、1963年(昭和38年)11月9日21時40分頃に日本国有鉄道(国鉄)東海道本線鶴見駅 - 新子安駅間の滝坂不動踏切(神奈川県横浜市鶴見区)付近で発生した列車脱線多重衝突事故である。
なお、当日には福岡県大牟田市の三井三池炭鉱でも死者458人を出す大爆発事故が発生しており、「血塗られた土曜日」「魔の土曜日」と呼ばれた。
事故地点における貨物線(品鶴線)走行中の佐原発野洲行き下り貨物列車(EF15形電気機関車牽引45両編成)後部3両目のワラ1形2軸貨車(ワラ501)が突然脱線。引きずられて架線柱に衝突した後に編成から外れ、隣の東海道本線上り線を支障した。そこへ同線を走行中の横須賀線電車の久里浜発東京行き上り2000S列車と下り線を走行中の東京発逗子行き下り2113S列車(いずれも12両編成)がほぼ同時に進入した。
90km/h前後という高速のまま進入した上り列車は、貨車と衝突。先頭車(クハ76039)は下り線方向に弾き出され、架線の異常を発見して減速していた下り列車の4両目(モハ70079)の側面に衝突して串刺しにした後、後続車両に押されて横向きになりながら5両目(クモハ50006)の車体も半分以上を削り取って停止した。その結果、下り列車の4・5両目は車端部を残して全く原形を留めないほどに粉砕され、5両目に乗り上げた形で停止した上り列車の先頭車も大破。上下列車合わせて死者161名、重軽傷者120名を出す大惨事となった。(ウィキペディア鶴見事故項)


⇒毎日新聞 昭和毎日 桜木町事件 / 国鉄鶴見事故  

 

今年7月に、中国新幹線が浙江省で衝突事故を起こし、40人が死亡、172人もの方々が負傷されました。
このときの世論は概ね、「さすが中国クォリティー」「日本ではありえない事故」「日本の新幹線は死亡事故を一度も起こしていない世界一安全な鉄道だ」・・・・などという論調が溢れていたと感じています。

しかし、その世界一安全とされる日本の鉄道も、数え切れないほどの甚大な事故と、犠牲となられた方々の上に成り立っていることを忘れてはなりません。

 

戦後五大事故の第一となった桜木町事故では、列車の三段窓が、乗客が外に逃げられない構造であったために、車両火災の際に逃げられず多くの犠牲者が発生しました。
これにより列車には「非常用ドアコック」が設置され、乗客が中から脱出できるように改良が加えられましたが、三河島事故の際には、その「非常用ドアコック」が逆に災いし、乗客が線路上に脱出避難し始めたところに対向列車が突っ込んできて多くの犠牲者が発生しました。
事故対策が必ずしも良い結果をもたらす訳ではないという教訓です。

それでも、一連の事故により、日本の鉄道は近代的保安確立への向けて原因究明と自動列車停止装置(ATS)設置などの開発など対策が徹底的に重ねられました。
結果、五大事故以降、昭和58年には過去10年、責任事故による死者がゼロという記録も達成し、新幹線では現在も責任事故による死者がゼロという記録を続けています。

このように、鉄道の世界に限らず私たちの豊かな生活や安全は、これまでの度重なる事故や災害などを乗り越えた上にあるのです。

先日お会いした京急広報の方も、何度も鶴見事故慰霊で總持寺に来られたそうです。
京急だけでなく、首都圏の鉄道に係る方々は、ほとんど大本山總持寺に参拝されているはずです。
犠牲となられた方々の慰霊はもとより、その方々の夢や願いを後世に繋いでいくことを誓い、事故の教訓が後々生かされ同じ過ちを二度と繰り返さないことを祈られているのではないかと思います。
日本の鉄道が他の国に例を見ないほど世界一安全で正確といわれるようになった下地には、この日本人特有の「祈り」のこころが刻まれているからなのだと感じます。

災害・事故で忘れられない年となった2011年も、もう年の瀬を迎えます。
今年の重大ニュースが新聞、テレビで話題となる時節となりました。
この一年を振り返り、省みて、よりよい新年を迎えることができますことを願います。


 

■関連ブログ記事
過ちや失敗を繰返さないために

■関連リンク
大本山總持寺境内にある鉄道事故関係慰霊碑等について
桜木町電車事故死者慰霊碑(桜木観世音菩薩立像)/鶴見事故慰霊碑

投稿者: kameno 日時: 12:44 PM | | コメント (2)

三陸より感謝の手紙

いつもお世話になっている仙台の酒屋さんを通して、石巻・平孝酒造『感謝の手紙』が届けられました。
以前ご紹介した『希望の光」と対になる地酒です。

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『希望の光』は、震災、津波で生き残った醪(もろみ)により造られた力強い味の酒。
そして『感謝の手紙』は、地元の多くの人々の想いが込められた特別な新酒です。

酒蔵からの「感謝の手紙」が裏に貼られています。


現在、弊社では震災で壊れた蔵の復旧工事を進めながら、何とか新しい酒造りを再開しております。復旧工事にあたりましては、現状復旧ではなく、より高い次元で酒が造れる設備を導入いたしました。酒質の向上で応えることこそ、御愛飲頂いている皆様に対しての恩返しであると共に、震災なんかに負けていないことの証明にしたいと考えております。(中略)
私達、日本酒の蔵元は日本各地に多く点在し、其々の町の明かりを灯していると思っております。日本文化の担い手としての自負を胸に、これからも地域の明かりを灯して参りたいと存じます。そして、全国にいる精鋭の蔵元達と、これからも質の高い酒造りで凌ぎを削りながら、日本酒業界を盛り上げて参りたいと存じますので、今まで以上の応援を宜しくお願いします。(裏ラベルより抜粋)


お酒とともに、特別に仕込み水を詰めた瓶も同梱されていました。
本当に嬉しい心遣いです。


 

この時期、全国各地から贈り物を頂きます。
(心よりの贈り物有難うございます)
東北からのものの中に、梱包材として地元の新聞が使われているものがありました。

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改めてじっくりと読み込んでしまいました。



■関連ブログ記事
三陸に希望の光
投稿者: kameno 日時: 12:05 PM | | コメント (0)

線路売ります。

20111212-01線路をオークション販売=重さ500キロ、限定1点―京急

 

線路売ります。重さ500キロ、送料別で―。
京浜急行電鉄は16~18日、川崎市の大師線で実際に使われていたレールや枕木のセットを、東京都港区の複合施設「シナガワグース」に16日開業する展示コーナー「京急レッドトレインガーデン」でオークション販売する。
京急によると、商品は長さ1メートルに切った重さ約50キロのレール2本と、長さ2・4メートル、重さ約160キロの枕木2本、専用かご「パイスケ」に入った砕石約15キロなどのセット。総重量は約500キロという。レールは1989年製で、昨年度まで使用されていた。
1点限定で16、17日は午前11時半~午後8時、18日は午後6時まで受け付ける。競売は5000円から始め、送料と設置費用は別に必要となる。
売り上げの一部は東日本大震災の被災地に寄付する。京急広報課は「鉄道会社初の試みだと思う。誰がいくらで買うのか、そもそも売れるのか分からないが楽しんでほしい」としている。
(時事通信 2011/12/12)


さすが京急。

粋なことをしますね。
是非入札したいところですが・・・一点ものなら落札は難しいかも。
いったい幾らの値がつくのでしょうか。

 

G190D~1G9F32~1
(販売される線路と枕木。写真は京急のサイトより)

そして何よりも16日にオープンする「ポポンデッタ with 京急レッドトレインガーデン」が楽しみです。

SHINAGAWA GOOSに「ポポンデッタwith京急レッドトレインガーデン」オープン!


名称 ポポンデッタwith京急レッドトレインガーデン
場所 品川駅高輪口徒歩3分  複合施設「SHINAGAWA GOOS」 2階
開業日 2011年12月16日(金)午前11:30から
営業時間 11:30~20:00
(1)京急レッドトレインガーデン(京急の鉄道資産の展示/京急の歴史年表の展示) 
(2)ポポンデッタ シナガワ グース店(鉄道模型販売/京急グッズをはじめとした鉄道グッズ/大型のジオラマ(長さ4.2m×幅2.2m,線路の総延長約48m)

投稿者: kameno 日時: 8:51 PM | | コメント (4)

神奈川宿青木橋今昔

昨年末より曹洞宗神奈川県宗務所に通っております。
事務所は本覺寺様の御厚意により横浜駅に程近い場所にあります。
交通の便の良い場所です。

この場所は、かつての東海道神奈川宿があった場所です。

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明治39年測図・1/20000地形図

赤○が本覺寺です。
かつての東海道の道筋がよく判ります。
現在の宮前商店街から青木橋を渡り、鶴屋町と台町付近の高台を抜ける街道は現在も残されています。
地図上の「神奈川」駅は、京浜急行の神奈川駅ではなく、東海道線の神奈川駅で、現在の横浜駅より数百メートル東京寄りにありました。

20111107-0120111107-03
約100年前(左写真)と、現在、ほぼ同じアングル(青木橋から眺めた本覺寺方面)の写真を並べてみました。

東海道線沿いに走る国道一号線は片側3車線の道路となっています。
かつてあった理髪店、そしてお堂は、国道拡張により無くなってしまっています。
また、山門(日本初のペンキによる塗装がされたことで有名)から真っ直ぐ伸びていた参道は、やはり国道拡張のために写真左方向にぐっと曲げられています。

なお、現在の参道沿いの本覺寺会館に宗務所があります。
台風15号の塩害の影響で、山門両側のイチョウがだいぶ被害を受けています。

同じ場所からの眺めを定点観測的に捉えると、時代の変遷を捉えやすくなります。
街の何気ない写真も、保存、整理していくことが大切なのです。

折角の機会なので、これからも宗務所周辺の史跡を巡っていきたいと思います。


■関連ブログ記事

東海道五拾三次・戸塚元町の今昔

投稿者: kameno 日時: 6:48 PM | | コメント (0)

止まったままの仙石線

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平常どおり何事も無く走っている電車・・・・・というキャプションを付けても違和感が全く無い光景。
しかし・・・・

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8月に書いた  時間のながれ のフォロー記事です。

2011年5月25日(震災発生後2ヶ月半)と8月26日(同5ヶ月半)、そして10月26日(同7ヶ月半)の同じ場所の記録の一部です。
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↑5月25日 野蒜駅の北、鳴瀬川/吉田川沿いの水田は まだ海水が引いていなかった。

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↑8月26日 少し上流の水田では稲穂がたわわに実っていました。

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↑10月26日 雑草は綺麗に刈り取られて土が掻き回されています。来年には作付けができそうです。

⇒震災前の様子



写真中央部、震災以降仙石線の車両が同じ場所(野蒜駅-陸前小野駅間)で止まったままになっています。
冒頭の写真は、今週撮影した「止まったままの」仙石線の車両です。

 

20111029-05

仙石線は単線のため、野蒜駅で上下線がすれ違うダイヤになっています。
ちょうど地震発生時刻の直前、14時46分に野蒜駅を出発した石巻行き快速が、野蒜駅から数百メートル走ったところで地震により停車。

7ヶ月半も 同じ場所に放置されたままになっているのですが、不思議なほどに汚れが全く無くピカピカ輝いています。
どなたかが磨いているのでしょうか?
それとも風雨によって自然に汚れが落ちるのでしょうか。

しかし、車両の足元を見ると、錆だらけの線路が時間の経過を物語っています。
線路の向こうのほうはススキに埋もれてしまっています。

 

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なお、野蒜駅を同じく14時46分に仙台あおば通方面に出発した電車は、やはり野蒜駅から少し仙台方向に進んだところで停車。
その後津波により流されてしまいました。
ヘリコプターから中継された、くの字形に曲がって住宅地にぶつかっている衝撃的な映像は、このあおば通行きの電車だったのでした。
宮城・東松島市、仙石線列車が「く」の字(TBSニュース 2011/3/13配信)


仙石線はルートを高台に変更して敷設しなおすことを検討しているそうです。
そうなると、この部分の線路は廃線になるのでしょうか。

いずれにしても、一日も早い鉄道の運行再開を願います。

投稿者: kameno 日時: 1:00 PM | | コメント (0)

残したいもの、残したくないもの

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6時10分過ぎを指して止まったままの時計

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「是非、現在の門脇小学校を見ていってください」

石巻水産の社員Aさんの案内で、震災直後火災に見舞われてしまった門脇地区に向かいました。

門脇地区の非難指定場所は門脇小学校であったため、多くの方が車を使って避難し、校庭には車が並んでいました。
そこに津波が襲いかかり、駐車していた車同士が激しくぶつかり合った衝撃で火災が発生したとされています。

その火は小学校校舎にまで延焼してしまいました。

また、門脇地区の他の場所でも火災が発生し、延焼してしまっています。
(当時の記録写真を、本の工房 真羊舎さんのブログ、津波と火災の後の門脇町と南浜町で見ることが出来ます)

 

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現在は、校庭の瓦礫は撤去されています。しかし校舎はそのままの姿で残されています。
焼けただれた教室の中も見ることが出来ましたが、教室内の写真は遠慮させていただきました。

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震災直後、小学校の児童たちも多数学校に残っていましたが、先生たちが教壇を並べ桟橋を作り誘導により住民ともども裏山へ避難することができたため、たくさんの命が救われました。

 

この校舎は、震災の記憶を残し後世に伝えるために保存する方向で調整されているそうです。
反面、児童の多くが犠牲となった大川小学校は保存して欲しくないという意見が多く、恐らく取り壊しになるのではないかということでした。
その場所で家族、親族を失った方々にとって見るに耐えないものなのです。

そして、ここでは書くことが出来ませんが、ニュースでは報道されない様々な部分の話も多く伺いました。

「震災は建物だけでなく、人の心も壊してしまった」という言葉が重くのしかかります。

 

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校舎北側にあるイチョウも、火災と津波の影響でだいぶ被害を受けているようです。
それでも沢山のギンナンを実らせていました。

投稿者: kameno 日時: 9:34 PM | | コメント (0)

避難所としての寺院の役割

今回の宮城県訪問の一つのきっかけとなったことは、ドイツ人写真家(FOTOGRAFIE Michael Santifaller氏)が、4年前に訪れたことのある仙台~松島の現状を実際に目で確かめてみたい。
そして、様々な方とお話をしたいということを相談されたことが契機でした。

Michael さんは、今年3月11日の震災のあった時刻にはウクライナ・キエフ(チェルノブイリ原発に近い都市)にいて、日本で大変大きな地震が起きたニュースを日本人の奥さんから一番に受け取ったそうです。
その後、来日の機会を調整していて、ようやく10月のこの機会ということになりました。

ドイツでは日本の原子力発電所事故のニュースが連日大きく報道されていて、まるで日本全体が放射能汚染されているような印象を持っている方も少なくありません。
日本の正しい状況を写真家の仕事として正しく伝えていきたいという思いを携えて来日されました。

 

石巻では、まずD源院様に拝登させていただきました。
D源院は、石巻北東部の高台にあり、石巻市街を見渡すことが出来る場所に有ります。
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震災発生時から、多くの方が避難され、一時は400人もの方々がD源院本堂、客殿で集団生活を送られていました。

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その詳細は上写真新聞記事、さんぜ通信のブログにてりんしょう様が書かれていますので、文末の関連リンクをご参照ください。

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避難所生活の中で子どもたちは合間の時間に写佛や石仏彫刻をしたそうです。

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海外寺院(ハワイ正法寺)からのメッセージ

一時は400人にものぼった避難者は、仮設住宅に移る方、親類の家に移る方など徐々に減少し、8月にはD源院避難所解散式が行われました。

その後も、毎朝御詠歌を講員の方々が奉詠に来たり、子どもたちが遊びにやってきたり人の往来が絶える事がありません。
地域と密接に関っている寺院の一つの例といえます。

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震災直後からの葬儀について、そして半年以上過ぎ、未だ行方不明となっている方々の葬儀のあり方、グリーフケアについて、Michael Santifallerさんを交え詳細にお話しを伺うことができました。

その後、街を見渡すことが出来る墓地で、津波発生時の状況を伺いました。

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震災発生時、本堂の仏具が悉く倒れ、香炉の灰が散乱する中で、その片づけをしていると、地域住民の住民の方々がお寺に非難のために続々と集まってきました。
とにかく、非難に来られた方々の受入れのために建物内を整理していたたために、津波第一波の様子は見ておらず、改めて市街地を眺めると既に市街地はほとんど津波の底に沈んでしまっていたそうです。
引き波で多くの建物は損壊し、また地盤沈下により、現在でも大潮の際には一日に二度の冠水被害が多くの地域で引き続き起こっています。

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石巻市では、リフォームであればその場に留まることが出来るのですが、損壊家屋を取り壊すと、その場所に建築をする許可が下りません。
また、復興全体計画に関る市の方針が未だ打出されていないことが住民の不安の一因となっているようです。

 

お世話になったD源院様の本堂で、Michael Santifallerさんと般若心経を唱えさせていただきました。
表面的な被災地の状況だけでなく、深淵の部分にも触れることができたのではないかと感じます。
Michael Santifallerさんは日本滞在で体験したことをドイツにきちんと伝え、また放射能汚染などのような風評による誤解が間違えてあるということを正しく表現したいと語っていました。

 

「心のケアなんてできない。共に悩み、涙を流し、供養の時を重ねることで心も落ち着き、人は前を向ける。それが寺の役目です」
(D源院住職様のことば)

被災地だけに限られたことではない。
どの寺院でも当てはまることですし、葬儀、年回法要、供養とは何かについての答えが凝縮されていることばです。

 


■関連リンク
FOTOGRAFIE  Michael Santifaller

渡波(わたのは)の丘(ブログ さんぜ通信)
投稿者: kameno 日時: 11:38 AM | | コメント (0)

地盤沈下の現状

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ここは、東日本大震災発生前は、海ではなかった場所。

 

木の屋での缶詰の洗浄作業は、この日は午後2時過ぎに終了となりました。
何故まだ日も高いのに作業を終えなければならないのかというと、

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昼過ぎから木の屋の前の道路脇側溝から水が溢れ出してきて

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まもなく道路がこのように冠水し始めました。
この日は午後3時ごろに大潮を迎えるのです。


東日本大震災では、沿岸の広範な地域で地盤沈下が発生しました。
国土地理院のGPS測位による速報では石巻市・牡鹿半島で120cm、女川町で89cm、気仙沼市で74cm、岩手県陸前高田市で84cm、大船渡市で73cmの沈下が確認されています。

「もう、今日の作業は終了なので、象徴的な場所をご案内します」
木の屋の社員Aさんの車で各所を案内していただきました。

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石巻漁港の周辺も地番沈下が著しく、主要道路(それも全車線ではなく一部車線)には砂利が敷かれて嵩上げされています。
砂利が敷かれていない部分は、このように海水の浸水が見られます。
台風と大潮か重なった際にはさらに嵩上げ道路も冠水し、被害が拡大してしまうそうです。

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↑この場所は、かつては中央分離帯付き片側2車線の道路でした。

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木の屋・石巻水産だけではなく、沿岸部の工場群の復興のためには
・工場を一旦更地にする
・敷地全体の土地を嵩上げする。
・その工程が終了してから工場を再建する
という、長い道のりがあります。

 

自治体によって応急の防潮堤が造られ、大型排水ポンプで排水処理を行っているそうですが、抜本的対策としての土地の嵩上げは、ほとんど手がついていない状況です。
地盤沈下による浸水で、工場再建のめども立てられず、マルハニチロ傘下の工場が既に閉鎖されてしまったり、他の工場でも撤退する動きも出始めています。



石巻水産を例にとれば、標高の高い場所にある工業団地に工場用地は確保してあるけれども、水産加工に必須である排水ができない場所であること、港から離れているために完全移転は難しい。
途方も無く長い道のりであるけれども、漁港近くのこの場所に工場を再建することを目指します、力強く語られました。


漁港では、仮設魚市場の建設が始まっていました。

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国により、自治体により、一刻も早い具体的な対策が行われ、復旧復興が進みますことを期待します。
そして長い目での支援が何より求められています。

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投稿者: kameno 日時: 5:18 AM | | コメント (2)

木の屋石巻水産「感謝の缶詰」

宮城県の沿岸地域に行って居りました。
神奈川県第二宗務所に管内御寺院様からお寄せいただいた梅花法具を届けることと、ドイツからのカメラマンの案内ということが今回の主な目的です。
その中での様々な出会いを順次書いていきます。
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仙台方面から国道45号線を北上、石巻市内に入ると巨大な缶詰型のタンクが道路の中央分離帯に横たわっているのが目に付きます。
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このタンクには(木)石水と書かれています。
木の屋石巻水産のロゴマークです。

海岸部にあった工場敷地内に設置されていた重油タンク(往時は鯨油を貯めていたそう)が津波により流されてきたものなのです。

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木の屋石巻水産といえば、知る人ぞ知る金華さば缶を生産している水産会社です。
石巻は昨年の水産水揚高全国第3位の巨大港・石巻港を抱え、漁港の前は魚町(さかなまち)という町名であることが象徴するように日本有数の港町でした。
しかし、東日本大震災による巨大な津波第一波が地震発生後30分後に到達し、街の全域が波に飲まれました。
津波が引くまで丸3日間、水位が高い状態がつづいたそうです。

 

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缶詰の倉庫、事務所は現在も震災時そのままの状態となっています。
「木の屋」の看板は無事でしたが、波により曲がってしまいました。
現在は真っ直ぐに戻されています。

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倉庫内部の壁に水位の跡が残されています。
第一波、第二波の水位はこの倉庫の天井付近。その後3日間に亘り2メートルほどのところに見える跡の水位のままだったそうです。
倉庫の中には100万個近い缶詰があったそうですが、大量の瓦礫と泥に埋もれてしまった状態でした。
震災直後、支援物資が中々届かない状況の中、地域の住民たちは木の屋の倉庫から流出した缶詰を食べて元気を取り戻しました。

また、倉庫内の大量の瓦礫と泥を片付ける中で、流されてしまったと思われる缶詰の多くが倉庫内にあることが判り、社員全員、各地から集まったボランティアたちにより少しづつ缶詰の発掘作業が行われていきました。
水も供給されない中の作業は困難を極めました。

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100万個の缶詰のうち、1/3は潰れてしまったり、品質が悪化してしまい食べることが出来なかったそうですが、残りの2/3は食用に問題なく、そのうち半分を水洗いして 「感謝の缶詰」として頒布されれることとなりました。


 

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↑残念ながら食用にならない缶詰たち。
向こうに見える空地に缶詰工場があって、冒頭の巨大タンクが設置されていました。

 

現在も社員、ボランティアたちが協力して缶の洗浄作業が進められています。
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缶の洗浄作業は11月半ばで作業が終了となるそうです。
それまでの間、洗浄ボランティアに参加希望される方は、木の屋へ連絡をお願いします。

また、東京近郊では、下北沢のスローコメディファクトリー内「木の屋カフェ」にて、木の屋の缶詰の販売を行っています。
このほか、木の屋の食材を使ったカフェメニューが提供されています。

数に限りが見えてきていますので、無くなってしまう前に行かれることをお薦めします。

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今回特にお世話になった木の屋の社員Aさん。
有難うございました。

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この「発掘缶」には、
・震災の記憶から立ち直り、前を向いて歩きたいという石巻の人々の想い、
・工場はなくなってしまったけど、一歩ずつ、少しずつでも復興を進めていきたいという私たち社員全員の想い
が詰まっています。 
この缶詰を購入いただいたお客様に、約束をさせてください。 
私たちは必ず、復興します!
だから、この缶詰の味を決して忘れないでください。
石巻の漁業が復活するまで、この缶詰はもう作ることが出来ません。
まだ数年はかかるとは思います。
でも、石巻の漁業と私たちの復興、その2つが揃ったとき、
必ずまた皆様に美味しい三陸の海の幸の缶詰をお届けさせていただきます!
その日まで、是非引き続き私たちを応援してくださいますようお願い申し上げます。
(木の屋からのメッセージ)


■関連リンク
木の屋石巻水産「感謝の缶詰」

投稿者: kameno 日時: 3:22 AM | | コメント (0)

まちをつくる まちができる

貞昌院の裏山は、日限山まで続いており、この一帯にはかつて丸山という こんもりした山がありました。

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(1975年 貞昌院で撮影した航空写真:以下のパノラマは●地点より撮影)

上写真の一年後、1976(昭和51)年に市営地下鉄上永谷駅が開業、この前後に行われた丸山台再開発事業により、このあたりは一変します。

駅が開設された当時は、丸山台は造成工事完了直後で、まだ更地の区画が並んでいました。
駅前広場やイトーヨーカドーも、まだありません。

今日のブログで紹介する写真は、丸山台の造成が一段落したころの様子を貞昌院の裏山から眺めた写真です。
パノラマにするつもりで撮影したものではないので、繋ぎ目が不自然な箇所があることをご了承ください。

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(1979年11月29日 貞昌院裏山より撮影)

はるか向こう側に野庭団地が見えます。
野庭団地は一足先の 1973(昭和48)年に入居が始まりました。

対し、丸山台は
1971(昭和46)年11月 丸山地区土地区画整理組合発足
1974(昭和49)年3月 造成工事開始
1976(昭和51)年2月 造成完了、排水、道路、電柱工事完了、その後仮換地、換地後、分譲事業が始まる。
1976(昭和51)年9月 上永谷駅開業
1981(昭和56)年4月 丸山台小学校開校

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(1982年5月6日 貞昌院裏山より撮影)

丸山台の住宅街も少しではありますが、埋まってきている様子がわかります。
丸山台小学校は前年に開校、駅前広場が完成する直前の写真です。

 

1982(昭和57)年 駅前広場が完成。 直後にベルセブン、イトーヨーカドー・ラポルトビルが完成、開業。

1985(昭和60)年 上永谷駅の開業から約9年目に市営地下鉄は舞岡まで延伸します。


このように、丸山台は、山を大規模に造成して出来たゆるやかな丘に生み出された街なのです。

そして現在へ。

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(2011年10月10日 貞昌院裏山より撮影)


■関連リンク

はあとふるたうん丸山台

投稿者: kameno 日時: 3:06 PM | | コメント (4)

横浜で造られた 0系新幹線

小学生、中学生の頃、休みの日には友達と毎日のように自転車であちこちに出かけていました。

(散策の中で様々な街の発見があるわけで、今のPhotologのスタイルはおそらくこの時代に確立されたのだと思っています)
珍しいものがあれば写真に撮っていたのですが、ただ、当時はデジタルカメラがあるわけではなく、フィルム代、現像代、プリント代もお小遣いの範囲では無駄に使えるはずもなく、写真は大切に撮影していました。

その中で編み出した?方法は、ダークバック、現像タンクとリール、そして現像液、定着液をヨドバシカメラで買ってきて自分で現像するというものでした。
さらにモノクロの長尺フィルムを使えばかなりリーズナブルですし、しかもその日のうちに現像できますので重宝しました。

当時撮影したフィルムから、折をみてこのブログで幾つかご紹介していきたいと思います。

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これは新幹線の工場、そしてそこで造られている0系の車両。
場所は、京浜急行金沢文庫と金沢八景の間にある東急車輛横浜工場です。

フィルムには1980年4月12日(土)ネオパンSS・ミクロファイン2倍増感と記載されています。

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(東急車輛横浜工場付近の空中写真:国土変遷アーカーブより)

工場の隣には横浜市立大学があり、大学につながる道の踏切から望むことができました。
思わず新幹線を発見して嬉しかったことを覚えています。

さて、写真には線路が3本写っていますね。
また、新幹線車両の上には交流、直流の表示がありますね。


京急と新幹線の線路幅は一緒ですが、京急は直流、新幹線は交流。
また、JR在来線は京急、新幹線より線路幅が狭い。
東急車輛横浜工場では、新幹線のほか、京急、東急、JR(当時は国鉄)ほか海外の車両までをも造る会社ですので、それぞれに対応した線路幅、電圧が用意されているのです。

京急の金沢八景から逗子線の神武寺にかけては、JR在来線にも対応した線路が引かれ、製造されたJR車両は逗子線を通って横須賀線に運ばれます

さて、日本の高度成長を支えてきた新幹線O系車両は、東急車輛のプレスリリース

[PDF]0 系新幹線電車前頭部を保存します - 東急車輛製造

にあるように、


20111010-04東急車輛産業遺産第3号として0系新幹線電車前頭部を保存します

東急車輛製造株式会社(本社:横浜市金沢区、社長:金田 一朗)は、今年8月に創立62周年を迎えることを記念して、日本の高度成長期を支えた高速車両である0系新幹線電車の先頭部を東急車輛産業遺産第3号として指定し、当社の横浜製作所内に保存することとしました。0系新幹線電車は1964年(昭和39年)10月東海道新幹線開業時から使用された国内最初の高速鉄道専用車両です。東京-新大阪間の「ひかり」「こだま」号に使用され、最高運転速度は210km/hで、営業列車では当時の世界最速を誇りました。開業当初は12両編成でしたが、需要増加に伴い16両編成に増強され、名実共に日本の鉄道輸送の大動脈を担った車両です。1964年から1987年(昭和62年)まで38次に亘って合計3216両が新製され、当社は1967年(昭和42年)6次車から製作に参入、492両を製作し国鉄に納入しました。
今回保存する車両は36次車の博多方先頭車であり、1985年(昭和60年)1月に製作されました。JR東海に継承後1998年(平成10年)6月まで東海道・山陽新幹線で「こだま」号を中心に使用され、廃車後は静岡県の佐久間レールパークでシンボル的な前頭部が保存されていました。2009年11月同所の閉園に伴い2010年7月にこれを譲り受け、日本の高度成長期を支えた高速鉄道専用車両としての活躍を永く伝えていくため、東急車輛産業遺産3号として指定し、誕生したこの地に永久保存することとしました。(※一般公開はしておりません)

というように、製造された工場内に戻ってきて永久保存されるようになったそうです。
残念ながら一般公開されないそうですが、何だか感慨深いニュースです。


なお、当時は鉄道の車両工場は許可を得れば撮影も簡単にできましたし、時には中も案内してくれたりしました。
おおらかな時代でした。

最近は写真撮影すらできないそうですので、ルールは守るようにしましょう。



■関連ブログ記事
鉄道博物館

投稿者: kameno 日時: 9:23 AM | | コメント (0)

便利で不便な道路

貞昌院の前には片側3車線の幹線道路(環状2号線)が通っています。
この道路が整備される前は、片側一車線の道路でした。

幹線道路の開通によって、車で遠くへ出かけるときには便利になりました。
反面、広い地域から車が集中するようになり渋滞が度々発生するようになり、却って旧道を通ったほうが早いことも間々あります。

一番不便な点は、道路の反対側にある場所へ行く場合です。
片側一車線であればそのまま右折すれば済むのですが、片側3車線、さらに中央分離帯や川が道路を通っている構造のため、しばらく進んでUターンしなければなりません。

さらに厄介なのが右折の矢印信号のある交差点です。

20110930-01

現行の道路交通法では、このように右矢印信号が表示されている場合は、その方向以外に進行することができません。
右折の矢印信号でUターンすると「信号無視」となり、交通違反となるのです。

ただ、この信号無視については、あまり周知されていないのか、わざとしているのか判りませんが、右折矢印信号でUターンする車が目立ちます。
試しに交差点でしばらく観察してみましたが、むしろ大部分の車がUターンしている状態です。

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このような問題を受けて、来年4月1日には道路交通法が改正され、右折矢印信号でもUターンできるようになる予定(ただし、転回禁止の標識がある場所を除く)です。
ようやくの改正ですが、これにより多少は不便さが解消されるのではないかと期待しています。

 

それにしても、規則は、その内容を共有して成り立ちます。
認知度の低い規則は何らかの対策が必要でしょう。
右折の矢印信号でのUターン禁止以外でもこのような事例はたくさんありますね。

投稿者: kameno 日時: 1:03 AM | | コメント (0)

大震災からのライフライン復旧

 

電気、ガス、水道、交通、通信など、日常の生活や産業活動に無くてはならない施設をライフラインと呼びます。
大災害の際には、このライフラインが断絶するこすことにより、被災地の人々の生活、避難所の生活に大きな支障が生じました。

また、病院でのライフラインの障害は命にかかわりますし、被災地復興の障害となります。
従って、一刻も早いライフラインの復旧が求められるわけですが、東日本大震災のように津波により広範囲に甚大な被害をもたらした大災害では復旧が難航し、なかなか回復しないこととなりました。

ライフラインの普及がどういう状況であったかを纏めている資料がありましたので、その結果を引用しながら考えてみます。

 

土木学会地震工学委員会「ライフラインの地震時相互連関を考慮した都市機能防護戦略に関する研究小委員会」資料
(岐阜大学工学部社会基盤工学科 能島暢呂)

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注意事項
・水道・都市ガス・電力の停止戸数の解消過程および復旧率について,東日本大震災と阪神・淡路大震災との比較を行った.最後のデータの5 月31 日は地震発生から82 日目であり,兵庫県南部地震では4 月8 日に相当する.
・東日本大震災の電力については,東北電力管内のみを対象とした.
・阪神・淡路大震災における水道被害は,兵庫県内のみを対象としている.
・阪神・淡路大震災における都市ガスの復旧過程では,1995 年2 月28 日に,倒壊・焼失した約152,000戸が復旧対象から除外された.しかし図21では,最大停止戸数からの復旧戸数を差し引いた値を示したため不連続となっていない.また図23では,「復旧率=(復旧対象戸数-停止戸数)/復旧対象止戸数」としているため不連続となっていない.

 

阪神淡路大震災では、地震直後に260万戸が停電したものの、数時間後には100万戸へと、半数以上が復旧しています。
6日目までにほぼ100%まで復旧しました。
電気の復旧は1週間以内、電話は2週間、水道とガスは3ヶ月程度が全体復旧の目安期間でした。
水道、ガスの復旧が遅れる要因は、供給経路が道路の埋設管(地下)にあることにより、地盤の変形によって管路が損傷を受けた場合に、その場所を特定すること、道路を掘り返して修復することが困難であるからです。
電気や通信のような架空線の場合は、容易に復旧が可能であることは、感覚的にもわかると思います。
電信柱と電線によって街の美観が損なわれる というデメリットもありますが、災害からの復旧の面から考えると、電信柱と電線のメリットもあるのです。



今年3月に発生した東日本大震災では、電気の復旧率90%になるまでに5日間を要し、それ以降95%程度の復旧率で推移し中々100%に達しませんでした。
この理由として、(1)津波等電気設備、幹線が損害をうけた。(2)地域全体で家屋建物が流失してしまった。(3)移転等によりインフラは健全だが送電できないもの。(5)原子力発電所事故による立入制限区域
等々、復旧に長期化が予想されることが挙げられます。

例えば東松島市宮戸島では、5月下旬になってようやく電線の工事が進み、6月になって一部に電気が復旧、水道の一部復旧は8月に入ってからです。
「震災の被害の地域差によってライフラインの復旧時期が大きく変わる」というのが今回の震災の特徴といえます。
未だライフラインが回復していない地域の早期回復を願います。


携帯電話の復旧状況を見てみましょう。

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通信のトラフィックジャムもあったはずですが、それでも震災発生当時は半数程度の基地局で通話通信が可能でした。
このことが、多くの命を救い、また遠く離れた家族親類と連絡を取り合う手段となりえたことを示唆しています。
但し、震災発生翌日には復旧率がほぼ0になってしまいます。
震災後続く停電により、基地局のバッテリーが切れてしまったためです。
また、4月7日に発生した余震による停電でも基地局の停止により半数近くが不通となっています。
携帯電話は、その普及に伴い、重要なライフラインとなりました。 震災発生初期の段階での途絶を防ぐことができるよう、今後、さらに震災に強いシステムを構築することが求められます。

 

震災発生後のライフライン復旧の目安を知っておくことは、震災のための備蓄品の量を決定するための重要な手段となります。
今後、さらに詳細な分析がなされていき、データが発表されていくはずですので、留意し活用していくことが大切といえましょう。

投稿者: kameno 日時: 8:19 AM | | コメント (0)

二つの社寺明細帳図

明治14年ごろに描かれた貞昌院の絵図を2つ並べてみます。

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(左)社寺明細帳図・貞昌院所蔵 (右)社寺明細帳図・神奈川県立金沢文庫所蔵

同じ絵図が何故2つあるのでしょうか。

その理由は、明治時代、日本が国策として天災地災など、不測の事態に対応できるように配置図を保存するために全国一斉調査を行ったことによります。
内務省社寺局により各府県に「神社寺院及境内遙拝所等明細帳書式」(後述)として通達され、寺社ごとに4部作成され、1部は内務省、残り3部は社寺、郡区役所、戸長役場で保存されました。

4部作成された絵図のうちの一は、貞昌院で保存されているもの、そしてもう一枚の絵図は郡区役所、戸長役場で保存されていたもののどちらかが戦後に売りに出され、金沢文庫で購入されたものです。
2つの絵図を、金沢文庫によってマイクロフィルムでデータ化していただきました。
それをさらにデジタルデータ化して並べたものが冒頭の2つの絵図です。

 

「神社寺院及境内遙拝所等明細帳」の「書式」は次のように細かく定められています。


■社寺製図凡例

1.社寺境内の建物などの配置を細密に模写する目的は、後日天災地異または不測の事態にあった場合でも、かつての配置を捜索考証するのに役立つからである。よって、その図面を保存することは重要であるから、4部を作成し、本庁(内務省社寺局)へ提出すること。そのうち3部は調査の上、それぞれ社寺、郡区役所、戸長役場にてこれを保存すること。その図面を作成するに当たっては次の項目に従うこと。
1.境内の地形を測り、その方位を定め、地種の等級を図中に明示すること。
1.祠堂、その地建物を画く場合、その位置と築造の2点に注意すること。
1.社寺殿堂ほか、装設してある灯籠、手洗鉢、唐獅子、石仏、瑞籬(玉垣)、板牆(みずがき)、土塀等については、境内外を問わず配置のままを記載すること。境内地形線をその境界に挿引して、区分を明示すること。
1.社寺の規模、境内の面積を客観的に観るために、すべて1/100の縮尺とする。製図者を見つけられないなど製作が困難な場合は、現状を細写するだけでもよい。
1.境内、池沼もしくは巨木、仮山など、一般の地形と異なるものがある場合は、これを詳記すること。その大小や形状を記することも前項に準ずること。
1.境界の周囲、町村にかかるものは、その町村名を記すこと。
1.社寺所在の地に接続する周辺道、および名所、旧跡、山河、瀑布(滝)などは、その名称と距離とをその方位に当て、記入すること。
1.これまでの項によるもののほか、すべて境内風致にかかわり、または将来の備考となるべきものは出来る限り掲載し、滞りなくこれを行うこと。

原文:『松本ナミ家文書』「役場執務・寺社一二の二の(六)」(横浜開港資料館蔵) kameno意訳


細かく規定された書式の範囲で、絵師の特徴が出た絵図が全国各地で描かれました。
また、同じ貞昌院の絵図でも、寺院所蔵版と役所提出版を比較してみると、山の描き方、屋根の陰影の描き方など、細かい点で差異が見られます。

せっかくデジタルデータ化したので、2つの画像を重ねてみました。

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本堂、庫裏といった主要部分については、きちんとトレースされています。
けれども、周囲の建物、参道など主要な建物から遠くなるにつれて寸法の差異がでるようです。
山の尾根線などはだいぶ違っています。
両者の差異を詳細に見ていくとさまざまな発見があります。

 

日本は自然災害の多い国です。
東日本大震災、新潟の水害、台風12号による土砂災害等々、特に今年は数百年ぶりの自然災害が相次いで発生しました。
また、木造建築は火災等で失われる危険性も高いものです。
そのことを前提として、天災地災など、不測の事態に対応できるように配置図を国策として作成させ、その図面を保存するということが行われていたという事実は重要な意味をもつものであります。

しかしながら、学芸員の方のお話によると寺社明細帳図は全国の寺社で作成され、各寺社に一部控えが保存されているはずですが、保存が確認されている事例はほとんど無いということです。
もしも、明治時代に描かれた寺社明細帳図が寺院に保存されている!という御寺院様は、是非神奈川県立金沢文庫にお知らせください。



■関連ブログ記事

貞昌院の絵図が金沢文庫に
金沢文庫企画展 描かれた寺社
社寺明細帳図から見えてくること
投稿者: kameno 日時: 5:15 AM | | コメント (0)

66年目の終戦の日に

66年目の終戦の日を迎えました。
戦渦により犠牲になられたすべての方々に心より哀悼の意を表します。

 

 

さて、一昨日、カタストロフィーと寺院の役割 という記事を書きました。
その続いを少し。
さまざまな事象が、カタストロフィーモデルに当てはめて考えることができるということで着目されている理論です。

さまざまな事象は、連続した揺らぎのなかに存在すると考えます。
その揺らぎが緩やかなものであって、振幅が小さいものであれば、速やかに回復して安定状態を保ちます。
しかし、その揺らぎが大きくなり、限界を超えてしまうと、急激な反転現象を起こしてしまいます。

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典型的な例を図に表してみました。
ルネ トムのカタストロフィーモデルと呼ばれるものです。
時間軸が手前から奥へと進んでいくと考え、次々にやってくるゆるやかな双曲線(図の手前の青い双曲線)が、次第に鋭角的な波頭型に変わり、それがさらに進行すると、突然不連続現象が現れます。
これがカタストロフィーの不連続面です。
 

この不連続面は、実際の社会現象では例えば明治維新、東京大空襲、横浜大空襲、原爆投下、終戦、バブル崩壊、大規模住宅開発、大震災、大津波・・・・大きな社会的事象が起きると、局所的あるいはある程度広範囲に歴史的な不連続面が生じる典型的な例として挙げられます。

日本においては、「終戦の日」が最も大きな不連続面の一つに挙げられるのではないでしょうか。
過去の終戦に関するブログ記事を併せて列記します。

65年目の終戦の日
星条旗の下に生きた日系人たち
松根油と戦時中の永谷
太平洋戦争空襲~終戦の日

 

この不連続面では、過去から未来へ向けての「記録」「記憶」が欠落してしまいます。
その欠落を埋める役割として、寺院、僧侶が重要な役割を果たしています。

寺院は、カタストロフィーの不連続面においても、よほどのことが無い場合を除いて、場所を移動せずその場所に「在り続け」、地域に密着して記録を残し続けています。
そして、その記録を伝承している代々の住職、僧侶が居ます。
寺院は、不連続面により断絶されてしまった地域の記憶を蘇らせる時間軸を結ぶための太い糸となっているのです。


さらに、災害時の寺院、僧侶のネットワークが大きな役割を果たしています。
大災害直後は、地元に密着した現地の寺院、その周囲のネットワークが災害拠点として大きな役割を果たしました。
その後、全国を結ぶ寺院のネットワークにより、情報共有、ボランティアの輪が広がっていきまいた。
必要なところに必要なものが届けられる拠点としての寺院の役割は、今回の大震災でも大きなものとなっています。

そのような寺院の、そして僧侶たちの一つひとつの役割が繋がって(時間軸の縦方向、同じ時間で空間的に横方向に広がる強い繋がりが)結果として大きな力となっているのだと思います。

 

 

もう一つの話題も。
お盆の時期、戦没者慰霊で灯される「灯明」は、迷いなき真実の智慧、闇を除き、闇を明るく照らす除暗遍明という大切な明かりです。

火は、
時には恨みを込められたものとなり、
人の命を奪うものとなり、
平和の象徴となり、
生きる力を与えるものとなり・・・

 

さらに、蛇足的に付け加えれば、以前ブログ記事 眼に見える世界は蝋燭の炎の形 で書いたとおり、私たちが今、直接見ることができる世界を図に表すと蝋燭の炎のような形になります。
(理由は上記ブログ記事を参照ください)

uchuzu.jpg

私たちが「今」眼にしているものは、すべてが蝋燭の炎の表面の部分に並んでいます。
また、眼に届くものの姿は、蝋燭の炎の表面を辿って私たちの眼に届けられます。
時間軸は下にいくほど過去に遡るのですから、見えているものは必ず過去の姿であることがわかります。

しかしながら、蝋燭の炎の表面の部分は見える可能性があるとはいえ、全て見ることはできないわけです(ぐるっと360度周囲全体を同時に見ることは不可能ですし、ある物体の裏側を同時に見ることも不可能です)から、私たちが捉えることができるものは、蝋燭の炎の表面の部分の、さらにごく僅かの部分だけなのです。

この蝋燭の炎の内側の部分は、過去の(歴史の)世界となります。
そして、蝋燭の炎の外側の部分は「絶対に見ることが適わない」世界となります。

 

カタストロフィーのモデル図は、まるで日本を襲った大津波のような形をしています。
私たちが目に見える世界の範囲を図に表すと、まるで灯明の炎のような形になります。

 

今日はお盆の最終日。
それぞれの家にとって、ご家族を失うということは、その家にとってはカタストロフィーの大きな波がやってきたのと同じことなのかもしれません。
機会あるごとに故人に思いをはせ、ご先祖様へのご供養を行う、この日本の良き伝統は、世代間を繋ぎ、それぞれの家のカタストロフィーの大きな波を乗り越えるための役割も果たしています。

終戦の日に、そしてお盆の日に、あれこれととめどなく書いてみました。

これからお盆の棚経に出かけてきます。

 


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(朝日新聞朝刊 横浜版 2011/8/9)

8月9日付けの朝日新聞 横浜版に記事を掲載していただきました。
「66年目の戦後」災後を歩む 特集の枠です。


取材の際には貞昌院を例にして、代々住職により記録されてきた郷土史、災害の記録などの古文書、過去の記録を提示させていただきました。
サブタイトルは「災厄記録し 次世代へ」、「過去の記録をひもときながら、今起きている東日本大震災や原発事故の記録を残し、次の世代の原動力につなげる。それが寺や僧侶の役割だと信じている」(記事原文ママ)という主旨の記事です。
投稿者: kameno 日時: 8:53 AM | | コメント (0)

怪しいお米セシウムさんの集団心理

 

東海テレビで「怪しいお米セシウムさん」のテロップが流れたのは4日前。
テロップに関ったのは東海テレビ50歳代の社員だそうで、このようなテロップを作成し放送したことはもちろん許されることではないし、東海テレビを含めて放送業界全体で検証していかなければならない事件だと考えます。



さて、身近な周囲を見回してみれば、例えば最近スーパーなどに行くと昨年産の米が飛ぶように売れている現状があります。

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近所のスーパーでは銘柄を選ばなければまだ買うことが出来ます。
しかし、そのうちに在庫も尽きてしまいそうな勢いです。
東京に近い地域ではまったく在庫がなくなってしまっている店も多く、また在庫があっても購入制限がかけられていたり、また、古米の卸問屋と小売店の取引価格は急騰しています。
早場米の高知県産の新米ですら売れ行きが悪いそうです。
東日本大震災直後に発生した買占めが米穀市場では再び発生しているのです。


政府は、2011年産の東日本の新米について、放射線の検査を二重に行うことを打ち出しています。
よって、市場に出回るのは暫定基準値より低い米のはずです。
それでも、消費者が古米獲得に走るのは、検査体制や基準値自体が信用できないことを含め、「怪しいお米」という疑念を払拭できないということなのでしょう。

消費者心理に、言葉には発しないけれども、その奥底に隠された「怪しいお米セシウムさん」という感情が潜んでいるのだとしたら、古米を買い占めた消費者を責めることはできるのでしょうか。

米は毎日の食生活に欠かせないものであり、日本文化は米中心に育まれてきたことを考え合わせると、なんともやるせない気持ちです。

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もう一つ、やるせないニュースといえば京都五山送り火で、岩手県陸前高田市の松で作られた薪使用する計画が、薪に含まれるかも知れない放射能が拡散される懸念があるということで中止となった ということです。

陸前高田市の薪350本には、震災遺族からのメッセージが既に書き記されていて、16日に京都で五山送り火として再び燃やされるはずでした。
(右写真は毎日新聞記事より引用)


この計画は、大分市の美術家、藤原了児さんの発案により京都五山送り火保存会の理事長を経て、藤原さんの知人である陸前高田市の旅館経営、鈴木繁治さんが被災地での薪集め、メッセージの呼びかけを行い準備が進められていました。
ところが、計画が報道されたころから京都市や関係者の自宅に「放射能汚染された灰が飛ぶ」「子供に後遺症が出たらどうなるのか」「琵琶湖の水が飲めなくなる」などと抗議の電話やメールが寄せられるようになったということです。

保存会では薪の放射能検査を独自に行った結果、全ての薪から放射性セシウムもヨウ素も検査されませんでした。
しかし、「不安に思う人がいるのなら押し通すことはない」という判断で岩手県陸前高田市の薪が京都で燃やされる計画は無くなりました。

保存会の理事長は陸前高田市に出向いて、この経緯を説明し深謝の上、今夜(8月8日)精霊の「迎え火」として陸前高田市で燃やされました。
理事長の実直な心の実行により計画に携わった多くの方々の思いは晴らされたのかも知れませんが、それでも後味の悪さは残ります。

 

このような事例はこれから数多く出てくると思われます。
風評と実害と、そして放射性物質への尽きない疑念。
そんなことにいつまで振り回されなければならないのでしょうか。

 


■関連ブログ記事
やるせない風評被害の現実

投稿者: kameno 日時: 9:34 PM | | コメント (2)

生活空間における放射線量低減対策について

放射性物質に汚染された地域を浄化するために ヒマワリ や アブラナ を植えるプロジェクトが提唱されています。
ただし、ヒマワリ や アブラナ に放射性物質を吸い上げる力があるのだとするのであれば、正しい理解に基づいて行わないと却って汚染を拡大する結果を招く恐れがあるので注意が必要です。

 


広まるヒマワリ作戦、間違えれば汚染拡散も

東京電力福島第一原発事故による周辺土壌の汚染を解消しようと、放射性物質を吸収するとされるヒマワリの種まきが、福島県内で進められていることに対し、「方法を間違えると汚染拡大の恐れもある」と、専門家から慎重な対応を求める声が起きている。放射性物質を吸収したヒマワリは、放射性廃棄物としての処理が必要だが、処理方法が確立されていないからだ。 石川県内からも現地に種を送る動きが活発化する中、専門家らは事前の情報収集の必要性を指摘している。 ヒマワリなどキク科やアカザ科の植物は、放射性セシウムを吸収するとされる。
農林水産省は、同原発周辺の土壌から放射性物質を吸収するのにヒマワリなどがどの程度効果があるか、5月から福島県飯舘村で実験を行っており、8月に刈り取って吸収量などを分析する。
ヒマワリに吸収効果があるという結果が出た場合は、原発周辺で植え付けを検討しており、「燃やしても放射性物質が外に出ないような焼却施設を開発する」として、専用処分場の建設も視野に入れる。

だが、現時点で処分場所も種まきに際してのマニュアルもなく、同省は「(緊急時避難準備区域の)30キロ圏内などでは、実験結果が出るまで行わない方が良いのでは」としている。
新潟大の野中昌法教授(土壌環境学)によると、吸収した放射性物質はヒマワリに蓄積され、いずれ処分しなければならない。 ただ、焼却すれば放射性物質が飛散する恐れがあり、種まきの際に土を耕すと地表の放射性物質が土壌深くに混ざってしまう。汚染を拡散させる危険性があり、「種まきは将来的な処理方法を考えた上で、正しい知識を持って行う必要がある」と指摘する。
(讀賣新聞 2011年7月17日 )


地土木研究所月報№646 2007年3月号解説「ファイトレメディエーション(植物を用いた地盤の浄化法)について」の修正について

平成23年(2011年)福島第一・第二原子力発電所事故に関連して、ファイトレメディエーション(地盤浄化)に関する当所の資料「解説 ファイトレメディエーション(植物を用いた地盤の浄化法)について(寒地土木研究所月報第646号)」を引用される方が増えております。このことに関して、資料の内容について訂正を行いましたのでお知らせします。     
訂正の趣旨
本解説は、重金属による土壌汚染対策手法のひとつとして植物の重金属吸収能力を利用した浄化方法について紹介したものです。
ファイトレメディエーションに関して、一部正確性が欠如した表現が含まれておりましたので、下記の通り修正を致しました。
訂正内容
「上記の5種類以外にも放射性物質を吸収する能力も研究されている例があり、それによるとヒマワリの根を用いた水耕栽培試験によりセシウム、ストロンチウムを蓄積することが判明した内容である。」
紹介した事例は、放射性物質を水溶液から吸収して植物体内に蓄積されるものであり、放射性物質を消滅させるものではありません。空気中や根の届かない範囲の放射性物質に対する効果は期待できませんし、全ての放射性物質に効果があるかどうかも不明です。また、土壌の浄化には、植物の除去・運搬などの処理を行う必要があります。植物を植えたから問題が解決するというものではなく、その処理まで含めた対応が必要であることに御留意いただきますようお願いします。
本解説を引用された方々にお詫び致します。
独立行政法人土木研究所 寒地土木研究所



さらに、宇宙農業研究の放射能汚染除去への貢献として、ひまわり作戦を提唱している JAXA宇宙航空研究開発機構・宇宙科学研究所宇宙科学研究所宇宙農業のサイトには

  • 被曝線量管理の手段を持てない状態にあるなら、播種などの作業を勧めることはできない
  • 収穫植物体について安全に処理する手順や施設の建設が国や自治体により準備されないかぎり、福島におけるヒマワリの播種は勧めることはできない
  • すでに播種した人にお知らせします。ヒマワリにかかわらず植物の放射性セシウムの取り込み能力がすばらしく優れていると、土壌中の放射性セシウムが植物体内に移ります。放射能の量は土壌の中にある時とおなじかわりませんが、放射線が植物の体からでるようにかわるので、計測してその効果がわかるまでは、あまり近づかず、植物体の高さが高くなる場合や 長い間接する場合には、安全面から目安として最低1.5 mほど離れてください。植物の取り込み能力やそのリスクは実験で判明します。ご質問のある方は、himawariproject@auone.jp に連絡してください。

との記述があります。
少なくとも、国や研究機関によるきちんとした放射性物質除去に関する実証実験が行われないうちは、被曝線量管理の手段を持っていない素人が 除染を目的としたヒマワリの播種を行うこと は控えたほうがよさそうです。
効果があるのであれば、刈り取ったヒマワリ自体に放射性物質が集まっているということですし、効果が無いのであれば、ヒマワリを植えること自体意味が無いことになります。

 

むしろ、福島県のホームページに記載されている

生活空間における放射線量低減対策について

手引き(PDF:1,804KB)
モデル事業結果(PDF:372KB)
パンフレット(PDF:2,927KB)

子供向け放射線対策パンフレットについて

未就学児童用(PDF:1,456KB)
小学生用(PDF:1,519KB)
中学生用(PDF:1,098KB)
保護者用(PDF:1,225KB)


を地域全体で協力して進めていったほうが、即効性がありますし、一度除染を行えば継続的に放射線の影響は抑えられます。
上記の福島県による生活空間における放射線量低減対策について、特にパンフレット(PDF:2,927KB)はよく纏められています。
生活空間の中で、どのような場所に放射性物質が集まりやすいかを理解し、それを効率的に取り除いていくことが除染のポイントとなります。

 

 



除染を実行するに当って、いちばん厄介な場所は水田だと考えます。
田植えが行われた水田は、水が張られています。土の表面に薄く堆積した放射性セシウムが拡散され、また、周辺環境から水によって集められた放射性セシウムが流れ込んでしまいます。
農林水産省は今日(7月3日)、近く収穫期を迎えるコメについて、収穫の前後2段階で放射性セシウムを調査する方針を発表しました。
収穫後の本調査で暫定規制値(500ベクレル/kg)を超えた地域のコメはすべて出荷停止として廃棄処分を義務づけ、他の食品より綿密な二重チェック体制を取ることになりました。
今年はかなりの地域のコメが廃棄処分となってしまう可能性があります。残念なことですが、食の安全を確保するためには必要な措置であると考えます。

 

以下は実用化に向けて研究が進められている話題ですが、復興構想会議に参加されている玄侑宗久師が提唱して有名になった細菌、ロドコッカス・エリスロポリスにも期待を込めたいところです。

緊急提言 玄侑宗久
日刊工業新聞(4/6)の報道によると、セシウム137 を約10 分の1まで減少させるロドコッカス・エリスロポリスという細菌があるらしい。国立環境研究所の富岡典子主任研究員らがすでに10 年前から研究し、その効果も実証確認しているというのである。海では使えないらしいが、校庭や農地の除染に役立つのかどうか、文科省や農産省には早速にも調査していただきたい。
(第6回 復興構想会議提言より引用)
 

ロドコッカス・エリスロポリスが除染に大きな役割を果たすことが実証できれば大きな成果となります。
放射性物質を消滅できないという前提を覆すことができるからです。
以下、日刊工業新聞の記事を引用します。


nikkankogyo 国立環境研、細菌使い放射能を10分の1に-水浄化で注目

国立環境研究所の研究グループが過去に行った放射性物質を取り込む細菌の研究で、水中の放射性物質が放射線を出す能力(放射能)を10分の1まで下げる細菌を発見していた。福島第一原子力発電所の事故で放射性物質の環境汚染が懸念される中、浄化手段としてあらためて注目される。ただ「簡単に増えるため大量培養は難しくないが、海水の中で利用できないことや温度や酸性度の条件で制約がある」(冨岡典子主任研究員)など実用化には課題があるようだ。
冨岡主任研究員らの研究グループはチェルノブイリ原発事故をきっかけに1988年から約10年間、細菌が放射性物質を取り込む現象を研究した。当時高精度な放射性物質の監視(モニタリング)装置がなかったため、細菌によるモニタリングの可能性を探るのが当初の研究目的だった。
(日刊工業新聞 2011年04月06日)


一日も早く美しい大地が戻りますよう願っています。

 


 

■追記


当選者名が「汚染されたお米セシウムさん」 「不適切」と東海テレビが謝罪


2011年8月4日放送された東海テレビの番組の中で、東北地方の米の当選者の名前として「汚染されたお米 セシウムさん」という文字が画面に出てしまい、局が謝罪文を掲載した。
この日朝に放送された情報番組「ぴーかんテレビ」で、視聴者プレゼント「岩手県産ひとめぼれ 10kg」の当選者が発表された。
■「視聴者の皆様に不快な思いを与えたことに対し、深くお詫び申し上げます」
その当選者の名前が「怪しいお米セシウムさん」「汚染されたお米セシウムさん」。東北の農家が放射能の風評被害に苦しむ中、それを揶揄するという、とんでもなく不謹慎な内容だ。
その後、番組内で、福島智之アナが「今、幸せ通販の映像の中で、違う映像が出てしまいました。考えられないような不謹慎な内容でした。本当にすみませんでした」と謝罪。局のHPにも
「番組途中、『夏休みプレゼント主義る祭り』の当選者をお知らせする内容に不適切な記述が誤って送出されました。大変常識を欠いた不謹慎な内容が画面に出てしまい、視聴者の皆様に不快な思いを与えたことに対し、深くお詫び申し上げます」
という謝罪文が掲載された。「誤って」とは書いてあるが、具体的な経緯については書かれていない。ネットでは、リハーサルで使うためのダミー用の映像が間違えて流れてしまったのではないかという指摘も出ている。このシーンの動画がすぐYouTubeにアップされ、「背筋が凍った」「放送事故とかいうレベルじゃないですよね?完全に悪意もあるし、被災地をバカにしてますよね?」といった非難のコメントが殺到している。
J-CASTニュース 2011年8月4日)


これは絶対に許せない「事件」です。とてつもない悪意を感じます。

投稿者: kameno 日時: 12:28 AM | | コメント (4) | トラックバック (1)

多言語マニュアルを

外国人向けのゲストハウスに設置する家電製品で特に不便に感じることは、操作スイッチ類の表記の不親切さです。
例えば、洗濯機はこんな感じです。

20110802-01

これでは、日本語を読めない方にとっては操作することは相当困難でしょう。
(日本語を理解していても、機能を理解することは難しいと思われます)

そこで、このような紙を作って壁に貼っています。

20110802-03

洗濯機に限らず、エアコンやテレビのリモコン、電磁調理器の操作パネル・・・・・

日本で発売されている家電製品のほとんどが、操作パネル、取扱説明書どちらも日本語のみの表記となっています。
デジタルカメラや携帯電話の中には言語を選べたりインターネットから英語版の取扱説明書がダウンロードできるものもあります。
けれども「白物家電」の場合は、日本語以外の説明がほとんどありません。

取扱説明書が難しいのであれば、せめて操作パネルの多言語版の説明シールだけでも添付(もしくはダウンロードできるように)して欲しいものです。

製品によっては、単に不便だけでなく、使用を誤ると危険を伴うものも少なくありません。
家電メーカーに是非お願いしたいことの一つです。


■追記
同じ趣旨のことを書いている人が居た!
English Translations for Korean Washing Machine & Water Heater

そうだよね~、こんなパネル見ても分からない。

投稿者: kameno 日時: 11:24 PM | | コメント (0)

般若心経はどこで区切る

般若心経は、最もポピュラーなお経の一つですので、さまざまな経本・経典に掲載されています。
夏のこの時期は、般若心経を読経する機会が普段よりも多くなりますので、それぞれを比べてみると区切り方(句点の打ち方)がバラバラであることに気付きます。
(※補注・曹洞宗僧侶は、般若心経を句点の位置で一拍おくという読み方はしません)
とりあえず、身近で目に付く範囲で調べてみると・・・・・
 

摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩●行深般若波羅蜜多時●照見五蘊皆空●度一切苦厄●舎利子●色不異空●空不異色●色即是空●空即是色●受想行識●亦復如是●舎利子●是諸法空相●不生不滅●不垢不浄●不増不減●是故空中●無色無受想行識●無眼耳鼻舌身意●無色声香味触法●無眼界乃至無意識界●無無明亦無無明尽●乃至無老死亦無老死尽●無苦集滅道●無智亦無得●以無所得故●菩提薩埵●依般若波羅蜜多故●心無罣礙●無罣礙故●無有恐怖●遠離一切顛倒夢想●究竟涅槃●三世諸仏●依般若波羅蜜多故●得阿耨多羅三藐三菩提●故知般若波羅蜜多●是大神呪●是大明呪●是無上呪●是無等等呪●能除一切苦●真実不虚●故説般若波羅蜜多呪●即説呪曰●羯諦羯諦●波羅羯諦●波羅僧羯諦●菩提薩婆訶●般若心経
修証義公布百周年記念 平成2年4月1日曹洞宗宗務庁発行経本


曹洞宗宗務庁発行の経本です。
わかりやすいように句点を●で表しました。

摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩●行深般若波羅蜜多時●照見五蘊皆空●度一切苦厄●舎利子●色不異空●空不異色●色即是空●空即是色●受想行識●亦復如是●舎利子●是諸法空相●不生不滅●不垢不浄不増不減●是故空中●無色無受想行識●無眼耳鼻舌身意●無色声香味触法●無眼界乃至無意識界●無無明亦無無明尽●乃至無老死●亦無老死尽●無苦集滅道●無智亦無得●以無所得故●菩提薩埵●依般若波羅蜜多故●心無罣礙●無罣礙故●無有恐怖●遠離一切顛倒夢想●究竟涅槃●三世諸仏●依般若波羅蜜多故●得阿耨多羅三藐三菩提●故知般若波羅蜜多●是大神呪●是大明呪●是無上呪●是無等等呪●能除一切苦●真実不虚●故説般若波羅蜜多呪●即説呪曰●羯諦●羯諦●波羅羯諦●波羅僧羯諦●菩提薩婆訶●般若心経
曹洞宗在家勤行聖典 昭和49年19版 曹洞宗教化部発行経本


同じく曹洞宗宗務庁発行の在家用の経本です。
ほぼ同じですが、細かい点に違いが見つかります。
不垢不浄不増不減 とか、最後の 羯諦●羯諦 の部分が異なりますね。

摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩●行深般若波羅蜜多時照●見五蘊皆空●度一切苦厄●舎利子●色不異空●空不異色●色即是空●空即是色●受想行識●亦復如是●舎利子●是諸法空相●不生不滅●不垢不浄●不増不減●是故空中●無色無受想行識●無眼耳鼻●舌身意●無色声香味触法●無眼界乃至●無意識界●無無明亦無無明尽●乃至無老死●亦無老死尽●無苦集滅道●無智亦無得●以無所得故●菩提薩埵●依般若波羅蜜多故●心無罣礙●無罣礙●故無●有恐怖●遠離一切顛倒夢想●究竟涅槃●三世諸仏●依般若波羅蜜多故●得阿耨多羅三藐三菩提●故知般若波羅蜜多●是大神呪●是大明呪●是無上呪●是無等等呪●能除一切苦●真実●不虚●故説●般若波羅蜜多呪●即説呪曰●羯諦●羯諦●波羅羯諦●波羅僧羯諦●菩提薩婆訶●般若心経
諸嶽山總持寺日課諸経要集 昭和59年3月1日大本山總持寺僧堂興隆会発行


曹洞宗大本山總持寺安居中に使っていた経本です。
いきなり出だしから 行深般若波羅蜜多時照● というように、句点の位置が違います。
また、本文中も宗務庁版に比べて句点が多くなっています。


摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩●行深般若波羅蜜多時照●見五蘊皆空●度一切苦厄●舎利子●色不異空●空不異色●色即是空●空即是色●受想行識●亦復如是●舎利子●是諸法空相●不生不滅●不垢不浄●不増不減●是故空中●無色無受想行識●無眼耳鼻●舌身意●無色声香味触法●無眼界乃至●無意識界●無無明亦無無明尽●乃至無老死●亦無老死尽●無苦集滅道●無智亦無得●以無所得故●菩提薩埵●依般若波羅蜜多故●心無罣礙●無罣礙●故無●有恐怖●遠離一切顛倒夢想●究竟●涅槃●三世諸仏●依般若波羅蜜多故●得阿耨多羅三藐三菩提●故知般若波羅蜜多●是大神呪●是大明呪●是無上呪●是無等等呪●能除一切苦●真実●不虚●故説●般若波羅蜜多呪●即説呪曰●羯諦●羯諦●波羅羯諦●波羅僧羯諦●菩提薩婆訶●般若心経
昭和訂補曹洞宗日課経大全 昭和54年9月1日 永田文昌堂発行


永田文昌堂発行のものは、大本山總持寺日課諸経要集に近い区切り方をしています。
ただ、まったく同じというわけではなく、 究竟●涅槃 の部分が違います。
惜しい!

曹洞宗だけでもこれだけ違うのですから他宗派は言わずもがなです。
あえて引用しませんが、ウィキペディアから般若心経項を見てみると

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄●舎利子●色不異空、空不異色、色即是空、空即是色●受・想・行・識亦復如是●舎利子●是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減●是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法●無眼界、乃至、無意識界●無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽●無苦・集・滅・道●無智亦無得●以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃●三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提●故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚●故説、般若波羅蜜多呪●即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶●般若心経
ウィキペディア 般若心経項より


句点のほかに読点、中黒・・・・・・
自由ですね~

原典に近いテキストは

般若波羅蜜多心經
觀自在菩薩●行深般若波羅蜜多時●照見五蘊皆空●度一切苦厄●舍利子●色不異空●空不異色●色即是空●空即是色●受想行識亦復如是●舍利子●是諸法空相●不生不滅●不垢不淨不增不減●是故空中●無色●無受想行識●無眼耳鼻舌身意●無色聲香味觸法●無眼界●乃至無意識界●無無明●亦無無明盡●乃至無老死●亦無老死盡●無苦集滅道●無智亦無得●以無所得故●菩提薩埵●依般若波羅蜜多故●心無罣礙●無罣礙故●無有恐怖●遠離顛倒夢想●究竟涅槃●三世諸佛●依般若波羅蜜多故●得阿耨多羅三藐三菩提●故知般若波羅蜜多●是大神咒●是大明咒是無上咒●是無等等咒●能除一切苦●真實不虛故●說般若波羅蜜多咒即說咒曰 揭帝揭帝 般羅揭帝 般羅僧揭帝菩提僧莎訶 般若波羅蜜多心經

大正新修大蔵経収録テキスト  唐三藏法師玄奘譯


さらに・・・・・

Falongsibeiye

東京国立博物館所蔵重要文化財『梵本心経および尊勝陀羅尼』(梵字による最古の般若心経とされる)

 

このようにざっと見回しただけで、同じものは無いといっても良いほどです。

なお、般若心経は漢文読み下しをすることにより、意味をとることができます。
読み下しの観点から見るに、個人的には次のような区切りがすっきりしていて良い感じです。

摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩●行深般若波羅蜜多時●照見五蘊皆空●度一切苦厄●舎利子●色不異空●空不異色●色即是空●空即是色●受想行識●亦復如是●舎利子●是諸法空相●不生不滅●不垢不浄●不増不減●是故空中無色●無受想行識●無眼耳鼻舌身意●無色声香味触法●無眼界●乃至無意識界●無無明亦無無明尽●乃至無老死●亦無老死尽●無苦集滅道●無智亦無得●以無所得故●菩提薩埵●依般若波羅蜜多故●心無罣礙●無罣礙故●無有恐怖●遠離一切顛倒夢想●究竟涅槃● 三世諸仏●依般若波羅蜜多故●得阿耨多羅三藐三菩提●故知般若波羅蜜多●是大神呪●是大明呪●是無上呪●是無等等呪●能除一切苦●真実不虚●故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰●羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶●般若心経
貞昌院版般若心経

 

補足1 経典によっては打磬点(だけいてん=鳴らしものを打つ場所)記号が記載されていますが、今日のブログでは省略しています。
補足2 漢字の差異の検証も省略しています。


■関連ブログ記事

世界を巡る般若心経


 

■蛇足

アウトドア般若心経 by みうらじゅん

 

Web2.0 形式 アウトドア般若心経

投稿者: kameno 日時: 3:06 AM | | コメント (0)

日本が世界に誇る禅の文化

私たちがドイツで声明公演を行っていた時期を同じくして、フランス・パリではジャパンエキスポ2011が開催されていました。

20110720-04

ジャパンエキスポは、毎年7月フランス・パリで行われる、日本のポップカルチャーと、書道や武道・茶道・折り紙などの伝統文化を紹介する日本文化のフェスティバルです。

今や日本文化といえば、マンガ・アニメ・ゲームを中心とし、音楽・モードを含めた日本のポップカルチャーがその代表格となっていますが、どうしてどうして、日本の長い伝統で培われてきた伝統文化も大きなブームとなっています。

ジャパンエキスポ会場ではマンガやアニメのコミックやDVD、関連グッヅ販売、ゲーム体験、サイン会、コンサート、ファッションショー等々・・・さまざまなプログラムが組まれ、毎年フランス国内はもとよりヨーロッパ諸国から17万を超える入場者を集めるヨーロッパ最大規模の日本フェスティバルです。

 

ジャパンエキスポ2011 概要

開催日: 2011年6月30日(木)~7月3日(日) 11:00~19:00(4日間)
会場: フランス パリ・ノール ヴィルパント展示会会場 Parc d'Exposition Paris Nord Villepinte
入場料: 6/30(木)9ユーロ、7/1(金)12ユーロ、7/2(土)14ユーロ、7/3(日)12ユーロ。週末3日間パス31ユーロ。4日間パス35ユーロ。
入場者数: 前回2010年は17万4千人来場

 

日本の文化として「禅」も位置づけられており、禅のブース Butsu Zen Zone もありました。

20110720-05


Try Zazen meditation! With Butsu Zen Zone, everything is in the mind, Zen, serene and a bit offbeat!
Existing in Japan since the 13th century, this practice linking body and mind is entirely part of Japanese culture. Zen masters initiate you to sitted meditation, Zazen, at Japan Expo. 
On the hype, Kawaii and fun booth of Butsu Zen Zone, practice is illustrated by the new Zen aesthetic of the Western lands thanks to our artists who regularly publish in Japan. True Buddhas answer your deepest questions, even the most Banzai ones.
  
What is Zen?
Zen is mainly about practicing Zazen, a word coming from Za (to sit) and Zen (meditation).
Zazen is nothing but sitting peacefully and being intimate with oneself. It does not rely on a dogma or ideology. It is a school of concentration, attention, self-knowledge and letting go. 
This practice has been transmitted from master to disciple, from people to people, for 2.500 years. The quiet position of Buddha is the perfect image of Zen.
Sitting quietly, thinking about nothing in particular. Letting thoughts flow after becoming aware of a moment and coming back to being attentive to the position of the body and to breathing. This way, our mind, wholly aware of what surrounds it, remains available to every new moment.
This is the essence of Zen: focusing on the posture and breathing.
  
Zen in the Western world
Master Taisen DESHIMARU taught and transmitted the practice of Zazen in Europe from 1967, when he arrived in France, to 1982 when he died.
He is the heir of the purest tradition transmitted from the Indian Buddha Shakyamuni, Chinese Bodhidharma and Japanese Dogen. Disciple from Master Kodo SAWAKI, one of the greatest in Japan, he strongly desired to help contemporary men, whom he could feel were unbalanced, and make them understand their lives and themselves more deeply thanks to Zazen. His teaching was very concrete and deep inside everyday life. He often said: “Don’t separate the spiritual and the material. You must take up contradictions.”
In the current crisis of our civilization, Japanese art of living together, pervaded with Zen, can feed the world culture of the 21st century.
(Japan Expo 2011のサイトより引用)

 

会場の雰囲気もなかなか良いようで、


We were able to staff the stands at Paris and Montreuil mainly with members of Neuilly and Tolbiac dojos, and then had the help of the major southern dojos near Marseille (where we did over 250 introductions, with fans sometimes queuing for a zafu!), so the participation of different sanghas was invaluable. It is a unique experience to present the practice I shin den shin to strangers, even for a near beginner!

Even if seated zazen is demanding, what we presented is a strong but joyful practice, and we do not see any reason to leave the monopoly in Buddhist smiles and laughter to the Dalai Lama. The public must have been aware of this atmosphere at the Butsu Zen Zone, sensing the open-mindedness, joy and considerable humour. In short, it was a lot of fun!

In any case, it seems that the motionless beauty of the zazen posture in the middle of this friendly chaos has struck people’s minds because, after participating three times, we are now among the ‘events not to be missed at Japan Expo’ and the organisers insist on our continued presence.

 

という記述もありました。

 


フランスを拠点とするAZI(Association Zen Internationale)のサイトに JapanExpoの参加レポートが掲載されていました。


Zazen à la JAPAN EXPO
Butsu-zen-zone-3 
(写真はAZIのサイトより)


折角のJapanExpoですので、日本から禅僧が積極的に参加して、ブース出展することを検討してもよいのではないでしょうか。
「本物」が与えるインパクトも大きいと思います。
日本が世界に誇る文化たる禅へ理解をより深めるために。

 


■関連ブログ記事

FOODEX JAPAN特設ステージ

投稿者: kameno 日時: 11:27 AM | | コメント (0)

風評被害と先入観

声明ドイツ公演渡航まで一週間となり、仏具の最終点検が行われました。
航空貨物として運搬するため、丁寧に梱包し、運送会社へ引き渡していきます。
同時にインボイスの作成などなど、事務的な作業も進めます。

201100621-01

まもなく出発なのだな~と実感が湧いてきます。

今回の渡航の中を取り持ってくださっているのが、声明研究家のドイツ人Rさんです。
おそらく曹洞宗では初めてとなるこの国際的な事業は、Rさんの力無くしては実現しなかったことでしょう。

R氏は声明研究家であると同時に、日本文化の優れた理解者、紹介者でもあります。
日本を代表する文化といえば、今ではアニメ、MANGA、ギャルファッション・・・・そんな風潮でありますが、能や鼓、尺八といった伝統音楽、その源流となる声明などなど、日本人ですら気付かない素晴らしさを熱心に説かれるドイツ人です。
また、その人脈の広さは特筆すべきであり、鼓の大倉正之助さんをはじめ、日本の伝統音楽家はほとんど関わっているといって過言ではありません。

けれども、日本の伝統音楽への欲求や評価も高いのに、現地の日本政府高官の方々は日本の伝統音楽にそのようなものには興味が無いという現実があるようです。
2年前の宗教音楽際のオープニングを声明が飾り、大反響だったにも関わらず係らず、その場に政府高官の方の出席はありませんでした。
能や尺八の公演でも然り。
日本の伝統音楽は、退屈で詰まらない、取るに足らないという先入観が日本人に根付いているようなのです。

Rさんもそのことを指摘されていました。
一種の風評被害のようなものなのでしょう。


今日、東日本大震災支援コンサートが横浜市南区の寺院で開催されたので参加してきました。

東日本大震災支援コンサート
~農家を風評被害から守りたい~

 

東日本大震災の被災地では、現在懸命の復旧作業が行われておりますが、復興への道のりはまだまだ始まったばかりでこれからが長丁場です。
また、放射性物質検出の報道以来、近隣農家の方々は風評被害によって生活に大きな打撃を受けておられます。
私たちにできることは、被災地の一日も早い復興を願うこと、被災者の方々へ熱い思いを届けることだと思います。
今回、このような思いを同じくする多くの方々が集結することにより、支援コンサートが実現できることになりました。
(演奏会パンフレットより)

201100621-03

この演奏会は、やはりドイツ人のRさんと関わりの深い尺八奏者の田嶋直士さんが主催されたものです。

田嶋さんは、エンジニアとして大手メーカーに勤めていましたが、虚無僧が吹く尺八本曲に出会い、20代半ばに会社を辞めて尺八の道に入られました。
吹奏の場を求めて全国行脚するなど修行を重ね、「直簫流田嶋会」を創設、洋楽との共演など新しい試みにも積極的にチャレンジし、国内のみならず海外公演を毎年行って高い評価を受けていらっしゃる方です。
もちろん、ドイツでも公演経験は多数あります。

ちなみに、この寺院は3年前、横浜市仏教会の涅槃会で会場となった寺院です。

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<写真はリハーサルの様子>

会場には、新鮮な野菜が並べられています。
これらは震災で風評被害を受けている福島県産の野菜たちです。


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地元農家からは次のようなメセージが添えられています。

この度の東日本大震災による東北地方太平洋沿岸地域は地震・津波の被害はもとより当地福島県は収束の見えない原発事故による復旧作業も進まない状況にあります。
また、農業面におきましても放射線等の問題もあり、丹精込めた野菜は大半が廃棄処分されるとともに、販売可能な品目についてもスーパーマーケット等からは福島県産は敬遠され出荷されても値がつかないなど、大打撃を受け、今後の再生産の意欲も失いかねない状況でした。震災後一ヶ月が過ぎ、当地も桜の開花とともに再起を目指し、一歩一歩前を向いて動き始めました。

 

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演奏会開始時刻には会場の本堂は多くの方々で満たされました。

尺八はヨーロッパでは Zen Music として親しまれています。
その源流は禅宗の一派である普化宗です。
そのようなこともあり、田嶋さん曰く、洞窟やさまざまなホールで演奏を行ってきたけれども、本堂で行う演奏会が一番しっくりとくるそうです。

シンプルな楽器ですが、そこから奏でられる音色はとても幅広いものです。
洗練された楽器であることを感じます。

日本の伝統音楽は、決して退屈で取るに足らないものではない、というように先入観を払拭していくべく多くの伝統音楽演奏家の方々が努力されています。
日本の方々は日本文化に対する認識を改めて欲しいと願います。

来週から始まる声明のドイツ公演でも、このあたりに踏み込んでいけたらと考えています。



さて、今日のブログのタイトルは風評被害と先入観というものにしました。
日本の伝統音楽の評価が日本国内において必ずしも高くなかったり、理解されない原因の一つには先入観があると考えます。

同時に、日本のみならず世界中に広がっている福島県産(あるいは日本産)の農産物などに風評被害にも、先入観と無理解がその原因にあると思います。

風評被害とはどのようなことかを考えるに 「事件、事故、災害、汚染などの社会問題が報道されることによって、実際は安全とされる食品、製品、商品、企業などを、間違った認識により危険視し、消費行動や観光、取引を停止することによる経済被害 」といったことになるでしょう。

風評被害が風評被害となる前提には、「実際は安全とされる」という部分が重要になります。
安全とは何かを、科学的な根拠に基づいて確認されることが必要となります。

ですから

どこが(何が)安全で、どこが(何が)安全でないのかという明確な基準が必要なのだと思います。
それが分からないし明確でないから、余計に風評被害は広まっていくのです。
政府、自治体には、一定基準に基づいた緻密な測定を行っていただき、速やかに公開して欲しいものです。

そのことこそが風評被害を少しでも軽減させることに繋がるものだと考えています。


蛇足
ここのお寺には、背中に藻を生やした亀さんがいます。
かわいい!
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投稿者: kameno 日時: 10:35 PM | | コメント (4) | トラックバック (3)

被災者ののグリーフケアが鍵

昨日の神奈川新聞に「被災者ののグリーフケアが鍵」いう記事が掲載されていました。
震災発生より宗教者たる僧侶は様々な行動をしてきました。
大規模な災害は、葬儀のありかたにも考えさせられる問題を提起しています。
まもなく3ヶ月を迎えようとするこの時期に、改めて考え直し、今後に向けて考えることも必要だと思います。

 


被災者のグリーフケアが鍵

数多くの犠牲者を出した東日本大震災。火葬場の処理能力を超えた遺体を前に、被災地の一部自治体は土葬に踏み切った。だが遺族らの土葬に対する抵抗感が強く、遺体を掘り起こして遍く離れた自治体に送り、火葬するケースが続出している。尊厳ある送り方とは何か。遺族感情にどう寄り添えばいいのか。葬法をめぐる議論は、突然の死とどう向き合うかという問題を提起している。

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犠牲者を追悼する行脚で、津波被害が甚大だった町を歩く僧侶と牧師ら=宮城県南三陸町
約300体の遺体が土葬されている仮埋葬地=宮城県東松島市

□土葬と遺族感情

▽割り切れない

「被災地で土葬に対する批判的な意見が多く出たことに最初は驚きました」と話すのは宗教学者島田裕巳さん。数十年前の日本で土葬は当たり前で、火葬が全国に広がったのは戦後、行政が火葬場を各地に建てるようになってからだという。
「火葬はあくまでも遺体の処理方法で、土葬にしたからといって遺族は自分を責める必要はまったくない。問題は死者をどう弔うかにある」と島田さん。だが、遺族感情がそう簡単に割り切れないこともよく理解できるという。
「最近は簡単な家族葬も増えているが、今回は突然の大災害による悲劇的な死。残された家族にとって、通夜、葬儀・告別式、火葬といった通常のプロセスでちゃんと弔ってあげたいという気持ちは大きいはず」また、土葬の現場では、自衛隊が埋葬の準備や身元不明遺体の搬送などを担当することが多かった。島田さんは自衛隊の活動を評価しながらも「遺族の中には自分たちの手で十分に弔えたという意識を持てない人もいるのでは」と指摘する。


▽価値観の変容
東北各地の死者の祭り方や民間信仰を調べてきた東北大の鈴木岩弓教授(宗教民俗学)も「東北地方の一部地域では1970年代まで土葬の風習が残っていた。人々の価値観が大きく変容したことをあらためて実感した」と語る。
「火葬という観念が時間をかけて広がったことで、土葬を法律違反、または非衛生的といったマイナスイメージでとらえるようになった。もちろん土葬は、条例で禁止している一部自治体を除き、墓地埋葬法に違反するものではないですが」
鈴木教授によると、韓国も葬法をめぐる状況は似ている。「死後焼かれるのは辱めを受けるのと同じ」という儒教的な思想から土葬が一般的だったが、最近は土地の有効利用の問題もあり、若い世代を中心に火葬が増加しているという。
国を問わず、葬儀のスタイルは時代とともに変遷していく。「ただ、昔は土葬が多かったと言っても意味がない。すでに人々の価値観は変わっている。今回の震災では、身近な人を亡くしたり、緊急避難的に土葬をせざるを得なかったりした人たちのグリーフケアが一番重要だ」と強調する。
「グリーフ」とは英語で「深い悲しみ」を意味する。問題は土葬の是非ではなく、納得いくかたちで弔うことができたかという遺族感情。こういう大災害のときこそ、宗教界も立ち上がるべきだと、鈴木教授は言う。

▽垣根を越えて
実際、被災地や土葬の現場では、宗派を超えて僧侶らがボランティアで読経をあげる姿が各地で見られた。宮城県では、仏教会やキリスト教連合などの宗教関係者が中心となり、医療や生活支援の専門家らと連携した「心の相談室」を立ち上げた。葬法などの疑問に答えるだけでなく、遺族のグリーフケアをさまざまな分野で支援することを目的にしている。
土葬問題が映し出した遺族感情。未曽有の大災害で大事な人を突然失った人たちの悲しみをいかに鎮め、希望を持たせることができるのか。「死の生々しい記憶を乗り越えていくことで、人は前を向くことができる」(鈴木教授)。
そのためには行政、宗教、各種団体の垣根を越えた取り組みが鍵となりそうだ。
(神奈川新聞 2011/5/30より記事と写真を引用)


鈴木教授の指摘するように、問題は「火葬」か「土葬か」ということよりも、遺族の中に充分な供養を行えていなかった、納得できる形で弔うことができなかったという感情が残されているとすれば、それは大きな問題なのだろうと感じます。

ただ、この記事中で欠けている点を挙げれば、被災地に於いて、被災者の菩提寺、そして地元の寺院はそれぞれ活動をされているということに触れていない点です。被災者ののグリーフケアは、物理的に不可能な場合を除いては菩提寺、地域の寺院が最優先で行っているということを指摘させていただきます。

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記事中写真にある東松島の墓地には震災発生一ヵ月後に参拝させていただきました。
自衛隊の方々により搬送され、自治体の担当者により埋葬される、その場面にどれだけ菩提寺の僧侶が立ち会うことができていたのかはわかりません。

その場にいた役所の方に伺うと、火葬場の順番が空き次第、掘起こして荼毘に附していくということでした。
この日も、数区画で荼毘に附される準備が行われていました。
その場には菩提寺の僧侶の姿もありました。
土葬はあくまでも火葬までの仮埋葬であるとすれば、記事にある土葬の風習が云々というのは少々的外れな論議であるように感じます。

震災発生からまもなく3ヶ月。
被災者ののグリーフケアのための行政、宗教、各種団体の垣根を越えた取り組みが求められる時期に来ている、と記事は結んでいます。

 


 

外がどんなに嵐でも

雲がどんなに厚くとも

雲の上は

いつだって

抜けるような青空。

(新井満)

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投稿者: kameno 日時: 8:40 AM | | コメント (0)

津波から命を救った先人の智恵

31749両岸から大津波が押し寄せ、島の中央でぶつかった―。
日本三景「松島」の東端にある宮城県東松島市の宮戸島。平安時代の869年(貞観11年)に東北地方太平洋岸で起きた大地震「貞観地震」をめぐり、島民の間にはこんな言い伝えが残されている。
ぶつかったとされる場所(標高約10メートル)には石碑が建っており、そこより下は危険とされていた。東日本大震災で約1000人の島民は石碑より高台にある市立宮戸小学校などに一斉に避難。津波は浜辺の集落の大半をのみこんだが、石碑の手前でとどまり、犠牲者は数人にとどまった。「先人の言い伝えが命を救った」。近くに住む観音寺住職の渡辺照悟さん(80)はしみじみと語った。
複数の島民によると、貞観地震では津波で多くの人が命を落としたとみられ、言い伝えは島民の間に浸透。大きな地震が起きると高台に逃げる習慣が身に付いていた。周辺の地名は「二ツ橋」とされており、「二つの津波がぶつかる姿を橋に見立てたのでは」と指摘する声もある。
両岸から大津波が押し寄せ、島の中央でぶつかった―。日本三景「松島」の東端にある宮城県東松島市の宮戸島。平安時代の869年(貞観11年)に東北地方太平洋岸で起きた大地震「貞観地震」をめぐり、島民の間にはこんな言い伝えが残されている。
ぶつかったとされる場所(標高約10メートル)には石碑が建っており、そこより下は危険とされていた。東日本大震災で約1000人の島民は石碑より高台にある市立宮戸小学校などに一斉に避難。津波は浜辺の集落の大半をのみこんだが、石碑の手前でとどまり、犠牲者は数人にとどまった。「先人の言い伝えが命を救った」。近くに住む観音寺住職の渡辺照悟さん(80)はしみじみと語った。
複数の島民によると、貞観地震では津波で多くの人が命を落としたとみられ、言い伝えは島民の間に浸透。大きな地震が起きると高台に逃げる習慣が身に付いていた。周辺の地名は「二ツ橋」とされており、「二つの津波がぶつかる姿を橋に見立てたのでは」と指摘する声もある。
今回の津波で多くの犠牲者を出した近くの同市野蒜でも似たような話があった。カキ養殖業高橋勲さん(68)は1960年のチリ地震の際、潮が大きく引いた浜でピチピチと跳ねる魚を発見。手ですくおうとしていたところ、1896年の明治三陸地震の津波を知る長老が「大津波の前兆だ。早く逃げろ」と叫び、助かった。
高橋さんは「海辺の言い伝えを知っていた漁師は今回も助かった」と振り返る。渡辺さんは「経験を後世に残すため、『平成の石碑』を並べて建てようか」と話した。
(時事通信2011年4月24日より記事、写真を引用)


奥松島に浮かぶ宮戸島は、松島湾の東端に位置するために、東日本大震災の津波により甚大な被害を受けました。
宮戸島の各所にある浜(室浜、大浜、月浜など)の集落は壊滅的となってしまいました。さらに島を結ぶ連絡橋が崩落し復興の妨げになってしまいました。
しかし、住民約千人のうち9割以上の方が宮戸小学校に避難し助かりました。

島民の命を救ったのが、平安時代に発生した貞観地震の際に大津波が押し寄せ、ぶつかった場所に設定されてた石碑でした。
先人の言い伝えを大切に伝承し、習慣付けておくことがいかに大切かがわかります。

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高台にある宮戸小学校。
授業が行われていました。
写真では何とも無いように見えますが、体育館は避難所に、校庭には自衛隊による仮設のお風呂が設置されています。
記事にある観音寺様はこの小学校の直ぐ下です。

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(万葉の湯のタンクローリーも見かけました)

 
震災から暫くしてようやく陸上自衛隊により仮橋が架けられるまでは自衛隊のヘリコプターによる水や物資の輸送に頼る生活をされていました。
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現在でも電気、ガス、上下水道が通っておらず、まずはライフラインの復旧が待ち望まれます。
宮戸島を結ぶ松ヶ島橋では、新しく電柱が立てられ、電線を張る作業が急ピッチで進められていました。

投稿者: kameno 日時: 12:07 AM | | コメント (0)

三陸に希望の光

石巻の地酒 日高見 希望の光

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石巻は、太平洋と北東北を縦断する北上川の河口に開けた港町ということで、江戸時代には、伊達藩と南部藩の米の集積地として栄え、日本有数の酒所として発展しました。

東日本大震災によって酒蔵の大半が被災しました。石巻には未だ電気、水道が復旧していない地域がありますが、一丸となって復興に向けて頑張っています。
被災を免れた醪(もろみ)を救うべく、造りの別無く全て一緒に絞ったのがこの「希望の光」です。

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平年のお酒に比べて力強い、太い味わいになったそうです。
いわば再現の無い今年限りの貴重なお酒ですので、本尊様に献じてからじっくりと味わってみたいと思います。


南三陸の杉 輝かせたい

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(朝日新聞 2011/5/16夕刊)

三陸は優れた品質の杉を生み出す林業の盛んな地域でもあります。
津波の直撃を歴史的に何度も受けている製材所では、そのたびに被災した人のために直ぐ製材を開始してきたそうです。
今回も、製材機も流され、会社の復活には時間がかかるとの事ですが、既に仮事務所で材木の販売が開始され、秋には工場を再開させるそうです。



寺院では法要の際に「塔婆」を使います。
このブログでは、塔婆を国産材、さらに言えば地域の間伐材を用いることを提起してきました。

⇒ブログ記事 豊かな水と森を守るために
現在、8~9割が輸入材である塔婆。
国産材、特に間伐材を使った場合は

・価格が若干高い
・節模様、もしくは節穴が発生する
・杉材の場合は、赤い木肌模様が生じる

というデメリットもありますが、今年から数年に亘っては特に被災地の国産材を用いた塔婆を利用することも一つの復興支援となることでしょう。
南三陸の杉塔婆・・・貞昌院では具体的に南三陸の杉塔婆+モンゴルへの植林支援の組合せを考えてみようと思います。

一寺院のみの運動のみならず、寺院と製材所の連携によってより広がっていくといいですね。

投稿者: kameno 日時: 8:05 AM | | コメント (2)

先人の教えに学ぶ地震の教訓

先人の知恵浸水防ぐ 宮城県南「浜街道」

東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南の沿岸部で、津波の浸水が江戸時代の街道と宿場町の手前で止まっていたことが、東北大東北アジア研究センターの平川新教授(江戸時代史)らのグループの調査で分かった。平川教授は「過去の津波の浸水域を避けて、街道が整備された可能性が高い。自然と共存するための先人の知恵ではないか」としている。

グループは震災後の国土地理院の航空写真を基に津波浸水域図を作製し、旧街道や宿場町の地図と照合した=地図=。現在の岩沼市にあった「岩沼宿」から水戸へと続いていた、太平洋岸の主要街道「浜街道」に着目。岩沼宿から宮城県山元町の「坂元宿」までの街道と宿場の大部分が、浸水域からわずかに内陸部に位置し、被害を免れていた。
浜街道周辺はほぼ400年おきに津波に襲われている。1611年には慶長三陸津波が発生し、仙台藩領内でも1783人が亡くなったという記録が残る。
街道や宿場は交通や流通の結節点として、人が密集する地域の要衝。平川教授は「慶長津波を受けて、街道や宿場を今の位置にした可能性もある」との見方を示す。
仙台以北の沿岸部についても今後、詳しく分析する考え。
平川教授は「明治以降の近代化や宅地開発などで、津波経験の記憶は薄れてしまった。先人が自然災害の教訓をどう生かしていたかを丹念に調べ、今後の復旧に生かすべきだ」と話している。
(河北新聞 2011/04/25)


「津波のときは井戸を見ろ」 先人の教えで津波避け助かる


先人の教え、津波から住民守る 宮古市の姉吉地区

「津波が来たら、沖合へ」 先人の教え、船団守る


東日本大震災では、先人から伝わる教えの大切さ、重要性を改めて思い知らされる報道が数多くありました。
いくつかピックアップして冒頭にまとめましたが、そのなかで、一番着目するべき記事は、「津波の浸水が江戸時代の街道と宿場町の手前で止まっていた」という東北大学平川教授の研究結果です。
右上図を見ると、見事に今回の津波の浸水域と江戸街道の線が一致しています。
重要な街道と宿場町の位置決定にあたって、慶長津波などの記録から先人の教えを重要視して、安全な場所に造ったのでしょう。

このように、長期間の間隔をおいて繰り返される災害に対しては、薄れがちな災害の経験や記憶を大切に受継ぎ生かすことが重要であることを改めて思い知らされます。
関東地方に住んでいる者にとっては、関東大震災はもう80年前の話です。
しかし、その時に残された記録、体験者の教訓は常に心の中に留めておく必要があるでしょう。
先人の教えは貴重です。


貞昌院の先々代、先代住職が記録した関東大震災の記録を改めて見直してみます。


大正十二年九月一日
関東大震災、午前十一時五十八分、突如上下動の大激震、咄嗟に起り其の震動極めて峻烈、凄槍極る災厄をもたらし、許多の財宝と生霊とを烏有に帰せしめてしまった。当地域の約五割に及ぶ家産は全潰、殆んど残る家屋は半潰に近い。第一震後も約一分おき位いに余震が襲来し、生ける心地だに無い。その中にあって村民は一致協力、火災の発生防除に全力を尽くす。時恰も昼餉用意の最中、戸外避難の前に、火気の存する所には水をかけ、或は鉢などにて蔽い、当永野地区(注:横浜市港南区上永谷・野庭町)からは全く火災を生ぜさせなかった。
正午を過ぎて間もなく、横浜市街地上空は黒煙濠々渦巻いて空高く立ち込め、物凄い光景が当地区から見られる。時折大爆音を耳にす。横浜港沖合に富士火山系に亀裂を生じ大噴火を成しつつありと流言が飛ぶ。後に、石油、ガスタンクの爆破と分る。
各所に山崩れ起り、道路埋没して交通途絶数ケ所生じたが、全村民総出動で土砂を切り開き、三日後には全箇所開通した。
九月二日正午近くより、刻一刻、戦慄すべき流言が宣伝され、村民挙げて戦々競々と、各小部落互に山の中に小屋を設け、老人婦女子は、まとまって、小屋にかくれ、青年、屈強な男子は、各要所要所の部署に就き、見張り、警戒の任に当たる。間もなく軍隊が到着し全村民安堵し、安き眠りに就くことを得た。
(『永野郷土史』貞昌院28世 亀野源量大和尚による記録より一部抜粋)



関東大震災は、昼を迎える直前に発生しました。
地震の揺れによって、地域の半数の建物は全壊、ほとんどの建物は半壊の状態となってしまいました。
その後も1分おきに続く余震。

しかし、特筆するべきは、永野地区では村民が一致協力して、とにかく火災発生を防いだことが功を奏し、火災が皆無だったことが記録されています。
住民の防災意識が如何に高かったことか。


関東大震災により、貞昌院の伽藍も倒壊してしまいました。
関東大震災の被害を受ける以前の貞昌院は、絵地図に見られるように、茅葺屋根でした。

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貞昌院の伽藍は、明治19年(1886年)の火災から再建された(明治34年再建)直後、関東大震災により倒壊という甚大な被害を受けます。

しかしながら、大震災翌年には茅葺から亜鉛葺きの本堂として再建されました。
地域の方々、檀家さんのご尽力の賜物だと感じています。
復興への力強さを垣間見ることができる顕著な事例です。

 

 

『永野郷土史』において、関東大震災の総括として、亀野寛量大和尚は次のように記述しています。


大震災に付随して起る災害については、関東大震災の記録等から次の点が挙げられる。

1 大火災の発生
人家の密集地帯程被害が大きい、家屋倒壊の死者よりも火災による焼死者の方が断然多い。
東京府内 焼死者 56,774人(警視庁調)
溺死者 11,233 / 圧死者 3,608 / 負傷者 31,372
東京府の例を見ても一目瞭然である。
横浜市 総戸数 93,840戸 / 焼失戸数 55,826 / 倒壊戸数 18,149
家屋にしても地震による倒壊よりも火災焼失の方が数倍に上っている。
殊に悲惨を極めたのは正金銀行(現県博物館)の建物の堅牢なるを思うてここに避難した多数の人が折角の頼みも甲斐なく猛火の包囲に雪崩を打って地下室に入り込んだまま折り重って全部蒸焼になってしまったことである。

2 水道、電気、電話、道路、電車、汽車の通信交通は全面に途絶する。

3 余震の継続
大地震の後は引続き、地鳴りを伴った余震が引っきりなしに襲ってくる。
大地の各所に亀裂を生じ余震によって亀裂に挟まることがあるので、注意せねばならない。

4 伝染病の発生

5 海嘯(つなみ)の襲来
海辺近くに放した場合直ちに配慮しなければならない。

6 流言蜚語が横行する。
人心が極度の不安に襲われると常識では考えられない程、冷静さを失い、馬鹿馬鹿しいとさえ思うことを信じきってしまうことになるものである。
関東地方在留の朝鮮の方々には誠に申訳けない程の気の毒な思いをさせたものである。

7 食糧飲料水の不足
食糧倉庫の焼失、交通機関の杜絶から他地域から食糧が得られない、勿論精米所もその機能を失っているので精米は出来ない。
当時どの家庭でも空びんに玄米を入れ竹棒でつっついて白い米を得るのが一仕事であった。

8 失業者の続出
商店、工場の焼失により、職を失う者の数増大し、失業者問題は社会秩序維持の上に最も重大なものとなってくる。

大要以上のようなことが震災に伴って波生することを覚悟せねばならない。都市造りに最も重要視しなければ ならないことは思いきった多くの空地、緑地を持つこと である。

(『永野郷土史』貞昌院29世亀野寛量大和尚による提言 より)

 


時代を超えて学ぶべきことが多い記録、提言です。
私たちは後世の人のためにどれだけのものを残すことが出来るでしょうか。


追記

教区東堂様が先日遷化され、本葬儀にむけて差定帳・記念誌を作成しています。
その中にも、学ぶべきことばが幾つもありました。

・「頼りになるのは他人(ひと)の力、頼りにならないのも他人(ひと)の力」
・「常に最悪を想定して行動せよ」
・「思っちゃいけない。やろうと思った時はしなかったとき。思う前に行動しよう」
・「出来事は全部必然、偶然はない」
(泉区T寺東堂様のことばより)

深い深い教えです。

投稿者: kameno 日時: 8:27 AM | | コメント (3)

瓦礫で造った復興のシンボル

先日宮城県沿岸部で目の当たりにした光景は、津波によって甚大な被害を受けた一面の瓦礫でした。

環境省によると、瓦礫の総量は宮城県だけでも1800万トン(車や土砂を除く)にのぼる見通しです。
阪神・淡路大震災で発生した瓦礫の量は約1400万トンとされていますから、宮城県だけでこの量を上回っています。
岩手県、福島県など他の地域を含めると、総量はどれ程になるのでしょうか。

毎日懸命の瓦礫撤去作業が行われておりますが、作業にかかわる方は本当に大変だと思います。
心より応援申し上げます。

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振り返ると、大正12年に発生した関東大震災において、震源地に近かった横浜は甚大な被害を受けました。
官公庁やグランドホテル・オリエンタルホテルなど石造・煉瓦造りの建物は一瞬にして倒壊し、更に火災によって外国領事館の全てが焼失、工場・会社事務所も90%近くが焼失してしまいました。
震災発生が昼食の時間帯と重なったこと、台風が接近していたことにより、広範囲が焼失し一面瓦礫の光景へと変貌してしまったのです。
死者・行方不明者は神奈川県だけで3万2千人、日本全体で10万5千余とされています。

さらに、横浜に居留していたアメリカ、ヨーロッパ諸国の貿易商のほとんどが横浜から神戸や海外へ流出してしまい、当時日本経済を支えていた生糸などの貿易拠点としての横浜の地位が極端に低下してしまいます。
「横浜はもう立ち行かない」「東京へ合併しては」など、絶望的な感情が市民を覆いつくしたそうです。

街や港湾施設の復興の妨げになったのが、大量に出た瓦礫。
この瓦礫をどのように処理するかが大きな課題でした。
その問題に、中心的に立ち向かったのが、当時横浜市助役だった楢岡徹氏です。
大量の瓦礫を使って横浜港を埋め立てする計画を立案しました。

1863年頃 フランス波止場完成(現、山下公園中央部)
1923年 9月20日 震災後の市の復興試案の中で海岸遊歩道として立案される
1923年10月10日 震災の折に発生した瓦礫の集積場として指定される
1923年10月14日 横浜都市計画案の中で、海岸遊歩道構想が海岸公園として計画される
1923年11月15日 公園計画が政府案に組み込まれる際に、その名称が山下公園に確定する
1925年 6月 着工
1930年 2月28日 完成
1930年 3月15日 開園

(年表はウィキペディアより引用)

計画立案から約7年の歳月をかけて出来上がったのが「山下公園」。
今や横浜のシンボルとして欠かせない存在です。
山下公園は、このように関東大震災の瓦礫によって出来た公園なのです。

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(左)地形図 大正11年測図
(右)地形図 昭和6年修正



みんなでつくる横濱写真アルバムに、開園当時の山下公園の写真が掲載されています。
http://www.yokohama-album.jp/picture/detail/3028/

洗練されたデザインの公園の完成は、関東大震災から復興する横浜の原動力として横浜市民の心に刻まれることとなりました。

 

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2006年12月に撮影した山下公園

 

東日本大震災で甚大な被害を受けた地域も、復興に向けて力強く進むことを願っています。




東日本写真保存プロジェクトが受付を開始しました。
東日本大震災で失われる前の風景や思い出、被災地の現在のありのままの姿 、被災地にのこされている思い出の品物の様子、復興の過程の様子などなど、震災の記録を写真でのこすプロジェクトです。
※お願い: 復旧活動や安全確保の妨げにもなりかねない、個人的な見物や写真撮影を目的とした被災地への立ち入りは自粛いただきますようお願い申しあげます。

東日本大震災写真保存プロジェクト


投稿者: kameno 日時: 7:54 AM | | コメント (2)

住宅再建か景観保全か

宮城県沿岸部の中で、日本三景・松島の湾内は海上に点在する島々によって津波のエネルギーが受け止められ、その分被害が軽減されたと言われています。

そのために、松島は、だいぶ島の形が変わってしまいました。

松島のホテルの中は、既に営業しはじめているものもあり、松島観光船も営業を再開する準備に入っています。

201100411-31

私たちが宿泊したホテルも、松島のホテルです。
しかし、宿泊客は災害復旧関係者、ボランティアばかり。

街では、観光客に足を運んで欲しいそうです。
しかし、全体的な大震災復興の道筋が見えない中、また余震が続く中ではなかなか観光客の出足は伸びそうにありません。

地域でお金を消費するということも復興支援の一つだと思うのですが・・・・

4月11日の夜、大きな余震があったため、東北自動車道が通行止めになり、南三陸・気仙沼方面に行っていた東京宗務所の皆様が帰れなくなり、急遽私たちと同じホテルに宿泊することとなりました。
再び情報交換をすることもできました。
炊き出しを行ってきた避難所では、これまで炊き出しが行われたことが無く、大変に歓迎されたそうです。
避難所による格差は大きく、物資面だけをとってみれば食べ物も物資も届いている場所もあれば、最低限の食料すら届かない場所もある(避難所格差)ようで、必要なところに必要なものが届くための体制作りが早急に必要なようです。
そのようなことがようやくわかり始めてきた段階なのでしょうか。

昨日のブログ記事に書いたとおり、寺院・僧侶はそれぞれが地域に根付いたそれぞれのネットワークを持っています。
寺院・僧侶の持つネットワークは、行政の手の行き届かない部分を埋める重要な役割を果たします。 


201100411-30
早朝の松島(4月12日)。
実に美しい光景です。


追記

この美しい松島も、「住宅再建」か「景観保全」かという難しい問題に直面しています。


東日本大震災の津波被害からの復興をめぐり、日本三景の一つ「松島」が揺れている。
津波から身を守るため高台への移転を求める地元の要望に、国宝級の美しい景観を守るための法規制が立ちはだかる。
住宅再建か、景観保全か。担当の文化庁は簡単には判断できずにいる。

■被災住民「安全な高台に家」
「同じところに家は建てたくない」
「松島」の一つ、桂島(宮城県塩釜市)でノリ養殖業を営むUさん(52)はため息をついた。Uさんが約8年前、約1500万円かけてリフォームした2階建ての住宅は、津波で流された。浜辺近くの約5千万円のノリ乾燥施設も失った。それでも、養殖を続けたい。「この年でほかに働く場所はない。行く場所もない」
桂島では華のうち、50戸が全半壊した。被災者の多くは漁業を続けるため、より安全な近くの高台に移りたいが、希望は簡単にかないそうもない。
同島を含む周辺1万2600ヘクタールは、国の特別名勝「松島」に指定されているからだ。
地区内は文化財保護法に基づき、文化庁の指導で県が作る県保存管理計画で7段階に分けて建設を制限。
76ヘクタールの桂島の高台の多くは、建造物の新築が認められていない「特別保護地区」と「1A地区」だ。
高台は規制の壁で新築できない。低地は津波の心配がある。このジレンマに被災者は悩んでいる。
松島全体の被害の全容はまだ分かっていないが、「奥松島」の名で知られる同県東松島市の宮戸島も壊滅的な被害を受けた。人口約1千人。13日現在でも半数が避難生活を続けている。
外洋に画した四つの浜は夏には海水浴客でにぎわい、民宿で生計を立てる住民も多い。ここでも「安全な高台に建てたい」との希望が目立つ。
地元の村井嘉浩知事は規制緩和に動き出した。
先月30日の県災害対策本部会議で、阿久津幸彦・内閣府政務官に建築規制の緩和を要求した。
県が期待を寄せるのは文化財保護法125条4「非常災害のために必要な応急措置を執る場合、保存に影響を及ぼす行為については影響の軽微である場合は、この限りでない」 県側は、この例外規定を家屋に適用して「弾力的な運用を」と求める。
ただ、松林と切り立った岩肌の景観が失われると、中長期的には観光産業がダメージを受けかねない。指定区域内の自治体関係者の一人は懸念する。「いったん規制を緩めれば、収拾がつかなくなる恐れがある」

■文化庁「世代超えた宝だ」
被害調査で現地入りしている文化庁の本中真主任調査官は13日、同県塩釜市の渡辺誠一郎教育部長と会談した。前日の東松島市と同様、「規制」についての議
論は平行線をたどった。渡辺部長「復興にとって規制は大きな課題。保護と復興を調和させる選択肢を示してほしい」
本中調査官「住んでいる方がまず大事だが、特別名勝の価値を守ることを前提とした計画をまとめていただきたい」
被災地の「復興優先」の声に文化財保護の必要性の訴えがかき消されることを同庁は懸念する。
(朝日新聞2011/4/14)


非常に難しい問題です。
地元住民にとっては、より安全な場所に住居を構えたいということは当然の心情でしょう。
しかし、松島は日本を代表する名勝地です。
そこに無秩序に住宅が立ち並んでしまったら、松島の価値が失われます。
後世に文化財を残すことも私たちの大切な役割です。
この論議は、慎重に審議されていく必要があるでしょう。

投稿者: kameno 日時: 2:45 PM | | コメント (2)

「ユレダス」揺れ出す9秒前に

東日本大震災では、3月11日午後から翌12日午前9時までに出された緊急地震速報13回のうち、4回分が長野県北部での地震を栃木県で地震発生などのように適切な予測でなかったそうです。
原因は離れた場所で同時に地震が発生したため、それぞれのデータの分離ができなかったことによるものと考えられています。

今回のように幅広い震源域をもつ震災では仕方の無いことでしょう。
仮に適切でない予報が多く出されても、身を守る行動は怠り無くする必要があります。

 


新幹線 揺れ9秒前にブレーキ
 
今回の地震で、東北新幹線は地震の揺れをいち早く検知するシステムが作動して、最初の揺れの9秒前、最も大きい揺れが起きる1分10秒前に非常ブレーキをかけて減速を始めていたことが分かりました。JR東日本は、この効果もあって新幹線が脱線を免れたとみて、データの詳しい解析を進めています。

地震発生当時、東北新幹線は27本の列車が乗客を乗せて走っていましたが、いずれも脱線せず停止しました。JR東日本は、東北新幹線の沿線のほかに、太平洋沿岸にも岩手県の宮古や宮城県の牡鹿半島などに9つの地震計を設置し、揺れをいち早く検知して列車を減速させる「早期地震検知システム」を備えています。今回は、東北新幹線の線路からおよそ50キロ離れた牡鹿半島の地震計が、午後2時47分3秒に運転中止の基準となる「120ガル」という地震の加速度を捉えました。このため、システムが自動的に架線を停電させ、走行中の新幹線は一斉に非常ブレーキをかけて減速を始めました。このうち、線路沿いの地震計が最も大きな揺れを観測した仙台駅と、1つ北の古川駅の間には「はやて27号」と「やまびこ61号」が走っていましたが、JR東日本がデータを解析したところ、これらの列車が非常ブレーキをかけた9秒後から12秒後に最初の揺れが始まりました。そして1分10秒後に最も強い揺れが起きていました。このとき新幹線が何キロまで減速できていたかは分かっていませんが、JR東日本は強い揺れの前に減速を始めていたこともあって、新幹線が脱線を免れたとみて、さらに詳しくデータの解析を進めています。
(NHKニュース 4月5日配信)



震災の際に、新幹線をはじめ、鉄道に導入されている地震警報システム(通称「ユレダス」)の効果が顕著に発揮されています。
「ユレダス」とは、Urgent Earthquake Detection and Alarm System の頭文字をとったものです。

国鉄鉄道技術研究所の開発したシステムで、地震の際に即座に運行中の列車を止め、あるいは急ブレーキをかけることで被害を最小限に抑える仕組みです。
特に新幹線は一秒間に6~70メートルほど進みますので、ブレーキをかける1秒の遅れが大惨事を引き起こしかねません。

2004年に発生した新潟県中越地震では、震源直上にあった「ユレダス」が地震のP波を検出して僅か1秒以内に警報を出し、付近を走行中の全ての列車に非常制動がかかりました。
この時は「とき325号」が脱線してしまいました。
震源に近かったため、警報からS波到着まで2秒もなかったことが原因です。
それでも、死傷者を出さなかったという意味は大きく、大きく揺れ始める前に急ブレーキが作用したということが功を奏したといえます。
このシステムが無かったとしたら、脱線だけでは済まなかったことでしょう。


東日本大震災でも、「ユレダス」が大きな役割を果たしました。
今回は震源が三陸沖合いだったこともあり、S波が到達する少なくとも9秒前には急ブレーキが作動していたようです。
東北新幹線では合計27本の列車が乗客を乗せて走行していましたが、どの列車も脱線を免れました。

つくづく緊急地震速報のシステムは世界に誇るべき技術だと感じます。

 

東日本大震災で東北新幹線は、高架橋など多数箇所に被害を受けたものの、東京~那須塩原間、盛岡~新青森間は既に運転を再開しています。
明日には盛岡~一ノ関、4月12日には那須塩原~福島、4月下旬には全線にわたり運転再開する見通しとなりました。

鉄道技術者の総力を挙げた復旧作業に心から賞賛したいと思います。
東北新幹線の全通が復興の大きな原動力となることでしょう。

投稿者: kameno 日時: 7:04 AM | | コメント (0)

ゆでガエルにならないために

There's an old folk warning that if you throw a frog in boiling water he will quickly jump out. But if you put a frog in a pan of cold water and raise the temperature ever so slowly, the gradual warming will make the frog doze happily . . 
in fact, the frog will eventually cook to death, without ever waking up.


イギリスの人類学・社会学・言語学者、グレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson)が紹介した有名な寓話です。

蛙を熱湯に放り込むと、熱さに吃驚して蛙は直ぐに飛び出します。

しかし、水の中に入れて、ゆっくりと加熱していくと、蛙は水温が上がっていることを感じ取ることができずに、茹で上がって死んでしまうというものです。

状況を的確に捉えて対応することができず、遅々として入る情報に対処療法的にしか対応できない組織と、それに属する人の心理を説いたものです。
何とかなるだろう、たぶん大丈夫・・・事実の深刻さに気付くのに時間がかかり、気が付いた時には手遅れになってしまうという警鐘です。


日本人は世界各国より大震災の際も「冷静でパニックを起こさない」「怒鳴り合いもけんかもない」「本当に強い国だけがこうした対応ができる」と報道されています。
とても素晴らしいことだと思います。
誇るべきことでもあります。

しかし、それゆえの短所もあります。
「何とかなる」「喉元過ぎれば暑さ忘れる」「長いものには巻かれろ」「皆で渡れば怖くない」・・・・


本当はとても深刻な状態なのに、その事象を少しづつ悪化しているような捉え方をしたり、オブラートに包んだような表現をしたり、すぐ身近まで迫って来ないと気が付かない。
そして気付いた時にはもう手遅れ。

そうならないことを願います。

 

 

政府が世論に押されてようやくSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の被曝予測図を出したのは3月23日になってからのことです。
つまり予測ではなく、事後発表。
事故発生から一週間ほどの東電、政府、原子力保安員の記者会見を改めて振り返ると、それらが適切だったかどうか疑わしいことも多い。

 

海外ではいち早く被曝予測を行って公表しています。
例えば、一週間も前にワシントンポスト紙で出されていた潜在被曝予想図、フランス原子力安全研究所の拡散予想、オーストリア気象台の拡散予想、ドイツ気象台の拡散予想 などなど。
海外メディアは早い段階から詳細に分析し、その結果を踏まえて今回の原発事故はスリーマイルでの事故を超えてレベル6と報じています。
対し、政府は、最初はレベル4、その後レベル5に引き上げ。現在ようやくレベル6への引き上げを検討中としています。


事故の重大さを適切に捕らえ、迅速な事後対応が適切に行われていれば、事態が深刻かつ長期化しなかった可能性があります。
原子力発電所への対応が障害になり、政府がなかなか被災地復興に全力を注げない状況にも、もどかしさを感じます。
今一度、災害復興に立ち向かう体制をきちんと見直す時期ではないでしょうか。

投稿者: kameno 日時: 1:54 PM | | コメント (8) | トラックバック (1)

上を向いて歩こう

この度の東北地方太平洋沖地震により被災されました多くの方々、そしてご家族の皆様方に、心よりお見舞い申し上げます。
日本で起こった大惨事に大変胸を痛めたクレモンティーヌより、「上を向いて歩こう」が届きました。
クレモンティーヌ公式サイトより)

 

上を向いて歩こう
長くて 寂しい夜の後に
朝が来て 希望が
あなたを照らすはずよ

上を向いて歩こう
愛しい あなたとの思い出
忘れない もう一度
一緒に 歩きましょう

夜空には 星がきらきら
人生が 微笑みかける

上を向いて歩こう
希望の星(生命)が生れるでしょう
信じよう 信じてる
私 そう思うから

新しく 始まるわ
信じて 頑張りましょう

夜空には 星がきらきら
一緒に生きようね 明日を

上を向いて歩こう
命が 人生を照らして
信じてる 力を
明日は やってくるわ

信じれば 明日は来る
だいじょうぶ 信じましょう


ue o muuité arukoo
au bout de la nuit
les heures semblent longues et noires
le petit matin
apporte l'espoir
d'une nouvelle ère, nouveau départ.

Ue o muuité arukoo
nos amours s'éloignent
et seule reste la mémoire
* comme de fleurs semées
la vie renaitra
ensemble, crois-moi on s'en sortira

crois en ton étoile
elle veille sur toi
et avec le temps, tout s'arrangera
(la vie sourira)

Ue o muuité arukoo
Une étoile est née
suis-la, elle te guidera
et je suis confiant
je vais droit devant
je sais que nous tous on s'en sortira

(*refrain)

(訳: meguro75 さん)

投稿者: kameno 日時: 7:06 AM | | コメント (0)

前を向いてがんばる


今日は近隣の小学校で卒業式が行われました。
私は、民生児童委員として毎年小中学校の卒業式に出させていただいています。
今年の卒業児童は150名。
最初に犠牲となられた方々への黙祷から始まりました。


校長先生の祝辞で、震度7を記録した宮城県栗原市の中学校で地震発生から4日後に行われた卒業式のことを紹介されていました。
体育館が使えず、会議室行われた簡易的な式だったそうですが、

「こんな大変な時に卒業式なんてできないと思っていた」「みんなで力を合せて、前を向いてがんばる」

被災地の卒業生たちの力強いことばです。

 

震災の爪あとはあまりにも大きい。
三陸沿岸では目を覆いたくなるような惨状が広がっています。
宮城県北部では、2008年の震災からようやく復興の兆しが見えてきた中での大震災。
けれども、被災地の子どもたちは、しっかり前を向いてがんばっているのです。


卒業式そのものが行われなかったり、延期する学校も少なくありません。
けれども、卒業式が延期となった学校では、震災から立ち直った日にいつでも卒業式の式典を開くことができるよう、紅白幕をそのままにしているそうです。

このような時だからこそ、子どもたちを暖かく送り出していきたいと考える学校側の思いです。

 

私たちが子どもたちの未来のために出来ることは何でしょうか。
いろいろと考えましたが、まずは、栗原市の卒業生と同じく「みんなで力を合せて、前を向いてがんばる」ことでしょう。
今年の卒業式は特に心に残る卒業式でした。

投稿者: kameno 日時: 11:27 AM | | コメント (0)

東日本巨大地震に思う

東日本各地を襲った巨大地震発生から3日目を迎えます。

時々刻々と甚大な被害状況が伝えられています。
市町村全体が壊滅的な被害となった地域も多く、被害状況の全容を掴むまでにはかなりの時間が掛かることが予測されます。
未だ救助されずに取り残されている多くの方が、一人でも多く、一刻も早く救出されることを願います。

そして、改めて犠牲となられた方々に心より哀悼の意を表します。

現地からどのような支援が求められているのかを見極め、国民が一丸となってこの地震に立ち向かう必要があります。

 

寺院として、僧侶としてはどのような支援ができるのでしょうか。
注意しなければならないことは、むやみにボランティアとして現地に赴くことは、却って現地にとって邪魔になることです。
被災地から遠く離れた場所からの支援としての基本として考えられることは、
(1)まずは災害で命を落とされた皆様に謹んで弔意を表し、被害が拡大しないことと復興を願い法要を営むこと
(2)電力消費を可能な限り抑えること(節電)、
(3)そして金銭的な支援でしょう。

これから各地で被災者を支え、復興に向けた活動が本格化されていくことと思います。
阪神淡路大震災の際には、国や地方自治体、民間の各関連団体が連携をして災害支援活動が行なわれました。
その教訓を生かして、組織的に効率的な支援が為されることを期待します。
阪神淡路大震災の震災復興支援に関する組織的な記録として、曹洞宗国際ボランティア会(現SVA)のまとめた貴重を以前ブログ記事でご紹介しましたが、再掲いたします。


阪神・淡路大震災ボランティア緊急救援活動の軌跡 よろずかわら版縮刷版
発行:神戸 : SVA(曹洞宗国際ボランティア会)神戸事務所

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震災直後の行政の対応が問題になった阪神大震災であるが、我々の組織もこのような事態に対するノウハウは全くなかった。全国曹洞宗青年会と各地の青年会などが連携し活動を組織化したのだが、初動の段階は一般ボランティアと同じように神戸に向かった数人の僧侶によって行われた。炊き出しも最初は4、5人が小さな鍋で行ったが、十日の内に1日2万食を作ることを可能にしたのである。全国にまたがる宗門僧侶のネットワークが機材、食材をとぎれることなく提供し現場の活動を支援した。それは、神戸で活動するボランティアの自活をも支えてくれたのである。初期の段階ではいろんな混乱はあったが、個人と組織、現場と地方がうまくかみ合っておこなった活動であった。僧侶、学生、一般のボランティアが一つ屋根の下で融合しつつ活動した様子は日頃の組織を越えた自由さがあった。僧侶もほかのボランティアに混じり、生き生きとしていたように感じた。それぞれがそれぞれの社会的立場を意識していなかったのではないであろうか。ほとんどの僧侶は亡くなった多くの方たちのための慰霊もだが、ほかもそうであったように今苦悩している被災地の人々に対し何かできないかと集まってきていた。宗教は本来苦悩して生きている人を助けるためにあるというのが釈迦の説く仏教の実践である。
「施食」という言葉がある。一般には食事を施しなき精霊のために供養をすることであるが、さらにはお互いが持っている貪りの心を抑え、生きている一切のものにもまた亡者にも慈悲をめぐらしてゆくという仏教の持つダイナミックな宗教観がこれにはある。我々僧侶も炊き出しを通じ被災者と対峙した。そして彼らの言葉を近くで聞きながら、援助とは施食とはそして宗教者とは、と自らに問いかけたのではないであろうか。

『全国曹洞宗青年会の救援活動の記録』 (1996,全国曹洞宗青年会十期会長のことばより引用)
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過去に被災地のに居た僧侶たちは被災地でどのような活動をしてきたのか纏めた資料を、今後の被災地支援に役立てることができるはずです。

未だ救助されずに取り残されている多くの方が、一人でも多く、一刻も早く救出され、一日も早い復興がなされますように。



■地震関連で書いたブログ記事
http://teishoin.net/mt/mt-search.cgi?search=%E5%9C%B0%E9%9C%87&IncludeBlogs=1%2C3&limit=20&page=3
投稿者: kameno 日時: 12:05 PM | | コメント (3)

原子力発電所炉心溶融か

福島第1原発で炉心溶融か=付近でセシウム検出―保安院

経済産業省原子力安全・保安院は12日、東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)1号機で、核燃料棒が高温で溶ける「炉心溶融」が起きている可能性が高いと発表した。
保安院によると、1号機周辺で、放射線医学総合研究所のチームが放射性物質のセシウムを検出。セシウムは核燃料棒に含まれており、融点が高いことから、炉心溶融を起こしている可能性が高いと推測されるという。
保安院などによると、同原発1号機は12日午前から原子炉冷却水の水位が低下。一時は核燃料棒が冷却水の水面から露出し、核燃料の損傷が懸念されていた。
時事通信 3月12日(土)14時11分)


東京電力福島第1原発の1号機で炉心溶融の可能性があるという発表がなされました。
仮に炉心溶融(メルトダウン)が進み、制御不能となると、計り知れない甚大な被害が想定されます。
その事態だけは何としても避けていただきたいものです。

ブログ記事 太陽光発電の国ニッポンの復権を で記載したとおり、日本における発電の割合は、比較的バランスの取れた内訳を取る施策のもと、全体のおおよそ4分の1を原子力発電によって賄っています。
そして、原子力発電所は沿岸部、海に面した敷地に作られています。
したがって、今回の大震災のように沿岸部に多発的に発生し、しかも津波を伴うような甚大な災害の場合、それこそ「想定外」の事態を引き起こします。

solor003.jpg

原子力発電では様々なレベルの事故を想定していますが、そのうちの最悪の事態が炉心溶融(メルトダウン)です。
これは、原子炉の温度制御が出来ず、温度が上がりすぎ、燃料棒が溶融して流れ出してしまう現象です。膨大なエネルギーのために原子炉が破損してしまいます。

温度制御を行うための冷却水が失われて炉心の水位が下がるため、燃料棒が水面上に露出してしまうことが原因です。
何故炉心溶融が最悪の事故となるかというと、燃料のウランが核分裂して発生する「死の灰」Cs-137(セシウム137)が拡散してしまうからです。

セシウム137は、人体に取り込まれやすく癌の原因となる物質です。
しかも、半減期は30年もあり、土や農作物に入ってしまうと、除去することが困難で、食物を通した体内被曝を引き起こします。

それこそ発電所周辺の広大な土地が将来に亘って立ち入ることの出来ないエリアとなり、何百何千万人もの癌患者を発生させてしまうということも、決してSFの世界のお話ではありません。
仮に1979年に発生したスリーマイル島の原子力発電所のような事故が首都圏の近くで発生した場合には、如何に危険な状態となるかが伺えます。


○原子力安全・保安院等の対応
【3月11日】
14:46 地震発生と同時に原子力安全・保安院に災害対策本部設置
15:42 福島第一原子力発電所にて原子力災害対策特別措置法第10条通報
16:36 福島第一原子力発電所1、2号機にて事業者が同法第15条事象発生判断(16:45通報)
18:08 福島第二原子力発電所1号機にて原子力災害対策特別措置法第10条通報
18:33 福島第二原子力発電所1、2、4号機にて原子力災害対策特別措置法第10条通報
19:03 緊急事態宣言
20:50 福島県対策本部は、福島第一原子力発電所1号機の半径2kmの住人に避難指示を出した。(2km以内の住人は1864人)
21:23 内閣総理大臣より、福島県知事、大熊町長及び双葉町長に対し、東京電力(株)福島第一原子力発電所で発生した事故に関し、原子力災害対策特別措置法第15条第3項の規定に基づく指示を出した。
・福島第一原子力発電所1号機から半径3km圏内の住民に対する避難指示。
・福島第一原子力発電所1号機から半径10km圏内の住民に対する屋内待避指示。
【3月12日】
5:22 福島第二原子力発電所1号機にて原子力災害対策特別措置法第15条通報
5:32 福島第二原子力発電所2号機にて原子力災害対策特別措置法第15条通報
5:44 総理指示により福島第一原子力発電所の10km圏内に避難指示
6:07 福島第二原子力発電所4号機にて原子力災害対策特別措置法第15条通報
6:50 原子炉等規制法第64条第3項の規定に基づき、福島第一原子力発電所第1号機及び第2号機に設置された原子炉格納容器内の圧力を抑制することを命じた。
7:45 内閣総理大臣より、福島県知事、広野町長、楢葉町長、富岡町長及び大熊町長に対し、東京電力(株)福島第二原子力発電所で発生した事故に関し、原子力災害対策特別措置法第15条第3項の規定に基づく指示を出した。
・福島第二原子力発電所から半径3km圏内の住民に対する避難指示。
・福島第二原子力発電所から半径10km圏内の住民に対する屋内待避指示。
原子力安全・保安院「地震による原子力施設への影響について(13時30分現在)(第14報)より)  →最新の発表はこちらをクリック


続報で1号機で爆発が起こったという情報(15時30分)もあり、最悪の事態に陥るかどうか瀬戸際のところだと思われます。
というより、是が非でも回避してもらわなくてはなりません。
また、私たちも政府や原子力安全・保安院など、しっかりした情報源からの情報を見極めて、チェーンメールや噂などの怪しい情報に惑わされることが無いよう心がける必要があります。

(追記)20:45 枝野官房長官の会見によると、爆発は1号機格納容器と建屋との間で起こった水蒸気爆発であり、格納容器に破損は無いとのことです。
この会見の内容が正しければ、最悪の事態は現在のところ回避できていることになります。
引続き続報が望まれるところです。


ここからの話は、この事故が落ち着いてから考えていかなければならないことですが、私たちの豊かな生活が少なからず原子力発電により支えられているということ、想定外の最悪の事故と隣り合わせにあることを常に念頭に置く事が必要でしょう。
そして、もしも原子力発電施策を見直すのであるのなら、現実的にどうしたら良いのかを提示して考えていかなければなりません。

首都圏の電力を賄う発電所がいくつも停止になってしまい、工場が稼動し始める14日 月曜日の電力供給が大丈夫かどうか心配です。

投稿者: kameno 日時: 4:10 PM | | コメント (0)

イルカは知っていたのか

3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とする国内観測史上最大のM8.8の地震が発生し、宮城県北部では震度7を観測する大きな揺れとなりました。
さらに3時15分にもM7.3の余震、引続き茨城県南部で震度6弱を観測する地震と、多発的に大きな地震が起きています。
この地震の影響で仙台新港には高さ10mの津波が押し寄せた他、北海道から沖縄県まで広い範囲に津波が押し寄せました。
これら地震の揺れと津波の引き起こした被害はどれほど甚大なものであるか把握すら出来ない状況となっています。
被災されました皆様には心からお見舞い申し上げ、亡くなられた方には弔意を表します。

 

 

今回の地震が発生した時に真っ先に頭に浮かんだのは、地震発生の一週間前、3月4日に52頭ものイルカが茨城県の砂浜に打上げられたニュースです。

砂浜に打ち上げられたイルカに海水をかける地元住民ら=茨城県鹿嶋市の下津海水浴場で2011年3月5日、岩本直紀撮影

(写真は毎日新聞より引用:砂浜に打ち上げられたイルカに海水をかける地元住民ら=茨城県鹿嶋市の下津海水浴場で2011年3月5日)



これだけ巨大な地震が発生するまでには、海底プレートに(私たち人間に感じることが出来るよりも遥かに微かな)何らかの兆候があったのだろうと推測されます。
当時、専門家のは、何らかの病原菌により引き起こされた行動ではないか?という可能性を軸に原因を調査していくという報道でありました。

しかし、(これはあくまでも私個人の推測ですが)イルカのこのような集団行動が大地震の予兆であったと誰が予測したでしょうか。

日本では、地震発生を初期微動発生から数秒後に地震が起こるであろうという予報システムは最近整備され運用されるようになりました。
しかし、数日後に地震が起きるであろうということを予測するまでには至っていませんし、同時多発的に地震が発生した場合には正確に機能しないことが懸念されます。

今後、動物の持つ能力が解明され、地震予知がより適切に行われるようになれば、地震被害を食い止める大きな役割を果たすことになるでしょう。
この分野での研究が進むことを期待します。

ただただ、「後になって思えば」という事ばかりで、大自然の中で人間の力が如何に微小なものであるか、ということを思い知らされるばかりです。

投稿者: kameno 日時: 6:32 PM | | コメント (0)

姥捨ては続く・・・か

貞昌院本堂で行われた劇団 IDIOT SAVANT theter company による舞台『彼方、蓮台野にて』がタウンニュース港南区版に掲載されました。

20110222-01

姥捨て山は、深沢七郎の小説『楢山節考』で有名となりました。
東北地方を中心にかつてあった貧しい村の辛くて悲しい掟です。

姥捨てをした息子は「それ」を成し遂げた場面で「母を置いていくことなど出来るはずがない。・・・僕はあなたを棄てられない」と悩み、苦しみます。
集落では盛大な葬儀が準備され、葬送の儀式が行われました。

 

経済的に豊かになった現代では、姥捨て山のようなものは無くなったのでしょうか。
全てのお年寄りは豊かな心持ちで人生を全うすることが出来ているのでしょうか。

 

劇はその後、街中の交差点を渡ろうとして途中で転んでしまい、横断歩道の真ん中で赤信号になってしまったお年寄りを嘲笑する若者の場面に切り替わります。
老人ホームに送り込まれるお年寄りたち。病気になっても見舞いに行くわけでもなく、亡くなっても葬式、供養もされない。
その若者も心が満たされているかといえば、必ずしもそうではない。

続く。・・・続く。・・・・続く。

鬼の面をつけた老婆はそう叫んで劇は幕を閉じます。
お面が凍りつき、歪み、割れ、この世の果てに馴れていく時に、この物語は安臥することができるのでしょうか。

 

姥捨て山は現代でも続いている。
却ってかつての貧しい村の方がマシだったのかもしれない。
劇の訴えかける問題は私たちに深く、重く圧し掛かってきます。

 

ここからは蛇足です。

 

現代では、山間部や離島を中心に、過疎化や高齢化が急速に進行しています。
その進み方が急激過ぎるために、集落自体の自治やインフラの管理、冠婚葬祭などの生活機能すら維持できず、そのまま消滅に向かうという深刻な問題が発生しています。
もはや子どもたち、未成年者が姿を消し、一人暮らしのお年寄りや、その予備軍だけが残されている集落であり、「限界集落」と呼ばれています。

集落をこの視点から分類すると次のようになります。

 

55歳未満人口比50%以上「存続集落」・・・跡継ぎが確保されており、共同体の機能を次世代に受け継いで行ける状態
55歳以上人口比50%以上「準限界集落」・・・現在は共同体の機能を維持しているが跡継ぎの確保が難しくなっており、限界集落の予備軍となっている状態
65歳以上人口比50%以上「限界集落」・・・高齢化が進み、共同体の機能維持が限界に達している状態
そして誰もいなくなった「消滅集落」・・・かつて住民が存在したが完全に無住の地となり、文字通り集落が消滅した状態

日本のにおいては少子高齢化の進行により「準限界集落」にある集落は急速に「消滅集落」への道を辿ります。
姥捨て山は悲しい慣わしです。
しかし、それすらも「続く」ことさえ出来なくなり、集落が(もしくは自治体さえも)消えて無くなってしまう時代を迎えていることを真剣に考えていくことが必要でしょう。

投稿者: kameno 日時: 8:23 AM | | コメント (3)

松ケ崎横穴古墳群への私見

今回の記事はkameno私見によるまとめです。

松ケ崎横穴古墳群の現状
松ヶ崎古墳現地調査
の記事を併せてご参照ください。

平成23年1月24日に行なわれた現地調査により確認された横穴墓の位置を出来るだけ正確にプロットしてみました。
(さらに正確な位置図は港南歴史協議会により出される予定です)

matsugasaki

ここに記載されている①~⑦は仮符号です。この番号付与の理由は後述しますが、名称をどのように付与するかにより曲解や誤解、事実誤認が生じることが今回の事例でよく判りました。
そのあたりも後述致します。

まずは現地調査のまとめとこれまでの調査記録の突合せをします。

 

表:松ケ崎の南斜面に分布する横穴古墳群のまとめ

仮符号(内寸計測順)

『神奈川県埋蔵文化財調査報告・港南台』 (昭和51年刊)

松ケ崎の南斜面に分布する横穴古墳群は、不揃いだが上、下二段に分列して、8穴が開口している。
下段に横列する5穴のうち、その中央部にある1穴は、複式玄室の構造をもつ横穴で羨門の部分は欠失していたが、前室と玄室の区別が明瞭であり、前室は方形で流入した土砂、岩塊によって半ば埋没していた。 他の横穴は複式のものではないようであったが覗き見る程度では、確証は出来ない。

『港南の歴史』 (昭和54年刊)

1号墓
(内寸計測)

2号墓
(内寸計測)

3号墓
(内寸計測)

4号墓
(内寸計測)

5号墓
(内寸計測)

記述なし

記述なし

歴史協議会による現地調査(平成23年1月24日)

確認

確認
(内寸再計測)

確認できず
(位置推定)

確認できず
(位置推定)

確認

確認
(内寸計測)

確認

 

 

昨年夏に書いた 松ヶ崎横穴古墳群の現状 のブログ記事においても、この遺跡に分布する横穴墓を①~⑦の表記をいたしました。
その理由は、『神奈川県埋蔵文化財調査報告・港南台』でいうところの「松ケ崎の南斜面」は、旧港南台高校敷地南部の舌状台地(冒頭の航空写真中央の緑地部分)全体を指すと考えるのが妥当であろうからです。

『港南の歴史』 では、当時馬場先生により調査確認できた1号墓~5号墓の位置と内寸が測定、記録されました。
ところが、港南台高校及び地域の歴史研究者は、別途⑥の横穴墓1箇所だけを認識しており、これを松ヶ崎古墳としておりました。
両者は、それぞれの場所を「松ヶ崎古墳」と呼んでおり、この状況は今回平成23年の実地調査まで続きました。

さらに、その⑥の横穴墓を『港南の歴史』の5号墓と誤認したことにより、「西面1~5号墓」「南面1~5号墓」というように「5穴から成る横穴群が2つある」という幻を生み出しました。
この幻が「⑥⑦の横穴墓の左側にさらに3つの横穴墓があるはずである」という誤解を生み出したのです。

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平成23年1月24日の調査では、⑥の横穴墓は『港南の歴史』の5号墓とは違う横穴墓であることが確認できました。
そして、⑥の横穴墓は、この日に初めて内寸が測定されています。

少なくとも言える事は、西面4号、5号墓という命名は不適切であり、もしも⑦を西面4号墓、⑥を西面5号墓と表記する文献があったとしたら、それは今後大きな誤解を招く元となりますので注意が必要です。
あたかも西面にさらに3つの穴がある(あった)という事実誤認の源となるからです。



また、西面、南面という表記も疑問です。
航空写真や地図を見て判るとおり、松ヶ崎舌状台地に分布する横穴群のある面は「南東」「南西」向きです。
仮に2つの古墳群に分けたとしても、南面という呼称がどの面を指すのかが不明瞭となります。
数十年後に同様な誤解を生む源となりましょう。

『神奈川県埋蔵文化財調査報告・港南台』で指す8穴は、今となってはどれを指すのかは明瞭ではないですが、私個人としては、今後新たな横穴が発見される可能性もあり、松ヶ崎に広がる舌状台地に分布する横穴墓を「位置確認・内寸測定順」に符号をつけていくのが適切であると思います。 その原則に則った仮符号が①~⑦の符号です。
仮符号(内寸計測順)

位置(北緯・東経)
(kamenoによる測定・誤差3m以内)

35.220856N
139.342099E

35.220861N
139.342112E

35.220876N
139.342134E

35.220885N
139.342150E

35.220920N
139.342149E

35.220911N
139.342023E

35.220919N
139.342007E

位置特定・内寸計測年度

昭和51年

昭和51年

昭和51年

昭和51年

昭和51年

平成23年

平成23年
(内寸未測定)

今後誤解が繰り返されないためにも、名称を考慮するほか、併せて北緯・東経をさらに精密に測定して、間違いなく位置の特定ができるようにすることが必要でしょう。
もしも分類・グループ分けを行うのならば各横穴の造作年代が特定できてから行うべきです。

 

※これまでこのブログでは一貫して同じ仮符号により表記してきました。
※このブログ記事に対するご意見は、コメント欄などにより、私に直接お届けくださいますようお願い致します。

投稿者: kameno 日時: 5:16 AM | | コメント (2)

凶の多いおみくじ

今日の朝日新聞「青鉛筆」に元三大師のおみくじに関する記事がありました。

20110117-01


おみくじには、大きく和歌調のものと漢詩調のものにに大別できます。
このうち、元三大師によるおみくじは五言四行の形式をとるのが基本です。

20110117-02

一般的に元三大師として知られますが、比叡山延暦寺の中興の祖・第18代天台座主良源大和尚(912年10月15日-985年1月26日)のことです。
良源大和尚は、実在の人物であり、中世以来、独特の信仰を集めています。

特に「厄除け大師」として「角大師」「豆大師」「厄除け大師」などさまざまな別称を持ちます(左図参照)。

元三大師が作られたとされるおみくじは、その起源は中国南北朝から室町初頭ごろの「天竺霊籤」とされ、それが日本に入って「元三大師百籤」「観音みくじ」として流行したようです。
これが発祥とされています。
「元三大師百籤」の特長は、第一番大吉から第一百番凶まで、一連の番号になっていることです。
記事にあるとおり、富山県真国寺のおみくじのように古いものほど凶の割合が多い傾向にあるようです。

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さて、貞昌院に伝わるおみくじは、天神おみくじで菅原道真の和歌を使用したものです。
江戸時代、安藤広重の(1797-)の時代に江戸中橋正木町で作られました。

版木が残っているおみくじとしては、恐らく日本で一番古いのではないかと思います。
(これより古い版木が残るおみくじをご存知の方はお知らせください)

貞昌院のおみくじの凶の割合は半端でなく多いのです。
何しろ50%以上が凶ですから。

永田住職の仰るように、「自分を省みて成長するチャンスの意味が込められている」と考えるのが適切でしょう。
昔の人もそのように考えていたのではないかと思います。

 

■おしらせ
貞昌院を会場に区民企画講座 わがまち「貞昌院のおみくじ」に関する講座を開催します。

1月29日午前9時30分より 貞昌院にて

投稿者: kameno 日時: 8:10 AM | | コメント (0)

駅伝を安全に応援するために

箱根駅伝:大会車両接触、観客3人軽傷

2日午後0時35分ごろ、神奈川県箱根町塔之沢の国道1号で、箱根駅伝に出場中の国学院大の監督らを乗せた乗用車が沿道左側にいた観客と接触、50代の男性3人がいずれも足に軽傷を負った。
県警小田原署によると、現場は片側1車線の緩い右カーブ。男性運転手は「反対車線の沿道から応援している観客が飛び出してくる気配があったので、とっさに左にハンドルを切ったら、ぶつかってしまった」と話しているという。
現場は往路第5区の千歳橋付近。箱根駅伝を主催する関東学生陸上競技連盟によると、車は運営管理車と呼ばれ、選手や沿道の安全管理のため各校1台ずつ配置されている。
(毎日新聞2011/1/3)



箱根駅伝は年々沿道で応援する方が増えてきてることを実感します。
歩道一杯に人が溢れる場所もあり、大会運営者や警察、ボランティアの皆さんたちの大変な尽力によって選手たちが安全に競技できる環境が作られています。
それでも、毎年様々なアクシデントが発生しています。
今年は、安全管理を行うべき運営管理車が沿道に突っ込んでしまうという事故が発生してしまいました。
幸いにも競技自体に影響は無かったのですが、報道にあるように、「反対車線の沿道から応援している観客が飛び出してくる気配があった」ということが真実であれば、飛び出した観客も咎められるべきでしょう。
いずれにせよ、巻き込まれた50代の男性3人は本当に災難でした。

昨年(2010年)は箱根山下りの6区で山梨学院と併走していた中央大学の山下選手が、恵明学園前の下りカーブで、コースに飛び出した沿道ファンの旗を避けようとして転倒、その先の観客の中に突っ込んでしまうというアクシデントもありました。
山下選手は冷静に競技に戻り、なんとか襷を繋いだものの、走り終えた山下選手の靴は血だらけでした。

少し前では、1987年(箱根駅伝の全国中継が始まった年)に最終10区で順天堂大学の工藤選手が、道路上に興奮して飛び出してきたファン