講演会@大本山永平寺報告

SOTO禅インターナショナル(SZI)主催の講演会が6月11日・金曜日 曹洞宗大本山永平寺特別講義として開催されました。
2日前の大本山總持寺での講演会は一般参加を含めての講演会でしたが、永平寺では修行僧に向けての内講です。

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この4月に北アメリカ国際布教総監に就任されたルメー大岳老師により「海外の禅:その現状とチャレンジ」を演題としてご講演いただきました。

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■特別講義@大本山永平寺
演題 「海外の禅:その現状とチャレンジ」
講師  ルメー大岳老師 (曹洞宗北アメリカ国際布教総監)
日時  6月11日(金)午後6時30分?    
会場  大本山永平寺・菩提座
主催 SOTO禅インターナショナル 
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■講演抄録(kamenoメモより)


■はじめに

SOTO禅インターナショナルの親切なご厚意があり、この機会が出来ましたことを感謝します。
たくさんの方に集まっていただき喜んでいます。どうぞ楽な姿勢で足を崩してください。
講義の後の質疑応答でお願いがあります。仏道修行で大切な教えに 聞思修があります。これは聞くこと、考えること、実践することです。話を聞いてそこで終わるということではなく、聞けば聞くほど考える必要があります。
そこで質問が出てくるはずです。質問が出なければ良く聞いていない証拠です。
例えば各寮の仕事、師寮寺の仕事、全てそうですが、聞いて分からないことは信頼できる人に質問していくことが大切です。
教えを聞いて、考えて、質問して、道理が分かれば、それが身につくということになります。

さて、アメリカでは禅センターというものが公式・非公式含めて200も300もあるといわれています。
しかし、日本の曹洞宗僧侶がきちんとした英語で教えているのはほんの僅かです。
この講義を聴いて、一人でも海外へ行ってみたい、見てみたいという人が出てくれれば嬉しいです、チャレンジしてください。
海外の禅を聞いて、どうしてそうなっているか、自分にはそれが関係あるかないか、海外の禅が自分に関係あるかないかも問題提起したいと思います。

道元禅師は次のように仰っています。

「仏道をならうといふは 自己をならふなり。自己をならふといふは 自己をわするるなり。 自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり」
『正法眼蔵』「現成公案」

本当に自由になりたい、わかりたいならば、自己を見極める必要がある。
「自己をならふといふは 自己をわするるなり・・・」

海外でよく質問されることは自分を見極めるのに、どうして自分を忘れることができるのか。
自分を忘れるのに、どのように自分を見極めるのかということです。
皆さんはどのように答えますか?

般若心経の「無眼耳鼻舌身意・・・」の「無眼」はどういうことでしょうか?
そのような禅の修行に大切なことの素朴な疑問がたくさん出てきます。


■曹洞宗の海外の禅の歴史と現状


海外にハワイ、北米、南米、ヨーロッパの4つの総監部があります。
これらは必要に応じて作られました。
ということは、今後、例えばオーストラリアや南アジア、アフリカなどに総監部が出来るかもしれません。
一番古いのは百余年の歴史がある。数年前には南米ペルーで100周年の行事が行なわれています。
明治維新の頃、海外へ多くの移民が渡り、大変苦労して生活してきました。
その中で、現地で先祖供養をどうしてもしたいということで、僧侶が派遣されました。
これが日系寺院の出来るきっかけとなり、現在ハワイには9カ寺、カリフォルニアの4、5か寺の日系寺院があります。

日系寺院の働きは、日本の寺院と似ているところがあります。
葬儀、法事、彼岸、お盆、などの檀務や三佛忌が中心となり、アメリカナイズされている部分はありますが、ほとんど働きは同じです。
日系の方々が日本の文化を守るために茶の湯、武道、写経、カラオケ、生け花、日本語、料理教室なども行なわれています。

これと対照に「禅センター」は日本の寺院とは全く異なります。
禅センターはアメリカが発祥で、鈴木俊隆老師がサンフランシスコ禅センターを作られ、現在200にも300にも増えています。
日系寺院の数はそれほど増えていないが、禅センターは特に発展しているのです。
禅センターの働きの中心は、やはり、坐禅。そして、朝課、作務、摂心、独参。
仏教という教えを学ぶためのワークショップもあります。

その他に、アウトリーチという活動がありあます。
例えば、刑務所に行って坐禅を指導したり(アメリカでは200万人以上の受刑者が居ます)、私もサンフランシスコの刑務所で、毎週日曜日坐禅会を開いている中で指導を行ないました。
30?40人が集まって、自分たちが造った仏壇の前でお経を読んで、法要を営み、坐禅をします。
また、ホスピスはサンフランシスコ禅センターで造られた言葉だと思います、仏教の雰囲気の中で死を迎えたいということで、病院の一角にそういう場所を設け、ボランティア活動を行なっています。
さらに、ホームレスの食事を作ったり、心のケアをしたりということもやっています。
これがアウトリーチです。

日本では如何でしょうか。
そのような活動ができるか、できないか。出来るとしたらどのように出来るでしょうか。
日本でも、今後はそういう活動が大切になっていくでしょう。
海外の事例が参考になるはずです。

アメリカでは、坐禅をしたい人が自分の家に禅堂を造って手作りの坐蒲で坐禅を組みます。
ただ、在家の方が多く、僧侶や指導者がいないため、本などで自分のなりの理解を得たり、時間が経ってから摂心に参加したり、僧侶を招いてみたりしています。
もう少し規模が大きくなると、土地を買ったり建物を買ったりして常住の指導者が居て修行をしたりするようになります。
そのうちに得度して僧侶になりたい、そのような縁が出来てきます。
北米では350人もの得度者の登録があります。
世界中ではこの倍以上居るでしょう。


■なぜ禅が急速に広がったのか

これがこの40年間の間に起こっています。
潜在の坐禅を組む方はどれくらい居るかわかりません。
どうして、40年もの間に坐禅を組む人がが急に増えてきたのでしょうか。
1960年代には、アメリカでは様々な社会問題が出てきました。
特にベトナム戦争の影響が大きかったと思います。
若い男性が徴兵されることに反対する人が増え、また黒人人種差別、貧富の格差、公害などの環境破壊・・・アメリカのような生活が世界に広がると地球が駄目になるという考えも流布し、若者を中心に政情が不安定になりました。
その根本として、キリスト教への不満も挙げられます。
まったく違った文化の宗教が広まるということは、それほど行なわれることではないのですが、様々な縁が繋がって禅が広がったのでしょう。

2000年前、インドから中国に500年・1000年もかかって少しづつ少しづつ浸透して禅が生まれました。
しかし、アメリカではそれが短い時間で行なわれているのです。

また、様々な伝統宗教があるなかで「曹洞宗」だけが広がっていると感じます。
もちろん、チベット仏教や韓国、中国、ベトナムの仏教、新宗教なども広がっているのですが、伝統仏教の中では曹洞宗が圧倒的です。

この原因として、キリスト教への不満、神の教えが近代科学にそぐわない面もあり、その教えが信じられないということがあるでしょう。

40年前にはその答えを東洋文化、坐禅の中に求めようという動きが西海岸を中心に広がってきました。
悟りを開いてみたいという人も居たし、静かになりたいという人もいました。
しかし、一番の要因は、「自分の力でで自分を救うことができる、誰でも出来る。1メートル四方のスペースがあれば出来る」それが一番の魅力だと思います。
その他に、日本の文化、建築、俳句、庭園、茶の湯から入ってくる人も居るし、仏教は平和の仏教ということから入った人も居るでしょう。

「個人主義」は悪くなると「自分さえよければ」という考えになり、自分の権利だけ主張することになりがちであるけれど、その意味でも「大きな」自分を習いたければ「小さな」自己をわすれるという教えがしっくりくるのです。


■チャレンジするということ


チャレンジという話に移りたいと思います。
チャレンジには布教、国際社会に貢献できる人、幅広い人材を育成するということが含まれます。

アメリカでは「ZEN」ということばは、あらゆる意味で洗練されたという意味で使われています。
非常に人気のある言葉です。
しかし、その実を知る人は少ないし、それを知りたい人は多いのです。
仏教、禅に関する本は、40年の間にとても増えました。
本を出版したり、記事を書いたり、ラジオに出たり、近くの学校へ行って講演をしたり、講座を開いたり。
あるいはインターネットでウェブサイトを作ったり、福祉活動を通じて伝えたりということもあるでしょう。
仏教が良くわからない、知りたい人はとてもたくさんいるので、それを伝えることは大切なことです。
一番大切なことは、質問を持つ人、悩みを抱える人とと話が出来る機会を持つことです。


■僧侶として自信を持って欲しい


国際社会に貢献できる人とはどういうことでしょう。
国際・・・もちろん日本の中でも良いのですが、社会の中に「宗教家」として貢献できるのか。
お坊さんの働きとは何でしょうか。
もちろん、檀家制度の中では、葬儀や法事も大切です。
しかし、今後、檀家制度は変化し、世の中に悩みを抱える人も増えていくでしょう。
その中で、どのようなことができるでしょうか。

もう一つ、大切なことは、僧侶であり、宗教家であることに自信を持つことです。これも大切です。
よく、日本の僧侶を見ると、一般社会の中では、お坊さんの格好を取り去りたいと考えているように見えます・・・Tシャツとかジーパンとか・・・そうなるとお坊さんであることが分かりません。
一般の人が見て、「あの方がお坊さんだ」と分かることは大切なことだと思います。

とにかく、自分がお坊さんであるということに自信を持って欲しいと思います。
たとえ作務衣に絡子でも良いのです。
街の人が、お坊さんに聞いてみたいことや悩みを持っているかもしれません。
そのようなことを聞く接点にもなるでしょう。
このような小さなことでも立派な社会貢献となのです。
お坊さんになるということは、どういうことかを良く考えてみてください。

さらに、健康に留意してください。
僧侶は長生きするもものだと思われているとすれば、それは大事にしなければならないことです。
タバコ、酒を控えめにしたり、節制したり、世間の人の見本になって欲しいと思います。


■若いうちは苦労し精進すること


若いうちに苦労し、精進し、修行道場で長く居て、もしまだ坐禅が思う存分出来ないと思ったら、地方僧堂や海外に出て欲しいと思います。
英語も学んで欲しい。
逆境は英雄の選抜試験でもあります。
若いうちにいろいろな挑戦をしてください。是非海外の禅を学び、日本に還元することもしてください。


■自分が僧侶になろうと思ったきっかけ

私の話をします。
父親はキリスト教の宣教師であり、11歳のとき家族全員が日本に来ました。
小学校6年から高校卒業までアメリカンスクールで過ごしました。
この、東京という大都会に来たことが冒険になったと思います。
そんな中、知らず知らずのうちに、この洗練されて治安の良い、文化の調和の取れている、礼儀正しい国にわざわざキリスト教を布教する必要があるのだろうか、という疑問が生じました。
キリスト教の教えの根本に、キリスト教徒以外は地獄に落ちるというものがあり、そういうことも信じられなくなりました。本当の宗教とは何かという疑問が生じたのです。
高校生活の中でビートルズがインドで瞑想を学びに行ったという話題を聞いたり、修学旅行で京都、奈良の旅行の中で大徳寺で禅宗の僧侶と会って、寒い中、素足に下駄という姿がとても印象的でした。
社会問題をどのように解決できるか、社会にどのように貢献できるかという疑問を抱いたままアメリカの大学に進みました。
大学卒業の時、ベトナム戦争が酷くなり、社会は混乱し、理想を持ってよりよい社会を作ろうとしたヒッピーが増え、自分もヒッピーの活動に参加しましたが、喩え理想の社会が出来たとしても、それは本当の解決にならないだろうと思い始めたところで、鈴木俊隆老師の本と出合い、小浜の発心寺専門僧堂をたずねることとなりました。

結局、原田老師の元、得度をし、永い間かかりましたが、ようやく僧侶になることができました。
ご縁があったんだな、とつくづく感じます。


■最後に、修行されている皆様へ

皆様も一佛両祖のご縁をいただいて、是非充実した修行に励んでください。
知人のハーバード大学を卒業した日系の財政コンサルタントの方が、「これから10年、20年、アメリカはますます大変な時期を迎えるでしょう。高齢化社会、医療、年金・・・・それが政治的な問題となり混沌とした時代を迎える」と指摘しています。

一般社会の悩み、迷い、それを一人ひとりの人が乗越えることができるようにその力を蓄える必要があります。

毎日お唱えしている四弘誓願文のように


すべての人々を救います。
迷い、煩悩を全て断ち切ります。
法も全てマスターします。
仏道という優れた道を成就します。

どうぞ自分のため、衆生のために、この道を自分のものにしてほしいと思います。
それが国外、国内、どちらにしても、社会に貢献できるというということであります。

今日は貴重な時間をありがとうございました。
感謝いたします。


<この後質疑応答>


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なお、ブログ記事中の講演抄録は、kamenoメモです。
きちんとした講演内容につきましては、8月に発行予定のSOTO禅インターナショナル会報Vol.44にてご報告させていただく予定です。


大本山永平寺の皆様にはお世話になりましたことを心よりお礼申し上げます。

投稿者: kameno 日時: 2010年6月11日 23:02

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