阪神淡路大震災から24年目の朝

阪神淡路大震災からちょうど24年目を迎えます。
早朝この時間に発生した大惨事は、私たちに多くの教訓を与えてくれました。
改めて、お亡くなりになられた6千人を超える方々に心より哀悼の意を表します。


神戸・平成最後の「1.17」祈りの時 阪神淡路大震災から24年

6434人が亡くなった阪神淡路大震災から17日で24年を迎えた。神戸市中央区の東遊園地では同日午前5時から「1.17のつどい」が行われ、多くの遺族や被災者らが震災発生時刻である「午前5時46分」に犠牲者への黙祷をささげた。

1.17のつどいは、震災で培われた「きずな・支えあう心」「やさしさ・思いやり」の大切さを次世代へ語り継ぐため、毎年行われている追悼式典。
この日までに、同所遊園地に遺族や地元の学生らが「希望」や「命」「生きる」などの字が書かれた竹燈籠を、公募で選ばれた「つなぐ」と、地震が発生した「1995.1.17」の大きな文字に並べた。
気温3度という寒さの中、同日午前5時46分の時報音がスピーカーで流されると、集まった一人ひとりが静かに目を閉じ、手を合わせ黙祷をささげた。
毎年来ているという神戸市中央区の男性(43)は「毎年、正月がすぎて17日を迎えると胸が痛みます。震災を知らない世代も増えてきて、24年もの時が流れたのかと感じます。平成7年のことで今年で平成も終わると考えると、さらに風化するのではと心配しています。やはり私たち知っている世代が、もっと伝えていかなければといけないと思う」と話していた。
(Yahoo!ニュース 2019/1/17配信)


昨日は、皇室行事の新春恒例「歌会始の儀」が行われ、「光」を題材にした天皇、皇后両陛下や皇族方、そして全国からの公募から選ばれた10人の歌が披露されました。
その中で、陛下のつくられた歌がとても印象深いものでした。

贈られし ひまはりの種は 生え揃ひ 葉を広げゆく 初夏の光に

ここで詠まれている ひまわりは、阪神淡路大震災でで倒壊した家の敷地跡に咲いた ひまわりの花から採られたものです。家の下敷きになり11歳で亡くなった娘さんが育てていたペットの餌から芽生え、花を咲かせたのでした。
ひまわりの種は、復興への願いを込めて「はるかのひまわり」として全国各地で植えられ育てられています。

以前、陛下が神戸市で追悼式典に出席された際に この ひまわりの種を譲り受けたことをずっと心に刻まれていて、今年の歌会始の歌として披露されたとのことです。

 




下の写真は、震災からちょうど一年目(1996年)に訪れた神戸の夜景。
力強く復興する街の様子に心が熱くなったことを鮮明に覚えています。

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阪神淡路大震災の発生した年は、組織的なボランティア活動が初めて行われたボランティア元年ともいわれています。

震災復興支援に関する組織的な記録としては、曹洞宗国際ボランティア会(現SVA)のまとめた貴重な資料があります。是非ご一読下さい。


阪神・淡路大震災ボランティア緊急救援活動の軌跡

よろずかわら版縮刷版
発行:神戸 : SVA(曹洞宗国際ボランティア会)神戸事務所
震災直後の行政の対応が問題になった阪神大震災であるが、我々の組織もこのような事態に対するノウハウは全くなかった。全国曹洞宗青年会と各地の青年会などが連携し活動を組織化したのだが、初動の段階は一般ボランティアと同じように神戸に向かった数人の僧侶によって行われた。炊き出しも最初は4、5人が小さな鍋で行ったが、十日の内に1日2万食を作ることを可能にしたのである。全国にまたがる宗門僧侶のネットワークが機材、食材をとぎれることなく提供し現場の活動を支援した。それは、神戸で活動するボランティアの自活をも支えてくれたのである。初期の段階ではいろんな混乱はあったが、個人と組織、現場と地方がうまくかみ合っておこなった活動であった。僧侶、学生、一般のボランティアが一つ屋根の下で融合しつつ活動した様子は日頃の組織を越えた自由さがあった。僧侶もほかのボランティアに混じり、生き生きとしていたように感じた。それぞれがそれぞれの社会的立場を意識していなかったのではないであろうか。ほとんどの僧侶は亡くなった多くの方たちのための慰霊もだが、ほかもそうであったように今苦悩している被災地の人々に対し何かできないかと集まってきていた。宗教は本来苦悩して生きている人を助けるためにあるというのが釈迦の説く仏教の実践である。

「施食」という言葉がある。一般には食事を施しなき精霊のために供養をすることであるが、さらにはお互いが持っている貪りの心を抑え、生きている一切のものにもまた亡者にも慈悲をめぐらしてゆくという仏教の持つダイナミックな宗教観がこれにはある。我々僧侶も炊き出しを通じ被災者と対峙した。そして彼らの言葉を近くで聞きながら、援助とは施食とはそして宗教者とは、と自らに問いかけたのではないであろうか。

『全国曹洞宗青年会の救援活動の記録』 (1996,全国曹洞宗青年会十期会長のことばより引用)


災害の教訓を生かしていくためにも、犠牲となった方のためにも、災害の記憶を風化させる事なく、一人一人常に心にとどめ、そして伝えていくことが大切です。
今日は定例坐禅会も行われましたので、併せて震災でお亡くなりに方々へ祈りを捧げました。

投稿者: kameno 日時: 2019年1月17日 05:30

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