地図から見える中華街・象の鼻

地図を過去に遡っていくと、街がどのように形成されていったかが明確に判ります。

例えば横浜中華街がなぜ周囲の街区と異なった方向を向いているのかということも見えてきます。

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よく言われることは、中華街は当時の中国人が風水思想に基づいて、わざわざ東西南北の街区として区画を整備したというものですが、街の形成を時系列に辿ると、これが間違いだということが判ります。

その謎解きをされたのが横浜開港資料館・伊藤泉美さんです。


伊藤さんは、中華街が他と違った街区を形成している理由として次の3つをを提示しました。


■理由1:土地の高低差
現在の中華街エリアは「横浜新田」と呼ばれた一帯でした。
横浜新田とその周囲の土地との高低差が一つ目の理由。


■理由2:立ち退きを迫られた村民の思い
横浜新田が「外国人居留地」に指定されたため、この地区に住んでいた村人たちは土地を幕府から立退きを余儀なくされました。立退一時金給付査定のために従来の田畑の区画形状が残された。

■理由3:偶然東西南北に区画割された土地を華人が好んだ
関内地区は海岸線にあわせた街路のため、東西南北に沿っていない。
しかし、現在の中華街エリアだけは上記理由で東西南北の街区ができている。
風水を重んじる中国人は、あえてこの場所を居留地として選んだことが考えられる。


横浜開港150年企画(横浜中華街公式サイトへ)
横浜開港資料館
横浜中華街 おいしさネットワーク


これを踏まえてさらに、様々な古地図を検証していくと、横浜新田が川と堀に囲まれていた地形であり、堀と川と新田の田んぼ道がそのまま、現在の中華街の街区となっていることがより明確に判ります。

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横濱村外六ケ村之図 安政6(1859)
図中の赤字はkameno記載

この横濱村外六ケ村之図と、1/20,000地形図 横浜(明治39年測図41年製版)を重ねて作成してみました。
(こちらの図は上が北となります)
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中華街のみならず、江戸時代の地形が、現在の街区に大きな影響を残していることがわかります。


開港以前にあった「象ケ鼻」は、その場所が埋立てられ第一代横浜駅(現在の桜木町駅周辺)となりました。

投稿者: kameno 日時: 2009年8月31日 09:40

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