アイヌ民族の歴史と現在

一日目の現地学習に引き続き、NPO法人 WIN AINU事務局長・チカラニサッタ共同代表 島﨑直美氏を講師としてお迎えし、「アイヌ民族の歴史と現在」について学びました。

20121106-15
島﨑さんは、父は倭人、母は豊かなアイヌの間に9人兄弟の6番目として生まれ、アイヌとして育ちました。
アイヌでは6が一番良い数字とされているそうです。

アイヌ民族は古くから北海道を中心に東北北部、サハリン、千島列島に暮らしてきた民族です。

北海道の地名の殆どといっても過言ではないほど、アイヌの言葉は浸透しています。
例えば、札幌は sat poro pet 乾いた広大な川(豊平川) または sar porp pet 葦原の大きな川を意味します。
漢字は単に字を当てているだけなので、意味を持ちません。



アイヌ=人間
カムイから見る人間は、神に次いで二番手。
空気や水がなければ死んでしまう、人間は無力な存在。
蝦夷漫画にも描かれたように、アイヌが如何に豊かに悠々と暮らしてきたか。
自然をたくみに利用して生活していたのかは、その食事メニューからも伺えます。

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チサッスイェプ(雑穀類)
スウケプ(穀類を炊いて焦がす)
オハウルル(汁物)
チマチェプ(焼き魚)
シト(団子)昆布のタレ等々・・・・・

アイヌは、季節ごとに必要な量だけ収穫します。余計な収穫や狩はしません。
何故なら、四季は豊かな食材を生み、また季節が巡ってくれば、季節ごとの食材を得ることができるからです。

そのようにして育まれてきたアイヌの自然観は
1.自然を採り過ぎない
2.自然を神として畏敬して共存する
3.決して争わない社会観

というものでした。

神に祈ることをカムイノミといいますが、
・カムイモシリ 神々の住まう世界
・アイヌモシリ 人間の住む世界
・ポクナモシリ 死後の世界

という3つの世界と、その世界を結ぶカムイノミ、やはり自然を神として畏敬して共存するという文化を持っていました。

 

民族衣装に見られるアイヌ模様は、家系の持ってきた模様であり母方の系譜に受け継がれます。
その模様は、
1.モレウ 渦門
2.シク 梟の目
3.アイウ 矢・棘
という3つの基本模様を組み合わせて作られます。
その模様を見れば、どこの出身なのかが一目で分かる大切な模様でもあります。

アイヌの人は河川の流域で食料や飲み水が得やすく、災害あいにくい場所を選んで集落を形成してきました。
家=チセ 集落=コタン
チセは釘は使わず、柱はブドウヅルやコクワのツル、シナ縄で縛り付けて家屋を造りました。

しかし、松前藩による支配、明治以降の進められた同化政策により独自の文化、言葉は否定され、搾取や差別を受けました。
さらに伝統文化、墓、住居などなど、民族としての尊厳を奪われてしまいました。
失われつつある正しい文化を伝えることは、民族の誇りでもある、と島﨑さんは何度も強調されました。

■アイヌ民族に関する主な歴史
1669年 不平等公益に対してアイヌの首長シャクシャインを中心としたアイヌ民族が松前藩とシャクシャインの戦いを起こし、アイヌ側の敗北で終結。松前藩の主導権が確立。開拓使設置。蝦夷地を北海道と改称。
1877年 北海道地券発行条例によりアイヌ民族の居住地が官有地に
1878年 アイヌ民族の呼称を「旧土人」に統一
1886年 北海道庁設置。北海道土地払下規則公布によりアイヌ民族以外の官有未開地が払い下げとなる。
1899年 北海道旧土人保護法によりアイヌ民族の共有財産は政府管理となる。
1946年 北海道アイヌ協会(現在の北海道ウタリ協会)設立
1991年 『日本政府の国連人権規約B規約(自由権規約)報告書』に「本条との関係で提起されたアイヌの人々の問題については、これらの人々は、独自の宗教及び言語を有し、また文化の独自性を保持していること等から本条にいう少数民族であるとして差し支えない。」と記載。
1994年 二風谷の萱野茂が、アイヌ民族初の国会議員となる。
1997年 二風谷ダム裁判札幌地裁判決。ダムの土地収用をめぐる行政訴訟でアイヌ民族は先住民族と認める。「北海道旧土人保護法」廃止。「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」(「アイヌ文化振興法」)制定。
2007年 「先住民族の権利に関する国際連合宣言」採択。
2008年 「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」


このように、1991年 『日本政府の国連人権規約B規約(自由権規約)報告書』に「本条との関係で提起されたアイヌの人々の問題については、これらの人々は、独自の宗教及び言語を有し、また文化の独自性を保持していること等から本条にいう少数民族であるとして差し支えない。」と記載され、1994年の萱野茂が国会議員となり、1997年に「北海道旧土人保護法」が廃止され、「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」(「アイヌ文化振興法」)が制定された以後の動きとして、民族共生の象徴となる空間 基本構想が国、地方自治体によって進められています。
しかし、その象徴空間の意義、アイヌ文化の振興や普及啓蒙については、形ばかりのものであるという指摘もあります。

 

さらに、近年の巨大土木事業により、鮭が遡上する川がコンクリート護岸にされ、自然の川の曲がりを真っ直ぐにしたために鮭が一匹も遡上しなくなったという結果をもたらしました。

これに対し、多くのアイヌが立ち上がりました。
アイヌ語については、先住民族サミット アイヌモシリ2008において アイヌ語を公用語として、義務教育でも学べる言語とすることを提起しています。
アイヌ語の復活に頑張っているアイヌが増えています。

 

講義の中で、島﨑さんはアイヌ民族の問題、課題として、次の5点を挙げました。
1.アイヌ副読本書換え問題
2.アイヌ人骨慰霊施設問題
3、アイヌ民族の権利回復
4.生活、経済、雇用問題
5、その他

 

その中で最も重い問題はアイヌ人骨慰霊施設問題であると考えます。
アイヌ研究で知られる北海道大学名誉教授・児玉作左衛門氏による1000体以上のアイヌ人骨です。
「純粋なアイヌの骨格蒐集」を名目に、アイヌの墓地掘り起こし、遺族に無断で「盗掘」さえも行ったとされています。

後日になり、アイヌ側からの指摘により、ようやく1982年になり、北海道大学は遺骨標本の存在を認めはじめました。
そのほか、研究目的で、アイヌの方々の血液採取も行われていたそうです。

このような非人道的な行為が「学術研究」ということで行われていたとすれば、大きな問題です。
民族に対する冒涜といっても良いでしょう。

 

(以下、明日の日程、二風谷ダム現地研修に続きます)


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アイヌとして生きるエッソコソイ人生

投稿者: kameno 日時: 2012年11月 6日 21:54

コメント: アイヌ民族の歴史と現在

「ようやく1994年に国際人権規約B規約24条の少数民族としてアイヌ民族の存在が認められ」の「1994年」は、1991年の『日本政府の国連人権規約B規約(自由権規約)報告書』に、「本条との関係で提起されたアイヌの人々の問題については、これらの人々は、独自の宗教及び言語を有し、また文化の独自性を保持していること等から本条にいう少数民族であるとして差し支えない。」とあることを指していると思われるので、1991年が正しいと思います。

投稿者 匿名希望 | 2012年11月10日 04:21

匿名さま
当該部分を整理して囲みの中に纏めました。
ご指摘感謝いたします。

投稿者 kameno | 2012年11月10日 10:03

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