大施食会(おせがき)のシーズンへ

貞昌院墓地の一角に、近隣病院の物故者をお祀りしている墓地区画があります。
病院療養後、身寄りがなかった患者さんたちのご遺骨をお納めしています。
この区画が出来る経緯が、病院の記念史に掲載されています。


善意の結晶 無縁墓地
芹香院から南東の方向、約4キロのところ、上永谷の天満宮の近くに、雑木の小山を背にして、新装なったばかりの寺がある。
天神山貞昌院天照寺といい、本能寺の変があった天正10年建立された曹洞宗の寺である。住職は戦前から戦後にかけて、永野小学校長を15年間も勤めた亀野寛量氏で、今年七九歳。いかめしいという感じはまったくなく、柔和で無限の寛大さをひめたお方である。
貞昌院には芹香院で療養の果てに亡くなって、身寄りのない患者さんの遺骨が収められている。俗にいう無縁仏である。
見せていただいた過去帳には、昭和20年の11名を最高に、開院した昭和4年から44年まで、56名の患者さんの名前が、命日毎に分けて書かれている。
〝そう、あれは、23年ごろのことでございましたね。●先生と●看護長と私の三人で話し合いまして、病院の霊安室に骨壷を並べたままにしておくのは、いかにも不憫だ、なんとかしようということになりましてね。墓地は私が無償提供しましたが、墓石の方は、職員の方々でお金を出しあったと聞いております″と亀野氏はおっしゃる。
早速、●さんにきいたところ、墓石はひと口100円(いまの2000円位か)で職員がカンパしたが、囲いは、作業部の●さんがセメントでかためたのが最初だという。その後、山からの水で墓石が沈んだりしたため、県費による補修工事を2-3回行なって現在に至っているのだそうだ。
貞昌院の門前には、大正天皇の御戴典記念に植樹し、昭和49年度、名木・古木の指定をうけたという、いちょうの巨木が見事な枝ぶりをみせている。
ものいわぬ木々の中で、恵まれなかった歴史の証人たちが、いまも、安らかにねむっているのである。

(『芹香院史』神奈川県立芹香院・1985年)より引用。芹香院史本文(PDF)


例年、7月の時期に病院家族会による合同法要が営まれるのですが、本日がその日でした。
改めて、先々代住職の言葉や想いを思い起こしながら法要を営ませて頂きました。

補記:芹香院は、現在は精神医療センターとなっています。
精神病院法に基づくわが国3番目の府県立精神病院として、昭和4年3月から診療を開始した「芹香院」と、昭和38年4月に全国に先がけて麻薬中毒患者専門医療施設として収容治療を開始し、その後神経症、アルコール依存症、薬物中毒等の患者を対象に治療を行ってきた「せりがや園」を統合して、平成2年4月に神奈川県立精神医療センターに組織が改正され、名称も「芹香病院」「せりがや病院」に改称されています。



法要後、民生児童委員会研修に参加するために、地域の介護老人保健施設へ。
この施設は一人部屋から四人部屋、特別浴室、一般浴室、診療室、サービスステーション、機能訓練室、 デイルーム、家族介護室、レクリエーションルーム、多目的ホール、食堂、理美容室、相談室、面接室、会議室、調理室など要介護認定の度合いや、経済状況に応じた設備が設けられています。

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なお、この介護老人保健施設は常に介護が必要で、自宅での介護が困難な方が対象となっています。
しかし、長期滞在型ではなく、リハビリを中心として看護、医学的管理下の介護機能訓練を受けて、最終的には自宅での生活への復帰を目指す施設です。

昼食は施設で出されている食事を皆でいただきました。
とてもバランスが考えられている内容です。

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日本は今後少子高齢化社会に進んでいきます。
特に横浜市はその進行度が早く、その状況に環境が追いついていない感があります。
この施設でも、入所条件は次第に厳しくなり、要介護度が高く無いと入所できないということもあり、入所者のほとんどが車いす無しでは歩行できないということでした。
また、どの施設も共通の悩みだそうですが職員のなり手も少なく、募集を掛けても応募者が集まらない状況が続いています。
たとえば入浴後の髪を乾かすボランティアが来て頂けるだけでも有難いということでした。

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今後、このような施設の需要がますます増えていくことが確実です。
よりよい老後を過ごすために、考えておくべきことは多いですね。



研修後は、藤沢の寺院での大施食会法要随喜。

いよいよ本格的な大施食会(おせがき)の時期に突入いたしました。

貞昌院のおせがきは、7月26日です。

投稿者: kameno 日時: 2014年7月18日 22:04

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