横浜で造られた 0系新幹線

小学生、中学生の頃、休みの日には友達と毎日のように自転車であちこちに出かけていました。

(散策の中で様々な街の発見があるわけで、今のPhotologのスタイルはおそらくこの時代に確立されたのだと思っています)
珍しいものがあれば写真に撮っていたのですが、ただ、当時はデジタルカメラがあるわけではなく、フィルム代、現像代、プリント代もお小遣いの範囲では無駄に使えるはずもなく、写真は大切に撮影していました。

その中で編み出した?方法は、ダークバック、現像タンクとリール、そして現像液、定着液をヨドバシカメラで買ってきて自分で現像するというものでした。
さらにモノクロの長尺フィルムを使えばかなりリーズナブルですし、しかもその日のうちに現像できますので重宝しました。

当時撮影したフィルムから、折をみてこのブログで幾つかご紹介していきたいと思います。

20111010-01

これは新幹線の工場、そしてそこで造られている0系の車両。
場所は、京浜急行金沢文庫と金沢八景の間にある東急車輛横浜工場です。

フィルムには1980年4月12日(土)ネオパンSS・ミクロファイン2倍増感と記載されています。

20111010-03
(東急車輛横浜工場付近の空中写真:国土変遷アーカーブより)

工場の隣には横浜市立大学があり、大学につながる道の踏切から望むことができました。
思わず新幹線を発見して嬉しかったことを覚えています。

さて、写真には線路が3本写っていますね。
また、新幹線車両の上には交流、直流の表示がありますね。


京急と新幹線の線路幅は一緒ですが、京急は直流、新幹線は交流。
また、JR在来線は京急、新幹線より線路幅が狭い。
東急車輛横浜工場では、新幹線のほか、京急、東急、JR(当時は国鉄)ほか海外の車両までをも造る会社ですので、それぞれに対応した線路幅、電圧が用意されているのです。

京急の金沢八景から逗子線の神武寺にかけては、JR在来線にも対応した線路が引かれ、製造されたJR車両は逗子線を通って横須賀線に運ばれます

さて、日本の高度成長を支えてきた新幹線O系車両は、東急車輛のプレスリリース

[PDF]0 系新幹線電車前頭部を保存します - 東急車輛製造

にあるように、


20111010-04東急車輛産業遺産第3号として0系新幹線電車前頭部を保存します

東急車輛製造株式会社(本社:横浜市金沢区、社長:金田 一朗)は、今年8月に創立62周年を迎えることを記念して、日本の高度成長期を支えた高速車両である0系新幹線電車の先頭部を東急車輛産業遺産第3号として指定し、当社の横浜製作所内に保存することとしました。0系新幹線電車は1964年(昭和39年)10月東海道新幹線開業時から使用された国内最初の高速鉄道専用車両です。東京-新大阪間の「ひかり」「こだま」号に使用され、最高運転速度は210km/hで、営業列車では当時の世界最速を誇りました。開業当初は12両編成でしたが、需要増加に伴い16両編成に増強され、名実共に日本の鉄道輸送の大動脈を担った車両です。1964年から1987年(昭和62年)まで38次に亘って合計3216両が新製され、当社は1967年(昭和42年)6次車から製作に参入、492両を製作し国鉄に納入しました。
今回保存する車両は36次車の博多方先頭車であり、1985年(昭和60年)1月に製作されました。JR東海に継承後1998年(平成10年)6月まで東海道・山陽新幹線で「こだま」号を中心に使用され、廃車後は静岡県の佐久間レールパークでシンボル的な前頭部が保存されていました。2009年11月同所の閉園に伴い2010年7月にこれを譲り受け、日本の高度成長期を支えた高速鉄道専用車両としての活躍を永く伝えていくため、東急車輛産業遺産3号として指定し、誕生したこの地に永久保存することとしました。(※一般公開はしておりません)

というように、製造された工場内に戻ってきて永久保存されるようになったそうです。
残念ながら一般公開されないそうですが、何だか感慨深いニュースです。


なお、当時は鉄道の車両工場は許可を得れば撮影も簡単にできましたし、時には中も案内してくれたりしました。
おおらかな時代でした。

最近は写真撮影すらできないそうですので、ルールは守るようにしましょう。



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投稿者: kameno 日時: 2011年10月10日 09:23

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