なぜ巨大仏が建立されるのか

昨日は、大船観音でのアジアフェスティバルについて書きましたが、この観音様、昭和4年に建造がはじまり、それ以降小高い丘から街を見守る、いわゆる大船のシンボル的な存在となっています。
また、近年はアジア各国からの信仰をあつめ、熱心な信者たちが数多く参拝を重ねています。
大船観音といえば、この一帯にお住まいの方であれば、ご存じない方はいらっしゃらないでしょう。


さて、日本には、あちらこちらに巨大なすがたをしておられる仏様(あるいは観音様=以下、巨大仏と書きます)が建立されています。
そういえば、昨年は、加賀温泉の観音様を参拝し、そのことをブログで紹介いたしました。


宗教テーマパーク-その1
宗教テーマパーク-その2


このような巨大仏は、どれくらいあるのか。
いろいろな資料をもとに、わかる範囲で高さの順に並べてみました。

名称 所在地 高さ(m) 完成年 備考
牛久阿弥陀大仏 茨城県牛久市 120 1993 浄土真宗東本願寺派
小豆島大観音 香川県小豆郡 108 1995 真言宗仏歯寺
仙台大観音 宮城県仙台市 100 1991 真言宗智山派大観密寺
淡路観音 兵庫県津名郡 100 1982 豊清山平和観音寺
北海道大観音 北海道芦別市 88 1989 芦別レジャーセンター
加賀大観音 石川県加賀市 73 1987 ユートピア加賀の郷
救世慈母大観音 福岡県久留米市 62 1983 成田山新勝寺
会津慈母大観音 福島県河沼郡 57 1987 芳賀曻之助氏が建立
東京湾観音 千葉県富津市 57 1961 個人が世界平和を祈願して建立
うさみ大観音 静岡県伊東市 50 1982 うさみ観音寺
釜石大観音 岩手県釜石市 48.5 1970 曹洞宗石応禅寺
高崎白衣大観音 群馬県高崎市 41.8 1936 真言宗慈眼院
親鸞聖人大立像 新潟県北蒲原郡 40 1990 越後の里親鸞聖人
七つ釜聖観音像 長崎県西彼杵郡 40 1990

西海楽園

大釈迦坐像 熊本県玉名市 38.5 1979 真言宗弘泉寺
田沢湖金色大観音 秋田県仙北郡 35 1987 ホテルタザワ
長崎観音 長崎県長崎市 35 1979 福済寺
白雲山鳥居観音 埼玉県飯能市 33 単立鳥居観音
純金開運寶珠大観音 三重県一志郡 33 大観音寺
谷山大観音 鹿児島県鹿児島市 33 妙円寺
子安弘法大師尊像 愛知県蒲郡市 30 1938  
おびんずるさま 熊本県山鹿市 30
琵琶湖大仏 滋賀県長浜市 28 1994  
七寳寺大観音 大阪府能勢町 28 2002  
香山昇龍大観音 福岡県朝倉郡 28 1987  
平和観音 山梨県甲府市 27 1982  
琵琶湖大仏(初代) 滋賀県長浜市 27 1937  
大谷平和観音 栃木県宇都宮市 26 1954  
龍女神像(乙姫像) 大阪府堺市 26 2000  
大牛蟹 鳥取県日野郡 26
大船観音 神奈川県鎌倉市 25.4 1960  
日蓮聖人像 新潟県佐渡市 25 2001



では、これらがどの時期に建立されたのか。
時系列に並べ、高さごとにプロットしてみたのが下図です。

20070604-01.jpg


これを見ると、日本の高度成長期?バブル時期に合わせて、一気に巨大仏が建立されている事がわかります。

巨大仏が何故建立されたのか。
その由緒を探ってみますと、興味深い事がわかります。
個人や企業が、その財を投じて、世界平和のために建立されたもの、レジャー施設の目玉として建立されたもの・・・・・
その由緒はさまざまですが、歴史が浅く、あまりにも独善的に建立されたものは、街の光景になじまず、街の方々の視界にいやがおうでも入っているにも関わらず、「無いもの」として扱われたりというように、必ずしも街に受け入れられていないという事例も少なくありません。


「必然性のない物は存在感が増す」
「存在感が過剰なものはないものとして扱われる」


『晴れた日は巨大仏を見に』の著者、宮田珠己氏は、この状況を逆手に取って、ありふれた街に聳え立つ巨大仏のある風景の「おかしみ」の感覚を表現し、出版されています。いわゆる『日本「マヌ景」論』です。
巨大という異様さによりそれが打ち消され、遠近感の感覚を否定された超異次元感覚により沸き起こる「ヘンな感触」により、「世界平和」や「観音信仰」という純粋な動機、ありがたさが打ち消されてしまっているというのです。


バブル時期に建立された巨大仏の中には、既に参拝される方も無く、廃墟と化してしまっている所もあります。
しかし、逆に、当初の建立の目的を生かして街に溶け込み、信仰を集めている巨大仏もあります。
その違いは何か。
そのあたりを突き詰めると、信仰とは何かという答えが見つかると思います。
実に興味深いところであります。


玄奘三蔵法師がが7世紀に目の当たりにしたバーミヤンの巨大黄金仏は、大乗仏教に大きな影響をあたえた世界的な仏教遺産であったことは確かですし、東大寺盧舎那仏像や鎌倉の大仏は国宝なのですから。



■関連の書籍


珍寺大道場 (単行本)
小嶋 独観 (著)

晴れた日は巨大仏を見に (単行本)
宮田 珠己 (著)

投稿者: kameno 日時: 2007年6月 4日 08:40

コメント: なぜ巨大仏が建立されるのか

> kameno先生

ちょうど、表に挙げられている「仙台大観音」は、拙僧も何度も見たことありますが、やっぱり「異様」ですよね。出来た当初は、「何故?」と疑問に思うばかりでございました。今でも疑問なんですが、最後に指摘しておられるように、決して町の人に受け容れられるわけではないということは注意すべきでしょうね。

この巨大仏を作りたがる動機として、拙僧的には豊臣秀吉が、京都に方広寺大仏を作った理由などを見てみると、分かるものがあるのかな?という感じもします。

投稿者 tenjin95 | 2007年6月 4日 08:55

tenjin95さん、コメントありがとうございます。
グラフの中に方広寺は恣意的に入れたのですが、おっしゃるとおり豊臣秀吉が方広寺を建立した理由については興味深いものがあります。
また、豊臣家の全盛期に建立され、その後、度重なる再建のために財産を消費させることが豊臣家のその後の行方を左右してしまったということが興味深いところです。
仙台の大観音さまはまだ拝観したことはありませんが、中は近未来的な内装だそうですね。
時間があれば全国の巨大仏巡りをしてみたいものです。

投稿者 kameno | 2007年6月 4日 09:22

ちなみに結構、この加賀市からはどこでも眺められる加賀巨大観音は地元の人には愛されてます。
よく、珍スポットめぐりの方のサイトを見ると主観が入って、この観音が煙たがられているように書かれてますが間違いです。

加賀市あたりの人は有名な山中温泉近くの加賀温泉郷という観光地なので、
昔から珍軍人の辻政信など目立つものは受け入れようという傾向があります。

投稿者 ねこだ | 2013年7月10日 14:59

ねこださま
コメント有難うございます。
加賀市の巨大慈母観音は、以前拝観した際の印象では、例えば加賀温泉駅周辺の観光案内看板に記載されていなかったりしていましたが、今ではまた違ってきているのでしょうか。
いずれにいたしましても、折角建立された仏さま、観音さまです。地域の方々に愛される存在であって欲しいと思います。

投稿者 kameno | 2013年7月11日 09:28

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