鉄道事故と大本山總持寺

曹洞宗の大本山總持寺(横浜市鶴見区)では、修行僧たちは毎日毎食後に太鼓を合図に「百間廊下(長廊下)」を雑巾で拭き清めています。roka
この際に、当役の修行僧がジョウロを両手に持って長廊下脇のタタキ部分を一気に走りながら2本の真っ直ぐの水の筋をつけていきます。
そして廊下のゴール地点でジョウロをくねらせ水の筋を曲げます。
これは、鶴見事故の犠牲者(事故直後、この廊下に御遺体が並べられ安置されていた)への慰霊と、「みたま」が安らかなることを祈る水の筋です。
水の筋は長い線香とそこの先から出る煙を表しています。

もう一つ。
總持寺の大梵鐘は、毎日午前11時から撞いています。
大梵鐘は1分30秒間隔で九声。(八・九声目は30秒間隔)で、修行僧の鐘司非加番の当役です。
鐘司非加番は大梵鐘を撞き終えると、三宝殿の「桜木観音」前で線香を立て慰霊法要(立三拝、観音経読経、回向、立三拝)を営みます。

この二つは、一般世間にはあまり知られていないことですが、桜木町事故・鶴見事故以降、大本山總持寺で毎日営まれている鉄道事故被災者慰霊供養です。

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日本が敗戦からようやく立ち直り始め、高度経済成長期に入った時期に、立て続けに甚大な鉄道関連の事故が発生しました。

戦後五大事故と呼ばれるものです。
(1)桜木町事故 1951年(昭和26年)4月24日、東海道本線(現・根岸線)桜木町駅構内で、工事作業を誤り垂れ下がった架線に列車が接触し短絡(ショート)したことで発生した車両火災。死者106人、負傷者92人。
(2)洞爺丸事故 1954年(昭和29年)9月26日、青函連絡船「洞爺丸」が台風15号(洞爺丸台風)にあおられ沈没。原因の一つには運行管理者の判断ミスがあった。洞爺丸事故の死者は1155人、世界有数の海難事故となった。
(3)紫雲丸事故 1955年(昭和30年)5月11日、宇高連絡船「紫雲丸」が貨物船の「第三宇高丸」と衝突し沈没、死者166人、負傷者122人。修学旅行中の小学生・中学生が多数死亡した事も世間の非難を買った。
(4)三河島事故 1962年(昭和37年)5月3日、常磐線三河島駅構内で信号無視によって脱線した下り貨物列車に下り電車が衝突、さらにそこへ上り電車が突っ込み二重衝突に。死者160人、負傷者296人。
(5)鶴見事故 1963年(昭和38年)11月9日、東海道本線鶴見駅~新子安駅間で脱線した下り貨物列車に上りの横須賀線電車が衝突、その先頭車が下り横須賀線電車に突っ込み二重衝突となる。死者161人、負傷者120人。

 

これらの事故の背景には、戦後急激な経済成長に伴う輸送量増加対策に追われ、安全対策が追いつかなかったことが背景にあるとされています。
うち、桜木町事故、鶴見事故は横浜で発生した事故で、特に鶴見事故は大本山總持寺の間近で発生したものです。

 


桜木町事故(さくらぎちょうじこ)は、1951年(昭和26年)4月24日13時45分頃、神奈川県横浜市の日本国有鉄道(国鉄)東海道本線支線(京浜線、現在は根岸線の一部)桜木町駅構内で発生した列車火災事故である。ドアが開かなかったため脱出できず、多くの死傷者を出した。犯罪的所業によるものではないが、桜木町事件と呼ばれることもある。この事故後、自動扉つきの客車内には乗降扉非常圧搾空気開放弁(非常ドアコック)の設置と表示が義務化され、緊急時にドアを乗客が手動で開けられるよう法律が改正された。(ウィキペディア桜木町事故項)

鶴見事故(つるみじこ)は、1963年(昭和38年)11月9日21時40分頃に日本国有鉄道(国鉄)東海道本線鶴見駅 - 新子安駅間の滝坂不動踏切(神奈川県横浜市鶴見区)付近で発生した列車脱線多重衝突事故である。
なお、当日には福岡県大牟田市の三井三池炭鉱でも死者458人を出す大爆発事故が発生しており、「血塗られた土曜日」「魔の土曜日」と呼ばれた。
事故地点における貨物線(品鶴線)走行中の佐原発野洲行き下り貨物列車(EF15形電気機関車牽引45両編成)後部3両目のワラ1形2軸貨車(ワラ501)が突然脱線。引きずられて架線柱に衝突した後に編成から外れ、隣の東海道本線上り線を支障した。そこへ同線を走行中の横須賀線電車の久里浜発東京行き上り2000S列車と下り線を走行中の東京発逗子行き下り2113S列車(いずれも12両編成)がほぼ同時に進入した。
90km/h前後という高速のまま進入した上り列車は、貨車と衝突。先頭車(クハ76039)は下り線方向に弾き出され、架線の異常を発見して減速していた下り列車の4両目(モハ70079)の側面に衝突して串刺しにした後、後続車両に押されて横向きになりながら5両目(クモハ50006)の車体も半分以上を削り取って停止した。その結果、下り列車の4・5両目は車端部を残して全く原形を留めないほどに粉砕され、5両目に乗り上げた形で停止した上り列車の先頭車も大破。上下列車合わせて死者161名、重軽傷者120名を出す大惨事となった。(ウィキペディア鶴見事故項)


⇒毎日新聞 昭和毎日 桜木町事件 / 国鉄鶴見事故  

 

今年7月に、中国新幹線が浙江省で衝突事故を起こし、40人が死亡、172人もの方々が負傷されました。
このときの世論は概ね、「さすが中国クォリティー」「日本ではありえない事故」「日本の新幹線は死亡事故を一度も起こしていない世界一安全な鉄道だ」・・・・などという論調が溢れていたと感じています。

しかし、その世界一安全とされる日本の鉄道も、数え切れないほどの甚大な事故と、犠牲となられた方々の上に成り立っていることを忘れてはなりません。

 

戦後五大事故の第一となった桜木町事故では、列車の三段窓が、乗客が外に逃げられない構造であったために、車両火災の際に逃げられず多くの犠牲者が発生しました。
これにより列車には「非常用ドアコック」が設置され、乗客が中から脱出できるように改良が加えられましたが、三河島事故の際には、その「非常用ドアコック」が逆に災いし、乗客が線路上に脱出避難し始めたところに対向列車が突っ込んできて多くの犠牲者が発生しました。
事故対策が必ずしも良い結果をもたらす訳ではないという教訓です。

それでも、一連の事故により、日本の鉄道は近代的保安確立への向けて原因究明と自動列車停止装置(ATS)設置などの開発など対策が徹底的に重ねられました。
結果、五大事故以降、昭和58年には過去10年、責任事故による死者がゼロという記録も達成し、新幹線では現在も責任事故による死者がゼロという記録を続けています。

このように、鉄道の世界に限らず私たちの豊かな生活や安全は、これまでの度重なる事故や災害などを乗り越えた上にあるのです。

先日お会いした京急広報の方も、何度も鶴見事故慰霊で總持寺に来られたそうです。
京急だけでなく、首都圏の鉄道に係る方々は、ほとんど大本山總持寺に参拝されているはずです。
犠牲となられた方々の慰霊はもとより、その方々の夢や願いを後世に繋いでいくことを誓い、事故の教訓が後々生かされ同じ過ちを二度と繰り返さないことを祈られているのではないかと思います。
日本の鉄道が他の国に例を見ないほど世界一安全で正確といわれるようになった下地には、この日本人特有の「祈り」のこころが刻まれているからなのだと感じます。

災害・事故で忘れられない年となった2011年も、もう年の瀬を迎えます。
今年の重大ニュースが新聞、テレビで話題となる時節となりました。
この一年を振り返り、省みて、よりよい新年を迎えることができますことを願います。


 

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大本山總持寺境内にある鉄道事故関係慰霊碑等について
桜木町電車事故死者慰霊碑(桜木観世音菩薩立像)/鶴見事故慰霊碑

投稿者: kameno 日時: 2011年12月29日 12:44

コメント: 鉄道事故と大本山總持寺

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いつも事後報告にてスミマセン(^^;

投稿者 Eibun Aki | 2011年12月30日 01:11

Akiさま
いつも有難うございます

投稿者 kameno | 2011年12月30日 04:27

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